第33話 終わりのないエンディング

「大丈夫か、アピアナ!」


 俺たちはすぐにエルフのもとへと駆け寄った。


「うぅ……きもちがわるいれす……」


「景気よく回転しておったからのう」


「吐くなよ、絶対に吐くなよ」


「大丈夫よ、お姉ちゃんに任せておけば」


「ありがとうございましゅ……ウッ」


 どうやら命の危機ではないようだ。少し安堵あんどし、黙って見守ることにした。

 ダークエルフの娘は、肌色の違う妹を抱きかかえ、優しく丁寧に解放していく。


「もみもみ」


「あんっ、お姉さま、いったい何を……!」


「もみもみ、もみもみ」


「ちょっとくすぐった、ああん!」


 俺は逡巡しゅんじゅんした。目の前でとんでもないことが起きている。

 このまま座して見過ごしてもよいのだろうか? いや、いい!

 主人公たる俺は、ヒロインのピンチをくまなく見届ける義務があるのだ!


「安心してアピアナちゃん。お姉ちゃんここに居るよ。ほうら、だんだん気持ち良くなってきたでしょう」


「はい、だんだん気持ちよく……」


 悟りを得た仏のように、温かい眼差しをじっと向ける。

 しばらくすると、蒼白だったアピアナの顔はだんだんと血色を取り戻してきた。


「ありがとうございました。だいぶ良くなりました」


「でしょう? ぜんぶお姉ちゃんに任せておけばいいのよ」


「やれやれ、これで一安心だの」


「忘れてました。耳たぶの裏に酔い止めのツボがあるなんて」


「『翳風えいふう』ってやつだな……」


 車酔いする俺にとっては常識であった。あまり効く気はしないが。

 ともあれ、これでまた、心残りであったラスボスの討伐を終えることができた。

 すでに死んだ人間が成長するかどうかは疑問だが、これまで果たせなかった目標を達成するごとに、自分の心に空いた穴が少しずつ埋まっていくように感じられる。

 ゲームに限らず、あのとき一つひとつ終わらせていけば、あんな状況に陥ることもなかったであろうに。


「お待たせしましたテンマさん。どうかしたんですか?」


「ああ……」


 しかしそうでなければ、この子、いやミヤとの出会いもなかった。

 結局どちらが正解だったのかなんて、死んでもわからないものなのかもしれない。

 自らが討ち滅ぼした世界樹の胚芽はいがを見つめ、芽吹くことなく土の中で腐っていった己の才能と対比する。はたして俺はその種子に水をいていたのだろうか。あるいは水をやり過ぎていたのだろうか……?


 下を向くのはやめたとうそぶいておきながら、また結局は下を向く。

 物語の主人公が動かない悩みに対し、彼女は、自身の気質を与えてはどうかと助言した。この細かいところを気にし過ぎる厄介な特性に、俺は心当たりがあった。

 それは近ごろよく目にするようになった、心理学の概念。初めて理解したときは、生まれもった利点と弱点をもっと早くに把握しておきたかったと思ったものだ。


「それにしても、倒したのになにも起こらんのぅ」


「すでに物語は終えているから、特にないのかもしれないわね」


「ええ! 今回はエンディングすら無しですか!」


「無事に生き返ることができたら、じっくりやってくれ」


「でもこのゲーム、難しそうですよね?」


「大丈夫だよ、新しめのナンバリングなら難易度を変えられるから。君はピクニックで遊んでもいいし、エキスパートで遊んでもいい」


 大きな節目を迎えたことで、メリフェラ・メリッソドラ・ジェイドの三人は、俺とアピアナに向かい合うように離れて立った。


「それじゃあこれで、みんなともお別れか」


「あら、今生の別れみたいに言わないでよね」


「そうさな。どうなるかはおぬしの努力次第であろう?」


 それはつまり、創作に自分たちを出せと言わんばかりでもあった。悩むのはこちらなのに気安く言ってくれる。

 そんな心を見透かしてか、ジェイドは顔に角度をつけながら言った。


「苦痛を味わった者にしか見えぬものもあるはずだ。ついでに地獄旅行にでも行って研鑽けんさんを積んできてはどうかね」


「勘弁してくれよ」


「あはは……」


「ありがとう、みんな。いつかまた会えるといいな」


 返事もそこそこに、彼らはいずこかへ去っていった。共に死線を超えてきた仲間にしては、ひどくあっけない別れ。

 残された俺とアピアナは、凍り付いた森で白い息を吐きながら、しばらくぼんやりと立っていた。


「そういえば、あの方たちのお名前の由来を聞きそびれました。どういう意味だったんですか?」


「三姉妹は植物のセージからとった。賢者のセージと同じつづりだから、なにか関連があるかと思って。実際は健康と賢明で、別の語源だったんだけどな」


「そこまで調べるんですか?」


「いちど検索方法を知ってしまうと調べずにはいられないタチなんだ。だから人より時間がかかってしまう。ほどほどで切り上げねばと思ってはいるんだが」


「それは大変です」


 馬鹿にされたと感じながら生きてきたのが、こうなった原因なのだろう。

 相手はそのつもりがなくても、こちらはいつまでも残ってしまうから。

 だがどんなに頑張っても、結局は誰かしらに汚い言葉を浴びせられる。だから作品を人前に出すことを必要以上に恐れていた。

 それがやがて人と差のつく原因になり、馬鹿にしてきた連中の思う壺になるのだ。

 やはり俺は、世のことわりに気づくのが遅すぎた。

 人をコケにする奴らは、自分を上げるより他人を落とすタイプに過ぎない。


「ジェイドは宝石からだ。語感が陰を意味するシェイドに似ているから、影となって暗躍するイメージを与えていったんだ」


「それであんなに暗い服装をされていたんですね」


「当時はそれが格好いいと思っていた。男は黒に染まりたくなる時期があるのだ」


「お葬式のイメージです」


「それ西洋では紫らしいな。死は北国では白、南国では黒で表現され、死に際を表現する色は土地柄がでるようだ」


「私は白ですね。新潟の雪深いところから出てきたので。ときおり方言が出てしまいます」


「そういえば、女神に使った『しょったれ』ってどういう意味だ?」


「……不潔という意味です」


「なるほど」


 やたらと名前の由来を気にする彼女は、どうやらすでに自分の創作と向き合う覚悟が決まっているようだ。

 なにも果たせなかったこの俺に、伝えられるものがあるかは不明だが、残り少なくなった時間の限り、互いの創作論を語り合えたらいいなと思った。

 さてと、アマテラスに呼びかけるとしよう。


「次はどこに行くんでしょう」


「さあな、すべては女神のおぼし、いや気紛れか……」

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