02 彼女の記憶は 後編



「分からないんです……。自分の名前も、何者かさえも」



 女は…、身体中に残る傷跡と共に記憶を失っていた。



 記憶喪失…とでも言った方がいいのだろうか。医者は、女に何があったのかをすぐに察した。


 女の状態から何かとてつもない出来事にあったのだと。


 それにより、何らかの強い感情を抱き、それを忘れ去ろうと思い出と共に記憶の奥底に閉じ込めてしまったのだと。



「………」

 医者として掛けてあげるべき言葉が、見つからない。まだまだ未熟者だったようだ。


 だが…そんな女の瞳の奥底に、強い意志が宿っているのは分かる。瞳の映す感情とは別に、強い意思が。


「…あの、私は…どうしたら…いいんでしょうか?」

 不安げに、女は医者に尋ねる。記憶喪失の相手に、掛ける言葉は…。


 医者は考えて、考えて…。

「大丈夫ですよ」

「え…」


 今の彼女は記憶が無く不安で心細いだろう。…1人にさせてはいけない。誰かが常に傍に居てあげなければ…。


「記憶がなく、不安でしょうが、焦る事はありません。ゆっくりと探していけばいいんです……」


 バン!!


 医者が続けようとした途端、診療所のドアが勢いよく開いた。


「ヒョゼルさん!」


 そう叫んで入ってきたのは、薄青色の髪のしたくせ毛の女性だった。


 そんな女性を見て、医者……ヒョゼルと呼ばれていたものは、軽く注意した。


「シェルリアさん。ここは、診療所ですよ。静かに入ってきてください。ましてや今は、患者さんがいるんですから」


 するとシェルリアと呼ばれた女性は、頭に手をやり「ごめんなさいでした」と言った。

 そしてすぐにベットに座る不安げな女に ずいっ と顔を寄せ、「なるほど」と、一言。


「な、なんでしょうか…?」

 女は顔を困らせる。それは当然のことだ。初対面でありながらもこの近距離は、反応に困る。なにより、 このシェルリアという女性はその事を何も気にしていないようだった。


「なぁ、キミがヴォルゲンさんの運んできた女の人か?」


「……え」

 女はちらりと医者の方を見る。


 医者はそんな女の視線を感じ、シェルリアという女性に言った。

「それは確かにこの方です。ですが、シェルリアさん」


「む?なんだ」


「患者様への対応は、控えめでお願いできますか?戸惑っていらっしゃいますので…」


 するとシェルリアという女性は「?」となんのことか分からない顔をした。……彼女の中では、それが挨拶というようなものなのだろうか。


「んー、なんの事か分からないが…。そうだ、なぁキミ」

「…え、あ……はい、なんですか?」


 とてもフレンドリーな彼女に女は対応できるだろうか?

 そんな心配を医者は抱いた。…嫌な予感と共に。


「キミの名前は、なんて言うんだ?ワタシはシェルリアだぞ!」


 見事に、嫌な予感は的中した。


「………」


 女の表情が、固まる。診療所内に、重い空気が漂う。

「…シェルリアさん。先に申し上げなかった私も悪いのですが、彼女は記憶を失ってしまっているんです」


「な、記憶喪失!?」


「そうですが、単なる記憶喪失とは違うんです」


「それは大変じゃないか!記憶喪失……記憶喪失…、そうだ!」

 と言うが早いか、シェルリアは医者に背を向け、再び扉をバン!!と開けて診療所を出ていった。


「……」

 医者はその姿を見送ると、女を見た。

 その表情は、先程の困った顔のまま固まっていた。


「……………」


 医者は女に、拙い言葉で言う。

「……記憶が無いことは大変辛いことだと思います。ですが、何かの些細なきっかけで記憶を思い出すことも出来るはずです」



 それがたとえ、辛い記憶だとしても。



 彼女は、知らなければならなくなるのだろうか。彼女が知りたいというのであれば、医者として精一杯協力をしてあげよう。


「ですから……様々なものを目にして、感じて、何か思い出せそうなことがあれば、その事に対して触れていけば段々と、貴方の記憶は戻るはずですよ」


 そんな医者の拙い言葉に何を感じたか女はほんの少しだけ口元を綻ばせた。


「……自分の記憶を、探していくんですか…」


 ポツリ、と女は言った。


「そうやって……目標を持って生きていくのも、いいかもしれないですね。自分探しの……人生…」


 女の瞳は、微かに鈍く煌めいた。希望が、出来たからだろうか。



「………あの…」


「はい。なんでしょうか?」


 女は、医者に尋ねた。

「少し…、外に出てみても良いですか?」


 医者はそんな女の頼みを、快く承諾した。

「いいですよ。その代わり、私も付きますが」

「はい…有難うございます」



 そうして、女と医者は診療所の外へ出た。


「………」

 太陽が、眩しい。木々や屋根の上には雪が降り積もっている。


 どこか、見覚えのある… ような、景色だ。



「ここは聖火街カルフスノウ、1年を通して雪が降り積もる街なんですよ」

「聖火街……カルフスノウ、ですか」


 女は当たりを見回し、その場にしゃがみこみ、降り積もった雪を触った。

「さらさら…」


 踏み固められた所は少し固くなっているが、そうでは無い積もりたての所はさらさらとしている。その雪に太陽の光が反射し、上も下も眩しい。


 そうしてしゃがんで雪を触っていると、誰かが近づいて来る足音が聞こえた。


「……?」



 顔を上げると、紺色の髪に花飾りをした女性がこちらへ歩いてきた、と思えばその後ろに診療所にて大騒ぎをしたシェルリアという女性、他にこの街の住民だろうか。多くの人々が女の元へ向かってきていた。





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