飛沫礼賛

夏原秋

第1話

 我々は汗である。

 いかに時代が進んだとしても、人体の生理現象の泉である我々は、人間の運動のパートナーとして寄り添い続ける。自己紹介に、少々お付き合い願いたい。


「外に出たくてたまらない」

 それが我々の主な意志である。ヒトの身体のためになる我々の行動を識者は手放しで応援する。外に出て、身体を冷やす。オリンピアンたちの身体能力が進化しようとも、その働きは変わらない。

 スポーツ界だけではない。人々の緊張を表すモチーフとしても我々は役立っている。例えばどうだろう、あまのじゃくな不良刑事の大胆な推理に追い詰められた殺人犯が、今際の際に絶望感の表現としてたらりと一筋の汗を垂らすのは、定番の描写だ。我々は文化面においても縁の下をさりげなく支えているのである。


 さて、今日に至るまでに我々に起きた最も大きな事件といえば、臭いだけが取り去られたことである。これは非常につらい決定であった。我々の臭いに罪はない。ヒトの嗅覚を弄れば良い話なのだ。しかしそれではヒトの方で支障が出るとのことで、排除が簡単な「臭い」の方が選ばれて、一旦は我々が煮え湯を飲まされた。

 臭いは我々の個性である。それを消し去ることはヒトでいえば全員の顔面を同じ風貌に整えて、考え方や性格までもを、四角四面に押し込めることと同義である。同じことをヒトがされたら途端に「人権侵害だ」などと声高に叫ぶことだろうに。

 汗の臭いを消すためになされた施策内容は、主に人体への薬液の投与であった。それの定期的な接種に拠り、我々の臭いは著しく低減され、快適な生活が大変に好評だったと今でも聞かれることがある。

 ところが人間たちの生活に思わぬ弊害が生じた。子どもの出生率が著しく下がったというのだ。汗から臭いを取り除いたことが原因だと突き止めたのは無名のスポーツ科学者であった。それを調べたきっかけは、学のないホストへの街頭インタビューをニュース番組で観たことであったというからなんとも興味深い。「魅力的な恋愛関係が減ってお持ち帰り案件が無くなった。それは汗から臭いを取り除く施策が始まったことがきっかけだと思うっす」という内容であったそうだ。

 かくして有効な薬液の登場によりやれ万歳と取り除かれた臭いは、大いなる反省をもって我々に返還された。主にヒトが極度に緊張したとき我々は臭くなる。しかしそれはヒトの、生殖にも関わる性質として、重々しく受け取られるように、世間の向きは変化したわけだ。結果的に我々は、アイデンティティとも呼ばれるべき臭いの返還に、ほっと胸を撫で下ろしたものである。


 一方で、心躍る話題もある。我々の存在が映像や写真として最も美しく捉えられるのは、無重力クライミングという競技においてだ。宇宙に適応する人間を選りすぐる役目も兼ねているこの競技で上位を狙うことはすなわち、宇宙空間における操縦士や飛行士、修理士、ステーション管理者などへの候補入りを意味している。我々は自由落下の恩恵を受けて被写体となった。競技の目的とは別の場所で注目を浴びることになり、「美しい汗選手権」という名の別の大会が生まれたのは大変名誉なことである。

 無重力空間において汗はヒトの肌に付着したままだが、この選手権のためだけにわざと大袈裟に腕を振り、空間に汗の礫を撒き散らすというのだから、馬鹿馬鹿しくも楽しいイベントとして、スポーツ振興の一助となっていることは大変に誇らしい。


 今日も我々はヒトと共に生きる。彼らの勝利のそばには常に我々が寄り添っている。健やかなるときも、強く臭うときも。それから、たとえ我々を捉えた写真や映像が顕彰されようとも。ただ体外に出て、蒸発するのみ。今日も我々は、美しく飛び散るのである。

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飛沫礼賛 夏原秋 @na2hara

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