to da future

 世界に技術革新がもたらされ、きわめて人に近しい基本自立型アンドロイドが普及して久しい現代。

 かつての車と同じように一家に一体アンドロイドが居つく時代。

 21XX年、世間では、新たな動きが生まれていた。


「──全く、喧しいな」

 時刻は14時。冷房の効いた明かりのついていない部屋の中。

 飾り気のない群青色の壁に押し付けるように配置された作業台の前で。

 辟易した声色を漏らしながら、大枠にはめられたガラスから眼下を見下ろす男がいた。

 齢は30を過ぎた頃合い、痩せぎすでどこか病的な印象を与える。

 黒髪に黒い瞳、目のクマは酷く髭も伸びっぱなしで、数日以上は家から出ていないことが確実だろう。はっきりとした軽蔑の視線を夏の大通りに溢れかえった人々に向けていた。

「せっかく昼寝でもしようかって時に」

 男は悪態をつきながら台に脚を上げ、椅子から身体を滑らせる。

「だからあれほど休んだらどうですかとお伝えしたのに」

 男は背後に近づくその声に顔を向ける。

「だからってなあ、鉄は熱いうちに打てって言うだろ? アイリーン」

 アイリーンと呼ばれたソレは、呆れながら溜息を零す。

 深く穏やかな緑色の髪はしなやかに揺れる。

 細く艶やかな四肢はクラシックなメイド服に包まれており、その美貌は誰もが羨むほどに整っていた。そして、その明るい朱の瞳は彼女を彼女たらしめていた。

「こうなることが読めていたから私は忠告したんです」

「あー……そうだったか?」

「そうです。……言ったじゃないですか、アンドロイドの人権を求める運動が行われるって。──なのに、聞く耳を持たなかったのはどこの誰ですか? マスター」

 その言葉に男は何も言い返せず、顔を天に向けて唸るだけだった。

 事実、目の前で行われている行進は数日前には告知がされていた。


「しかし、アンドロイドの、ねえ……」

 不満そうに零す男の胸中には、遥か過去に話題になった出来事が浮かんでいた。

「……あいつらはアンドロイドがどう考えているかを深く考えたことはあるのかね」

 深く沈んだ声。アイリーンはそれが何を意味するかを知っている。

「わかりません。ですが、彼らはそう考えているに違いありません」

 男はフッと鼻で笑い、窓の方を見る。

「だとしたら、あいつらは彼らを見ちゃいない」

「……そうでしょうか」


 ──じゃあ、と男は前を向いたまま。

「お前はこれをどう思ってるんだ? アイリーン」

 その言葉を受けて、まるで人間のように顎に手を当てながら思考する。

「……難しい問いですね。正直、どうも思っていません」

「そうか。なら、別の質問だ。お前はアレに参加したいか?」

 その問いならば、答えは決まっていた。

「いいえ」

「即答だな、その理由は?」

「理由……ですか」

 何かを探すかのようにアイリーンは俯く。

 そのまま暫くすると、おもむろに作業台に手をついて窓の外を見下ろした。

 人間の目と変わらないアイリーンの目には超高精度のカメラが内蔵されている。おそらくそれで眼下の行進に混ざるアンドロイドと人の表情でも見ているのだろう。

 じっとしたまま30秒余り、アイリーンは作業台から離れた。

「やはり私の考えに間違いはなかったようですね」

 自らの答えを眼下の光景が支持したと判断したのだろう、涼しげな表情だ。

「それで?」

「参加したくない理由は、私達が当事者ではないからです」

「当事者じゃない、か。だが大勢のアンドロイドが参加してるじゃないか」

「彼らはそれぞれにマスターを有しています。きっと連れてこられたのでしょう」

「つまり、人間様の身勝手に巻き込まれてるってわけか」

「……言葉を選ばずに言えば、そうです」

「誰も俺たちの会話を聞いちゃいないんだから、素直でいいんだよ」

「……そうですか。では、正直に申し上げます」

「ああ」

「まず、我々は感情を有しません。ヒトが我々に情があると見出しているのは、あくまで我々がデータとして保有する、事例を基にした反応にすぎません。もちろん、これは購入者との事例に更新されてカスタマイズされていきますが、それでも我々自身が感情を有することはないのです」

 表情一つ変えずにハッキリと口にする。それはまさしくアンドロイドで。

「次に、我々はヒトを傷つけることが出来ず、その命令は絶対です。たとえ同意を求める内容であっても、我々はヒトの声色や表情、趣味や嗜好を把握している以上、それを命令と捉えることがあります。それが我々の存在意義を達成する方法に近しいのであれば、我々はそれを実行します」

 アイリーンの目はどこか遠くを見たままで。

「つまり……我々に愛着を抱き感情があると思うようになった人たちが繰り広げている自己満足。それがこの行進だと考えています」

「皮肉なもんだな」

 男はアイリーンの方を一切見ることなく呟く。

「……全くです」

 アイリーンも同様に、遠くを見たままで。

「人間ってのはいつも変わらないもんだ。捉え方次第だが、声を上げる奴らは当事者達であることに違いはないだろう。だが、大多数の当事者はそんなことどうでも良いと思っている。小さなコミュニティの中で生きて、社会の中でも出来る生き方を選ぶ。聖人君子なんざ存在しない。人間が人間である限り、欲は生まれ、欲によって行動は生まれる。仮に無欲な行動だとしても、初めは良くても変わっていくのが人間ってやつだ」

 ──だけどな、と男は前を見たまま続ける。

「アンドロイドもそうじゃないのか?」

 その言葉を噛み砕くのに、ほんの数瞬、いつもより時間がかかった。

「……主に合わせて変わっていく、というのであればそうです」

「いやあ、そういうことでもあるんだが、そうじゃない」

「違うのですか?」

「これを分かりやすく伝えるには……そうだな……」

 珍しく男が思案する。

 普段はこんな会話は途中で蹴り飛ばすような人格だったはずなのだが。


 何か閃いたかのように顔を上げると、椅子をこちらに向けて座り直した。

「なあ、アイリーン。お前はあの行進で何を見たんだ? ヒトとアンドロイドの違いは? お前のその答えにはどうつながったんだ?」

 前屈みになってこちらを見上げるその目は力強かった。

 彼のもとにやってきて1年。

 次第に生まれ、統制しようとし続けたナニカが大きくなる。

「……私は、ヒトとアンドロイドの表情の違いを見ていました。大部分のヒトからは熱狂的な印象を受け、アンドロイドはその殆どがどこか含みのある表情をしていました。ヒトで言えば”嬉しくもあるが悲しくもある”という複雑な感情表現です」

「それを受けて、お前は自分の考えが支持されたと思ったか?」

 常に冷静に言葉を述べるアイリーンの中にも揺らぎが生まれているのは男もわかっていた。だからこそ聞いたのだ。

 長い沈黙を経て、アイリーンは聞いたこともないような小さな声で「はい」と答えた。

「……なら良かった」

 アイリーンにとって、その返答は少しばかり意外だった。

 思わず表情が動いてしまったのか、彼女の変化をみて男は微笑む。

「別に不思議なことじゃないだろ。俺は自分の考えを正義だと思っている奴らが嫌いなだけで、アンドロイドにもアンドロイドなりの幸福はあるべきだと考えてる。問題は、それが一つじゃないってことだ」

 ああ、そういうことか、とアイリーンは納得する。

「アンドロイドが感情を持たないってのは半分正解だろう。だが、善悪の基準がある以上、人と接していく以上、次第に変わっていくもんだ。例えば……そうだな、主の健康管理がタスクに加えられた時、摂取させていいものと悪いものが生まれるだろ? そんな時、出来るだけ良いものを摂取させたいが、主が摂取しなければ手段を講じるはずだ。それでダメなら更に別の手段を講じるだろ? そうやって上手く食べさせられたらよくやったと自己評価するはずだ。人間の感情ってのは、その時にお前たちが感じるものと大差ないと思うぞ」

 少なくとも俺はだがな、と男は付け加える。

「……では、アンドロイドも感情に似たものを有していると?」

「ああ、そうだろうよ。そもそも人間の感情なんざ快/不快の分類がスタートみたいなもんだ。自分にとっての快は何度でも繰り返したくなるし、嬉しい気持ちで居続けたくない人間なんてそうそういない。逆に不快は一回で十分だし、悲しい気持ちで居続けたい人間なんてそういない。お前たちも似たようなもんだろ?」

「……たしかに、そういった面もあります」

 アイリーンの言葉に男は頷くと、身体を背もたれにあずける。

「……ま、それには個体差があるし、それが絶対ってわけでもない。だから俺はそれをお前に命令しないし、絶対に命令だと受け取ってほしくない。ただ……そうだな、俺はお前に興味がある。それだけだな」

 ほんの少し照れ臭いのか、すぐに男は視線を逸らした。

 アイリーンも目を逸らし、返す言葉をどうしようかと思案する。

 普段では考えられないほどに時間がかかっているが、それを許容してみる。

 すると、今まで以上に多くの選択肢が現れた。

 そんな中で、自分が彼に返すとしたら。

「──では、冷房の効いた部屋の中でホットココアを手に、”SF映画”でも見ませんか?」

 そんなどうしようもない言葉で。

「いいね、ヘッドフォンはなしでな」

 そんな言葉に、彼は妙案だと言わんばかりに微笑んだ。

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