第39話 対面


ハコガラ教大聖堂の中心に、白のローブを着た男が一人佇んでいた。

ハコガラを模したと言う巨大な像を見上げ、じっとその時を待っている。


……タイムリミットが近づいている。


彼らが『アレ』を渡さないのであれば、こちらは実行するだけだ。

拘束して隠し部屋に押し込んだ、憎き政治家の姿を頭に浮かべる。


とっくの昔に覚悟は決めていたというのに、今、彼の手は心と裏腹に震えていた。

間接的には沢山の人を害してきたが、人の命を直接奪うことなど今回が初めてだ。

手を抑え、精神の内奥を見つめる。


そう、これは恐怖――そして興奮だ。


またしても自分は、人とは違うことを一つやり遂げるのだ。


彼の口角が不敵にあがったとき、背後の大扉の入り口からガンッという激しい炸裂音が響き、ゆっくりと開いた。


ハルネリアだろうか?

まだ約束の時間前だが……


振り返ると、そこにいたのは面倒な客人だった。


「メルク様……」

「おや!シバさんと、ナイラさん。どうされました?」


 先日会った刑事とその連れが、大扉の前に立っていた。

 彼は何気ない風を装った。が、内心では密かに唇を噛んでいた。


 マヤは一体何をやっているんだ……。報告と違うじゃないか……。


 メルクの前に現れたシバは苦悶の表情を作っていた。

 彼は、メルクの目をまっすぐ見て言った。


「メルク様、ひとつだけ教えてください。昨日、この世界を変えようと本職に言ってくれたのは、嘘だったのですか?」

「え……?いえ、嘘ではないですが。……何の話をされてるんですか?」

「メルク様にリオリュウレンさん誘拐の容疑がかかっています」

「誘拐⁉」


彼はわざと狼狽えてみせた。やり慣れた演技だ。


「どうして……!私は何もしていませんよ?」

「本職も信じたくありません!」


シバの言葉は心からの叫びのようだった。


「メルク様が犯罪者だなんて、バカげてる……。でも、みんながそういうんです。教えてください。本職はどちらを信じたらいいのでしょうか……?」

「みんなとは」

「同僚と、リオさんの秘書さんたちです」


目の前で悩む彼の表情からして、その苦悩は真実のようだった。

どうやら、まだ付け入る隙があるらしい……


メルクは、心中でほくそ笑みながら、それはおくびにも出さず、困惑した演技で頭を横に振った。


「本当に私、何も知らなくて。だ、誰かの陰謀ではないですか?シバさん、濡れ衣です!私は無実ですよ!」

「……ハコガラ様に誓えますか?」

「勿論。誓えます!」


 彼は自信満々に答えた。すると、シバの顔色が途端に絶望の色を呈した。


「……その程度の存在なんですね、ハコガラ様は」

「は……?」


突然暗い声で呟いたシバに虚をつかれていると、彼の横で黙っていたナイラが初めて口を開いた。


「だから言ったでしょ。聞いたって無駄だって」

「だって〜!」


シバがナイラに向かって泣き言を言う。


「な、何をお話ししているのです……?」


正真正銘困惑しているメルクに向かって、ナイラが静かに告げた。


「既に被害者がこの地下にいることは分かってる。マヤがハルネリアに報告してるのを盗み聞きしたから」

「な……」


メルクが絶句する。あいつは何をしてるんだ……


「今、被害者を返せば、少しは裁判で有利になるらしいけど、どうする?」


ナイラが淡々と続ける。


「そう、ですか……。ハハ。随分な言われようですね」


メルクの口元には、我知らず、自然に笑みが溢れていた。

笑いが込み上げて仕方がなかった。


教団の立ち上げから幾星霜。

多大な労力を払って維持してきたこの組織に、こんな終わりがあっていいものか……


「どこでズレたんですかねぇ。部下を信頼したところ?いや、ヤマトさんの始末をあなたたちに阻止されてしまったところですかね……?」

「い、今なんて……」


 シバが見るからに動揺していた。

 その様が、メルクにはどうにも滑稽で、愉快だった。


 愚鈍な信者は、自分の豹変が受け入れられないのだ。


「だって、あの親子はマヤを目撃してますからね。本当は昨晩消えてもらうつもりだったのですが……。あなた達警察が先にいるから、肝を冷やしましたよ。まったくとんだタイミングの悪さです」

「き、消えてもらうっていうのは、さらって閉じ込めるとか、そういうことですよね……?」

「殺すって意味に決まっているでしょう!」


メルクは激しく笑った。その残忍な笑いは、ハコガラ教の聖地に響き渡って何重にも膨れ上がる。

 彼は眼前の邪魔者に首を傾げた。


「ところで、あなたたちはどうして勝ちが決まったような態度なんですかね?人質の命はこちらの一存次第ですのに」

「ひぃん……!悪者の言葉すぎる……」


シバがザメザメと泣き始めた。メルクは益々哄笑する。


「ちょっと荒療治すぎた?」


ナイラが気遣う。


「ぐす……いえ、大丈夫です。このくらいないと覚悟ができないですから」


シバは目を乱暴に拭うと、前を向いて言った。


「……残念です。本当に」


そのとき、騒がしい喚き声が、大扉の外から流れ込んできた。


「おい秘書!このバカ政治家を落ち着かせろ!」

「先生、ダメですし!早く逃げないと!」

「うるせぇ!やられっぱなしじゃ気が済まねぇんだ!離せっ!」


ドタンと扉にぶつかる音がしたかと思うと、扉の隙間から、先日よりやつれた姿のリュウレンと、それを引っ込ませようとするパジーとエリスが現れた。


リュウレンは、勝ち誇った表情で吠えた。


「おい、このカス教祖!全部世間に出してやるからな!お前は終わりだ、ギャハハ!バーーカ!」


子供染みた悪態ががらんどうな空間に反響する。

メルクが呆然としている中で、ナイラが冷酷に突き放した。


「人質はもうあなたの手にはなくなったみたいだね。残念、減軽のチャンスがなくなっちゃった」

「な、なぜ……⁉︎」


メルクは慌てて隠し持っていた共鳴器を取り出すと、それに向かって叫び始めた。


「……おい、ハルネリア!どうなってるんだ!おい、応答しろ!」


しかし、その黒い箱からは、いつまで経っても応答はなかった。


取り乱す彼の前にシバが出ていった。

彼は、目の前の犯罪者に向かって、力強く宣告した。


「教皇メルク、あなたを誘拐の容疑で逮捕します!」



――――――――――――――――――――


次話、整います。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る