第一章 聖火の照らす街

01 彼女の記憶は 前編




「………」

 消毒の、匂いがする。人の気配も、ある。

 ここは…どこ?

 

 「おや、目が覚めましたか」

 薄目に開いた瞼の隙間から、白衣を着た男性が見えた。眼鏡を掛けている。医者だろうか?


 「………………」

 「ここは、聖火街せいかがいカルフスノウにある診療所です」


 聖火街……?カルフスノウ?…の……診療所に、なんで私がいるのだろう……?


 「門の外に、かなり重傷を負って倒れていたようですよ。なのでここへ、親切なヴォルゲンというこの街に住む神官さんが運んできて下さったんです。一応全て見てみました。特に背中の傷。とても深くえぐられていましたが……それでも半日で目を覚ますとは、奇跡的な回復力ですよ」


 「………………」


 倒れていた…?私が………、なんで……?

 目を覚ました女は、自分の背中にゴワゴワしたナニカがあるのに気付いた。少し、不快である。


 「気になりますか?包帯の巻き方が悪いのかも知れませんね…。ですが今はまだ安静にしてて下さい。後で、包帯も取り替えますので」

 ……親切な医者だ。丁寧に、接してくれる。


 所で……なにか、頭が変だ。なにかが抜けているような…?少し、違和感を感じる。

 「私は隣の部屋にいるので、なにかあったらお声掛け下さい。では、ゆっくりと」


 「……ぁり……と……、ます……」

 「いえいえ礼には及びませんよ、それではお休み下さい」

 何とも印象の良い医者だろう。親身になって対応してくれる…。


 「………………」

 まだ、意識がしっかりとしない。視界がぼやける。目を閉じて、呼吸を整えている方が楽だ。このまま……寝たら、意識がはっきりと戻っていたら良いが。


 「……………………スゥ…」


 暫くして、女は寝息をたてた。穏やかな寝息だ。見知らぬ場所まで運ばれて、こんなにも早く安心…戸惑わず、無防備に寝ることができるなど到底多数が出来るものではないだろう。……この場所を、知ってでもいるのだろうか。


 なににせよ、暫くは安静にして貰わないと困る。患者には無理をさせず、常に気に掛け、ゆっくりと休ませるのが良い。


 そう思い、医者は物事に集中した。

 

 

 





 ───こうして、彼女の数奇な物語が始まる。

 誰にも彼女の物語の結末など分からない。

 

 これは、彼女の描く物語。


 何事も、彼女次第。


 願いを叶えるのは、彼女のその姿。物語は、世界は彼女が描く。

 

 彼女の意志が。

 龍神と、人間の関わりが。

 その醜く巣くう深淵を打ち払う。

 

 彼女の心が人に向かないかぎり、物語は終わる。世界は終わる───

           

 




 

 星龍の月  28日 火曜日

 


 「………………」  


 うっすらと、視界が開く。窓から差し込む朝日が、少し、眩しく感じる。その窓の向こうからは、活き活きとした鳥の囀りさえずが聞こえてくる。


 「あら、この娘…目が覚めたみたいね」

 「……?」     


 女性の声がすぐ傍で聞こえた。足音が聞こえてくる。次第にこちらへと近づいて来ているようだ。


 「何もしないで下さいよ。貴女はいつもみたいにぶらぶらと歩いてきたらどうです?まぁ…それでもいいですが、せめて看護師という立場であると言うことを、お忘れ無く」


 女性に対して、医者は冷たく言った。いや、呆れながら言った、という所だろう。               

 

 「なによその言い方。はいはい、どうせ私は なにもできない ただの邪魔者ですからぁー」

 女性は医者にそう言うと、そそくさと外へ出て行ってしまった。


 「はぁ……」

 医者はそんな彼女の姿を見て、ため息をつくと、病室のベットに横になっている女に話しかけた。


 「体調はどうですか?意識ははっきりとしていますか?どこか痛む箇所などはありますか?」


 そう言いながら、医者はそっと女の手をとり、脈を測る。女はそんな医者を、なぜか無意識に懐かしむ目で見ながら受け応えた。


 「……いえ、もう大丈夫です」

 「そうですか。なら、良かったです」

  医者は女の脈を測り終えると、小さな白い器に入った飲み物を持ってきた。


「スノクサティーです。このカルフスノウ周辺にしか生えていない草なんですよ」

 そして すっ、と女に差し出す。…何やら甘い香りがする飲み物だ。これが、スノクサティーというものなのか。


「ありがとうございます」

 女は医者に礼を言いスノクサティーを受け取る。


「どうぞ、召し上がって下さい」

「はい…いただきます」

 女はごくん、とスノクサティーを一口飲む。


「!」

 匂いの割には強くない甘みと草独特の渋み。温かい飲み物なのに喉元を通り過ぎる前に、口がひんやり。

 これは中々に癖になる飲み物だ。


「どうですか?癖になる味でしょう」

「はい、とても不思議な味で…口がひんやりします」

「そうでしょう。私もそれは好物でして。それより聞きたいことがあるのですが、宜しいですか?」


 医者は、女に対し聞きたいことがあるといった。聞きたいこととは、何なのだろうか。


「…聞きたいこと……?何が聞きたいんですか?」


「では聞かせてもらいますね。…貴女の名前と、思い出せる範囲でいいので怪我の経緯を教えていただけないでしょうか?こちらも、魔物が原因であれば何かしらの対策を練ることを考えなければいけないので…」


「私の……名前…?」

「はい」

「……………………」


女は、黙り込んだ。一点を、じっと見つめながら。

「どうか致しましたか?」

医者が、女に聞く。


しばらくの間、静寂が続いた。やがて、女は声を震わせ言葉を放った。


「…私……の…名前──」


医者はそんな女を優しく見守る。


「分かり…ません……」


「分からない……、ですか?」


医者は、そんな女の瞳に宿る感情を感じ取った。不安、恐怖、悲しみ……とは違う、何とも言い表せようのない感情を。


医者は女の言葉の続きを待った。



そして、女は言葉を発した





「分からないんです……。自分の名前も、何者かさえも」





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