第8話  もう会いたくないって伝えて

「——それなら私にその片想いを終わらさせてください」


 彼女のその言葉は不思議な響きを持っていた。それこそ思わず頷きそうになってしまうくらいに。


「片想いを終わらせるって……。もう詩音とは区切りをつけたから……」

「人間って嫌なことも良かったこともすぐには忘れられない生物なんですよ。出来ることは精々覚えていないふりをするだけで」

「……」

「少なくとも桜木くんが詩音さんのことを少なからず引きずっているのは間違いないですよね」

「……」


 そうじゃなかったら心機一転、とまではいかないにしても死のうとは思いませんしねと付け加えるように言われる。


 心の中を読まれて下唇を噛んでいる様子に気付いたのか、少し表情を崩してふんわりとした笑顔を僕に向けてきた。


「今すぐに答えを出さなくても大丈夫です。あくまでも桜木くんのことなのでゆっくり考えてください」

「……」

「そうだ! あの、連絡先交換しておきませんか?」

「えっ、いいけど……」


 急な提案に反射的にポケットに手を入れてからスマホがないことに気付いた。


「ごめん、実は携帯落として壊しちゃって……」

「そうですか……。それなら……いや、またすぐに会えると思うので大丈夫です」

「……どういうこと?」

「それはですね……、秘密です。まぁ運命に導かれているんですよ」


 彼女はまたオカルトじみたことを言うとどこか悪戯げに微笑んだ。



「それじゃあ今日はありがとう」

「いえこちらこそ、久しぶりにお話しできて楽しかったです」


 それから少し彼女と近況について……僕側はいじめられている部分などを誤魔化してだが、話しているといつの間にか空がすっかり暗闇に染まっていたので、帰ろうと彼女と玄関まで出た。


「じゃあ」

「はい。ではまた明日」


 明日……?と思ったが、その部分には何も突っ込まずに手を振り、水溜まりを蹴りながら、雨上がりの空を家に向かって歩いた……。



「……ただいま」


 僕がそっとドアを開けて家に入ると少し困った顔をした様子の母親が玄関で待ち構えていた。


「真砂希」

「……何?」

「詩音ちゃんと何かあったの?」

「……別に何も」

「別に何もなわけがないでしょ。詩音ちゃん来てるわよ。ずっと真砂希、真砂希って真砂希のことを呼びながら泣いてたのよ。今は泣き疲れちゃったのか寝ちゃってるけど」


 起こしてこなきゃと言いリビングに向かう親を押し留める。


「やめて」

「……真砂希?」

「詩音とは……もう会いたくない」


 母親は僕の少し震えるような声音から何かを感じ取ったのか少し目を細めた。


「喧嘩でもしたの?」

「……別に、とにかくもう会いたくないだけ」


 それならなんで二人してそんな顔してるのよ……と困ったような顔で言う母親に僕は何も言うことができないまま母親の横を通り抜けた。


 僕が部屋に入ると母親が詩音のことを起こす声が聞こえてきた。


「詩音ちゃん、詩音ちゃん。起きて」

「……ん?」

「あのね、真砂希が今帰ってきたんだけど、その……今は会いたくないんだってだから本当にごめんね。今日はもう遅いし一旦帰ってあげて」

「……真砂希」

「喧嘩をしたのか、何なのか私には分からないけどこうなったら真砂希は梃子でも動かない子だから……。気が変わったら会いに行かせるから」

「……分かりました」


 詩音が家から帰ると誰にも聞こえないほどの声で僕は自分に改めて言い聞かせるように呟いた。


「はぁ……、もう何があっても詩音とは距離をとる。優しいからそんなことしなくてもいいとか言われるかもしれないけど。もう伝えたんだから……会いたくないって」

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