第12話 残心という言葉はもっと周知してほしい。

 あとで聞いたがこの世には残心という言葉がある、らしい。敵を斬り倒し、相手が絶命したと思っても油断してはならないという教え。

 ふと視線を外した隙に、死に際の反撃を受けそれが致命傷になる、なんて話は童話やら芝居にでもして流布してもらいたい。


 武道の教えも残心という言葉も知らず、ナキによる技術で初陣に挑んでいた僕は、迫り来る死に際の反撃の刃を見上げながらそんなことを考えていた。


『――――ッ!』


 ナキの焦りに呻く声。彼女はきっと僕と違って油断などしていなかっただろう。けれど、それでも、僕の左腕は穴が開いて血を噴き出しながらだらりとぶら下がり、踏ん張るための太ももはえぐれている今の状況では彼女にもどうにもならない。


 跳び退るには遅く、踏み込むには遠く、刀で弾くには力が足りない。


 魔動歩兵の赤はすでに肩の辺りまで後退しているが、胸は依然として覆われている。仮に踏み込めたとしたって急所を突くことだってままならない。


 遅れてきた恐怖が背筋を走る。


 目をそらしそうになるのを必死で抑えて、何か手はないかと考える。

 ナキが僕の頭の中に戦術をぶちまけて、一つ取っては放り投げ、被害を抑える策を探している。

 頭を使いすぎたせいか鼻血が噴き出す。

 その間にも魔動歩兵の体は突撃する馬のように接近する。


 ダメ、なのか。


 僕は最後の力を振り絞り、右腕だけで刀を構えた――




 瞬間、刀を持った女性が僕の前に割り込む。




 傷だらけの彼女は刀を構えると、魔動歩兵の刃を苦もなく上方へ逸らした。

 腰に巻いた布、黒い鎧、そして、銀の波打つ髪。


 九の字!


「みんなのために戦うなんてさ、かっこいいじゃん、君」


 振り向きもせず、彼女は言うと、すでに黒に変わっていた魔動歩兵の脇下から刀を差し込み、あっという間に急所を破壊した。パキンと高い音がして、魔動歩兵はその場に文字通り崩れ落ち、赤と黒の水たまりに変わる。


 さすが英雄。コハクが夢中になるのもよくわかるよ。

 ま、コハクが見てたのは本物じゃなくて芝居だったけどさ。


 他に魔動歩兵は見当たらず、あれがこの場所では最後だったようだとほっとしていると、九の字が僕の前にしゃがみこんで顔をのぞき込んだ。双眸は竜眼で赤い瞳孔には歪んだ円の模様。


 僕にはそれより傷だらけの体の方が気になった。腰に巻いた白い布も鎧の下にある服も赤く染まっている。いやそれは僕もだけどさ、と鼻血を拭きながら思う。


 ああ、意識したら痛くなってきた。

 怪我の痛みだけじゃなくて筋肉を酷使した痛みも混じってるなこれ。


 九の字が何かを言おうと口を開いたところで、

「うっわあ、ひどい怪我だよっ! すぐに手当てしないとっ!」


 エスミが駆け寄ってきて、九の字と僕の間に割り込む。


「エスミちゃん! 今アタシがとびっきり感動する台詞を言おうとしてたのに、なんで邪魔するかな!」

「そんなのいいよ、どうせ心に響かないんだからさっ。それより怪我を治さないとっ! ユラちゃんっ! ユラちゃん、どこ行ったのっ!?」


 どうも九の字の扱いが雑だ。英雄なのに。


 九の字が「ひどい! 傷ついた! 体の傷は治せても心の傷は治せないンだよ!」とかなんとか言っている間に、件のユラと呼ばれた少女がやってくる。


 僕より年下だろうと思う。

 片手に刀をぶらぶらさせて、ぼうっとして、あくびを一つ。


「ユラちゃん、この子を治療してあげてっ。魔動歩兵にやられて肩に穴が開いてるんだよっ。見てたでしょ?」

「……………………見てない。他の人治してたから」

「すごかったんだよっ! イノリちゃんが使い物にならなくなってから、どうやったかわかんないけど真っ赤な魔動歩兵の竜源弓を破壊して、黒く戻したんだからっ。そのあとだらだらやってきたイノリちゃんがおいしいところだけ横取りしたけどっ」

「違う! アタシはこの子を助けたンだよ! なんてこと言うんだ、エスミちゃん!」


 二人がごちゃごちゃと言っているのを完全に無視してユラは僕のそばにしゃがみこむと、刀をにぎって竜源装を発動させる。光った刀身には四つの溝が入っていて、第四限、つまり特殊能力が使えることを意味している。


 ユラは刀を握っていない方の手を僕の左肩に当てて、ふらふらとさまよわせた、

 瞬間、


「ぎゃああああ!」


 傷口の端に釣り針を刺されてそのまま無理矢理引っ張られているような痛みが走る。なんなら魔動歩兵に突き刺された時より痛い。まああの時は興奮して痛みの感覚が鈍くなっていたからなあ。


 ユラは僕がわめくのも構わず、淡々と傷口を治していく。

 痛すぎる!

 本当は治してるんじゃなくて痛めつけてるだけなんじゃないか?

 新手の拷問だろこれ。


 感情のない拷問官が最後に僕の太ももを治し立ち上がると、僕にはユラがただの恐怖の対象になってしまった。


 もうやめてください、何でもしますから。どっか行ってください。


 僕は傷の痛みがほとんどなくなり血も止まっているのに気づいていたし、腕は確かだと感じていたけれど、同時に、ユラの治療がとどめとでも言うようにふらふらとめまいを覚え始めていた。


 エスミは治療が終わったのを確認して満面の笑みを浮かべると、

「ユラちゃん、ありがとっ! イノリちゃんの傷も治してあげてよっ」

「いや! いい! アタシはもう自分で治したから! 大丈夫だから! 止めて! 怖い! ぎゃああ!!」


 九の字が暴れている。


 僕のユラへの感情は間違いじゃない、と言ってしまうとまるで恋心を抱いているようだけれど、あの、もう二度と会いたくないです。治すならもっと感情のある人にしてください。

 できれば慈愛に満ちた包容力のある美人がいいです。

 あと、コハクに手をつないでいてもらいたいです。

『主人様、ぼうっとしすぎて欲望がだだ漏れていますよ』

 だって怖かったからさあ。


 ああ、ダメだ。血を流しすぎたせいか。

 疲れと睡魔が襲ってくる。

 九の字はあれだけ出血してこんなに元気なのにどうしてだ。

『妾と初めて戦闘をしたせいでしょう。緊張が一気に解けてしまったのもあると思いますが、妾が体を動かすと竜力を結構使ってしまいますからね。主人様ほど感覚の共有ができてしまうとなおさら消費が早いようで、全身に取り憑くというのは燃費が悪いのかもしれません。今後の課題ですね』

 ナキの言葉が頭を横切ってそのまま出て行く。

 ダメだ、ぼうっとしすぎて理解が追いつかない。


 九の字の治療も終えると、ユラはあくびをして、スタスタと戻っていく。九の字は地面に横たわって呻いていたが、耳元で鶏に朝を告げられたように突然ガバッと体を起こした。


「はあ、もうユラちゃん怖いよ。傷の手当ては優秀だけどさ。もっとゆっくりやってほしいよね。そしたら痛くないのに」

「戦場なんだから速い治療は正義だよっ。邪険にすると二度と助けてもらえなくなるよっ」


 とか、九の字たちが話しているのをぼうっとした頭で聞いていると、



「うわあぁあ、お兄ちゃあん!!」



 声が聞こえた瞬間、治ったばかりの僕の身体にコハクが水泳よろしく飛び込んできて、そのままがっしりと首を絞めてきた。いや本人にそのつもりはないのだろうけど、僕は結構マジで殺されると思って、生存本能からぱっと頭がはっきりする。

 後ろからシズクさんがやってきてコハクを僕の首から離しながら、


「いやあ、本当は船に乗ってた方が安全だったんだけどねえ、コハっちゃんがどうしてもヒーロー君のところに来たいって言うから乗り換えの時に仕方なくね」

「乗り換え?」


 二人の乗っていた船は魔動歩兵の矢に水棲馬がやられて身動きがとれなくなっていたはずだ。他の船が来たのか。


「ほら、ヒーロー君の友達が中央から船を引っ張ってきてくれたんだよ。スナオ君だっけ? この島にもまだちゃんとした守護官がいたんだねえ」


 見ると船着き場に新しく停まっていた数隻の船の一つ、最も大きいものの船首にスナオが立っていて、単眼鏡でこちらを見ながら手を振っていた。

 僕は手を上げて応える。

 いつもは怠慢を決め込んでいるのに、いざという時にはやるんだなあいつ。押しつけられただけかもしれないけど。それでも助かったことに変わりなく、僕がほっとしていると、九の字が僕に顔を近づけて、


「ヒーロー君? 不思議な名前だね」

「僕の名前はヒイロです。シズクさんが変に伸ばすから」

「ああ、そういうこと。で、その子は君の妹なンだね? 君は狙われた船から妹を守るために戦ってたのか」

「そうですよ。コハクを守るためなら何でもします。それ以外なら、微妙ですけど」

「あはは、いいねえ。正直ではっきりしてて」


 コハクはしばらく血の付いた衣服に構わず僕の胸に顔を押しつけて泣いていたけれど、ぱっと顔を上げて、僕をみて、それからようやく九の字の存在に気づいた。


「九の字なの! お兄ちゃんを救ってくれた英雄なの! わーわー! やっぱりかっこいいの。握手してくれるかな。あ! お兄ちゃんちゃんとお礼言ったの?」

「あ、言ってない」

「お兄ちゃん、コハクが握手してもらうために土下座して感謝するの! ほら、ありがとうなの!」


 コハクは僕の首に腕を回すと、そのままぶら下がるようにして僕に頭を下げさせた。僕は疲れもあってされるがまま、頭を下げると、


「ありがとうございました、九の字」

「いいよいいよ、アタシは英雄として仕事をしただけだからね」


 エスミが九の字をじとっとした目で見ている。

 視線を感じたのか九の字は苦笑して、手を差し出した。


「コハクちゃん、かな。はい、握手」

「わー」


 言ったコハクは僕の首から手を離すと、九の字に向き合って手を伸ばし、その手に触れた。



 瞬間、

 弾かれたように二人の手が離れる。



 まるで握手した手の中で何かが破裂したかのように、離れた腕は後ろに振られる。

 コハクは僕の胸に背を預け、九の字は後退り二歩下がってコハクを見下ろした。


「な……な……なんで? まさかそんな」


 九の字は言いながら慌てて左目を隠したけれど、一瞬そこに映りすぐに消えたものを僕は見逃さなかった。

 いやしかし、

 そんなことあり得るのか?


「びっくりしちゃったの。バチンって言ったの」


 僕が動揺しているのも知らず、コハクは僕の胸に頭を預け、苦笑しながら僕を見上げた。



 その目、






 コハクの右目は竜眼に、

 そして、左目は魔眼に代わっていた。





 

 九の字が隠したのと同じ、左右で異なる目。


 慌てて手で隠すと、周りを見る。避難で忙しい島民たちに見られたわけでは無さそうだった。見ていたとしても僕を見上げただけのコハクの目など見えなかっただろう。


「なに? なに? どうして意地悪するの?」


 何が起こっているのかまだ理解できていないらしく、僕の手をはずそうとするコハクを僕は抱きしめて動きを封じ、九の字を見上げた。


 彼女は未だ左目を隠したままで、右目の竜眼だけで僕とコハクを見下ろしている。

 驚愕を顔に貼り付けたままで。


「ヒイロ君。その子は、アタシと同じだ。まさかもう一人いるなんて思わなかった」

「同じって……」






「詳しいことは船で話そう。ここで話すようなことじゃない。この目が見つかれば最後、守護官に殺されちゃうよ」


――――――――――――――


次回は明日12:00頃更新です。

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