家とともに、迷い込んで

 案外ふつうで拍子抜け。

 それが、その家を見た時の感想だった。


 ろくに舗装ほそうもされていない山道をひたすら、木々に囲まれながらのぼってきた。地図上は山の中腹、Googleマップの航空写真は緑一色。こんなところに建っている家なのだから、きっと年季の入った平屋建てとか茅葺かやぶき屋根の合掌造りとか、そういうのなんだろうと想像していた。


 それがどうしたことでしょう。門を潜って目の前にあるのはありふれた洋風家屋——僕の住んでいる家とほとんど変わりなく、うちの住宅街に並んでいたとしても違和感のないものだったのだ。


 二階建てで、ベランダもある。庭もそこそこの広さ。森の木々を家の周りだけ切り取ったようにぽっかりと、コンクリート製の塀で四角く仕切られていた。庭の一画は畑になっている。今は短い雑草がまばらに生えているが、鍬を入れれば使えそうだ。


 畑の奥には家とは別個に倉庫らしきもの。中になにが入っているのかはわからないけど、たぶん農具とかだろう。


「まあ、倉庫はあとまわしか」

「わん!」


 ひとりごちる——のはちょっとむなしいのでショコラに話しかける。ショコラはしっかり返事をしてくれる。かしこい。会話になっているのかはともかく。


「家の中を確認してくるから、ここで待っててくれるか?」

「わう」


 リードを括り付けられるような柱が見当たらなかったので、少し迷ったが首輪から外す。ショコラは聞き分けよくおすわりをした。


「庭から出ちゃダメだぞ」

「わおん!」


 頭から胴体までをひとしきりわしゃわしゃしてから、鍵を取り出した。

 玄関に差し込み、回す。

 

 ——瞬間。

 ずくん、と。


「……っ!?」


 僕の身体を、が駆け抜けた。


 電流のような、水のような、風のような——熱のような。

 鍵を通して家から伝わってきたのか、それとも僕の身体から湧いて鍵を通して家に伝わっていったのか、出所がわからないほどの奔流。


 家が——その周辺にまで、そのが広がっていき大気を震わせたかのような錯覚まであった。


「わん! わんわんわん!!」


 ショコラが背後でけたたましく吠え始めた。ショコラにも伝わった? 大気が震えたように感じられたのは錯覚じゃなかった? いやまさかそんな。


「わんわん! わんっ!」

「大丈夫、大丈夫だよショコラ」


 いつの間にか僕の足元まできて、身体をすり寄せてくれていたショコラ。

 撫でて落ち着かせる。


「なんともない……よな?」


 五指を握ったり開いたりしてみた。頭を振る。うん、異常は感じられない。


 むしろ妙に全身がすっきりした心持ちさえある。山道を歩いてのぼってきた疲れが、消えてなくなったような。背負った荷物が急に軽くなった気もする。ショコラの折りたたみケージがあるから、かなり重いはずなのに。


「くぅーん」

「ごめんな心配させて。……大丈夫だから、庭で待っててくれるか?」

「ぐるるる」


 唸られた。離れないぞという強い意志を感じる。普段なら「めっ!」と叱るところだが、


「仕方ない。一緒に入るか」

「わう」


 父さんが死んだ日から、僕はどうにもショコラに甘くなってしまっている。


 リュックを降ろし——やっぱりリュックがすごく軽く感じる。気のせいだと思うけど……ウェットティッシュを取り出して、ショコラの足を丁寧に拭く。

 少し緊張しながら玄関のノブを握った。


 さっきみたいなことはなにもなく、ドアは抵抗なく開く。


 中も外見から想像する通りの、ごくごく普通の洋風家屋だ。


 玄関には靴箱。

 靴箱の上には花瓶、さすがに花は挿さっていない。

 玄関から続くのは板張りの廊下。両手にそれぞれドアがあって、片方は居間、もう片方は客間か。廊下の先には二階へ続く階段と、それから奥にはおそらく洗面所。


 すごくありふれた様式だ。建て売りといえば誰にもイメージできるような、フィクションでもよく見るような『洋風の住宅』の間取り。


 だからこの時点では気付かなかった——僕のに。


 気付いたのは。

 リュックを玄関先に置いたまま靴を脱いで家にあがり——廊下を進み、右手のドアを開け、居間に足を踏み入れた時だった。


「え……なんだ、これ」


 間取りは普通だ。

 奥にキッチンがあって、手前にテーブルとソファーがあって。

 カーテンの閉められた縁側は庭に面していて。


 けれど、その意匠。その家具、その空気。

 キッチンの造り、テーブルの色と形、ソファーの材質、壁紙の模様、カーテンの柄、それらの組み合わせ。


 僕は知っている。

 初めて入ったはずの家なのに、見知らぬ居間なのに、見たことがある。

 来たことがある?

 いやそれどころか、住——ことが——?


 胸を襲うのは懐かしさ。

 、というふざけた感覚。


「いや、でも……」


 もしかして子供の頃、本当に来たことが、住んだことがある?

 別荘としてこの家を使っていたとか?

 でもそんな記憶はない。今までなかった。なかったはずだ。


 なのに目は居間の風景とともに面影を追う。

 ああ昔と同じだ、なんて気持ちが勝手に心を支配する。


 ——そうだ、むかしのとおりだ。


 キッチンカウンターにある傷。

 ■■■が■■■■時に魔■を■■■■■した。


 壁の汚れ。

 僕と■■■が■■■■で落■き■■■■■■、寸前で■■■■■。


 L字型のソファー。

 ■■の時の並びは短い方に父■ん、長い方に僕と■■■、それと■レ■。


 縁側のカーテン。

 よく巻きついて遊んだ。■■■■■の時にも使った。■■ンの足が出ていた。まるわかりだよと■った。


 カーテンを開け、縁側に続く掃き出し窓を開ける。

 さっき横切った庭なのに、見える景色は記憶と混じって全然違っていた。


 ああそうだ。

 この庭でよく遊んだ。


 庭を駆け回る、まだ子■の■ョ■ラ。

 ショ■ラを追いかけたり追いかけられたりする、僕とカ■■。

 

 そして僕らを見守ってくれる、まだ若かった父さんと—— ■さん。


 けれど沈み込んでいた心が、浮かび上がってくる記憶が出逢う寸前。


「わん! わん!! わおおっ!!!」


 ショコラのけたたましい警告めいた吠え声に、僕の心は引っ張り上げられる。思い出しかけていた記憶ものは再び手の届かない深くに隠れてしまい、そうして我に返った僕の両目は、庭の先、つまり僕らがやってきた門の方を見る。


「……………………は?」


 本当に僕は我に返ったのかと問いたくなるような光景が、そこにあった。


 コンクリートブロックの塀。

 たぶん高さはいちメートルとちょっと。僕の背よりもだいぶ低かったのは確かだが、それでもお腹くらいまではあったはず。


 だから、おかしいんだ。

 塀越しにのは。


 長い首と、肩まで見えるほどの大きさをしている。

 首は妙に長い。胴体はやけにでかい。

 手はなくて、その代わりに肩から翼が生えている。


 いやこれトカゲと違う。お前のようなトカゲがいるか。


「ひ……どっ、どどどどどどどどど」

 ぺたんとその場にへたり込みながら、唇が震える。


 ドラゴン。

 竜。

 ワイバーン。 


 アニメとかゲームでよく見る、あれ。

 体高ざっと三メートル以上はあろうかという巨体が、爬虫類特有の不気味な目でこっちを見ている。


「い、いやうそだろ冗談だろなにこれ」


 だっておかしいだろ、どう考えても。


 僕は自宅からタクシーでこの町まで来て、二時間かけて歩いて山を登っていった。山道に入る前は現地の住人たちもいた。ごくごく普通のおじさんおばさんたちだった。田んぼはまだ水が入ってなかったけど、用水路にザリガニとかウシガエルとかがいて、興味を示すショコラをやめなさいと叱って、山道では小鳥のさえずりとかが聞こえて。今いる家だって、ポツンと一軒家状態ではあるけど、外見も内装もごくごく普通の、たぶん建て売りな洋風住宅で——。


 なのに門の前には、塀越しにこっちを覗き込むドラゴン。


「わけが、わからない……」


 つぶやきが虚しく、か細く漏れる。


 誰かのいたずらだろうか。でも着ぐるみにはまったく見えない。VR? メタバース内のCG? いつの間にかメタバースの住人になっていた? そんな覚えはまったくない。


 隣でショコラが身を屈め、ドラゴンを睨みつけながらぐるるると喉を鳴らしていた。牙を剥いて威嚇している。わあ勇敢。主人は見習えないです。


 たまらずぎゅっと、腕を回してショコラに抱きつく。その体温が、柔らかい毛並みが、犬くささが、夢や幻覚ではないことを教えてくれる。


 つまりやっぱり——あのドラゴンっぽいのは、あそこに実在しているのだ。


「落ち着け……落ち着け」


 まずは落ち着いて掃き出し窓を閉めよう。でもってカーテンも。

 それから落ち着いて、いや落ち着いてって何回自分に言い聞かせればいいんだぜんぜん落ち着けてない。

 警察を呼ぶ? 呼んでどうする? 自衛隊? どうやって呼ぶんだ。わからん。なんにせよどこかと連絡したい。僕以外の人間の声が聞きたい。そういえばスマホはどこやったっけ。ポケットの中にない。テーブルの上に何気なく置いた? いやスマホは後だ。まずはそう、掃き出し窓を閉めて——。


 ぎょろり、と。

 ドラゴンがこっちを見て、


「Gkggrrgrgrgggggggggggggggrarararararaaaaaaaaaaaaa!!!」


 まるでガラスを引っ掻きながら鉄を破くような。

 この世のものとは思えない咆哮が、森に響き渡った。

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