第30話 犯人の正体


ヒンヤリと冷えた空気が、ナイラの足元に溜まっている。


背後の扉からうっすらと声が聞こえる以外、周囲は静かで動きもなく、また、何の匂いもしない。それは少し刑務所の無機質さに似ている。


今、ナイラはドクター・クーの自宅地下にある研究室の前で、長椅子に座り、バチャバチャに水とパンをやっていた。


ドクター・クーは、シバたちが金の山から拾ってきた物品を地下室に運び入れると、部屋に閉じこもって機材の修理を一時間で終わらせた。

そして、シバを呼び込むと、今度は二人で閉じこもった。犯人に似た声を生成するためだ。


二人は、もう二時間もぶっ続けで合成音声を聞き続けていた。

時刻は十一時五分前。

犯人の提示した時刻まであと五時間……


物思いに耽っていると、気づいた時にはバチャバチャがパンを食べなくなっていた。ナイラの膝の上で、べったりと溶けている。


「もういらないの?」


問いかけてみるも、彼はうつろな目で見返すだけ。

出会った頃よりも明らかに元気がなかった。


「環境違うし、疲れたのかな。私も、こんなに疲れたのは上にいたとき以来だよ」


ナイラはグッと伸びてから、腕を放した。


「……でも、あのときよりずっと気分はいいかな」


そのまま寝入ってしまったバチャバチャを膝に置き、彼女が残りのパンを齧っていると、


「ういー」

不意に階上から声がした。


暇つぶしに外に出ていたパジーが、階段の上を滑空して、ナイラの隣に着陸する。


「そろそろ終わったか」

パジーの言葉に、ナイラは首を振った。


「奴が声を再現し終えたら、いよいよその耳の本領発揮だな」

「うん」


ナイラが短く答える。

パジーはしばし言い淀んだが、結局口を開いた。


「あー、なんだ。本当にいいのか……?」

「何が?」


ナイラが水を飲みながら答える。


「これからやってもらうことは、お前が空でやってたことと同じ偵察活動だ。辛いなら、遠慮せず言ってもらっていい。俺もシバも無理させるつもりはねぇ」

「ううん、別に平気。今回は追いかける対象も、追いかける理由も違うし。それに」


ナイラがフワフワを指で撫でながら、恥ずかしげに呟いた。


「……信頼には応えたい」


パジーは狐につままれたような顔を見せてから、笑った。


「そりゃこっちもありがてぇな。よろしく頼んだぞ」


そのとき、地下室のドアが開き、シバの興奮した顔が現れた。


「完成しました!犯人の声!」

「おっ、待ってた待ってた!」

「早く入ってください!早く、早く!」


シバが飛び跳ねんばかりに二人を急かし、ナイラとパジーが腰を上げた。

が、シバの横にいたクーの表情は浮かなかった。


「なんだよ、その顔は」


パジーが怪訝そうに尋ねる。


「まぁ、なんというか。驚きじゃよ、色々と」


彼女はそれだけ言うと、二人に道を開けた。

その言葉に釈然としないまま、二人は地下室へ入った。



   ◇



クーの秘密の地下室は、複数のモニターの明かりと操作盤の卓上ライトだけが灯る、暗い部屋だった。

そのうちの方眼状の線が入ったモニターには、緑色の波形が描かれている。


三人がモニターの前に立つ。


いよいよ、これまで追いかけていた犯人の声が分かるのだ。

ナイラとパジーは否が応にも緊張を感じざるを得なかった。


クーは操作盤の前の椅子――シバたちがゴミ山から拾ってきたもの――に飛び乗ると、三人に向けて言った。


「では、覚悟はよいか?」

「はい!」


シバが快活に答える。


「流すぞ」


彼女が操作盤のボタンを押した。

すると、しばしのホワイトノイズの後、スピーカーから一つの音声が再生される。



『いえ、少し打っただけ。問題ありません。ニコラ』



声が途切れると、しばらくの間、部屋を沈黙が支配した。


「……え、これが犯人の声?」


ナイラが口を開く。


「はい!」


「流すの間違ってねぇか?」


パジーがクーに向けて怪訝そうに言う。


「いいや。この波形じゃよ」

「これに間違いないです!」


シバが力強く頷いてお墨付きを与える。


「間違いねぇったってお前……」

「さぁ、早速探しにいきましょう!ナイラが力を貸してくれれば、すぐこの声の主に辿り着けます!」


「あの……、その必要はないの」


ナイラが困惑したような表情で言った。


「……?どういう意味ですか?」


「だって、ここにいるから」


「何が?」


「声の主が」


理解していない様子のシバに、パジーが告げた。



「このオタンコナス……これはな、お前の声だ」



――――――――――――――――――――


次話、シバが狼狽えます。





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