第2章 地上

第10話 ホテル・アクィラ


実のところ、地上に住む一般人が天空に浮かぶ施設へ向かうには、本来相当な覚悟が必要だった。


まず、地上で飛行車タクシーか何かで、中央区にいくつか点在する昇降ゴンドラの乗り場を目指なければならない。

そこで高額なチケットをなんとか支払い、上昇するゴンドラを目的の高度で降りた後、そこから更に、地上の十倍を超える相場のタクシーに乗って、目的の施設まで向かわなければならないのだ。


時間もかかれば金もかかる。

シバたちがホテル・アクィラ前に着く頃には既に午後二時だった。


シバは領収書に印字された金額をみて、いつものことながら震えた。


経費で落ちなければ、一気に破産してしまう……


タクシーを降り、三人は白く輝く老舗ホテルの威容を見上げた。

数百メートルはあるゴールド一色のエントランスには、高級そうな飛行車が、ひっきりなしに停まっては人を乗り降りさせていく。


ホテル側は、昨夜事件があったことなどお首にも出さず、平常時の運営をしているようだ。


「行くか」


ナイラの肩の上でパジーの合図で、三人は正面から堂々ホテルへ向かう。

途中、シバはふと癖で胸ポケットに手を入れ、いつもあるはずの手触りがそこにないことにようやく気づいた。


「あ、警察手帳忘れてる!」

「このすっとこどっこい!出る前に確認しろっていつも言ってんだろ!」

「すいません!」


シバは深く頭を下げる。

病み上がりから飛び出したとはいえ、大事な警察手帳を忘れるのはかなりの失態だ。


そのまま頭部に翼か嘴かが飛んでくるのを待っていたが、代わりに降ってきたのはパジーのため息だった。


「まぁ、今回は表立って動く方が犯人を刺激するかもしれん。むしろ、その刑事ですオーラをなんとかしろ、お前は」

「え、そんな分かりますか……?」

「おう。もうザ・ドラマの刑事だよ」

「目が正義に燃え過ぎ。もっと澱ませないと」ナイラが至極真面目に言う。

「よど……、こうですか?」


シバはイメージで表情を作ってみる。


「違う、もっと現実を悲観して。心から自分を卑下するの。今、あなたは世界一のダメ人間。世の為になることは何一つできない。世界はあなたを求めてない」

「飛び降りたくなってきました……」

「いい感じ」


ナイラによる指導を受け、目が腐っていくシバと他二人に、ホテルのドアマンがすぐに気づいた。


三人揃って決して宿泊客だとは思われない格好をしていたが、ドアマンは柔和な笑顔で扉を開け、三人を迎え入れた。


扉を抜けると、そこは煌びやかな別世界だった。


シャンパンゴールドを基調とした美しいエントランスロビーは、非日常を感じさせるよう隅から隅まで演出されていた。

高く開放的な天井には、大量のカットガラスが七色に反射するシャンデリア。

フロアの至る所にはワインレッドの高級ソファが配置され、人々を長旅の疲れから癒している。


このような豪勢な施設でも、ホテル・アクィラの価格設定は空の中では比較的穏やかな方なので、一世一代の大奮発をしたと思しき人々も若干見られる。

天空二層にあることで、物価もそのレベルに抑えられているのだ。


最高峰は、全ての層を行き来する権利を有するホテル『白龍』などが有名で、そのレベルになると宿泊価格は時価であり、そもそも会員制だ。

地上の人間にとっては、文字通り手の届かない世界だ。





ロビーに入った三人は、パジーの指示で一旦ロビーの片隅にある待合所を兼ねたカフェに入った。


歴史的建築物の側面があるホテルらしく、カフェ内は数十年前に流行った家具や装飾品が柔らかくレトロな雰囲気を醸していて魅力的だ。

だが、メニュー表の価格帯は、パンチの効いた数字が並んでいる。


「昼飯を済ませたかったんだが、ここで食ったら課長に怒られるな」

「サンドイッチも買えない本職なんて、生きてる価値はない……」

「おーい、そろそろ帰ってこいよ」


注文できそうにないシバは置いておいて、パジーはとりあえず三人分のコーヒーを頼んだ。

教育が行き届いているのか、それともしばしば鳥の客が訪れるのか、パジーが話しても店員は一切の動揺も見せずに注文を取っていった。


「……で、私は何をすればいいの?」


店員が去ると、ナイラが横のパジーに訪ねた。

事件のあらましは道中で説明済みだ。


「あー、そうだな。こいつが聞いた声の主を探してくれ」


パジーがシバをぞんざいに指して言う。


「え、録音してるの?」


ナイラが驚きに目を見開いた。

地上の警察が録音器具を持っているなんて思っていなかったのだ。あらゆる機械的なものは、地上では超高級品である。


「いや。こいつの頭の中にしかない」ぱジーは肩をすくめる。

「なんだ。なら、私は役に立てないよ」

「この前は迷子のガキ探し当てただろ」

「あれはいなくなってすぐだったから。それに、大人はわんわん泣かない」

「声しか聞いてなくてすいません……役立たずは犬のように野垂れ死ぬのがお似合いです……」


シバは首を垂れて謝る。今や、彼の瞳はスラム街の浮浪者より落ちぶれている。


「じゃ、手伝いは終わりだね。報酬はもらうけど」

「待て待て」


パジーが羽を広げて制止した。


「分かってる、冗談だ。当分は他のことで役に立ってくれればいい。俺ら地上の警察はとにかく人手が足りないんだ。いてくれるだけで助かる場面もある」

「鳥の手があれば充分じゃない?」

「人型人間の協力が必要なんだ。それに俺は頭脳派だ」


パジーは真面目な表情だった。しばし、ナイラと見つめ合う。


そのあいだに割って入るように、シバが小さく呟いた。


「……全員死ねばいい」

「まずい! 殺意が外に向かってやがる!」



――――――――――――――――――――


次話、ナイラの特殊能力がわかります。





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