第12話 夢の二人


「その女と男の子が、ここのところ毎日夢に出てくるの」


 しかも夢の中で二人と優良との距離は、日に日に近くなっているという。

 

「幸い紗矢はそんな夢は見ていないって言っているけれど……。もしあの女と男の子が至近距離まで来てしまったら、私、どうなるんだろう……」

 

 そう考えると、恐ろしくて眠るのが怖い――そういって、優良は顔を覆った。

 しかしその儚げな様子ですら演じているように感じてしまい、富子はもう我慢できなくなって、考えより先に口が出てしまう。


「それはあなたが紗矢に辛く当たっているから、怒っているんじゃないの?」


 冷静だが厳しい富子の口調に、ハッと優良は顔を上げて怯えるように母の表情を観察する。


「さっきから黙って聞いていれば、今まで紗矢に随分と辛く当たっていたみたいじゃない! 紗矢はまだ4歳で頼れるのは親だけなのに、可哀そうに。お化けの方が余程、紗矢のことを心配しているじゃない!」


 富子には、女と男の子の顔が崩れたとか、女の手足がカクカクと「人ではない」ような動きをした――というのは、正直信じられない。おそらく優良の「罪悪感が見せた幻」というのが本当のところだと思っている。

 もしかしたらその女や男の子というのも幻、もしくは普通の女性が紗矢を保護してくれていたのに、優良が病的に捻じ曲げて受け取っているだけなのではないか――とすら考えてしまう。


 母親なら娘の味方になってあげるべきなのだろうが、一時の紗矢の姿を知っているだけに、娘でも疑ってかかってしまう。親子だからこそ、そんな気持ちが伝わったのか、優良も負けずに声を荒げる。

 

「お母さんは、そう言うと思った! 私だってお母さんみたいに家事も育児も、仕事だって両立させようとしていたの! でもどれだけ頑張っても、なかなか上手くいかなくて……。 全部出来ていたお母さんには分からないよ!」


「だからって子どもに当たって良いわけがないでしょう! 手伝いが必要なら言ってくれれば、お母さんもお父さんもいつだって手伝いに行くのに!」


「それじゃあ意味がないの! 私がひとりで全部こなさないと意味がない!」


 もともと手のかからない子だった優良とこんな風に口喧嘩をしたのは、いつ以来だっただろうか――緊迫する場面にも関わらず、場違いにも富子は懐かしく思う。


 その時、ヒートアップする母と娘とは対照的に、父が静かに割って入った。


「優良……どうして一人でやることに、そんなに拘るんだ?」


 しみじみと尋ねるその言葉に、優良と富子は我に返って口をつぐむ。


「前はそんなことを言っていなかっただろう? 誰かにそう言われたのか?」


 夫の指摘に、富子も不思議に思う。

 確かに以前は――離婚する前には、優良はそんなことを一度だって口にしなかったし、手伝いが欲しければ素直に頼ってくれていた。


「……」


 優良が無言になったのを肯定と受け取った夫は、ひとり勝手に結論を急ぐ。


「……まさか外和山さんがそう言っていたのか? それでお前と一緒になった紗矢を……だとしたら、絶対に許せん!」


 普段は温厚だが、道徳に反していることには烈火のごとく怒る一面があることを知っている富子は、慌ててフォローする。


「ちょっと、お父さん。優良はまだ何も言っていないでしょう?」


「それ以外、誰がそんなことを吹き込むっていうんだ?」


 夫婦で言い争っていると、沈痛な面持ちで優良が悲痛な告白を始めた。


「……離婚するとき、言われたの」


 そう前置きして、優良は暗唱するように前夫の言葉を口にする。


『お前は家事も育児も親に頼って全然自立していない。彼女はひとりで子育てをして

いるけれど、家事も育児も仕事だって一人でこなしているぞ。甘ったれているお前

みたいな奴よりも、ああいう自立している女の方が魅力的だ。浮気したのは俺が悪かったけれど、仕方がないことだったと思っている』


 何度も脳内で、そして心の中で反芻はんすうしてきたのだろう。

 閊えることなく、スラスラと淀みなく優良は話した。


「……惨めすぎて、お父さんにもお母さんにも言えなかった」


 そして最後にこう締めくくると、優良の目元から涙がつうっと落ちていく。


 まさかの告白と娘の涙に、顔を真っ赤にして憤る夫に、富子は「落ち着いて」と宥めながらも、自分も負けず劣らず怒りを感じていた。


 いつも調子よく愛想が良い前夫だったが、そんな一面があったとは……。

 富子はその事実に驚くとともに、浮気で離婚したことだけでも腹立たしいのに、

その上更に娘を傷つけるような言葉まで置き土産にしていくなんて――と怒りが再燃した。 


「……」


 富子も夫も押し黙ることで自らの内に激しく燃え盛る怒りの炎を懸命に鎮火させ

ようとしていた。

 一番傷ついている張本人ではあるものの、二人の気持ちを察して居たたまれなくなった優良は、この場の空気を変えようと口を開いた。


「あ、でも、もう大丈夫だから! あの女と男の子が夢に出てくるようになって、私もお母さんと同じように『紗矢に辛く当たっているから出てくるんだ』って思った。……心当たりはそれくらいしかないから。それで思い切って相談してみたの」

 

 もし女と男の子が紗矢を案じて夢に出てくるのであれば、優良の態度を治すしか道はない。優良自身も罪悪感や止めなければならないと自覚もしていた。


 だから優良は夫に正直に話すことにした。前夫に言われたこと、甘ったれていると指摘された性格を直そうと仕事も始めたこと、家事も育児も仕事も完璧にこなそうとは思っているけれど出来なくて紗矢に当たってしまうこと――最悪、離婚されることも覚悟で話して、その上で助けて欲しいと打ち明けた。


 すると夫は妻の話に最初は驚いていたが、すぐに「せっかく優良が自分の気持ちを打ち明けてくれたのだから、自分も話そう」といつもの寡黙ぶりが嘘のように、自分の本心を打ち明けてくれた。


 そして初婚の自分は子育てや家事などについてはよく分からず手も口も出せずに

いたこと、紗矢を大切に思うもののどう接したら正解なのか分からなかったこと、言ってくれればなんでも協力したいと思っていたこと――自分も早く言うべきだったと、外和山は謝ってくれた。そしてその日を機に、家族は変わったのだという。


「ふん、前の奴よりはまともな男のようだな」


 優良の話を聞き終えると、夫はそう言って鼻を鳴らした。


 

 しかしそれでもなお、その女は優良の夢に出続ける。

 こうなると女と男の子が何を優良に訴えたいのか、もうまるで分からない――そう

優良は言って溜息をついた。 

   

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