悪魔暴れウォシュレットと御手洗神父

柏望

悪魔の水と神の水

 et nunc, et semper,et in saecula saeculōrum.

(原初にあり、今にあり、世に限りなく)


 孤独な時も、皆といる時も、最後に捧げる祈りの言葉は決まってこうだった。


 Āmen.

(そうあれかし)


 御手洗みたらいきよし。洗礼名Vitalisヴィタリスはカトリック教会の神父だ。祈りを捧げる顔は血の気が薄く、頬はこけている。三日間断食をしながら、神への信仰と人々への奉仕を続けていたからだ。

 だが、立ち上がる姿の凛としたことに違いはない。眼鏡の奥から覗く眼光は些かも衰えていない。祈祷と断食は、これから行う儀式に欠くことのできない要素なのだから。


 御手洗みたらいVitalisヴィタリスきよしはカトリックの神父だ。三十路に足を踏み入れようとする成人男性だ。後は信仰の道に生きているという程度でしか、彼は自分のことを形容できない。

 一つだけ。悪魔を祓うことができるエクソシストだということを除けば。


「暴れウォシュレットを祓えと言われてもな」


 祈りを終えて立ち上がった直後から、御手洗の頭には疑問符が浮かんでいる。

 御手洗は神の神秘と同じく悪魔の実在を信じている。バチカンでエクソシストとしての研修も受けた。神父として大司教の名の下での命令には従うしかない。

 とはいえ、暴れウォシュレットという名を出されれば御手洗も自然と首が傾いた。

 人々を便器から遠ざけ、どこであろうと排便を行うという不道徳を学ばせ、疫病をもたらす悪魔なり。大司教の使いから受けた説明を思い返せば、放置した場合の事態の被害は甚大だろう。


 悪魔を祓うべく御手洗が踵を返した先にある扉が、勢いよく開いた。礼拝堂は灯りこそついてこそいるが、外は日がとうに沈んでいる。夜が更けるのもそう遠くはない。開けた人物は子供ではないだろう。もちろん風で開くような重さでもない。


 御手洗が様子を伺うと、暗闇からコマのようにぐるぐると動く人影が現れた。珍妙な動きであったが、それだけに誰が来たのか見当がつく。

 物が壊されるか、どこかをぶつけて怪我するか。どちらも望ましくないので、御手洗は走らない程度に急いで動く。結果として、平衡感覚を失っていた来訪者は地面に激突せず。無事に神父の腕の中へと受け止められた。


「また飲みすぎたんですか、マリアさん」


 祈りで寄せられていた眉間の皺を伸ばし、少し大げさに声の抑揚を付けて話しかける。御手洗にとって神職の言葉は穏やかで、表情は和やかであるべきものだから。


「あれー。ビタミン神父なんでここいるのー。あははは」

「ここは教会です」


 御手洗に源氏名をマリアだと名乗った女の酔いは深かった。立っているのさえ辛いのか、彼女は御手洗にしがみつく。酒と化粧の匂いが付くこともお構いなしに、カソックに皺がつくことも気にせず、神父は黙って肩を差し出し酔客を支えた。


「礼拝堂もこれから閉めます。心苦しいですが、もうお宅に帰りましょう」

「家の位置わっかんなくなっちゃった。明るくてぇ、居心地よさげなとこを考えたらここについててさ。ぎゃははは」


 尊敬する師父から授かった洗礼名を言い間違えられても。酒臭い息を吹きかけられても。本体だと言わんばかりに眼鏡を取り上げられて話しかけられても。酔い覚ましに聖水盤の水を飲もうとしても。嗜めこそすれ、御手洗は決して怒らない。

 神は如何なる罪もお許しになるのだから。

 酔って前後不覚の女性を路上に放り出すのもよろしくない。御手洗はマリアを彼女と親しい修道女に預けようと決めた。凄まじく叱られるかもしれないが。


 礼拝堂から生活区画に移動している間、マリアは時折身体を揺するばかりで一言も喋らなかった。酒乱の気を持っている彼女が起きているのに静かになったのは初めてだった。

 体調が優れないのなら、まずはトイレに連れていくべきかと御手洗は疑った。様子を伺うために下げた視線の先にいるマリアは、身体のあちこちに手を這わせている。

 露わにされる若い女の肌は御手洗にも眩しいものだったが。彼の視線はどこに寄せられるでもなく、どこを遠ざけるでもなくまっすぐと彼女の顔へ向いていた。


「上着なら、またどこかのお店に忘れたのではないですか」

「あちゃ、上着もか。見せたかったんだけどなあ」


 唐揚げ。タバコ。セミの抜け殻。勤めている店の名刺。喫茶店のクーポン券。下着。いずれもマリアが御手洗にプレゼントしようとしたものだ。如何に彼女の真心がこもっていようと、聖職者としては受け取り辛いものが多すぎる。

 経験則から断る理由を考え始めた御手洗の耳に、意外な言葉が届いた。


「十字架買ったんだ。アクセサリーだけど、けっこうおっきいやつ」

「神の愛と導きを感じるようになったのですね」


 信仰の芽生えに触れた喜びに御手洗は神に感謝を捧げた。今すぐにでも祝福を与え、望むなら洗礼を与えたかったがグッと呑み込んだ。祝福は酔っている時に与えるべきではないし、芽生えたばかりの信仰の若芽に余計なことをせず、ゆっくりと神の光にあててやりたかった。


「うん、ちょっとだけど最近ね。でもなくしちゃったし、やっぱり私みたいな女じゃさ」


 マリアの言葉は最後まで続かなかった。自分が世間では卑しいとされている職業で働く酒乱の女だという自覚は彼女にもある。信徒の中にも、教会が彼女を暖かく迎えることを快く思わない者はいる。

 寛容と慈悲を学ぼうとしている信徒たちですら時に冷酷なのだ。世間はどれだけマリアに非情なのだろう。

 けれど。だから余計に。


「大丈夫ですよ。主イエス・キリストはあなたをお許しになります。私はこれから用があるので外出しますが、それらしきものを見つけたら拾って届けますよ」


 夕食を終えて自由時間を過ごしている修道女にマリアを預け、酒乱を戒めるのを任せた。御手洗は誰に対しても言いくるめられることの方が多いので、文字通りの説教を相応しい相手に託したのだ。


 自室に戻った御手洗は祈りを捧げていたときの張り詰めた表情に戻る。


「就寝前の祈りまでには戻ります」


 メモ一枚を残して、御手洗は教会を後にした。


 御手洗は強靭な肉体や一騎当千の武術を持っていない。聖書をそらんじることはできるが明晰な頭脳の産物でもない。有力なエクソシストなら当然として持っているはずの霊能力すらない。

 用意したものも、バチカンが定めたエクソシストの正式な品のみ。銀で拵えた十字架。聖水を詰めたアンプル。ミサの時に着用するストラ。武装どころか、身を守る装備すら持参していない。


 普通の人間の、あまりにも平凡な持参品で、御手洗は如何に悪魔を祓うのか。

 答えは唯一、揺るぎない信仰心のみだ。


 決意を新たにした御手洗の視界の端に、キラリと光ったなにかがある。教会は神の国への玄関口だ。ゴミが落ちたままなのはよろしくない。 落し物なら自分が拾って、然るべきところに届け出るまで責任を持つべきだ。

 近づいてみれば、地面に落ちていたものは紐が切れて落ちてしまった十字架だとわかる。御手洗の掌より少し小さい、まだ真新しい十字架。教会で手に入れられる種類のではなかったし、同じ十字架を持っている信徒もいなかった。

 教会の前は、仲間たちが明るいうちに何度も掃除をしている場所だ。持ち主がこの十字架を落とした時間は、だいぶ暗くなってからのはず。

 そんな時間に教会の敷地に入る人物の心当たりは、御手洗には一人しかなかった。


「なかなか立派なものを買ったのですね、マリアさん」


  アクセサリーというよりは、シンプルで無骨な十字架だった。彼女自身の信仰の証だろう。大切なものだから、今すぐシスターの所に行って届けてあげようと思ったが。


「今は急ぐべき時でした」


 悪魔暴れウォシュレットは今この時間も毒牙を誰かに向けようとしている。一刻も早い対処が必要なのだ。悪魔祓いが終わればすぐ戻るし、教会に戻る頃には彼女の酔いもさめて、落ちついて大切な十字架を渡せるようになっているだろう。

 今は悪魔を祓うことに専念しよう。なんということない思いつきも、神の思し召しであるかもしれないのだから。


  自転車を漕いで数十分。御手洗が教会に指示されたトイレに到着すると、今まさに用を足そうとする青年がいた。


「あっ。わっ。別に怪しいものというわけでもないのですが、そのトイレに用がありまして。順番を譲っていただけると」


 神職なのだから、嘘をつくわけにはいかない。とはいえ、あなたが入ろうとしているトイレに悪魔がいるので危険ですとも言えない。本当のことだとしても、嘘をついているように思われるのもよろしくないだろう。

 結果として、御手洗は必死に青年へ順番を譲るよう頼むしかなかった。


「わかった。わかりました。アンタ町外れのとこの教会の神父さんだろ、駅前のゴミ拾いしてんの何度か見た。功徳を積んだと思って、オレももうちょっと頑張るよ」

「ありがとうございます。ありがとうございます」


 快く順番を譲ってどこかへ歩き去った青年を、御手洗は平身低頭で送りだす。危うく犠牲になるところだった青年を間一髪で悪魔から遠ざけることもできた。教会に戻らず向かうべしと思いつかせてくれた神にも、感謝を捧げるべきだろう。


「幸あるかな。Āmen」


 悪魔暴れウォシュレットの潜伏する公衆トイレは、多目的トイレでもあるので、多くの人が利用する場所だった。ここ以外は、近くに公衆トイレやトイレを利用できる施設もない。ノックをして人のいる気配がないことを確認した御手洗は、静かに悪魔の巣窟へと侵入する。

 扉を閉めた御手洗は、事情を知らない人が誤って入らないように鍵を閉める。エクソシストの悪魔祓いが始まった。 


 現代を生きるエクソシストにとって大事なことは、悪魔とそうでないものを見分けることだ。まだ科学が未発達だった時代、エクソシストは別の支援を受けるべきだった人たちを悪魔憑きとして不必要に苦しめてしまった歴史がある。

 エクソシストの総本山であるバチカンもその事実を深く受け止めている。特別な神託や預言が確認されている場合でも、現場に到着したエクソシストは、まずは対象に悪魔が憑いているという事実を確認すべしという教育を受けていた。

 悪魔は聖なるものの前に姿を隠し通すことはできない。エクソシストにとって重要なことは、その場に存在する悪魔の兆候を見逃さないことだ。


 調査を始めた御手洗はまずは全体をぐるりと見回した。照明はどれも明るく灯されているし、清掃も行き届いている。汚れは拭き取られた跡があるし、ゴミも落ちていない。

 鏡は悪魔の兆候を映し出すという伝承がある。御手洗は洗面器に備え付けられた鏡の前に立ったが、自分の姿が鮮明に映し出されている。肩にかけているストラの精密な模様にも狂いはない。


「本当に名前通りウォシュレットに憑いているのか。それとも、姿を隠しているのか」


 確かに鏡はありのままを映している。だが、ウォシュレットが備えられている便器が鏡に映っていない。巧妙な角度で、鏡の死角に入っている。

 他のトイレの場所や鏡の配置を考慮して取り憑く先を選び、用を足し終わった後の無防備な瞬間を狙い、エクソシストが訪れても機を伺って自分からは仕掛けてこない。ウォシュレットに取り憑いている悪魔が本当にいるのなら、それはよほど狡猾な相手だと御手洗は見当をつけた。

 ただの故障であるのが、一番良いのだが。


 御手洗は意を決して便器の前へと足を進める。


「とはいえ、どうやって調べるんだ。日曜大工もロクにできないのに」


 とりあえずウォシュレットの起動ボタンを押してみたが、とくに反応はない。便器の横についているノブを回せばちゃんと水も流れていく。


「座ってみるしか、ない」


 カソックを着たまま便座に軽く腰かけた御手洗は、ウォシュレットの起動ボタンを押したが便器からは反応がなかった。


 確かにウォシュレットに異常はある。だがそれは当たり前に起こりうる故障であって、悪魔の起こした超常ではない。報告書の原案を考えながら立ち上がった御手洗は、ある兆候を感じ取って即座に便器へ振り返った。

 ほんの微かな硫黄の香り。地獄の匂いとも形容される悪臭を御手洗はその鼻で確かに感じた。

 入ったときはそんな香りはしなかった。ノブを捻って水も流した。清掃が行き届いているのも確認している。換気扇の回る音が聞こえる。ないはずのものが存在し、起こりえないことを起こす。神の奇跡とはそういうものだが、悪魔の仕業もそういうものだ。


「現れたな。悪魔」


 停止ボタンの機能で格納されているはずのウォシュレットが、便座の中で猛獣の舌のように伸びている。御手洗が聖水を入れたアンプルを投げつけるのと、ウォシュレットが槍のように水流を放つのはほとんど同時の出来事だった。

 御手洗の投げたアンプルは、ウォシュレットの水圧によって砕かれる。そのまま水流が御手洗の身体に突き刺さった瞬間、彼の感覚から天地が消えた。

 目にもとまらぬ速さで天井に叩きつけられた御手洗の身体が、重力によって地面に墜落する。水流が御手洗の全身を砕く前に途切れたのは、砕けたアンプルに入っていた聖水が、ほんの数滴だがウォシュレットにまで届いたからだ。


 悪魔祓いの儀式の第一段階である聖水の散布が、今この時に執行された。


 鼻の粘膜を焼ききらんばかりの硫黄の香りに包まれながら、御手洗は自分がなにをされたかもわからないままに立ち上がる。

 聖句を唱えて、神へ祈りを捧げる。悪魔祓いの第二段階を執行するために。

 

 Crux Sānctī Patris Benedīctī.

(聖ベネディクトの十字架よ)


 Crux Sācra Sit Mihi Lūx.

(聖なる十字架が私の光)


 Nōn Dracō Sit Mihi Dūx.

(虚なものが私を導かぬように)


 Vāde retrō Satāna,nunquam suāde mihi vāna.

(退け悪魔よ、虚しきことを囁くな)


 Sunt mala quae lībās ipse venēna bībās.

(お前が与えるのは悪しきものだけ、お前自身が毒を飲め)


 EIVS.IN.OBITV.NRO.PRA SENTIA.MVNIAMVR

(死の時において我らは彼と共にあるだろう)


 悪魔祓いで著名な聖人、聖ベネディクトの祈りの言葉は、悪魔祓いに絶大な力をもたらす。聖ベネディクトが開いた会派に御手洗の恩師も在籍している。

 御手洗は聖ベネディクトと聖ベネディクトの弟子たちを深く敬愛し信仰の支えとしていた。そんな御手洗が悪魔祓いに用いる聖ベネディクトの祈りの言葉は、バチカンで研修を受けたエクソシストの同期たちの中でも群を抜いた効果を発揮する。


 御手洗が神に祈りを捧げている間にも、悪魔暴れウォシュレットは彼を苛んだ。瀑布のような水流は彼を槍のように突き、斧のように叩きつけ、鉄槌のように打ち下ろされる。

 鍛えてこそいるが、御手洗の身体はただの人間と違いはない。科学技術の粋を集めた装備もなければ、外科的な強化も施されていない生身の身体。カソックの下の肌は、縦横無尽にミミズ腫れが走り、あらゆる所に青あざができている。


 幾度も足元が揺らいで、祈るために組んだ両手を崩しかけた。それでも、御手洗は聖句を途切れさせず、神へ祈りを捧げ切ったのだ。


 Āmen.

(そうあれかし)


 悪魔祓いの第二段階が完了した。


 御手洗が力強く叫んだ瞬間、背後でカチリと音がする。息を荒げながら振り返った御手洗の前で、施錠したはずのドアが開かれていく。


「降伏の、つもりか。だが」


 悪魔に試されている。悪魔祓いはこれからだ。と御手洗は気合いを入れ直す。悪魔祓いは最後の一段階が終わっていない。悪魔暴れウォシュレットが扉を開いたのは降伏の意思表示などではない、トイレからエクソシストを追い出そうとする狡猾な罠なのだ。


「いいや。出ていくのはお前だろう」


 御手洗が首を振ると、ウォシュレットがまた水を噴き上げる。訓練を積んだエクソシストに同じ攻撃は通用しない。腰を据えて肩で水流を受け止めつつ、脱いだストラの端と端を、それぞれ自分の身体と便座に近い手すりに結び付けた。

 悪魔を祓うまでここを立ち去ることはしないという、勧告の意思表示である。御手洗の不退転の決意を汲んだのか、トイレのドアは音を立てて閉ざされた。


 ウォシュレットから、便器から、洗面器の蛇口から、水の通るあらゆる場所が硫黄の香りがする汚水を噴き上げた。しかし、御手洗は焦りを一切感じていない。

 聖水の散布。聖句の詠唱によって神へ祈りを捧げることは終わっている。悪魔払いの第三にして最終段階、十字架を掲げる時がやってきたのだから。


 et nunc, et semper,et in saecula saeculōrum.

(原初にあり、今にあり、世に限りなく)


 Āmen.

(そうあれかし)


 悪魔にとって、人間の作ったどんな武器よりも恐ろしいものが目のまえに掲げられた。


 十字架の輝きを受けて、悪魔暴れウォシュレットは完全に沈黙する。 

 しかし、御手洗は妥協しない。ストラを解く前に、もう一度悪魔を祓う儀式を行おうと、聖水を収めたアンプルに腕を伸ばした瞬間――。


 沈黙していたはずのウォシュレットが矢のように鋭い一撃を放ってきた。御手洗は僅かに首を傾けただけで回避を行い、悪魔暴れウォシュレットは眼鏡に水しぶきをかけることすら叶わない。はずだったのだが。

 次の瞬間、全身が吹き飛んだかのような衝撃が御手洗を突き抜ける。意識が遠のく中、彼の視界が辛うじて捉えたものは。壁を反射した水流が直撃した便座のコンセントが放つスパークだった。


 御手洗が意識を取り戻すまで、どれほど時間がかかったのだろう。何秒か、何分か、もしかしたら数十分か。正確な時間は悪魔暴れウォシュレットしか知らないが、目を開いた御手洗は完全に水中へと沈められていた。

 水位は天井には達していないようだが、ストラで身体を固定しているので水面まで顔が届かない。肉体は苦痛を訴え、理性は逃げることを脳裏に過らせる。一度ここから退いたうえで、もっと強力な悪魔祓いを要請すればいいではないか、と。しかし御手洗は今一度、悪魔暴れウォシュレットへと向き直った。


 いいや!惑わすな悪魔よ。私は自分がなにをなすべきかを知っている。


  悪魔は神の恵みに勝つことはできない。 仮に悪魔祓いが失敗するなら、それは人間が悪魔に対して諦めてしまったときだけなのだ。

 酸素を失いつつある御手洗の視界は暗く、手先の感覚は秒ごとに鈍っていく。口から泡を吐きながら、御手洗は聖水の入ったアンプルを取り出そうとしたが、突如として発生した激流にケースごと流されてしまう。泳いで掴もうとしても、身体に巻きつけたストラが回収を許さない。


 絶体絶命の逆境で、御手洗は静かに目を閉じた。彼が鍛えたエクソシストとしての技量、彼が育んだ聖職者としての信仰心が秘跡を一つ顕現させる。


 Dieu qui donnez la vie,

(生命を創り給いし主よ)

 

 肺に残された僅かな空気を言葉に変えていく。御手洗の耳には足元から雷のような悪魔の嘲りが届いているが、どれだけ響こうが彼の祈りを妨げることはできなかった。


 bénissez cette eau que ceux qui sont appelés par vous puissent vivre de la vie éternelle

(この水を祝福してください、あなたに呼ばれた人が永遠の命に生きるものとなりますように)


 Jésus-Christ notre Seigneur.

(御子の名において)


 御手洗は正当な神父だ。水さえあれば、祝福を施して聖水に変えてしまうことなど難しくはない。

 ゆっくりと十字を切った御手洗が力強く告げる。


 Āmen.

(そうあれかし)


  口から放たれた言葉が次々と泡に姿を変えていく。ほんの小さな泡はすぐに激しい流れに取り込まれてしまうが、分裂しながら数を増やしていく。御手洗が瞬きを数度する合間に、沸騰したかのように泡は水の中を埋めつくしていった。

 悪魔によって空間に満たされていた汚水が、御手洗の祝福によって聖水となり悪魔を焼いているのだ。聖水の散布という、悪魔払いの第一段階がここに果たされた。


 聖水であろうと物理的な性質は真水である。窒息までの時間がない御手洗は、さらに次の段階へと進んでいく。


 Crux Sānctī Patris Benedīctī.

(聖ベネディクトの十字架よ)


 聖ベネディクトゥスの聖句を詠唱し、神に祈りを捧げる段階だ。


 Crux Sācra Sit Mihi Lūx.

(聖なる十字架が私の光)


 若き聖職者よ、私の負けだ。 君の気高さに免じ、私はここを立ち去ろう。


 空気のない水中。酸欠で朦朧とする意識。それでもはっきりと聞こえる声は、悪魔のものだと御手洗は理解している。しかし、祈りは続いていく。

 

 Nōn Dracō Sit Mihi Dūx.

(虚なものが私を導かぬように)


 もう一度言おう。 君が口を閉ざしてくれたなら、私はすぐに扉を開こう。そして君が立ち去ってくれるなら、私もここを去る。


 Vāde retrō Satāna,nunquam suāde mihi vāna.

(退け悪魔よ、虚しきことを囁くな)


 悪魔に取り引きを持ちかけられても、御手洗は祈りに集中する。長引くほど状況は不利になっていく。なによりも、神へ仕える我が身がどうして悪魔の指図など受けられようか。


 Sunt mala quae lībās ipse venēna bībās.

(お前が与えるのは悪しきものだけ、お前自身が毒を飲め)


 EIUS IN OBITU NRO PRAESENTIA MUNIAMUR

(死の時において我らは彼と共にあるだろう)


 この地上にお前たちの居場所などありはしない。地獄へ戻れ。御手洗が悪魔へ向けた思いは、次に告げるたった一言に集約された。


 Āmen.

(そうあれかし)


 激流の中でも首にかかったまま離れなかった十字架を握りしめる。苦難こそが信仰の道程なのだ。神の国への輝かしき道に通じているのなら、どうして悪魔を恐れるのだろう。

 十字架を掲げれば、第三段階が終了し悪魔祓いが為される。御手洗は勝利を確信したが、悪魔暴れウォシュレットの冷酷な声が否と告げた。


  では死ぬしかないな。


 部屋を満たしていた水がついに天井へと届いた。照明の配線が水に触れることでショートし、ヒューズが焼き切れるまで大電流を流す。

 聖水であろうと物理的な性質は真水である。生身の人間である御手洗には、致命の一撃だった。


 酸欠の苦しみも。濁流に身体中を千切られそうになる痛みも。御手洗は感じられなくなっていた。悪魔に対する闘争心も、生命として死に対する恐怖も、すべてが靄に包まれたように輪郭を失なっていく。

 端から黒く染まっていく視界の中で、御手洗は紐が切れて流されていく自らの十字架を見た。なんども握りしめ信仰の毎日を支えてくれた十字架は、神の国へも持っていけるのだろうか。もしかしたら、悪魔に敗北した神父に信仰の証は相応しくないとわが手を離れたのか。


 光がないだけの闇とは違う、さらなる深淵が御手洗の視界を覆っていく。力尽きてゆっくりと瞼が閉じ始めたその瞬間、漆黒の中から一筋の流星のように飛来するきらめきがあった。


「マリア」


 届けるつもりでカソックの中にしまっておいたマリアの十字架。死へと流される中で御手洗の指に触れた彼女の信仰の証を、御手洗は離れる前に掴み取った。

 神の前で、自然の前で、人々の前で、迷える同胞の前で、時に自分自身にさえ、人間は非力だ。しかし非力ながら、苦しみながらも、義人として生きようとする人々に自分はほんの数時間前にすら出会っているではないか。

 御手洗は師父の言葉を思い出す。エクソシストとは何者であるか問うたときの答えを。


「エクソシストとは、世界中の花を思いやる役目。Excellent最高だろ」


 幼い頃は訝しんだ言葉を、夢を与えるための方便ではなかったと御手洗は確信した。自分はこの場所で、誰にも知られないまま咲いて散る花を守っている。神の国にすら二つとない生命という花のため、消失していく意識が再覚醒していった。

 限界を超えてしまった御手洗の身体は水を吸ったカソックの重みで沈んでいく。その中で唯一、マリアの十字架を握った腕だけがまっすぐと天へ向けて掲げられた。


『Āmen』


 悪魔祓いの第三段階は、ここに為される。


 意識を取り戻した御手洗が最初にやったことは、警察へ通報することだった。


「はい。はい。トイレ中が水浸しになってまして」


 元の状態に戻っていたが、公衆トイレの中は天井まで水浸しだった。漏電が再発生しかねない場所があちらこちらにある。まずは誰も入らないようにしなくてはならないと、御手洗は痺れと痛みの残る身体に鞭を打った。

 手すりと自分に縛りつけたストラを解きながら電話をしていると、御手洗の耳に何台もの車が迫る音が届いてくる。警察官に事情聴取をされる前に、なんとか落としてしまった十字架を拾った御手洗は、駆け付けた救急隊員に有無を言わさず搬送された。


「はい。トイレに入ったら、ビビッときました。あとはもう、よく覚えていないですね」

「お身体が優れない上でご協力して頂けたこと、感謝します。神父さんも災難でしたね」

「災難なんて。あなたや他の人が同じ思いをするよりずっと良かった。私にとっては幸運ですよ」


 医師の立会いの下で事情聴取も終わり、御手洗は病院のベッドで一晩を明かすことになった。精神的にも肉体的にも疲労と損傷は著しく、点滴をするために看護師が腕へ針を入れた一瞬の間に、御手洗は気を失うように眠ってしまった。


 微睡みの中で御手洗が見たのは、洗礼を受けて新しい名を授かったマリアの門出を祝う夢だった。朝になれば思い出すこともない泡沫の景色だが、決して遠くはない未来の光景に違いなかった。

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