茜、青色、あいの色

 空を彩る茜色は退廃を塗り重ね、夕日はその中に希望を散りばめる。

 ベランダの柵に腕を置いて、独り煙草に火をつける。煙とともに茜を吸い込めば肺に冷たい空気が入って心は凪いでいく。秋の夕暮れはどの季節よりも色鮮やかで身に染みる。

 今日は、祖父の命日だった。何回目かは覚えていない。ただ、毎年その日になると祖父を思い出す。これといって思うことはない。だけど、無性に煙草が吸いたくなって、身体が冷えるまでこうしてベランダで呆けている。

 人は親しい誰かの死を受け入れて乗り越えていく。そこにある後悔も飲み込んで日常に戻っていく。私は、それを凄いことだと思う。


 祖父は、女が煙草を吸うな、なんて言わなかった。ずっと微笑んでいて朗らかな顔をしていた。私が煙草を吸い始めたのは、祖父が死ぬ3年前。東北の田舎から一人で東京に出てきて、ずっと独りでいることに疲れた時に吸い始めたのだ。初めは、マルボロのメンソールからだった。次に祖父が吸っていたマイルドセブン……今ではメビウスか。それの7ミリ。そのままピースに行って、結局ハイライトに辿り着いた。

 初めて煙草を吸ったとき、たしかな高揚と安堵があった。煙草の匂い、小さい頃からずっと嗅いできたあの匂い。それを自分も吸っている。そんな感覚が、胸を高鳴らせて、安心をもたらした。苦くて、辛くて、だけど優しくて。

 ハイライトを吸っているのは、味の当たりはずれが大きい事と、昔に流行った煙草だからだった。それはちょうど祖父が生きたあたりの時代だった。私が尊敬したのは、愛してやまなかったのは祖父だった。

 もちろん、両親が嫌いなわけじゃない。好きだ。

 だけど、私を育てたのは祖父だった。

 5歳離れた妹がいれば、両親はそっちに付きっきりになる。そこに5歳離れた姉がいれば、思春期の八つ当たりは全部私にやってくる。両親は助けてくれない。毎日逃げ込むようにして祖父の部屋に隠れた。煙草の匂いのする小さな隠れ家。畳の上に二人分の万年床とその足もとの台の上にテレビがある小さな部屋。地デジに変わる前には古いブラウン管で、色合いも音もノイズまみれだったのを今でも思い出せる。私が我儘を言えば、なんだかんだ見たいテレビを見せてくれたりもした。

 そうやって、私も高校に入学した。中学の頃に骨折した名残で高校も祖父の送り迎えがあった。私がスマホを持つようになって、祖父もガラケーを持った。「迎えお願い」というだけの短い電話を毎日した。

 私は少しずつ祖父に対して無反応になっていって、時々そのキラキラした瞳で見られると面倒くささも感じていた。どうしてそんな顔をしていられるのか、何を生きがいに生きているのかがわからなかった。

 それでも、祖父は私を気にかけてくれていた。大学をやめた時も、何も言わなかった。どんどん祖父のことがわからなくなって、無関心になっていった。きっと、これが親離れみたいなもんだろうとその時は思っていた。祖父が病に倒れた時も、まだ先があるだろうと思っていた。時々酷く心細くなって、祖父がいなくなる夢を何度も見た。取り乱すことはなかったけど、煙草の吸殻は倍になったし、ふとした時に頭に浮かぶのは祖父のことだった。

 思えば、祖父は狡い人でもあった。自分が指を十全に使えなくなる怪我をしたくせに私達には一切連絡するなって言ったり、私が実家に帰ればその十分使えなくなった右手で、私が割った箸を使いながら、カップ麺を美味いねってニコニコと食べたりしていた。肺ガンになって、チューブを鼻に刺しながらもその表情は変わらなかった。

 狡い、そう思った。辛さを見せてくれれば、一緒に分かち合えるのに。怪我をする前と殆ど変わらない生活をしようとしていた。助けを求めてくれれば、口ではあれこれ言っても助けたのに。結局、祖父が私に頼んだのは箸を割ることだけだった。

 それから、私が東京に戻って暫く、祖父は死んだ。祖父の面倒を見ていたのは母で、祖父の死を私に知らせたのは父だった。あんなに沈んだ父の声を聞いたのは初めてだった。遺言らしきものはなかった。最後に会いたいということもなかった。

 でも、肺ガンになってから、誰にも迷惑をかけず一人で死にたいと零していたという。母が葬式の準備をしながら教えてくれた。

 祖父は本当に酷い人だ。私は育ての親に孝行も出来ず、ありがとうさえ言えず、一人で死なせた。誰よりも自分を大切にしてくれた人が死ぬ前に、何も言うことが出来なかった。最後に交わした言葉は、割り箸を割ったときのありがとうか、東京に戻る時の気を付けてか。私はただ、うんと言うばかりで返す言葉もなかった。

 結局、私は最後のお別れの時も、祖父が骨になっても泣けなかった。涙は、きっと心の整理が出来て初めて流れるものだと思う。許容量を超えていることにさえ気づけないままでいれば、涙は流れない。勝手に流れる涙は、きっとその悲しみを受け入れた時に流れる。私は、泣けなかった。どこまでも薄情で醜い人間だと自分に呆れた。

 だけど、祖父が骨になっている途中、父と一緒に外で吸った煙草がそんな想いを解かしてくれた。祖父が骨になった後、移動する前に吸った煙草は、痛みを受け止めて私を前に進ませようとしていた。

 あの日の空を、私は今でも覚えている。初めは曇っていたはずなのに、祖父が荼毘に付される直前から晴れて青々と高い空が覗いた。眩しかった。そして、そんな空に見惚れていれば天気雨。目の前に広がる光景が、美しくて酷く優しいものに感じた。祖父に、そっくりだった。

 それからのことは、自分の生活でさえよく覚えていない。ただ、命日にはこうして外で煙草を吸って、祖父のことを思い出す。だけど、もう、声を忘れてしまった。次第に遠のいていく祖父と私を繋ぐのは、思い出と後悔と、そして煙草だけだった。

 今ならわかる。祖父の生き方が、その生きがいが。そして、その笑顔の理由が。

 私は、祖父との時間が幸せだった。多くのことを経験してきたであろう祖父が最後に笑って逝けるようにもっと出来たことがあったはずなのに、祖父は私だけにそれをくれた。

 もし、誰かの為に生きられるなら、それは生きがいに違いない。誰かの為に自分のすべてを捧げるのは、立派な生き方に違いない。健やかに育っていく誰かを見守ることが出来たなら、その誰かが健やかでいてさえくれるなら、きっと笑顔でいられる。

 昔から胸の内にあったものが、祖父の死を経て、ようやく言語化できるようになった。私も、妹が幸せになるのなら、私もそうしたいと思う。

 祖父に返せなかった分、今生きている人にそれを返したい。

 それはきっと難しいことだ。

 もしかしたら、薄情で醜い私には果たせないかもしれない。

 でも、出来る限りはそうしたい。

 採算や打算などない、本物の愛を教えてくれたのだから。

 その愛を受けて育った私も、あなたの愛に間違いはなかったと証明したい。


 言葉にはせず、煙と一緒に吐き出す。

 目頭が熱いのは煙が目に入ったからだろう。

 絶対に涙は流さない。

 あなたを悼み悲しむのではなくて、あなたに胸を張れる人になりたいから。

 きっと、すべてを忘れてしまっても、煙草の意味とこの想いだけは忘れない。


 茜色は喧騒の街を優しく照らす。

 明日になれば、青が空を満たして街は華やぐ。

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