半殺し屋

雨宮踏葉

おとなしそうな小柄な女

 街の一角のビルの中にある小さな事務所。そこにはお茶を飲んで本を読み、のんびりと過ごしている男が一人いた。彼は背が高く、少し顔が整っていて、彼の恰好かっこうも含めると、一見ドラマに出てくる探偵のようにみえる。しかし彼の仕事は探偵業務に加えて、さらに追加料金を支払うことで探偵業務の際につきとめて特定した者を殺害する、いわゆる殺し屋の仕事もおこなっていた。しかも普通に殺すというのではない。特定したターゲットをまず彼が半殺しにし、抵抗できないような状態にした上で、依頼者に最後のトドメを入れさせてくれるという。ターゲットに尋常でないうらみを持ち、ただ殺し屋に依頼して勝手に殺してもらうだけでは気が済まず、自分の手でターゲットにトドメを刺して殺してしまいたいと考える依頼者にとっては嬉しいサービスであった。


 


 殺し屋がくつろいでいるとノックの音が聞こえたので事務所のドアを開けると、そこには30歳はいかないくらいのおとなしそうな雰囲気の小柄な女がいた。殺し屋はその女を事務所に入れ、話を聞いた。女の話によると、数年前、彼女が高校生であったくらいの頃までは、彼女の両親は小さな会社を経営していたので、少々裕福な家庭で暮らしていたらしい。が、何者かが彼女の両親をだまして会社を奪ったために彼女の家庭の生活は一変して苦しくなってしまった。彼女は必死で勉強して優秀な成績をおさめ、奨学金を受け取って大学を卒業して、真面目まじめに働いて自身の奨学金と両親の借金の全額を返済した。そして今では仕事だけでなく恋愛も上手くいっており、長く交際している八つ歳上の会社経営をしている彼氏とそろそろ結婚しようという話も出ていて、近々ちかぢかそれぞれの家の両親たちと初めて顔を合わせての挨拶をする予定だそうだ。彼女は両親の会社を奪い取った者を今でも怨んでおり殺してしまいたいと思っているらしい。しかし自分が結婚してからは愛する夫の前で清廉潔白せいれんけっぱくな良き妻でいたいと思う彼女は自分の結婚前までにその者の殺害を実行したいと言った。こんな依頼をしてくるくらいなのだから彼女の怨みは相当なものであろう。殺し屋は金は前払い、そして一度依頼を引き受けたら彼の側からキャンセルをしない限り取引を中止することはできないということを説明してから、この依頼を引き受けた。彼女は殺し屋の説明に同意したが、少し不安げな様子であった。

「私がお金だけ受け取って殺さない、そしてあなたの側からはキャンセルできないのでずっとお金を取られたままあなたはターゲットが殺されないのに待ち続けなければいけない…というご心配ですか?」

と彼女の内心を察した殺し屋が言う。そして殺し屋はこう続けた。

「ご安心下さい。私はこれまでにこのようなご依頼を引き受けて、私の側からキャンセルを申し上げたことは一度もありませんし、依頼の成功率は百パーセントです。もちろん、警察にバレて捕まるなどというヘマをしたこともございません。たしかに前払いでキャンセル禁止のルールはありますが、もし私がご依頼をキャンセルしたり達成できず失敗に終わったりしたらいただいたお金は全額お返しいたしますよ。それにお互いが気持ち良くお取引できるようにきちんとルールもありますので。」

「ルール?さっきの前払いとキャンセル禁止以外のですか?」

彼女は先程説明されたルール以外にまだ何かあるのかと言いたげな様子である。殺し屋は丁寧に説明し始めた。

「先程お伝えしたルールはご依頼をお引き受けするまでの確認事項です。ここからはご依頼をお引き受けしてからのルールとなります。まず、私とあなたの連絡はメールと電話でとります。これで私はお仕事の進み具合を共有致します。何か事態が動いた時は逐一ちくいち報告しますので。ただし、特定したターゲットに関する情報はお伝えすることができません。あなたがターゲットを殺す直前にお教えします。これらが取引をする上でのルールとなります。」

殺し屋は少し間を空けたあと、ご納得いただけますか、と彼女に尋ねた。彼女は納得したのか、分かりました、と言ってから何も尋ねてこなかった。殺し屋にたくさんの札束が入った分厚ぶあつい封筒を渡し、小さな声で、どうかよろしくお願いします、とだけ言って彼女は帰っていった。殺し屋は彼女が出ていくドアが閉まりきるとすぐに椅子いすから立ち上がって仕事にかり、ターゲットの特定を急いだ。




 十日ほどで殺し屋はターゲットを特定できた。彼はこのことを彼女にメールで送るとすぐに読んだのか彼女から電話がかかってきた。彼はターゲットのデータをパソコンに打ち込みながら彼女からの電話をとった。もしもしと彼が言い終わらないうちに彼女が話しはじめた。こんなに早く特定できるなんてすごいです、ありがとうございます、などと早口でしゃべる彼女の声ははずんでいた。そして何やら言いづらそうにまわりくどく言ってきたがつまりは"ルール違反になることは分かっているがどうしてもターゲットの正体が知りたいのでどうか教えてくれないだろうか"ということを言いたいのだろう。しかし殺し屋は、申し訳ありませんがルールはルールですのでそれには答えられないのです、と断り続けた。彼女はようやく諦めがついたらしい。無理を言ってすみませんでした、と彼女は謝り、引き続きよろしくお願いします、と言って電話をきった。殺し屋はちょうどデータを入力し終えたターゲットの調査書類が表示されている画面を見ながらポツリとつぶやいた。

「いやぁ、いつもなら少しくらい教えてもいいかと思うものなのだが、これは本当に教えられないなぁ…」


 


 それから殺し屋はターゲットに近づいて接触することができた。そこから二ヶ月ほどかけてターゲットと親しくなり、電話で互いに飲みに誘い合うような仲となった。殺し屋はターゲットの殺害を実行するための計画を立てはじめた。まずは決行日。依頼者である彼女がトドメを刺すには彼女の予定が空いている日を設定しなければいけない。ただ彼女の予定は彼女と常に共有しているから殺し屋は把握済みであり問題ない。次に決行場所。殺し屋はあるマンションの一室を借りており、中のインテリアを状況によって変えることでターゲットにそこを自宅だと言ったり、仕事場だと言ったりしていつもそこを彼の殺しの仕事現場にしている。血が飛び散っても片付けがしやすく人目ひとめにつかない。今回の依頼もここで行う。最後はターゲットの誘い出し方。ターゲットには殺し屋の家で宅飲みしようと先程電話をしたところ向こうは誘いに乗ってきた。殺し屋は依頼者の女にメールを送った。決行日と場所、時間を伝え、その日の夜は必ず殺害決行以外の予定は入れないようにと。彼女からの返信はこうだ。

「ありがとうございます。その日はちょうど彼も男友達の家に飲みに行くと言っていましたので、私も彼にあやしまれずに予定をあけておけます。それにしても、本当にすごい手腕ですね。依頼してからまだ四ヶ月も経っていないのに…。これが上手くいったら心残りなく結婚の話を進められます。……」

文面だけで彼女の心底しんそこ喜んでいる様子が伝わってくるようだった。彼女には決行する部屋のとなりの小部屋こべやで待機してもらい、自分がターゲットを動けなくなるまで痛めつけてから、彼女を呼び小部屋から出してターゲットにトドメを刺してもらおう、と殺し屋は作戦を練り入念に準備をすすめた。





 

 決行日当日。殺し屋はターゲットが来る前に彼女に決行場所に来てもらい、彼女を殺害決行予定現場の隣室に入れた。殺し屋は彼女に自分が次にドアを開けるまでは決してドアを開けず、物音もできるだけたてないようにと念を押す。およそ一時間の後にターゲットが決行場所へやって来た。殺し屋はターゲットに次々に酒をすすめ、自分は飲んだフリだけして一切口に入れず、ターゲットがまともに歩けないくらいまで酔わせることに成功した。殺し屋はついにターゲットに襲いかかった。ターゲットは当然上手く動いてかわすことなどできるわけもなく、殺し屋に殴られ、蹴られて、何ヶ所も骨を折られた状態で、縄に縛られた。ターゲットは全身の痛みと縄のせいで弱り、まともに身動き一つできなかった。それを確認した殺し屋は隣室で待っている彼女をこちらへ呼びれナイフを渡した。彼女は現場にはいりターゲットを見るなり言葉をうしなった。殺し屋は依頼者の女にこれまで集めたターゲットのデータを説明した。ターゲットの名前、住所、職業、経歴…、そして最後に交際相手の名をげた。。殺し屋は説明を終えると彼女に、あとはそのナイフでご自由に殺して下さい、と言うが彼女はナイフを床に落としてやりたくないと泣いてわめき始めた。殺し屋はあきれた様子で口を開いた。

「やりたくないって…。困りますよ。たしかにあなたの愛する人を殺したくない気持ちは分かります。でもあなたが依頼なさったのでしょう?何年も前から怨み続け復讐ふくしゅうすることを望んだにくき相手が今あなたの目の前に血だらけで倒れている…。分かりませんか?これはチャンスです。過去に私のところへ依頼しに来た方も今回のようにターゲットがその依頼者様のご兄弟でいらっしゃいましたが、躊躇ちゅうちょなく同じナイフでトドメを刺して殺しておられましたよ。さぁあなたも早く!あなたが今ここでトドメを刺さなくても、もうこの方は助からず時間が経てば完全に絶命します。あなたとあなたのご家族のかたきなのでしょう⁇早く殺してげなくては死にかけて痛みに苦しんでいるこの方もかわいそうです。」

しかし相変わらず喚き散らして発狂している彼女には殺し屋の言葉など届いてはいないようだった。殺し屋はため息をつきながらポケットから拳銃けんじゅうを取り出して呟いた。

「はあ……、話が全く通じない…。こりゃダメですかね…?」

ターゲットは拳銃の引き金を引いた殺し屋にたれた。ターゲットは完全に絶命し体からは血が勢いよく流れ出て、あたりを真っ赤に染め上げた。すると依頼者の女は先程よりも声を大きくしてさけび、涙を流し続けた。殺し屋はそのかん何も口にしなかった。しばらくして彼女が落ち着き静かになったので殺し屋が彼女に声をかけようとすると彼女は床に転がっていたナイフを拾い、殺し屋へとそのナイフのを向けて振り回した。殺し屋は一切表情を変えることなく慣れた動きで彼女のナイフを全てかわし、背後から彼女の肩に手を置いた。そしてもう片方の手に握られた拳銃を彼女の首筋にぴったりとつけて、そのまま発砲した。ほんの一瞬の出来事であった。





 殺し屋は真っ赤な鮮血がドクドク流れる二つの倒れた身体からだのそばに立っていた。その様子はとても平然としている。彼はゆっくり話し始めた。

「………もうあなたには聞こえていないのだろうが………。こういうことがあるからどれだけ頼まれてもトドメを刺す直前になるまでターゲットを教えることはできないのだよ。先程も言った通り今回のようなことははじめてではない。ごくまれにあったのだよ、ターゲットと依頼者が実は親しい関係性を持っていた、というケースは。それでも躊躇なくターゲットを殺せた依頼者も勿論もちろんいたが、それは少数だった。あなたのようにできない、やりたくないと言った依頼者が大半だ。私はどちらのパターンも見てきた。だから私は面倒なことにはなりたくないと思ってルールを作ることにした。事前にターゲットが知られてしまうと、依頼をキャンセルされたり決行日当日に私がたくさんの準備を重ねてきたにも関わらず無断でその場所に依頼者が現れなかったりしたから。私はターゲットが特定できた時点でこうなることを頭に入れてはいたんだが、あなたは今までの依頼者の中でもめずらしいくらいに復讐の意志が固く殺意が強かったからトドメを刺す時は迷いなく殺せると私は考えていたのだが…。」

殺し屋は淡々たんたんと二つの死体の片付けと飛び散った血痕の掃除をし始めた。そしてまた口を開く。

「しかしこういう後始末にかかる時間は倍になってしまうから結局面倒だな。私の本音としては今回みたいなことは勘弁かんべんしてほしいがね…。」

殺し屋は文句を言いながらも一時間ほどで片付けを早々はやばやと終わらせ、静かにその部屋から出ていった。














 ___あのカップルを殺してから一週間が経ち、殺し屋は事務所でだらんと座りながらコーヒーを飲み、テレビのニュース番組を見ていた。アナウンサーがあるニュース原稿を読み上げた。

「おととい山のふもとで発見された男女の死体の遺棄事件ですが、現在警察が捜査を進めているものの、依然いぜんとして何も分からないままだそうです。凶器に使用したと思われる拳銃もいまだに見つかっておらず……」

すると事務所にノックの音がひびいた。殺し屋は、

「おや、来客か?折角せっかく美味うまいコーヒーを飲んでいたからもっと味わっていたかったが…仕方ない。話は聞こうか…。」

と言ってドアを開けると、そこには幸薄さちうすそうな雰囲気のせた男がいた。殺し屋がにっこりと笑って言った。

「こんにちは。今日はどのようなご用件ですかな。」

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半殺し屋 雨宮踏葉 @Amamiya_Touha

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