第17話 生い立ちと出会い

「っつ……」

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。早いとこやってくれ」


 持ってきたカンテラでマオの背を照らしながら、総吾郎は彼の右肩甲骨にそっと果物ナイフの刃を這わせた。一瞬息を呑み、刃を強く押し当てる。肉を裂く感触に背筋がゾッとするも、呻くマオを見るとそれどころではないと覚悟を決めた。血がぼたぼたとい垂れ落ちるが、マオは必死で堪えている。


「出来たか?」

「鎖の……切っ先は出てきた。引き抜くよ」

「……頼む」


 用意しておいた革手袋を右手に装着し、鎖のように連なるナイフの切っ先を掴む。力を込め引き抜こうとすると、マオはもはや悲鳴のようなうめき声を上げた。


「大丈夫!?」

「ああ、思ったよりは……それより、早い所終わらせてくれ」


 頷く。一つ深呼吸をし右手に力を込めて、一気に引き抜いた。強い声を上げ、マオは自身をかき抱くようにうずくまった。

 最初、この方法を杏介に提案された時はさすがに無茶だと総吾郎は抗議した。しかし鎖が自主的に出てくるように仕向けるにはマオの自我との引き換えになる確率が高く、かなり危険性が高いと諭されてこの方法になったのだ。杏介は現在、職員と協力して目の前にある髑髏人形周辺の清掃、防護壁作りを行っている。見れば見る程、その精巧さが薄気味悪い。

 づるり、と嫌な音を立ててナイフが一つ分摘出された。周辺の肉は切っ先に裂かれ、血が噴出している。


「一つ分、出てきた。後何個?」


 マオは荒い息をしながら、「多分、あと十五はある」と呟く。このままではマオがもつかどうかすら危うい。麻酔を使おうにもこの場にはなく、待つ時間も惜しい。マオは、覚悟を決めてくれていた。

 控えていた専属医が、マオに輸血パックを接続した。総吾郎もマオの反応を見ながら一つ一つナイフを引き出していく。ナイフ同士を繋げているのは、まるで血管のような糸だった。それがまるでナイフから生えているかのように、強固にくっ付いている。正直かなり気味が悪いが、そうとも言っていられない。

 すでに十を超えた。だいぶ体内の肉を裂かれているせいか、少しずつナイフを取り出しやすくはなっている。しかし、マオの反応はかなり悪くなってきている。専属医の激励にも、もはや頷くだけだ。


「マオくん、これで最後だ」

「……ああ」


 息も絶え絶え、に等しい。最後のナイフを引き抜くと、総吾郎は床にそっと置いた。計、十七本。これだけのものが、よくこんな小さな背中に収まっていたものだ。

専属医と位置を変え、背中の処置をしてもらう。マオの顔を見ると、顔面蒼白だった。脂汗を滲ませ目は空ろだが、意識はあるらしい。彼は、弱弱しく笑った。


「すまねえ……気味悪い真似させて」

「大丈夫だよ。それより、ゆっくり休んでて。俺が、どうにかするから」


 そろそろ六時だ。一時間かけて準備をしていたが杏介の方もどうやら片付いたらしい。職員を採掘場から非難させると、こちらへ歩み寄ってきた。


「おう、大丈夫か」

「はい。全部出せました」

「っしゃ、じゃあ始めよか」


 総吾郎が鎖を拾い上げると、マオは震える指をさしてきた。口元が動いている。耳を近づけると、弱々しい声が聞こえた。


「それ……最初、輪になってた。緩く縛ってるような、感じ」

「こう?」


 未だマオの血で濡れている片方の鎖の端をもう片方の裏から下へくぐらせ、輪を作る。マオは頷いた。


「それを、髑髏人形の首にかけたら……元の、形になる」

「……分かった、やるよ」


 杏介の方に向き直ると、頷くのが見えた。

 髑髏人形の前に立ち、一息。どこか、鎖が急激に冷えていくような感触を感じる。恐らく、多少の共鳴現象だろう。確実に、何かが起こる。

 鎖の輪を、髑髏人形の首にかけた。瞬間、感じる。


「……揺れてませんか」


 ふとした呟き。そのさなか、急激に増す振動。地が、上下に揺れだしている。天井から粉塵の気配がする。


「っ崩れる!?」


 ゾッとした。そうなれば、本当の意味でただではすまない。

 杏介とマオの方を見ると、二人とも地に這いずるようにして耐えていた。揺れはそれなりだが、酷くなる気配はない。それよりも。


「田中くん、そいつ……っ」


 振り返る。その瞬間だった。


「っ何これ……」


 髑髏人形から、紫色の強い光。照明をかき消す程の鮮明な色。目を刺激する、嫌な輝きだった。おまけに、骨の接続部分が小刻みにカタカタと音を立てている。まるで、何かが外へと飛び出そうとしているかのような。


「マオくん、あれは?」

「わ、分からねぇ……はじめ、て見る……」


 やはり、鎖を掛けなおしたからこその現象だろうか。ふと、思いついた。杏介を見やる。


「あれ、壊していいと思います?」

「絶っっっ対あかんと思う」


 即答だった。

 しかし、このままでは揺れも収まらない。一応杏介の口ぞえでいくつか『種』をポケットには入れていた。それらをまさぐり、一つ取り出す。氷の『種』だった。


「じゃあ、壊さないようにはしますんで」

「なんか田中くんってこういう時変に度胸つくよな、何で?」


 手の平で『種』を握りこみ、吸収を開始する。ひんやりとした風が、次第に体内を巡り始める。

 揺れが続く中どうにかして歩み寄り、髑髏人形へと手を這わす。骨の接続部分に指を潜り込ませ、冷気を注ぎ込むイメージをしながら目を閉じる。あの、海の中での感覚を必死に思い起こす。

 そして伝わってきた、真正面からの衝撃。


「っぐぁ!!」


 弾き飛ばされ、体が宙に浮く。内臓が潰れたかのような圧と、地に落ちた衝撃が同時に総吾郎を打った。


「田中くん!!」


 杏介の声は、かろうじて聞こえた。しかし、かなり遠い。位置が遠のいたのか鼓膜がやられたのかは定かではないが、恐らく前者だろう。未だ揺れ続ける地面を這うようにし、元の場所へ向かう。


「う……」


 目が、正直霞んできた。自分から突っ込んでいってこうなるとは、何と言うざまだ。

 ひとまず杏介達の場所まで戻った。改めて髑髏人形を見ると、一切変化がない。恐らく氷……それどころか、『種』自体が効かないのかもしれない。それでも。


「もう一回、いきます」

「いや、意味ないてあれ! 他の『種』で……」


 そこまで言って、杏介は黙った。恐らく、他の『種』を取り込むことへの懸念だろう。しかし恐らく総吾郎の取り込んだ『種』は、自然消滅までそれなりの時間を要する。

 天井を見上げた。未だに粉塵が少しずつ舞い落ちてきている。このままでは下手をすると、本当に天井が崩落してしまうかもしれない。原因はどう考えてもあの髑髏人形だ。あれを鎮めるしか方法はないだろう。

 やはり壊すか。しかし確かに、それこそ取り返しがつかなくなるかもしれない。


「……いきます」

「田中くん!」


 再び、髑髏人形に触れる。今度は、冷気で髑髏人形を貫通させるような程の、強いイメージで。それでも駄目だ、感触を得られない。爆風のような衝撃に、またも吹き飛ばされる。


「っく……!」


 紫の輝きは、止まない。弱まっても、強まってもいない。揺れのせいで、そろそろ吐き気まで催してきた。口元を手で押さえつつ、這って進む。内蔵のあたりが、とにかく熱い。吐き気が突き上げ、地へと落とす。ぼたぼたと落ちてきたのは、吐瀉物ではなく濁った血だった。

 このまま、終わるのか。この揺れも止められず、鉱山が崩落するのを、待つしかないのか。そんな思考が、暗がりのように視界に広がり始める。


「俺が、やる」


 確かに聞こえた。意識を凝らし視線を延ばすと、輸血パックを引きずり進むマオの背が見えた。震えている。


「マオく……」

「俺が、やらなきゃ」


 さっきに比べると、声がはっきりしている。輸血のお陰か、こちらへ向けてくる顔にも生気がわずかながら戻っていた。


「俺が、原因なんだ。いっぱい死なせた。だから俺が、やる」

「マオ、あかん! 今のそんな体で田中くんみたいに吹っ飛んだらほんまにもたんぞ!」


 杏介の言う通りだ。恐らく、総吾郎ですらどこか内臓をやられている。マオがあんな風になれば、致命傷は避けられないはずだ。

 マオは穏やかに笑うと、歩みを進めた。途中で転びそうになるも、懸命に歩いている。支えようにも、総吾郎には這って進むので精一杯だ。

 やがて、髑髏人形の前にマオが立ち止まった。揺れがどこか、強まった感触。総吾郎の口から、また血液が漏れた。


「悪いな」


 確かに、マオの声だった。


「もうあんたに、あいつらの事は……やれない。ここで、終わってもらうぜ」


 マオの震える手が、髑髏人形に触れる。同時に、紫色の輝きがより強く放射された。


「っまぶし!」


 目をつむる杏介を意にも介さず、マオは言葉を続ける。それはまるで、呪だった。


「ここは、もうあんたのものじゃない。悪いな」


 ぐしゃり、と。総吾郎の意識が最後に聞き届けたのは、脆い骨が潰れる音だった。







 いつも口元にぬめりがあるのは、栄佑による人工呼吸だと確かアキラから聞いた。恐らくあの時の彼女の表情からして、まだ誤解しているような気がしてならない。

 すっ、と目が覚めた。見えたのは、まず青空。よく考えれば、久しぶりだ。


「きょ、きょう……す、けさ」


 声が、出づらい。喉で何かが引っ掛かっている。しかし気付いてくれたらしい。


「おう、目覚めたか」


 疲労しきった声だった。歩み寄ってくる音。杏介だった。


「はーーーしかしほんま良かった。目覚ましてくれて」

「どう、なっ……」

「待ち、まずこれ飲み」


 口元にストローを近づけられ、ひとまず吸い付いた。冷たい水だ。喉に一気に潤いが広がる。同時に、内臓の部分が一気に痛みだした。


「あまり動かんとき。ヒラリの医者が応急処置してくれたけど、かなり重体やでお前。内臓破裂二箇所、肋骨三本骨折。正直生きてるのが奇跡」


 さらっと言われたが、なかなかとんでもない状態らしい。息を吸うと、さっきよりは楽になっていた。


「ここは……マオくんは」


 声も出しやすくなっている事にホッとし、あたりを改めて眺めた。完全なる、青空。しかし自分の背は、先程までの採掘場のようだった。

 杏介も水を口にし、首を真上へ伸ばした。


「マオがな、壊してんよ。あの髑髏人形」


 ああ、やはりそうか。しかし一つ疑問がある。総吾郎が触れた時は二度とも、拒絶された。氷の『種』の力のイメージが悪かったのかと思ったが、どうもそれ以前の問題だった気がしたのだ。


「そしたらな、あの光が天井をブチ抜いた」

「ブチ……!?」


 そうか、だから空が見えるのか。しかし、それなら何故自分達は下敷きにならずに済んだのだろうか。

 杏介はポケットから、一つの巾着を取り出した。その中から、一つの鉱石を取り出す。大ぶりなそれは、デニス氏のメッセージが彫られたあの石だった。


「これ、ほんまにたまたま持っててんよ。あのままな。まさかと思ってこの石を観察したらな」


 石を頬に擦り付けられる。ひんやりとした感触が心地いい。


「オニキスや、これ。こないだ基地で解析したものと同じ。大きさは段違いやから、その効果やろ」


 話が、いまいち見えてこない。しかしそれよりも。


「……マオくんは、どこに」

「お前が寝てる間、色々状況が回っとんや。すぐ戻る。ああ、無事やで? ピンピンしとる」


 何よりも、安心した。また意識が飛びそうになるが、内蔵の痛みで食いとどめる。そもそも、これだけ重症なのに生きているのが正直不思議だ。余程医者の腕がいいのか。

 杏介の手の平が、総吾郎の額をすべる。その表情は確かに疲れていたが、笑っていた。


「ほんま良かった、生きてて。久々に自分の生まれに感謝したわ」

「生まれ……?」


 遠い向こうで、扉の開く音。あの重厚な扉だ。駆け足の音が、近付いてくる。


「総吾郎!!」

「マオくん」


 マオが、勢いよく飛びついてきた。激痛が走るが、持ちこたえる。彼の力は、さっきまでとは打って変わってしっかりしたものに戻っていた。


「よかった……よかった! 三日も起きないからどうしようかと」

「みっ……!?」


 それだけ眠っていた、というより意識を失っていたのか。それだけのダメージだったという事だろう。よくよく考えると、自分が気絶する割合はどこか高いような気がしないでもない。それだけ未熟ということか。


「マオくんは、大丈夫?」

「俺は全然。総吾郎みたいに吹っ飛ばされたりもなかった。天井が崩れた時も、杏介にいちゃんのおかげで助かったんだ。それでな、総吾郎! いい知らせだ、親分が帰ってきたんだ! 今!」

「今!?」


 土を踏む音が後ろから聞こえた。首を曲げると、二人の男が立っていた。一人は齢六十程の白人、もう一人は目つきの鋭い……日系人だ。

 白人が目を細め、総吾郎に微笑みかける。


「ワシがデニス・ヒラリだ。君が『卍』の子だね。大丈夫かい、体は」

「な、なんとか」


 穏やかそうな声だ。デニスはうんうんと頷き、身を屈めて総吾郎に目線を合わせた。


「詳しくはマオから聞いたよ、この度は本当に世話になった。心から礼を言う」

「いや、そんな……全然大した事はしてなくて、むしろマオくんが」


 実際自分は、交渉くらいしかしていない。それも、大失敗している。ごにょごにょとした物言いを体調からだと思ったのか、デニスは慌てて手を伸ばしてきた。


「いかんいかん、マオ。何故この子をここに寝かせたままにしたんだ。ベッドがあるだろう」

「内臓やられてるからあまり動かさない方がいいって、杏介にいちゃんが。それに、石の事もあるから」

「ああ、あれか。ふむ、それなら……そうだろうな。落ち着くまで申し訳ないがここで治療させてもらおうか。なに、『卍』の医療精鋭もそろそろ到着するそうだからもう少し待っててくれんか」

「あ、それは……全然」


 何だか自分が迷惑を掛けているような気がしてしまい、どこか申し訳ない気になる。

 ふと杏介を見ると、デニスと現れた男と話し込んでいた。知り合いなのだろうか。杏介はこちらに気付くと、気まずそうに男に目線を合わせた。彼はくすりと笑うと、総吾郎を見る。


「初めまして、田中くん。俺は林古桜字といいます」

「……え?」


 杏介を見る。彼は照れくさそうにそっぽを向き、ぼそりと呟く。


「……十五番目の兄ちゃんや」

「じゅ!? え、杏介さんが十五番目、とかではなく!?」

「いや俺な、実は兄弟多い方やねん。上には兄ちゃん姉ちゃん全員合わせて四十五人おる……勿論腹違いも種違いもおるけど。ちなみに弟と妹はあと七人ずつやな」

「ああ、そういえば一番上の兄上はこの間ひ孫が生まれたらしいぞ」

「えー、いくつよあの人」


 正直、かなり訳が分からない。しかし確かによく見ると、二人はどこか似ているのかもしれない。どんどん杏介の謎も深まっていくばかりだ。

 桜字は軽い口調で続けた。


「一応、俺と桃香は本家筋で両親は同じなんだ。家は神社で、俺も修行を積んで神職に就いている。浄霊する為に、今日は来させてもらった」

「あんな、桜字。俺杏介。桃香あんたのすぐ上の姉ちゃんや」

「すまないすまない、兄弟が多いとついこうなる」


 はっはっは、と二人して笑うのを呆然と眺めるしか出来ない。

 これから桜字は、髑髏人形の残骸を確認しつつ鉱山全体の浄化に当たるそうだ。デニスとマオは、マオの希望でここに留まりながら報告の続きをするらしい。総吾郎は一先ず、あと数十分で到着するという『卍』の医療部隊を大人しく待つ事になった。杏介も、傍に居る。


「……なあ、小便していい? ここで」

「ぜ、絶対に嫌です……」


 しかし彼は聞かず、総吾郎の背後に回りこんだ。見えないようにの配慮だろうが、嫌な気分になる事には変わりない。そもそも、何故誰も何も言わないのか。


「ふぅ、ごめんな」

「トイレ行けばいいじゃないですか……」

「そういうわけにはいかんねん。少なくとも田中くん落ち着くまでは傍動けん」

「? 大丈夫ですよ、マオくん達もいるし」

「ちゃう」


 杏介は、総吾郎の隣にどかっと座った。その手には、いつの間にかあの大きなオニキスがある。それを手の平で転がしながら、彼は言った。


「俺な、『種』使われへんのよ。体質が合わんくてな。でも何でそんな俺が『種』の研究に回されたか、っていうとな。俺の家と体質やねん」

「と、いうと?」

「そもそも『種』に元素という……即ち神秘、や。それを組み込む発明、『シード』の原理を作った人間。それがさっき桜字の言ってた桃香っていう俺の姉ちゃん。『卍』おるんやで実は、本部の役員」


 初耳だ。そんな話一切聞いた事が無かった。


「元々林古の人間は、日本だけじゃなくあちこちの国の神事関係を交配させて作った家でな。即ち、世界の神秘の凝縮や。そしたらな、先天的に神秘に携わった体質を持つ人間が生まれやすくなる。桃香や桜字は勿論、俺も」


 青空が、オニキスの艶をはじく。それを眺め、杏介は優しげな目をして続けた。


「ただ俺はどうにもその力が弱いらしくてな、家の中で立場無くなる言うて桃香が『卍』に入れてくれた。それまで俺は自分の力をいまいち分かってなかったけど、そこで色々研究して知った」

「何だったんですか?」

「……神秘の増長や。アホみたいな話やけど、こういった超常現象が起こると、俺の力がぞれを増幅させる。つまりブースターのようなもんでな。今回もそうや」


 杏介が、オニキスを差し出してきた。そっと、触れる。どこか、柔らかく……優しい心地が、全身をめぐる。


「オニキスの効果は、こないだの時点では解明しきれんかった。でも今回の件で分かった。見てみ、ここ」


 指先が指していたのは、杏介の頬だった。確か傷跡があったはずなのに、今はその影すらも完全に消えうせている。綺麗な皮膚として、完全に再生しきっていた。


「あの傷は、土地神のあの鎖によるものやった。でもこのオニキスと俺の力が合わさったら一瞬で消えてん。それと、あの天井な。髑髏人形の力で砕かれて落ちてきた破片は、俺を中心に……半径3メートルくらいかな、弾かれたんよ、バリアみたいに。だから無事やった」

「そうなんですか?」

「それで確信した。オニキスの持つ効果は、破魔や。少なくとも俺にとって害のあるものを弾いてくれる、護身の石になる。それを踏まえて『種』にすれば、きっと他とは比べものにならんものになるやろうな」


 僥倖や、と杏介の呟きと共に扉が開く音がした。恐らく『卍』の者が到着したのだろう。出迎えに走ったマオの背を見ながら、杏介は満足そうに息を吐いた。


「デニス氏も無事戻った。任務は残り二日。さて、田中くんが落ち着いたら……仕上げに入ろか」







「ふむ! まあそういうことならば仕方ありませんな! 長旅でお疲れでしょう、ゆっくり休むと良い! ああ、田中総吾郎にもよろしくお伝え頂こう! では失礼!!」


 大声に反し、穏やかで丁寧な所作を以て通話を切る。コローニアは大きく伸びをした。今この支部事務室には、自らの大声に顔を顰める人間もいない。自分の鼓膜の片方が正常であれば常人に合わせた声量で話せるが、それはもう適わない。

 ……デニス・ヒラリの所在は結局最後まで掴めなかった。即ち、こちらの負けだ。先に採掘場に到着されてしまっては、あの少年との約束の都合上判定としてはそうなってしまうのは仕方が無い。

 そう感じデニスへ直接電話をし、結果を本部に報告して早三時間。もう夕焼け気味だ。


「指を千切る事は、かなわんかったなあ」


 しかしそれでも、どこか気分は晴れやかだった。

 拷問は好かない。どちらかといえば、正面切っての制圧の方が性に合っている。幸い、それに付いてくる部下もいる。今回はもう伏してしまったが、それはあくまで再戦への準備期間が出来たに他ならない。

 今回のタイミングでヒラリ鉱山買収の話が出たのは、完全にお上の気まぐれだ。そこからいくつかの綻びが生じただけだ。再び繕えばいいし、時間はまだ……それこそ『neo-J』が現在の『新』日本を支配している内は無限にある。実際、今回逃した事に関しての咎は無いだろう。あの男がうるさく吠えるだけだ。


「……ふむ、では一年以内だ。そのうちに落とそう」


 勝手な、適当に決めた目標。しかし今まで自分で組み立てたものは一切潰れた事はない。


「……ん?」


 風を感じた。振り返ると、丁度部屋の扉が浮いていた。そのまま、盛大な音を立てて床へと落ちる。またあの男の足癖だ。辟易しながら視線をやると、やはりそこにはギルベルト・カイザーが青筋を立てて立っていた。


「フェロンドゥ……てめぇ一体どういうつもりだ!」

「おやおやぁ! 本部勤めがこんな田舎の支部に一体何の御用ですかな!?」


 実際本部からこの支部まで、およそ数十キロはある。前回ヒラリへ向かった時は本部を経由した為、そこで会って以来だ。

 ギルベルトはその端正な顔を般若のように歪め、コローニアの胸倉を掴んだ。


「言ったよな俺様は! 任務成功させるまで『neo-J』の敷居跨いだらぶっ殺すってよ! 何のこのこ帰ってきてんだ、本部に対する報告も何だあれは!!」

「ふむ、正直に書いたまでですが!」

「っざっけんな! 何が『ヒラリ鉱山は現状買収不可、責任者の同意得られず』だ! 絶対手ェ抜いただろうがテメェ!!」


 手を抜いた、と言えば語弊がある。『現在敢えて見逃した』のだ。なぜなら、今は勝てないから。しかして、いずれ勝つ算段ならば……数通りある。それを告げた所で恐らく彼は納得しないだろうが。


「よくも俺様の顔に泥を塗りやがって、格下の分際で!!」

「どうでも良いですがカイザー殿、その一人称のセンスは如何かと思いますぞ! 日本愛護者であるあなたが、日本のセンスを知らぬ訳がありますまい!」

「話を逸らすな!!!」


 ああ、うるさい。片方の鼓膜を損傷し聴力は落ちているのに、それでも不愉快な喚き声。

 視線を、落とす。2メートルはある自分よりも頭二つ分は下の位置にある目は、一瞬ビクついた。しかしすぐ苛立ちに歪み、胸倉を未だ握る手が震えだす。


「……光精様に、何を告げ口した」


 ああ、結局そこか。鼻で笑いそうになるのを必死に堪え、「カイザー殿のお言葉、そのままお伝えしましたぞ」と耳打ちする。その目は一瞬にして泣きそうに歪んだ。

 ……詰めが甘い事、この上無い。そして確信した、やはりあの時の自分の判断は正しかった。結局この男の目論見は、彼らの抹消だった。そのために、自分の事を使おうとしたのだろう。いざとなれば全て擦りつけるつもりだったに違いない。


「テメェ、いつか絶対殺してやるからな! 光精様と昔馴染みなんかじゃなけりゃ、とっくにやってるんだからな!」


 バチン、と強い音が鳴る程の勢いで手を外され、彼は部屋を飛び出した。まるで、小さな竜巻だ。

 恐らく、あの通信の後何かあったのだろう。何か折檻……それも、光精を崇拝するギルベルトの心に見合った折檻をされたに違いない。

 まあ、そんな事よりも。


「……ふむ」


 扉をまずは修理せねばなるまい。今日は帰宅が遅くなりそうだ。

 一年以内にいかにヒラリ鉱山を落とすか。こういう計画を立てている時間が一番楽しいと感じながら、コローニアは扉の前へと屈んだ。

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