今一度、その手を取って
文月 想(ふみづき そう)
一
「私はこんな長いこと、連れていくとはいってないんですがねぇ」
勘違いでまた、新たな時を跨ぐことにならないよう願いましょうか。
男はくるりくるりと、指先で銀色のペンを回す。視線の先には、二つの人影。
それからそろり視線を逸らすと、ため息一つ。
「贄などばからしい。かみさまなんて、やるものじゃない」
そう、面倒くさげに呟いた。
『今一度、その手を取って』
もうずっと、長い時を過ごし見てきたもの。今更戻ろうなんて思わないわ。
こうやって、見ていることができて楽しいもの。
悪いことばかりじゃないのよ。
少女の言葉に、少年はただ、顔を歪ませた。
「おまえは、いつまでそんなことを」
「ふふ、にいさんは、何度目の転生?」
「さぁ、記憶を持って生まれてきたら、お前が庭先をうろうろしてるのに気が付いてな。まさかと思ったが、まだあんな奴についていっているのか」
「あんな奴じゃないわ、私にとっては神様よ。あの時代でも、この先もずっと」
「俺からしたら、あんな奴だ。いなくなったと思ったら、こんな馬鹿げたことをいつまでも……輪廻の輪から外れて、お前はこの先どうする気だ」
「……」
さわりと、冷たい夜風が吹いた。今日から我が家となる屋敷の庭先で、少年は懐かしい姿を見つけた。まさかとは思った。懐かしいと思うのも曖昧な、泣きたくなる程遠い昔、遥かな時で見ていた姿がそこにあった。
「ルーナ」
「名前、久しぶりに呼ばれると変な感じ。そう、私はルーナなのよね」
小さな声で少女、ルーナは自分に言い聞かせるように呟く。ふわりふわりと、身に纏う民族衣装の様な長い衣が風でふくらむ。
「……おまえ」
「お久しぶりです、スバルにいさん。あっ、でも今の名は違うのかしら、だったら」
「いい。今世は昴と名付けられたんだ」
「……そう、よかった。じゃあ、呼んでも大丈夫ね」
空色の瞳を細めて小さく微笑むルーナに、少年、スバルは顔を苦くする。
ルーナ・レル・ウェルソン。少女は幾つか前の時代で、スバルの大切な幼馴染だった。
小さい頃、スバルの後をついてきては、嬉しそうに笑って、いつまでも離れようとしなかった少女。たくさんの嬉しい時も悲しい時も共に過ごしてきた、スバルにとって家族のうような妹の様な存在だった。
「ねぇ、スバルにいさん。この時代の空は、あまり星が見えないのね」
「……星読みか」
「ううん、ただ、純粋に星を見たいなぁって。でも、どうしても星読みをしなければと思ってしまうのよ」
「……」
「変ね、もう、あの時代はとっくのとうになくなっているのに」
共にいた時代は、今の現代とは違って古の伝承を神様を深く信仰し、全て呪いや星読みを用いて、政策も人々の生活も仕切られていた。ルーナはその呪い師の家系の子で、随分と周りの人に大切に育てられていた。
「もう、やらなくていいだろう」
「うん、そうよね。でも、何故かしら……まだ、母様にやりなさい。できるまで空を見ていなさいって言われるような気がして」
目が離せなくなるの、と言葉を続けるのにスバルは顔をますます顰める。ルーナはその家系にしては珍しく、星読みなどが苦手な子だった。
あの時代、あの世界で重要視されていた力を存分に発揮できなかった者は、容赦なく切り捨てられる。
今思い出しても吐き気が出る、ルーナへの罵りや中傷。どれだけ心に傷として残ってしまっただろうか。
「あの星をみても、綺麗、儚いとかしか思えないの。よみとくなんて全然できないもの」
やらなきゃって気持ちだけは消えないけどね、そう言って舌を出して苦く笑う姿に、スバルは視線を逸らす。
あの時代が闇にのまれそうになったとき、ルーナは神様に会いに行くと言った。
それは『贄』という立場だった。
(それがいい、おまえがいけ)
(そうだ、なにもできないのならおまえが)
(貴方のできることを)
人々はそうしろと頷き、ルーナを送り出した。世界が再び、神様の加護を受けることができるだろうと喜んで。けれど、それは少しばかり違う。確かにルーナは神様の元へ行ったが『贄』ではない。ただ気まぐれに時を貰われたのだ。
それでもいい、助けてくれるのならと、ルーナはアイツの言葉に従い、差し出された手をとりついていった。
世界は確かに暫く続いたけれど、終わりがないわけはない。あの時代はゆっくりと終焉に向かって、また何度も生まれ変わった。
それが自然なのだ、永遠に続くものなどありはしない。
「ルーナ、もう、アイツに従う必要はないだろう?」
「……いまは、でも、まだわからないわ」
「ルーナ」
「だからね、わたし、ずっと見守ることにしたのよ」
あの世界は結局終わりを告げたけれど、この世界も好きだから。私が見守れる立場であるのならそうしたい。
ほほ笑むルーナに、スバルは濃紺の瞳を大きく見開き愕然とする。あんなにも酷い追い出され方をした、昔の世界が人々が眠る新な時なのに、何故、未だに守ろうするのだろう。
「……もう、おまえは自由になれ」
「私は自由よ、スバルにいさん。にいさんこそ、もう私を忘れていいのよ、自由になるべきはにいさんよ」
「おれは」
「ありがとう、にいさん。私をずっと探してくれて」
「ルーナ……」
そして、ほんとうにさようなら、どうか今世こそ幸せに暖かな光の世界で生きてね。最後は小さく囁くように愛らしい桃色の唇から紡がれる。
ざわり、強く夜風が吹いて視界を攫う。それはまるで、何もかも攫うような風だった。
「……? おれは」
「昴さま、こんなところにいらしたのですね! あぁ、夜風で風邪をひかれてしまったら大変ですわ。さぁ、早く中へ」
「わかった、今行く」
屋敷の中からメイドが慌てたように走ってくるの横目で見、そして、辺りを一瞥すると足早に踵を返した。
***
「……よかった、にいさん」
そっと、それを木々の上から見ていた少女は、ルーナは息を吐く。
あの時より、少しばかり幼い姿だったことに、ふふっと笑う。今では、自分の方が年齢が上ねと思いながら、そっと瞼を覆う。
「いるのでしょう、そこに」
「えぇ、いますよ。ばかな娘だ、今度こそ彼も連れてきてしまえばよかったのに」
そろりとルーナが振り返れば、いつの間にか、深緑のロープに身を包むひとりの男が枝に腰かけていた。すっと深紅の瞳を細め、呆れた声を放つ男に、ルーナはもう一度、懐かしい姿を見ようと眼下に視線を戻す。
「……わたしがみてるだけでいい、そばにいて守れたら」
「身勝手な自己満足だ」
「そうね」
「けれど、娘。お前はひとつ、勘違いしている」
「……?」
「身勝手なのは果たして、お前だけだったのか」
小さな囁きは、吹き出した風により掻き消える。
「聞こえないわ、なに、なにをいっているの?」
不可思議な顔をするルーナに、男はくつりと笑う。そしてぐっと、ルーナの手を引っ張ると風と共に闇夜の中に飛び込んだ。
「さて、今度こそお前は、捕まえられるか」
この手をとるのは、私か、お前か。
その言葉は誰に向けたものなのか、彼らを見つめる者ならわかっただろう。
「……ルーナ、もう見逃してやらない。今度こそ、俺がその手をとる」
男に手を引かれ消えていくルーナの姿を睨むように見つめて、スバルは呟いた。
あぁ、今世こそ、その手をとって。
今一度、その手を取って 文月 想(ふみづき そう) @aon8312a7
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