第18話 彼女へと至るまで

 まるで独房のような空間。実際ここは『neo-J』が牢屋として使っている。収容されているのは重罪人、精神異常者、とにかく『隔離すべき人間』だ。あまりの定義の広さに、アレクセイは辟易と……焦燥を同時に感じていた。

 嫌な程繰り返される映像。何度も掻き消したかった。しかし、そういう訳にはいかない。

 ……ペンを持つ手が動かない。さっきからずっとだ。やっと動いたかと思えばすぐに止まる。このままでは、いつ終わるか分かったものではない。

 ギルベルトの手が、アレクセイの座る椅子の背もたれにかけられる。


「おい、あと十五行残ってるぞ。半分も進んでねぇじゃねぇか愚図が」


 若さ故なのか持って生まれた性質なのかは分からないが、とにかく彼は口も性根も悪く思う。出会ったのは最近だ。光精が『新』ドイツで気に入って連れて帰ってきたと自信ありげに触れ回っていたが何せ自称であり、本当かどうかも疑わしい。しかし光精が連れ帰ってきたという点は事実らしいし、利用価値も無い者に対しては冷徹を徹底する彼の事だ。何かしらの評価は受けているのだろう。


「何だよ、また再生しろってか? いい加減にしろよ、付き合わされる俺様の身にもなれってんだ」


 ぶつくさ言いながら、ギルベルトはリモコンに手を掛けた。それを目で追うと、動きが止まる。怪訝な顔を向けてくる彼に向け、数時間ぶりに口を開く。


「もういい。記憶、している」

「脳味噌ケガしてる癖に何言ってんだテメェ」


 はっ、と鼻で笑う気配。


「……いいぜ。ならもう一回目ェかっ開いてよく観ろや。テメェがそれでまた苦痛を感じるってんなら、俺様も付き合ってやる」

「下種が……」

「何とでも言えよ。これは懲罰だ、お前は苦痛を受ける義務がある。光精様の御意志だ、逆らったら反対側の脳味噌俺が削いでやる」


 実際、事実だ。もう心がどんどん磨り減って、今はもはや残りカス程しかない。

 ギルベルトの手が、改めてリモコンにかけられた。スイッチが無慈悲に押され、モニターに明かりが灯る。二人の人間が映し出された。もう何度目になるだろう。


「滝津の顔なんざどうでもいいんだよなぁ、光精様こっち向いてくれりゃいいのに」


 渾身の力で睨め上げても、ギルベルトは「怖い怖い」と薄ら笑いをするだけだった。彼の大きな瞳は、本来の色を隠した赤茶色。腐った血の色だ。

 映し出されたマトキは医療用寝台に寝かせられる。既に合成人間の姿だった。灰色の長い耳は、ぴくりとも動かない。意識はしっかりとある上目も見えているはずだが、恐らく四肢に部分麻酔をそれぞれかけられているのだろう。逃亡……いやきっと反撃防止の為。

 光精の手には多数の道具が握られている。鞭や刃物、何せマトキを傷付ける為の道具だ。


「なあ、品野。俺様にはテメェが何を考えているか分かるぜ」


 第一撃。バラ鞭がマトキの腹を叩いた。


「『せめて内容が俺とマトキが入れ替わってたらよかったのに』だろ?」


 第二撃。再びバラ鞭が腹部へ。


「馬鹿か、在り得ねぇよ。身体拷問はそりゃお前にとってこっちよかマシだろう。滝津もこっちの内容だったら、まあお前よりはすぐに済んだだろうな。あの性悪女はこういうので挫けるタマじゃねぇ。だがな、お前達にとって一番の苦痛を味わわせるのが今回の目的だ」


 第三撃。バラ鞭はこれで最後だ。光精は刃物へと持ち替えた。


「滝津の嫌いな事をあの人はよーく知ってる。『一方的な攻撃』だろ。自分がされるのもするのも。あくまで喧嘩が好きなんだろ? マジ野蛮、マジキメェわ」


 ああ、これが終わったら絶対に殺そう。そう思っている内にマトキの体がどんどん傷付けられていく。「やめろ」と何度喚いても、もう無駄だった。これは……約三日前の映像だ。


「オラ、早く書けよ。何ならアナルファックのとこまで早送りしてやろうか」


 こんな映像が、あと三十分は続く。最後になればなる程、マトキに課される拷問は増していくのを彼は既に見届けていた。

 今回は完全に自分達……特にマトキの自業自得だ。だから光精が罰を下す判断をしたのも決して間違ってはいないし、自分で言うのも何だが確かに的確に自分達の弱点を突いてくる。改めて、彼が本当は恐ろしい人間なのだと思い知らされる。

 アレクセイは震える手で、『滝津マトキ拷問映像に対しての感想文』の原稿にペン先を乗せた。この調子では、かなりの時間がかかるだろう。ギルベルトは舌打ちをし、通信機器を作動させた。


「交代要請」


 相手の返事も待たずに切る。アレクセイ自身は勿論だが、その見張りを命じられている自分もまたこの部屋に既に四時間缶詰となっている。しかし光精の命令とあらば、喜んで尻尾を振るしかなかった。

 彼の事を思い出す。茶目っ気がありながらも、時として垣間見える冷徹さ。容赦無く『新』ドイツの首相を暗殺し、あの国を一瞬で大混乱に陥れた張本人。そして何より、あの……美しい、容姿。女のようなしなやかさを感じさせつつ、しっかりとした男性みも備えている。中性的というよりは、あくまで「美しい男」だ。それがたまらなく、ギルベルトの性癖にクリティカルヒットしていた。

 慌てた様子で、交代要員が部屋へ飛び込んでくる。「三時間以内に完成するようにしろ、無理ならお前を殺す」と告げ、ギルベルトは部屋を出た。真っ直ぐに、トイレへと向かう。

 この四時間、正直気が狂いそうだった。密室に閉じ込められているという事以上に、あの映像。前半の、マトキへの暴虐はどうとも思わない。しかし……最終局面で、ギルベルトは嫉妬のあまり震えた。

 あんな娼婦あがりの粗暴な女が、光精の猛りを受け止めていた。それも、自分にもある穴で。

 しかし恐らく、光精は滝津マトキを抱いている気では無いはずだ。その脳裏に浮かべているのは、確実に……あの女。

 光精の関心は完全に架根アキラにある。それは周知の事実で、その事情も自分は知っている。だからこそ気が狂う程の嫉妬は覚えど、彼の前では耐える事は出来ていた。

 トイレの個室に、鍵をかける。タイトなスキニーを下ろし、下着をも脱ぐ。自身のそれは、既に勃起していた。


「っく。こ、うせ……さまっ……」


 先走りでぬかるんだそこに、親指を置く。それだけでも、脳髄に稲妻。

 あの人を独り占めしたい。あの人になりたい。そう思ったから、髪も瞳も東洋人のそれに似せた。


「は、あぁ……き、気持ちいぃっ……」


 彼はきっと気付いている。自分のこの気持ちにも、情欲にも。それでも特別突き放す事はせず、むしろ良い様に利用してすらいるだろう。それでもいい、という気持ちと見返りを求める気持ちが相反して、気が付くと泣いていた。

 抱きたいより、抱いて欲しい。あの、どこか見下した瞳で笑いかけながら自分の菊門の処女を貫いて欲しい。この容姿のせいで男にも女にも困った事は無かったが、必死にここは守り続けてきた。きっと、彼の為だったのだ。


「あんっ、ふぁう……ふぅ……」


 彼は自分の物だ。自分は彼のものだ。


「っ、あ!」


 射精した。荒い息のまま余韻に浸る。とろけそうだった脳が、次第に冷え固まっていくのを感じた。いつもこの感覚がとても嫌で、溜息が出る。

 ペーパーで左手を拭き、便器の中へ落とす。水流に呑まれていくペーパーを見ながら、ぼんやりと前回の事を思い返した。

 役立たずの癖に聡いコローニアのせいで、田中総吾郎を暗殺する作戦は失敗した。そもそも何故彼は自身の命令をよりによって光精にリークしたのか。そのせいで、罰として今回の見張りを命じられてしまった。


『総吾郎くんがもし今回の件で死んだら、お前の事捨てるからね?』


 急に呼び出され浮き足たって謁見したら、冷えた声で告げられた。死よりも惨い、死刑宣告。あれからは彼に会えていない。今回の指令も通信経由だ。その事に寂しさと、激しい苛立ち。

 田中総吾郎とは、一体どんな男なのか。単独特攻による暗殺を懸念され、写真も見せてもらえない。

 光精は、彼をかなり気に入っている様子だった。まるで自分を見つけた時のような顔で総吾郎の話をする。そんな彼には笑みを返しながら、内心煮えたぎっていた。

 邪魔だ、田中総吾郎と……架根アキラが。

 しかしアキラに関しては、彼の特権で『neo-J』全体が手出しを禁じられている。一度彼自身の手でアキラを拉致する計画が立てられたが、アキラの脳データを持っている国家病院職員に「無理にそんな事をすれば、未だ幼い架根アキラの精神は恐らく崩壊する」と説得されあっさりと棄却していた。

 マトキとアレクセイが潜入した頃合にようやくアキラとの再会を許された光精は、かなりの浮かれようだった。あの時の彼を思い返し、胃の底が熱く燃える。

 あの二人は、必ず消す。自らの……愛のために。



 ザラーヴァント・ジダン・キシュワードは極めて繊細な男であり、その質は恐らく『neo-J』随一とも言える程だった。そんな彼の今日の不幸は、先程立ち寄ったトイレから始まった。

 女のものであるならともかく、男の……まるで雌のような喘ぎ声。そんなものが、壁一枚隔てただけの隣で盛大に聞こえてくる。数日前に抱いた妻でさえそんな下品に声を漏らさないというのに。仕方無いので排泄を一旦諦め、乱暴に音を立てて個室から出た。それでも恐らく彼……ギルベルトは行為を止めないだろう。こんな事は一度や二度ではないし、何度か裏を通して苦情も来ている。それでも彼が『neo-J』から追い出されないのは、他でもない『彼』の権力の庇護下にあるからで。


「お疲れ様です、ザラーヴァント秘書官」

「うむ。光精はいるか」

「管理室に。先程戻られました」


 『neo-J』は混血日本人を始めとした東洋人が多く、自分のような中東人はごくまれだ。それも、祖国は未だ『革命』を迎えていないエジプト。それだけでも好奇の目に晒されやすかったが、自らの努力でここまで登りきった。今ではそれなりに立場もあるし、仕事を任されてもいる。異国の地での出稼ぎではあれど、30年も居れば使命感のようなものも確かに育っていた。

 収容所から渡り廊下を幾度も替え、ようやく『門』の管理室に到着した。網膜認証をパスし、扉を開く。管理室には今すでに十人程の職員が居て、皆がそれぞれの仕事に目を向けている。

 光精のデスクへ向かうと、彼は自らが特注したと以前自慢していた椅子に深く腰掛けていた。その手には、一枚の紙。光精はザラーヴァントに気付くと、にこやかに手を振った。


「よお、お疲れ」

「お疲れ。ところでギルベルト・カイザーの事だがあれはどうにかならんのか」

「ん、どうしたんだ」


 『門』の職員の中でも第二位の位置に居るザラーヴァントの言葉に、光精はきょとんとする。光精の幼少の頃から世話をしているザラーヴァントは、もうあまり彼に対し遠慮が無い。


「……お前なら察せるだろう。奴のせいで、俺のリズムが狂ってしまう」

「何だよ、それだけで察せるわけないだろう? エスパーではないんだ、しっかりと口に出して言ってみてくれ」


 ニヤニヤと目線でなぞってくる彼に対し内心苛立ちながらも、観念したように先程のトイレの話をした。すると光精は腹を抱えて笑い出す。


「なんっだそれ。あいつそれもう毎日だろう、面白いな」

「やっぱり知っていたんだな、お前も。いっそ抱いてやったらどうだ、男でもイケる口だろうその気になれば」

「ははっ、そうなると面倒臭そうだから絶対嫌だね」


 ギルベルトは勿論のこと、光精に惹かれる者は『neo-J』内外ともそれなりに多い。それは恐らく彼の容姿の美しさもあり、カリスマ性もあり……何せ、常人とは違う何かがある。盲目にまで堕ちる事は無いにしても、その感覚に対してはザラーヴァントも気付いていた。それは恐らく、あの女……光精の母親譲りのものだ。

 ぱさり、と光精は手に持っていた紙をデスクに置いた。


「でもあいつの髪さ、元々すごい金髪だったろ」

「ああ、あっちがやはり地毛か。染めたのか」

「そうそう。俺の言った事を真に受けてだよ、あれ。『アキラはすごく綺麗な黒髪なんだ、本当にうっとりするような』って。ああ、本当健気だよ」

「……それを、お前は利用するんだろうよ」


 いつもそうだった。彼にとって、そういう存在は必ず……駒とされ、使い捨てられる。その末路を恨む者も居れば、満足だと悦ぶ者も居た。ギルベルトは、どちらになるだろうか。

 光精は「あいつ次第だな」とだけ言った。そして、ふと溜息を吐く。


「……さっき諜報課行ってきた」

「だろうと思ったさ。何か進展はあったのか、『卍』に」


 光精の瞳が、翳った。彼は、わかりやすい。


「総吾郎くんが、内臓破裂の重傷を負ったらしい。現在『卍』で集中治療に入っているそうだ」

「ほう。『卍』の医療機関は国家病院並に優秀だし、何とかなるんじゃないか」

「命に別状は特に無いらしいけれど、やっぱり心配だよ」


 その先の意味は、分かる。彼の慈愛は、広いようでいて結局一点だ。その一点を守る為に、その周囲にも気を配っているだけで。

 架根アキラ。彼女以外、本当はどうだっていいはずなのだ。


「アキラの方はどうなんだ」


 そう問うてやると、彼の目はパッと輝いた。まるで子どものようだ。


「最近危険な任務も無いみたいで、元気にやっているらしい。ただ、記憶が戻る兆候が一切無いのは気になるところだな。前回会って、あれが何かしらの刺激になるかとは思ったんだけれど」


 過剰な接触は厳禁だと、確かにそれは納得している。『革命』での記憶喪失は稀に聞くが、アキラのものは時期的に関係が無いに等しい。そんな未知の記憶喪失に対し、確かに強硬手段に出るのは躊躇うだろう。

 アキラの秘密は『neo-J』上層部、そして恐らく『卍』でも知る者は限られるはずだ。無理にアキラを手に入れようとすれば、『卍』は確実に黙らないだろう。そうなると全面戦争だ。彼女の存在価値は、人ひとりにしてはあまりに重い。


「けれど、そろそろ動いてもいいかもしれないな」


 ふと、彼は言った。その声は、どこか不穏で。


「本当にやるのか、今日」


 頷かれた。その顔から、笑みは失せている。


「ザラ、悪いな」


 ぽそり、と。しかしここで咎めたところで、きっと彼は予定を違える事は決してしない。必ず遂行するだろう。そしてザラーヴァントも、確かに乗った。忠誠は既に、光精へと移っていた。彼を支えようと、そして……彼の作る世界を、見届けたいと。


「ただその前に、少し面倒な話も入ってきてるんだなこれが」

「ほう?」


 先程デスクに置かれた紙を、手渡される。ザラーヴァントは内容に目を走らせた。


「……『新』フィリピン国家元首? いつ届いたんだ、こんなもの」

「さっき『門』の見回りに出たら、ポストに入っていた。笑うだろう、何故こんな機密文書がポストなんかに投函されてるんだって話だぜそもそも」


 冷やかし、にしてはあまりにも内容が精巧だ。判も、数週間前ようやく『新』国家として体裁が整った際に作られたと発表されたあの正規のものに見える。

 ——生誕したての『新』国家として、まずはアジア圏内で幅を利かせだしている『新』日本にまずは挨拶を申し入れたい。そのような旨が書かれていた。


「……どう見てるんだ、お前は」

「まず大統領が作ったわけでない、に百万賭けていい」


 きっぱりと言い切られた。改めて、文書を見回す。直筆のサインはなく、判で済まされている。筆跡鑑定を避けるためだろうか。


「しかし判は確実に、あっちのものだ。つまり、本物の判を使って偽者の文書を作ったって事だろう」

「指紋鑑定は」

「今照合中だけれど、一人心当たりがある。『新』フィリピン大統領の弟だ。覇権争いに負けて今は立派にテロリストをやってるらしい」

「ああ、ニュースに出ていたな」

「奴ならどうにかこうにかして判を頂戴するくらいどうにか出来るだろうよ。で、問題は」


 文書を摘み上げられ、一点が指差された。


「7月1日に、ここに来るって書いてあるよな。さあザラ、7月1日っていつだ」

「……なるほど。文書を出したと後で言さえ通ればいいわけだからな。その上で、迎撃準備はさせないつもりか」

「そういうことだ。まあこちらからすれば『当日に手紙出されたところで応対出来るか一昨日来やがれ馬鹿野郎』という文句は通じさせる権利、しっかりとあるぜ」


 光精は立ち上がると、腰を反った。椅子にかけてあった真紅のジャケットを羽織る。


「迎撃用意。『門』が何のためにあるかを見せしめてやろう」


 『門』のスタッフ全員、力強く頷く。

 即座に的確に指示を出し、光精は自らのロッカーから二本の太刀と一本の脇差を取り出した。戦闘の時、彼はいつも決まった武装をする。サラーヴァントも、ライフルを一丁背負った。弾は十分に詰めてある。


「健闘を祈る。いや、一方的な蹂躙でかまわないぜ」


 残るスタッフにそう言い残し、光精は管理室を出た。ザラーヴァントもそれに続く。無線を調整しながら、エレベーターへ向かう。

 最上階ボタンを押した瞬間、通信が入った。


『迷彩ワゴン8台、縦列です。『門』到達まであと約10分』

「ワゴン? 仕込み武器でも用意しているのか」

「その線濃厚だな。ところでザラ、煙草持ってきてるか」

「お前まさか戦闘中に吸う気じゃないだろうな?」

「終わってからだ。どうせ十分そこらで片付く、『門』の力で」


 ……恐らく、過信ではない。自分程では無いにしろ、光精もそれなりに場数は踏んでいる。算段くらいならいくらでも付けられるだろうし、実際このような襲撃は初めてではない。

 日本の顔である『neo-J』、更にその入り口である『門』。『neo-J』を守護する重大な任。その筆頭に、彼は五年前に就いたばかりだ。先代を秘密裏に暗殺してでも就きたかった訳はあるだろうが、あえて聞いていない。恐らく光精も、ザラーヴァントなら察するという信頼を寄せている。


『先頭車、目視可能位置に入りました。撃ちますか』

「いや、まだだ」


 エレベーターが到達した。門の最上部、青空の下。今日は風が強い。


「最終車が圏内に入ったら荒めに撃て。生き残りは俺達がやる、見せしめにする」

『承知しました』


 地上約50メートルと、そんなに高くない位置。恐らく二人の影は、相手方からも確認出来ているだろう。しかし、それはさして問題ではない。

 すべて、蹂躙しきればいい。


『最終車圏内まであと5、4』


 見えている。『neo-J』から『新』日本へと侵食を始めようという影が。


『3、2、1』


 盛大な、轟音。『門』内部で構築された特殊戦闘用レーザーが、地を滑りその痕跡を盛大に焼いた。その放射線状に、縦列に綺麗に並んだ車体達が乗る。全車、分断された。瞬時に炎を纏う。気温が劇的に上昇した。


「おいおい、荒めとは確かに言ったが綺麗に決まり過ぎだろうが。俺達の出番を無くす気か」


 冗談めかして言う光精は、未だ油断なく地上を見下ろしている。しかしあれでは、恐らく誰も生き残らない。残るとすれば……咄嗟に状況を判断し、焼かれる前に降車出来たあの6名だ。本当に瞬間的出来事だというのに対応出来るという事は、ある種の訓練を積んだ猛者に違いない。武装も確認した。


「俺は右側をやる。ザラ、左を」

「分かった」


 ザラーヴァントは光精を見る事なく際に脚をかけた。肩と頬でライフルをしっかり固定し、地上へと視線を落とす。恐らく、こういう事態に陥った時の対処法も考えていたのだろう。こんな事態と言えど、あまり混乱している様子が見えない。それでも、スナイパーとして熟練の位置に居るザラーヴァントからしたら格好の的だった。

 引き金を引き、なぞるように滑らせてもう一度引く。確認のために視線を戻せば、既に二名の敵が地に赤い花を咲かせていた。そういえばろくに人数も確認せずに請け負ってしまったが、これだけか。あと四人は、右に居る。


「……援護は」


 いや、必要無いだろう。第一光精は自らの行動に不意な助太刀される事を嫌う。死に掛ければ拾ってやるくらいでいい。

 念の為少し右へと歩み、身を乗り出して地上を見下ろす。そこはもう、光精の独壇場だった。

 剣の使い方、流派。それらはすべて、生れ落ちた環境によりけりでその差は万別。日本の剣道は自国のものに比べるとどこか繊細で、スピードや隙を突く重要さが重いイメージだ。自分は剣を持たないから詳しくは分からないが。

 既に二人の敵が、首を放り投げて倒れていた。三人目の首も、光精の太刀によってたった一撃で飛ぶ。どういう砥ぎ方をすればあんな切れ味が出るというのか。

 四人目は必死に逃げていた。恐らく、既に任務の事よりも自らの延命に気がいっている。しかし必死に走るその背中に、投げつけられた脇差が刺さった。悲鳴が、こちらにまで伸びてくる。しかしそれはすぐに、消えた。


「いち、に、さん……」


 全員か。光精を見ると、丁度脇差を回収しているところだった。ふと目が合う。呑気に手を振ってくるその姿は、躊躇いなく四人も殺害しているような男には見えなかった。

 軍人あがりの自分は、確かに戦として人を殺した経験はある。それはいくら使命とは言え、精神を確かに摩耗していった。しかし、光精はそんなそぶりを一切見せない。それがどこか頼もしく……恐ろしい。彼はそれについては、『アキラを取り戻す為の手段だから』と笑った。

 ……彼を変えたのは、確実にあの時だ。光精とアキラを奴が切り離した、あの時。

 エレベーターに乗り、地上階へ降りる。扉が開くと、すでに光精がいた。返り血はもう固まっている。


「よう、十分かからなかったな結局」


 そうやって微笑みすらする、その仕草。どこも傷は負っていないらしい。やってきた職員にライフルを預け、歩き出す彼の横に並んだ。


「死体は、また解剖に回すのか」

「いや、先に身元の確認。とりあえず車の消火も始まったし、その後も色々やる事あるしな……しかしもし本当に大統領の弟だってんなら、結構強請れるかもしれない」

「? むしろ肉親を殺されてる事に対してこじれるんじゃないか?」


 ザラーヴァントの問いに、光精は軽く笑った。


「情報によればほぼ絶縁しているらしいし、こっちはあくまで『襲撃された』。それがあっちの国のテロリストなわけだから、多少強引な強請りでも通るさ。いや、通す。あっちが『国の者がやられた』なんて喚きだす前にな」

「……なるほど」

「何なら、『新』日本に楯突いたという濡れ衣を着せられそうなところを救ってやったのは俺達だ。ここで俺達の存在が無ければ国家元首が信用崩壊して国が滅ぶところだった、って言いくるめられる」


 『neo-J』には選りすぐりの交渉役が多数在籍している。それも、国のトップと渡り合えるような。光精もどちらかといえばそちら側なのに、どこか遊びすぎるきらいがある。だからこそ本人は不本意ながらも、こういった実戦に回されやすい。すべては、彼の母親の意向だ。


「フィリピンを実質傘下に置ければ、あとは気になるところは……うん、モンゴルくらいだな。あそこが今、あの半島両国をモノにしている以上あそこさえ押さえれば……」


 ふと、声が鋭くなる。


「あの浮遊大陸の正体も掴めるかもしれない」





 いつからか、大陸がひとつ浮遊していた。浮遊しだした時期は、恐らく日本が『革命』を迎えているさなか。『旧』日本だった頃、その大陸は確かに海に浮いていた。それも、ヨーロッパとは地続きだったのにまるでその国だけ切り離されたかのように。

 分かっているのは、そこがかつてアジアの中でかなりの権力を持っていたひとつの国だったという事。そして、これは推測だが……光精と、その母の故郷だということ。

 記憶に無いということであれば『革命』のさなかだからか、という線も考えられた。しかしそれならば大陸としての存在自体察知されないはずだ。だからこそ謎だというのに、あの大陸には近付けない。かつて探索隊を何度も派遣したが、誰も彼もが『見えるのに近付けない』と夢のような事を話すのみだった。

 未知の国。未知の大陸。未知が溢るるあの場所なら、もしかするとアキラの記憶を取り戻す手段が見付かるかもしれない。


「めでたい事」


 冷たい声。クローン技術をもってして生まれたその存在は、どこか感情の起伏がいつも感じられなかった。


「はは、そうかな」


 彼女を前にすると、どこか声が硬くなるのには幼少期から気付いていた。恐らく緊張している。ただひとりの女の、分裂体のようなものだからか。


「お前はいつも理想を捏ね繰り回し、それが叶うように仕向けようとする」

「人聞きが悪い。夢を掴むための努力だよ、これが」

「ならばその手は一体何だ?」


 冷たい。ああ、まるで死体のようだ。


「アキラを取り戻す為の、手さ」


 誰よりも大切で誰よりも愛しくて、そう、自分のような。取り戻さなければならない。何の為に? それは自分の為だ。大切な女だ。


「俺は無駄な事は絶対しない。最短最速で目的を果たす。荒事? 知らないね、他に手段を用意しなかったこの世界が悪い」

「お前は『革命』の何を掴んだ?」


 不意な質問。それでも一呼吸置けば、応えられた。


「起きる理由、起きる原理、そして起こす存在」


 恐らく世界の誰よりも、自分はそこに近付いた。

 冷たい皮膚に、自らの体温が融けることは絶対無い。そうだ、こいつとは絶対に相容れない。


「どんな無茶事であれ、俺はアキラを取り戻す。俺の理想の為なら、不要なものは何でも踏みしだく」


 正解だとも間違っているとも思えない。ただ、目的を果たすため。


「俺はあの時アキラと引き離されて、千場樹アーデルの事をまず最初に恨んだ。あいつさえ死ねばいいと思った。身柄どころか、あいつはアキラの記憶まで消した。アキラの中に、今きっと俺はいない」


 そんな、辛いこと。


「……耐え切れるわけ、ないだろう?」


 ぼたり、ぼたりと。自身の涙が床に落ちていく。裏腹に、両手の力はどんどん強まっていく。これは、手段だ。アキラを取り戻し、その先へ行く為に大切な、準備。


「アキラ、アキラ」


 うわ言のように。


「アキラ……」

「っく、ふ」

「アキラ、許してくれ。遅くなってすまない……でも絶対」

「ぐぎゅ、う」


 抵抗すら、呑む。

 必ず。


「……準備は整った。あと、少しだ」


 世界を作り変えるまで。

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