エンケラドスでクロススキー

汎田有冴

エンケラドスでクロススキー

『エントリーナンバー19──』


 アナウンサーが番号と名前をコールすると、尖ったヘルメットに「19」を付けた選手が立ち上がった。モニター越しの観客に手を振りながら目の前で待機しているスターターボートへ入っていく。


『エントリーナンバー74──』


 俺も声援にガッツポーズで答えた後、足に履くスキー板が絡まって転ばないように慎重に、両手のストックで床をつきながらスターターボートの入り口をくぐった。円錐形の狭いスペースで肩を回して体をほぐし、カタパルトにしっかりと足元を固定する。


『着地をミスるな。オッズは4番人気だが、解説者の中にはお前を優勝候補に挙げる奴もいるぞ』


 コーチ兼マネージャーのガブから通信がきた。


「期待にそえるよう頑張るよ」


 一瞬前方からGがかかり、前方から両側面まで広がるモニターに宇宙空間が開いた。

 モニターにスターターボートは左に五つ、右に二つ。互いに微妙な距離をとりながら反時計回りにカーブを描いて真っ白な星へ近づいていく。

 かの星は土星の衛星エンケラドス。自ら吐き出す氷のブルームをまとう氷雪の星。見た目はまさにドライアイスの塊。巨神がサタンに放り投げた雪玉。この星が俺の競技人生の到達点の一歩手前。ここが、一番早く滑走し一番早くゴールすればいいという単純なゲームの決勝の舞台だ。全身に冷気を感じ始める。薄い大気すら切り裂くために嘴のような鋭角の付いたヘルメットと宇宙用スポーツウェアは、宇宙線も放射線も通さないはずなのだが。


“on your mark”


 大会AIの号令でモニターにスタート地点の赤い三角が表示された。ガブとアシスタントAIと協議して割り出した自分の能力で最もパフォーマンスが上がるライン取りの出発地点。そこはまだ青い宇宙の中。体を少し左に傾け、その印に沿うようにスターターボートを操る。

 運営側が設定した広いコース内で一定の滑走距離とゴールが同じなら出発地点とライン取りは自由。おかげで俺を含めほとんどの選手が、スピードを上げるために衛星の弱い重力すら利用しようと星の上空からスタートする。

 もっとも、誰もが滑りやすいと思うところはだいたい同じなので、滑走中も激しく競合する。その迫力がこの競技人気を支えている要素の一つだ。

 スポンサーはこのスポーツ大会をきっかけにより世間の注目と資金を集め、土星圏の開拓を進めたいらしい。果ては土星圏に冬季オリンピックを招致したいとか。

 冬季っていう季節がよくわからないが、初めて雪を触ったのはまだ幼いころ。木星圏コロニーに到着した時だった。移住の手続きを待っている間、傍の遊技場が一面に雪の積もったスノーパークで、夢中で雪合戦をしたり雪だるまを作ったりした。雪遊びなんて火星ではできなかった。学校が終わるとスノーパークに行って、スキーやスノーボードを楽しんだ。仕事が終わった後も度々通った。木星圏居住者が嗜む一般的なスポーツだった。

 そのうちコロニーの小さなゲレンデでは物足りないと思った輩が、仕事場にしている木星の衛星上で滑るイベントを開催し始めた。普段は特殊宇宙服や遠隔操作の重機で行く雪原でスポーツを楽しむにはけっこう命がかかる。

 でも、そのスリルを制覇して一番のパフォーマンスを決めた奴は、娯楽の少ないコロニー内で人気を博し、名誉も金も手に入った。

 モニター上部に赤いランプが点灯した。


“set”


 スティックを脇に挟み、前傾姿勢になる。


“go” 赤がグリーンに変わる。


 右スティックのボタンを押す。バクッと前面が十字に開いてカタパルトから射出された。視界の右隅でタイムアタックのカウントが始まる。手足四か所につく小型スラスターと体制でバランスを整え、マーカーを付けたクレーターの縁に着地。重力に引かれた勢いを殺さないよう一気に滑り降りる。


〈二名脱落。現在4位〉アシスタントAIが状況を告げる。


 先を行く三名を必死に追いかける。規定ギリギリのパワーのスラスターと膝のスナップを効かせて地形の凹凸を処理しながら進む。先行する選手のまき散らす雪煙を容赦なく浴びる羽目になった。バイザーは煙を透過するので視界は確保できるが、漂う氷の粒子はセラミックの壁のようにコースを塞ぐ。俺は臆することなくそこに飛び込む。ウェアと粒子の摩擦で生まれた小さなプラズマが俺にまとわりつく。

 前の選手は板と雪面の間からもプラズマを吹き出している。帯電した滑走跡を青や黄色に輝かせ、プラズマの弾丸となってスキーヤーたちは先を争う。


 前の二人が左に大きくカーブした。この先は大きな崖になっている。私は計画した通りまっすぐ進み、空中に躍り出るとすぐにスラスターをふかして着地の態勢をとる。6秒以内に雪原にスキー板をつけないと、滑空とみなされてペナルティーをくらう。重力圏から出るのはもってのほか。即失格だ。


〈一名脱落。現在3位〉


 二人しか抜けなかった。しかし、上位の背中は捉えた。彼らも相当攻めた滑りをしている。目の前で抜きつ抜かれつする輝くウェーブが何度も交差する。

 クレバス地帯に差し掛かかる。見えている地溝だけではなく新雪に隠された溝も存在する。迂回ルートもあるが、誰も安全な道を選択しない。大会が発表した地図と自分で下調べした記録、アシスタントAIが現在観測したデータを照らし合わせながら、ジャンプと着地を繰り返す。

 ようやくクレバス地帯を抜けたと思った時、ヘルメット内にけたたましいアラート音が鳴り、下から突き上げるような衝撃に足元をすくわれた。近くで氷交じりの噴水が立ち上がる。その地割れがこちらまで手を伸ばし、先の選手を奈落へ引き込んだ。俺も地獄の入り口へ招かれる。競技を中継しているボットが救命モードに変わって選手の救助に動くはずだが、間に合う気がしない。

 終わった──頭の中でアラート音とガブの喚きが遠のいていく。最後に何て言ってたっけ……しっかりしろ? いや、備品返せの間違いだろう。

 残して困るものあったかなと、最近会社の寮を出て住み始めた部屋を思い浮かべる。いや、何もない。何もないから始めたのだった。恋人もいない。振られっぱなしだ。AIは「あなたは犯罪歴もなく、あらゆる権利を有していて、健康で、仕事もよく勤めている。何も欠けたところがない」という。顔だって悪くない、はず。そもそも私はAIが遺伝子を組み合わせて作ったブレンダーなんだから、個性はあっても変なバランスで作られるはずがない。

 何が足りないのだろう──心にぽっかりと開いた穴を抱えてガブに相談すると、ずっと同じ施設で育った幼馴染は自信満々に答えた。

「俺たちはAIに作られた。特に目立った欠点ができないように。ナチュラルな人間はそんなことないからアンバランスだ。あれが良くてもあれがダメとか。できる奴に意外な不得意があったりして。だが、そのギャップがいいっていうことがあってな。そこが魅力に見えたからこそ子孫繁栄できたのさ。アンバランスな奴ほどモテてきたっつうわけよ」

 思ってもみなかった説に私は驚き、半ばあきれた。

「でも相手だって、ほとんどブレンダーだったんだけど」

「AIも恋愛の本能までは調整してないんだろ。俺たちが子供作らなくても、奴らが作ればいいんだから」

「じゃあ、失恋しないためには逆美容整形しろってか。鼻をそいだり、わざと不器用にするのは嫌だな」

「いやいや逆だよ。能力値盛ればいいじゃん。自分の能力のどれかを磨き上げていったら、それ、アンバランスだろ」

「磨き上げるって、どの能力を上げればいいんだか」

「俺知ってる」ガブがニヤッと笑った。「お前の盛れそうな能力。無駄にしている力。周りと仲良く楽しむのは終わりだ。本気になってやれば、平らな能力値にドーンと山ができて、そうすればモテモテよ」

 俺もガブのことをよく知っている。ガブの盛れる能力はしたたかさ、貪欲さ、周りをちゃっかり利用する力。そんな奴が言うんだから、俺には才能があるんだろうと競技の世界に踏み込んだ。「あなたはなんだかつまらない」と言ったブレンダーの子の曇った顔が浮かぶ。このまま地獄の門をくぐったら、ガブもあいつと同じ顔で俺の棺を見送るだろう。

 いらだちをスラスターにぶつけ、目いっぱい噴射する。

 崩れた崖の突起にスキーをひっかけて落下を止め、ストックを突き刺して態勢を整え、足場になりそうな所へ滑り込み、ジャンプする。

 またクレバスの下から衝撃がきた。その突き上げにスラスターのパワーをのせてクレバスから跳びあがる。雪原に着地。


「ガブ、俺はまだ生きているか!」

『脱落判定は出ていない。最後のジャンプからも6秒以内だ』


 バイザーにも競技続行の表示。そして少し先にゴールラインが点滅する。そこへ向かって猛然とダッシュする。スラスターのエネルギーは使い果たした。自力で氷を蹴り、ストックで雪面を漕ぐ。後ろから地割れに巻き込まれなかった選手が追い上げてくる。前傾姿勢で下り坂のスピードに乗る。


“Finish. You win. ”


 体一つ分の差だった。ガブの狂喜の叫びが耳をつんざく。

 緊張がいっきに解けた。茫然となって駆け抜けた勢いに身をまかせた。

 バイザーに停止の呼びかけと今後のスケジュールが流れたが、頭は真っ白で、手も足も動かない。体のエネルギーも使い果たしている。その空っぽさが気持ちよかった。

 ふりそそぐ氷片がきらきらと瞬く。エンケラドスが勝利を祝ってくれているよう。

 氷の紙吹雪に「緊急停止」のグラフィックが重なって、アシスタントAIがスラスターでウィニングランを止めようとするが、予備のエネルギーもなかった。

 再び地面が波打つ。プラズマの混ざった氷の噴火が地下への入り口を開け、今度こそ勝者を招き入れた。

 上質の深青の海の中で、プラズマをまとう微生物が集まっていた。事前調査では問題ないとされた静かな生態系が、運営側も想定していなかった小さな観客のアリーナ席となっている。

 彼らの踊りに合わせてプラズマのウェーブが放たれ、彼らの喜びがしびれるように伝わってきた。

 自分たちと同じようにプラズマで会話するが、自分たちにはない地上を駆ける能力を持った生物、その中で一番速く強い存在を自分たちに取り込める、その喜びが。

 ガブ、本当に勝者はモテモテだな。


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エンケラドスでクロススキー 汎田有冴 @yuusaishoku523

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