第4話 お、俺にだって恋愛経験くらいあるわ!!


 講義が始まると、横からルーズリーフがそっと渡された。


『お願いします。本当に困ってるんです。このままだと私、1人で酒缶とともに溺れるんです』


 何を言ってるんだこの女は。いい加減諦めろよ。


 ルーズリーフに書かれた文字を見てげんなりしていると、シャーペンも手渡された。


 早く書けってか……めんどくせー


 私語厳禁のこの講義。青山は、筆談で話の続きをしたいようだ。


 青山は俺の右肩に身を寄せ、シャーペンを握って準備万端と言わんばかりにこっちを見ている。


 触れた肩は妙にあったかくて、変に緊張する。これだけで、大半の男は落ちそうなものだが……何たって残念女だからな……


 ため息を一つ吐き、ペンを滑らせる。


『他の奴を頼ればいいだろ』


『このことを知ってるのは、倉本くんだけだよ。冷静に考えて、28回もフラれたなんて人に話したら、ギャグだと思われるよ』


『あぁ、そうだな。そうだったな。……てか、すんなり受け入れた俺はなんなんだ……』


『倉本くんすごいね!』


 二人の間に置いたルーズリーフには、グッジョブ! と親指を立てるクマのイラストが追加された。


『……そもそもお前、何でそんなに彼氏欲しいんだよ』


『そ、それはっ……とにかく、付き合いたいの!!』


『とんでもねぇビッチだな……清純そうな顔しておいてびっくりだぜ』


『いっ、言っちゃいけないこと言った! 好きな人と付き合いたいって思うのは、女の子なら当たり前なんだよ!! 恋愛経験ゼロの倉本くんには分かんないだろうけど!!』


 この女……!! 言っちゃいけねぇことを……っ!!


「お、俺にだって恋愛経験くらいあるわ!!」


 ったく、調子乗りやがって……


 一つ息を吐き、考える。どうやったらこいつは諦める? 修羅の道に巻き込まれるのはごめんだぜ。


 頭を悩ませていると、隣でカタカタと何かがぶつかり合うような音が聞こえてきた。


「……?」


 青山だ。青山が、教壇を見つめてカタカタと小刻みに歯を打ち鳴らしている。

 まるで、森の中でクマにでも遭遇したかのように真っ青だ。


 不思議に思っていると、ふとが聞こえた。いや、もしかしたらずっと聞こえていたのかもしれない。

 ただそれは、地の底から漏れ出すような、低く、ドスの効いた……激しく怒気を含んだもののように感じられた。


 声の主は、青山の視線の先だった––––


「……貴様の恋愛経験になど、微塵も興味はないのだがねぇ……!!」


 目に入ったのは、教科書を片手に、右手のチョークを粉々に握りつぶしている教授の姿だった。


 その瞬間、俺は思い出した。



 ––––お、俺にだって恋愛経験くらいあるわ!!––––



 これは、紙に書いた言葉ではなかった。


 頭で理解したのと同時、みるみるうちに血の気が引いていくのを感じた。


 そんな俺の顔を、教授は額に青筋を浮かべながら、今にも黒板を叩き割りそうな表情で睨みつけている。


「いや、その……すみません。ちょっと、質問をしたかっただけというか––––」


「私語は厳禁……私は常々そう伝えていたはずだが……?」


 だよなぁ!! くそ!! この状況でどう弁明すりゃいいんだよ!!


 中年を過ぎ、そろそろ高齢になろうかという歳の教授。

 だが、声も仕草も全てに覇気がある。眉間に皺を寄せ、見開いた目からは殺意すら感じる。

 白髪のオールバックが、今日はやたら恐怖を与えて来る。


「……まぁ、私語の件は置いておくとしよう」


 ん? 置いておく? 許してくれんのか!?


 わずかに胸を撫で下ろしたことが、俺の若さゆえの経験不足だった。


「貴様、ずいぶん楽しそうに青山君の隣に座っているじゃあないか……? そこは貴様の席なのか? あぁん?」


「え?」


 俺が素っ頓狂な声をあげると、教場の男どもが揃って首を縦に振り出した。


「私の講義をとっている数少ない女性の1人だぞ!! 貴様自由に席を選べると思ってるのか!!」


「大学は席自由だろ!?」


 荒ぶる教授。こいつまでもが俺の敵だったのだ。


「私の講義では私がルールだ。何か間違っているところはあるか?」


「逆にどの辺が正しいんだよ……」


「どうせ貴様、何か弱みを握って青山君に近づいたんだろう? この不届き者が」


 はんっ、と鼻から息を吐き、やれやれ……と両手を肩まで上げる教授。


「そんなわけ––––」


 俺は、青山に彼氏ができない悩みを聞いて、それに協力させられそうになってただけで……!!


「そんなわけ……」


 ただ、青山の悩みを知ってるのは俺だけで……それはつまり、青山の弱みを握っていると捉えることも……


「……そんなわけ……ないですよ」


「貴様ぁぁ!! 何だその弱々しい返事は!! 貴様本当にそんな卑劣なマネをしているのか!? 教育者として生かしておくわけにはいかんぞぉぉ!!」

 

 いやお前、散々教育者にあるまじきこと言ってたろ!! てか殺す気!? 俺の人生はここで終わるのか!? ……いやまだだ!! 抗わねば!!


 俺が反論しようとすると、周りの学生(男)が手拍子を始めた。


「きょーおーじゅ!!」


 その声に反応するように、一人、また一人と声をあげ、「教授」コールは次第に大きくなっていく。


 殺意を抱いても、いざ行動に移すわけにはいかなかった、悲しき男たちの悲鳴。

 教授がクソ思想だったことが発覚し、水を得た魚のように生き生きとし出した。


「「教授!! 教授!! 教授!!」」


 お、俺に味方はいないのか……!? 


 前を向いていても後ろを振り返ってみても敵。左を見ても、右を見ても––––


「!!」


 いや、いるじゃないか!! 俺に助けを求め、この状況を作り上げた張本人が……!!


 俺は救いを求めて青山の方を見るが……


『がんばれ!!』


 ただ、可愛いクマのイラスト付きでそう書かれたルーズリーフを掲げているだけだった。


 おい。こっちを見ろよ。目を逸らすな。おいぃぃ!!


「倉本ぉぉ!! 貴様の単位は没収だぁぁ!!」


 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!


 

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