銀の弾には程遠い

粘膜王女三世

銀の弾には程遠い

 生き物をモデルガンで撃つのが好きだ。饐えたような臭いのするドブ川の脇を歩きながら、泳いでいる薄汚いカモやアヒルを探し出し、静かに狙いを付けて撃つのが好きだ。

 小学校でモデルガンが流行った時、僕もまた自分の獲物を親にねだった。単四電池四つで動く銀色の電動ガンが、すこんと音を立てて発射するBB弾の、真っ直ぐしなやかに進む軌道に僕は魅せられた。

 最初は友達と一緒に空き地の壁に撃っているだけで満足していた。しかし、やがて人や動物に撃ってみたいという欲求が湧いて来るのは、当然のことだった。

 戯れに動物を狙撃して、案の定外して照れ笑いを浮かべるという行為は、ほとんどの子供がやっていたと思う。けれど、小遣いの全てをBB弾に充てる程練習を繰り返し、主に水鳥をターゲットにほぼ確実に命中させられるところまで腕を磨いたのは、学校でも僕一人だけだった。

 「おまえ。気持ち悪いよ」

 そう言ったのは、仲間内でも中心人物と言って良い中岡という男だった。

 「別にさぁ動物さんがカワイソーとかバカみたいなこと言いたいんじゃないけどさぁ。カモ狙ってる時のおまえの気色悪い目とか、命中させた後のおまえの気色悪い笑い声とかさぁ、そういうのが一緒にいてたまらなくムカつくんだわ」

 やがてあっけなく仲間達はモデルガンに飽き、近所の廃屋で野良犬を買い始めるようになった。タロウとジロウと名付けたドーベルマンの兄弟(?)を匿っているようで、皆で世話をしたり一緒に遊んだりしているらしい。

 「おまえ。もし街でタロウやジロウを見かけても、絶対に撃つなよ」

 中岡にそう言われ、曖昧に頷いたその日の放課後に、僕は街で大柄なドーベルマンを見かける。

 いつも自分に施しをくれる仲間と同じ歳恰好の僕を見て、期待と警戒の入り混じる目を向けて立ち止まるドーベルマンの顔面に、僕は淀みなく銃を抜いて素早く発砲する。

 僕は凄腕だ。BB弾はドーベルマンの眼球の内の一つに見事に命中し、視力を奪う。

 決定的な現場を見られた訳じゃなかった。しかし片目を潰されたタロウを見て、中岡達はそれを僕の仕業だと察したようで、僕を吊るし上げにしてモデルガンを目の前で踏み壊してしまう。

 僕は一人になる。一人になったままやがて小学校を卒業し、中学生になる。


 椋本皐月という小学校からの同級生の女子がいる。

 痩せて背が低くて目が大きくて鼻筋が通っていて、髪が長くて肌が白い。顔は綺麗だ。しかしだいたいいつも黙っていて、朝席に付いたら放課後家に帰るまで、自分の机で身じろぎせずにうつむいている。そんなんだからしばしば聞こえるように陰口を言われたり、物を隠されたり、足を掛けて転ばされたりしているようだった。

 そんな椋本が、ここ数か月、僕の後ろを黙って付いて歩くようになっていた。

 「わたしに嫌なことする人達の自転車のブレーキ、ハサミで切ってやろうかな」

 放課後自転車置き場の前を通る時、椋本はそんなことを後ろから僕に言って来る。普段ずっと黙っている癖に、たまに突拍子もなく口を開けば、こんなどうしようもないことばかり言う。

 僕がそれに返事をすることはない。

 昔はこうではなかった。こいつが僕の後ろを歩くようになったのは、僕がタロウを撃ったことがバレて仲間外れに合うようになった、あの日からだ。

 こいつは僕のことを同族か何かだと勘違いしているようだった。同じみじめさで、同じくらいどうしようもないことを言い合える相手だと思い違いをしている。でも僕はそれがどのくらいみっともないことかを分かっている。迫害されるのも孤立するのも憎むのも、自分一人で出来るし自分一人で耐えられるのだ。

 そう思っていた。しかしある日の放課後、中岡に連れ込まれたトイレの便器の中に顔を突っ込まれたその帰り道、僕は椋本の誘いに乗ってしまう。

 「昨日、犬を一匹捕まえて裏庭に繋いだの。七森くん、撃ちに来るよね?」

 銃がない、と僕は答えた。「そんなの買ってあげるよ」と椋本は答えた。椋本は地域でも一番大きな屋敷に住んでいるお金持ちのお嬢様だった。本当は成績だって良い。

 僕は椋本に言われるがまま近所のオモチャ屋に行き、椋本の財布から店で一番高価なモデルガンを購入し、椋本の家の屋敷に行く。

 瓦屋根の木造の屋敷の長い廊下を抜け、縁側から外に出ると、裏庭の粗末な小屋に繋がれた一匹の黒いドーベルマンが目に入る。

 タロウだ。

 いや。ジロウだ。タロウは僕に片目を潰されている。

 椋本は僕の肩に手を置いてジロウを指さして言う。

 「やって」

 その黒々とした大きな目は爛漫と輝いている。

 僕はジロウに電動ガンを抜き放ち、狙撃する。数か月のブランクを経ても尚僕の腕前に陰りはなく、ジロウの眉間、目と目の間にBB弾は容易く命中する。

 ジロウはキャンと泣き声をあげてのけ反った後、縄を一杯限界まで引っ張って僕の方まで襲い掛かろうとする。そして涎をまき散らしながら激しく吠えかかる。屋敷全体を揺るがすような大きな低い吠え声。

 椋本は怯えたように縮こまるが、僕は笑ってやる。

 どう吠えようが勝てないのだ。こいつは僕に。

 一度虐げられる状況に追いやられた者は、虐げる者に絶対に勝つことができないのだ。勝てないだけでなく、逃げられない。そいつが満足するまで虐げられ続け、やがてボロボロに擦り切れて朽ち果てる。

 僕は哄笑しながらジロウを撃ちまくった。縄を引きちぎらんばかりに右へ左へ走り回り暴れるジロウが、それでも僕の狙撃から逃げ切ることはない。

 最高の気分だった。


 その日から、僕は互いに用事のない日の放課後に、椋本の家に行ってジロウを狙撃するようになる。

 僕が思う存分に撃ち尽くしたBB弾の後始末は、椋本の仕事だった。散らばった数百発のBB弾をいそいそと拾い集めた後、椋本は台所へ引っ込んで、その日の気分によって麦茶やコーラやホットココアやカフェオレを運んで来る。そしてそれらを飲みながら、十五分か二十分ばかり、僕は椋本の学校や家庭での愚痴を聞いてやるのだ。両親は冷たく放任するばかりで、学校では毎日悪口を言われたり、物を隠されたり、お金をタカられたりする。

 そんな日々が数か月ほど続いた後、やがてジロウが死んだ。

 大型犬であるドーベルマンがBB弾如きで体を壊すとは思えない。とは言えその時のジロウの全身からは体毛が抜け落ち、あちこちに十円ハゲを作っていたから、おそらく虐待のストレスからくる精神的な衰弱死だろうというのが二人の共通見解だった。

 「新しい犬を用意しておくから」

 椋本が言う。その表情には媚びの色が滲んでいる。俺がこの屋敷に来なくなることを恐れているのだろう。

 「街に野良犬ってもう一匹いるよね? あれをさ、捕まえておくから」

 僕は頷いた。そしてこれから一緒に捕まえに行くことを提案した。それは椋本一人にやらせるのが申し訳ないという意味ではなく、こんなトロい奴一人に任せるよりも僕が手伝った方が確実で速いからなのだが、どういう訳か椋本は嬉しそうに何度も頷いていた。

 中岡達がタロウとジロウを匿っていた近所の廃屋に行くと、あっさりとタロウは見付かった。

 僕の方を見ると、片目の潰れた顔で精一杯吠えかかり、両脚を床に擦り付けて今にも飛び掛からんとしている。

 僕はじりじりと距離を詰めながら、ジロウは俺が殺したぞと声をかけた。

 今の僕の身体には始末したばかりのジロウの死臭がたっぷりと染み込んでいるはずで、例え言葉が分からなくとも、こちらの意図するところは伝わるはずだった。

 「挑発しないで。危ないよ」

 椋本は言う。

 「わたしが上手く宥めて連れて行くから。七森くんはそこで……」

 言い終わる前に、タロウは僕に向けて飛び掛かって来た。

 何が起きたのか分からなかった。僕はタロウの目を抉った男でタロウの兄弟のジロウを殺したはずだった。物理的にも精神的にも屈服させたジロウを見事嬲り殺したのが僕だったはずだ。そんな僕がタロウに負ける等と言うことがあるはずもなかった。

 しかし僕の腕に頬に噛みついて僕を押し倒したタロウの力は強く、全力で暴れても振り払うことはままならない。僕は頬を食い破られ、耳を食い千切られ、鼻を噛みつぶされる。

 やがて椋本助けを呼んで来るまでに、僕は気絶することも許されないまま、激痛と共に顔中の突起という突起を食い物にされ続けていた。


 何針縫ったかもわからぬ程の外科手術の末、僕の顔は醜く歪んでしまっていた。鼻は捥がれ、両耳は引き裂かれ聴力にも影響が出た。頬や唇を食い破られたことで顔全体の輪郭も歪んでいた。

 タロウの片目の視力を僕が奪ったことは知れ渡っていた為、僕のことを哀れむ者は誰もいなかった。あの後重い腰を上げた保健所に処分されたタロウのみを皆哀れんだ。僕はというと学校で醜い顔を殊更笑いものにされても何も言い返すことが出来ず、死ぬ寸前のジロウがそうだったように、土色の目をして悪罵や嘲笑を絶望と共に受け入れていた。

 僕は何を憎めば良いのだろうか? 

 僕は何にこの痛みを返せば良いのだろうか?

 顔を笑われる度、鏡を見る度、気が狂ったような気持ちになる僕の肩に、椋本だけが小さな手を優しく置いてくれる。

 「つらいよね。でも大丈夫。わたしはずっと味方だからね」

 僕は思わずその胸に縋り付き、泣きじゃくる。椋本はそれを優しく受け入れ、抱きしめる。

 その整った顔には念願のオモチャが手に入ったかのような、恍惚とした笑みがある。

 僕はそれを知っている。僕が知っていることを、椋本もまた知っている。

 それでも僕は椋本の胸から離れることが出来ないし、椋本もまた、僕のことを離さずに強い力で抱きしめ続けているのだった。

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