第11話 ナイラの力


「おい、起きろ!今お前が暴れたら誰も止められねぇ!」


パジーが慌てて暗黒に呑み込まれつつあるシバの頬を叩きまくった。


「……はっ!本職は一体何を!」

「本当、純粋な人……」


ナイラが呆れて見せると、頬杖をついたままシバを顎でしゃくった。


「この刑事さん、そんなに強いの?」

「まぁ、このホテルは灰になるな」


真剣とも冗談とも取れる一言を呟くと、パジーは卓上に置かれた水を飲みながらナイラに言葉を返した。


「ところでよ。せっかくだし、自己紹介してくれねぇか?」


ナイラは怪訝そうに眉を寄せる。


「……家でやったよね」

「いや、大事なことを聞いてない。お前さんの『力』について」

「あぁ……なら、口で言うより、見せた方が早い」


そう言うと、ナイラはフードの下からヘッドホンだけを外して首にかけ、集中するように目を瞑った。

獣の耳が、時折ピクッと動く。


シバとパジーが見守る中、ナイラは静かに話し出した。


「……さっき注文取った店員さん、店長と不倫してるね」

「え?」

「今、裏口でこっそり話してる。誰も聞いてないと思って、今日会う場所を相談してる。そういう声がする」

「え、そんなの聞こえますか?」


シバが耳に手を当ててキョロキョロする。


「爛れたカフェだな」


パジーが鼻で笑う。


「あと、おもしろいので言うと……シバと声似てる人がいるかな。VIPの案内中。向こうは完璧なホテルマンで、常識を手に入れたシバって感じ」

「そりゃいい!シバ、お前仕事代わってもらえ。そのほうが捜査も捗りそうだ」パジーは翼を叩いて喜ぶ。

「ホテル側がかわいそうでしょ」ナイラが指摘する。

「あぁ、そうか」

「ひどくないですか、二人して!本職だって常識ありますよ!」


ナイラとパジーが、しらーっとした目を向ける。

シバは膨れた。


「パジーそっくりはいないんですか!?」

「さすがに鳥類そっくりな人間はいねぇだろうよ……」

「あっ、従業員が昨日の事件の話してるね」


ナイラは聞き取りを続けた。


「休憩室のドアが数ミリ空いてるんだと思う。外の人間には聞こえてない。あと、換気口の一箇所から異音がする。多分、故障寸前かな。それと……エレベーター前で六十代の夫婦が言い争いしてるね。久しぶりに旅行に来たのに旦那さんが我が儘だから。あ、奥さんがすごい歯軋りした。そろそろ爆発する」


『いい加減にして!』


淡々としたナイラの言及にあわせたかのように、女性の怒鳴り声がロビー中に反響した。


「証明には充分だな」


パジーが愉快そうにケタケタと笑う。


「こんな感じで、野外なら半径五百メートルまでは聞き取れる。屋内は条件次第だけど」


あっさりと告げながら、ナイラはヘッドホンを耳に戻した。


「すごい……」


シバは感嘆しきりだ。


「ところで、そのヘッドホンは何を聞いてるんですか?」

「何も。無音」

「ミュート用だろ」


パジーの返答に、ナイラが頷いて続けた。


「そのままだとあらゆる音が聞こえちゃうから、特注品で可聴範囲を狭めてるの。三分も外してると、気が狂いそうになる」

「大変なんですね……」

「もう慣れっこ。十八年の付き合いだもん」


話しているうちに、今しがたナイラに不倫を暴露された店員によって、注文品が運ばれてきた。

三杯のコーヒーの香りが三人の間に立ち昇る。


「んじゃ、ナイラ嬢の隠し芸を見せてもらったところで、次の動き考えるか」


パジーがコーヒーに砂糖をひとつふたつと入れながら言った。

彼は課内一の甘党である。


「はい。でも警察だってこと隠してたら、現場入れないですよね。お客さんになるお金はないし」


懸念を示すシバに、パジーがコーヒーを飲みながら答える。


「つか、お前が起きる前に、会場周辺と逃走経路になりそうなとこは課長たちと調べたんだよ。だが何の痕跡も見つからなかった。防犯カメラ?とかいう機械も見てみたが、電源が落ちてて何も写ってなかった。プロの仕業だな」

「どこから逃げたんですかね。リュウレンさんを抱えてたら、エントランスからは出れないでしょうし」

「おう。だから従業員出口か、何か別の入口か、はたまたどっかの窓か……。しかし、何も見つからなかったんだよなぁ。勿論、人手不足で見落としがあるのかもしれんが」

「実は逃げてないとか」


ナイラがポツリと呟くと、パジーが愉快そうに笑った。


「加害者がホテルのどっかにいるってか?いいなそれ、芝居みてぇだ」

「または、被害者だけ隠して一旦逃走したかも」

「可能性はなくはないが、凝りすぎてないか?」

「うん。でも、天空ってそういうところだから。お金次第で何でも起こるし、いくら有り得ないことでも、最後にやられた方が負け」

「よくわからないんで、ホテルの外ぐるっと回ってみません?」


シバが痺れを切らして言った。


「何にしろ、逃げたのなら必ず外に出たはずでしょう?」

「まぁ、そうだが……。お前の場合は策なしっつーか、じっとしてられないだけだろ」

「えへへ」


シバが頭を掻いて笑う。


「でもま、他にやれることもないしな」


パジーはコーヒーを飲み干すと、ナイラの肩に飛び乗った。


「行くか」

「当たり前みたいに乗らないでくれる?重いんだけど……」


ナイラが眉を顰めて苦言を呈した。



――――――――――――――――――――


次話、イカれた野郎が登場します。






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