第10話 打ち明け話


「れい……? 霊って、まさかお化けのこと?」


真剣な表情で子どもみたいなことを口にする娘に、富子はつい笑ってしまった。


「ははは、そんなAIで何でも出来る時代なのに、そんな非科学的な。娘ができても、優良はまだまだ子どもだな」


 夫も同じことを思ったのか、一緒に笑い飛ばすと、優良の表情がみるみる失望で曇っていく。


 一通り笑った後になってから優良の変化に気づいた夫は、慌てて「母さん、優良は真剣なのに、笑うなんて酷いぞ」と優良の機嫌を取り始める。

 まったく相変わらず詰めも娘にも甘い。

 私が商店街で俳優さんに会ったと喜んでいた時には、まるで信じてくれなかったというのに。

 まあ、それはともかく優良の話を聞いてみないことには話は始まらない。

 

 一人掛けのソファに座った優良は鞄に手をかけ、今にも立ち上がって帰ってしまいそうな雰囲気だ。

  夫に続いて、富子も優良を宥め、改めてとにかく話してくれと促した。


 「一週間前のことなんだけれど……」


  優良によると話は、一週間ほど前に遡るという。


 その日、優良が目を離したすきに、孫娘の紗矢が家を飛び出していったという。

 だがこういう時のためにGPS機能が付いたタグを紗矢のお気に入りのポシェットに付けておいたので、紗矢の居場所はリアルタイムで優良は把握できたのだそうだ。もちろん居場所が特定できても、いつどこで危ない目に遭うか分からない。


 紗矢はまだ4歳。すぐに優良は紗矢がいる場所へと急いだ。


「今は昔と違って、なんでもハイテクなのねえ」


 自分が育児をしていた頃を思い出して、富子は感心した。


「一度家を飛び出したばかりだったから、まさかまたもう一度……なんて」


「ちゃんと見てなきゃダメじゃない! それに紗矢は一日に2回も家を飛び出し

たってこと? 何かあったの?」


 思わず親目線から口出ししてしまうと、バツが悪そうに優良は押し黙った。

 

「まあまあ、母さん。最後まで話を聞こうじゃないか」


 悪くなった空気に居たたまれず、夫が口を出した。

    

 富子も言ってしまったものの、優良の反応にしまったと後悔していたので、

「ひとまず話を最後まで聞くわ」と言い繕う。そこまでして、ようやく優良は再び

口を開いた。


「結局、紗矢は知らない一軒家の離れにいたんだけれど、そこが……」


 紗矢がいた場所――そこは、古い大きな日本家屋の敷地内にある、黒く歴史の染み込んだ年代物の離れだった。


 家の前に赤い花が供えるように置いてあるのも気持ちが悪い。

 夕暮れの風が吹くたびに、瀕死の虫のようにピクピクと震える花びらが不気味

だったのが印象的だったという。


 もちろん優良は今まで一度も来たことはない。

 紗矢がどうしてそんなところにいるのかさっぱりわからず、まさか変質者にでも

さらわれたのではないかと、優良は冷や汗が出た。


「でも他人の家の敷地内でしょ。だから何度もインターホンを押したんだけど、誰も出てくれなくて……」

 

 それなら理由を話して離れに入れてもらおうと優良は周囲を見回したが、広い庭にも道路にも誰もおらず、途方にくれた。

 スマホでGPSを確かめると、紗矢がその離れにいることは確かなのに。

 こうしている間にも、紗矢は変質者から危険な目に遭わされているのかもしれ

ない。


「居てもたってもいられなくなって、家の人には後から承諾をもらうことにして、

離れに入ったの」


 引き戸を開けると意外にも綺麗に磨き上げられた玄関が迎えてくれて、外観との

違いにギョッとした。


 玄関も奥へと続く廊下も、壁も天井も、まるで誰かが毎日手入れしているかのように、手入れが行き届いている。


「今考えれば、他人の家にある離れなんだから手入れされていて当然なんだけれ

どね。その時は不気味に思った。そうしたら奥で誰かが話しているような声がしたの」


 その声は歓談しているような楽し気なもので、緊迫感は全くなかった。  

  

 それを聞いて優良は安心すると同時に、それまで心配で気が気じゃなかったのに

紗矢は遊んでいたのかと思うと、急に腹が立ってきた。

 自分は家事する時間も削ってここに来ているのに――そう思うと無性に怒りが込み上げてきた。


『紗矢、どこにいるの? 出ていらっしゃい!』


『紗矢、いい加減にして! いるのは分かっているの! どうしてそんなにママのことを困らせるの? もういい!こんなに心配かけるような子、いらない!』


 まだ4歳の紗矢に怒りをぶつけても、何もならないと頭のどこかではわかっているのに、優良は言葉を止めることが出来なかった。どうせ紗矢しか聞いていない。虐待だのやり過ぎだの煩い大人はいないのだ――そう高を括っていた優良だったが、奥座敷まで来ると予想外の先客に思わず悲鳴を上げた。


 そこには一人、女がいた。


 髪を結った、白いシャツに黒いロングスカート姿の女だ。

 年は30代前半の自分よりも若く見える。

 綺麗だけど、どこか儚い、そんな印象の女だ。


 不気味だし、もしかしたら女性の誘拐犯かもしれない。

 それに加えて紗矢しか居ないと思って怒鳴っていた内容を聞かれてしまったという気恥ずかしさで、優良は思わず虚勢を張った。


『あなた、誰? まさかうちの子、誘拐したの?』

『…………』


 女は優良の問いかけに答えなかった。

 ただじっと優良の言動を見ている。


「なんか不気味な人だったけれど、特に何も言わないから、無視して紗矢を探すことにしたの」


 そのまま話を続けようとする優良に、黙っていられなくて富子が口を出して

しまう。


「ちょっと待って。今の言い方だとあなた普段から紗矢のこと……」


「母さん、その話は終わってからにしよう。なっ?」

「……」


 だがまたもや夫に宥められ、不承不承富子は口をつぐんだ。 

 この反応は優良も予想していたのだろう。先ほどのように表情が変わることなく、時が過ぎるのを待っていた。

 そして母が黙ったのを確認すると、優良は話の続きを始めた。 


「紗矢の名前を呼びながら探していると、突然女が妙なことを言い出したの」


『紗矢ちゃんは、私がもらう。いらないんでしょう?』


 女は低いけれど、妙に響く声でそう言った。


 それを聞いた優良は「気持ち悪いことを言う人だな」と振り向いてしまった。


 すると女はガクンと首を横向きに倒し、同時に腕がだらんと投げ出されて――人間ではないような動きを始めた。そして少し遅れて、女の顔から何かがボタボタと落ちていく。


「女の顔から眼や鼻がどろっと蝋みたいに溶けていって、ミイラみたいな顔になっていったの……」


 正面からそれを思い切り見てしまった優良は、大きな悲鳴を上げて後ずさった――その時のことを思い出したのか、優良は顔を両手で覆った。

 相当なショックだったのだろう。小刻みにワナワナと震えていて、富子には娘が嘘を吐いているようには見えなかった。

 

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