第7話 酔いつぶれた勇者

 移動を司る魔神セーレに抜かりはなかった。

 ワープを使うたびにいちいちウインクされるのが気になるが、そういえば、まばたきひとつであらゆる魔法を行使するのは、彼の伝承どおりだった。


「はい、おまっとさん」


「ご苦労」


「ひぃ、ずいぶんと寒い所ですね」


「そんな恰好をしているからだ」


「だってサキュバスですし……」


「ううむ、それもそうか」


 俺はマントを外すと、彼女の肩に掛けてやった。


「えへへ、ありがとうございます」


 やはり以前の彼女とは思えない。バタ臭いグラとババ臭い翻訳に見慣れていたが、実物はなかなかに好みだと感じた。

 あのサキュバスぐらいしかマシな女性キャラがいなかったから、いつまでもそばに置いておいたのだが、図らずも功を奏したようだ。

 冷たい空気で一息つくと、あらためて辺りを見まわした。


「ここが監獄か。最近はあまり使っていなかったな……」


「じつに良いことではありませんか。これもテンマさまが下層民にも耳を傾け、お力を尽くしたためにございます」


 世話役のアガレスは、あるじの成長を満足するようにうなずいて見せる。

 やり込んで領内の雰囲気を良くしすぎたせいか、近ごろは犯罪者がめっきり減ってしまっていた。

 配下は最強。城も街も完全体。勝つのがわかっている最終決戦なんてつまらないと思ってクリアを渋っていたが、ずいぶん妙なことになったものだ。


「これはこれは、大魔王さま。こんなけがれた場所へよくぞお越しで」


 特別な衣装に身を包んだアークデーモンが、うやうやしく礼をした。

 この世界においては、物理に長けた上位悪魔がグレーターデーモンと呼ばれるのに対し、魔法に長けたのがこの種族となっている。デフォルトでは武官より文官のほうがやや高い地位に設定されているようだ。


「久しいな、典獄てんごく長。そちに暇をさせて申し訳ないと思っていたが、またずいぶんと面倒な輩が厄介になっているそうだな」


「さようでございまする。我らもあの者をどう対処するべきか、ほとほと困り果てておりまして。すぐにお会いになられますか?」


「頼む」


「かしこまりました。ピット、参れ!」


 典獄長が叫ぶと、すぐにランタンを吊り下げた下級悪魔が姿を現す。


「お呼びでしょうか」


「今すぐ大魔王さまをエゼルレオン殿のもとへ案内いたせ」


「ははあ、ただちに。陛下、こちらにございます。足元が暗いのでお気をつけを」


「うむ。頼もう」


 モブキャラにしては珍しく名前を与えられたピットは、腰に大量の鍵をぶら下げていた。彼が歩くたびに、じゃらじゃらとした金属音が響く。

 片側に牢屋が備えられた通路を縦列になって進んでいく。ほとんどはからだったが、重い罪を犯した者はいまだここに囚われているようだった。

 突然、横から声をかけてきた男がいた。


「おやおや、これは大魔王陛下。よくぞお越しで」


「む、お前はまさか、あのときのインキュバスか……。姦淫かんいんの罪でぶち込んだ記憶があるな」


「ええ、そうです。ここは清潔で三食飯つきだし、大魔王さまさまでさあ。いやあ、じつにいい寝床を提供されたもんだ。たいして居られないのが残念でなりませんよ。後ろに連れているのは新しいおめかけですか? まったく羨ましいことで」


 サキュバスと対になる夢魔──インキュバス。メスがオスの寝込みを襲うならば、逆もまたしかり。みなまで言うまい。

 俺は思わずアルディナを庇うようにして答えた。


「悪いが今はお前に構っている暇はない。おとなしくそこにつながれておけ」


「ひひひ」


 さらに奥へと進んでいくと、ほかより明らかに厳重な一室が見えてきた。手前には二体のレッサーデーモンが立っており、こちらを見るなり敬礼をする。

 ピットは足を止めて振り返るなり言った。


「ここでございまする。酔いつぶれてはおりますが、くれぐれも油断なされぬように

お気をつけください」


「うむ、案内ご苦労だった」


「ははあ」


 どんな低位の部下にでもいちいち感謝の弁を述べる癖がついているのは、もちろん好感度を上げるためであり、下げないためである。一介の人間風情が大魔王たり得るには小まめな気遣いが必要という、なかなか面倒くさいゲームだった。

 もっとも、それは現実においても同じかもしれないが。

 さあて、拝顔といこうか。俺は魔剣を確かめてから格子の中を覗き込んだ。


「こいつが勇者か……」


 画面の中でしか見たことのない相手。

 毎回のように苦戦を強いられてきた宿敵。

 絵に描いたようなエリートで、明るい性格で見栄えも良く、類まれなる努力家。

 天賦てんぶの才を与えられ、誰からも好かれる人物、それが──


「ぐーすかぴー、むにゃむにゃ。おれはにじゅっさいすぎてるってゆってるだろお。もうのめにゃぁい」


「……こいつが勇者か!」


 何度も対峙しては追い返してきた永劫のライバルが、このような醜態を晒しているとは、なんとも情けない。


「起きろ! この痴れ者が!」


 目の前で、鼻ちょうちんがパチンと弾けた。


「ふにゃ! なあにママ、もう朝?」


「余はお前の母親ではないわ。わが名はテンマ。はよう戦を仕掛けに来いとはるばる言いに参ったところだ」


「てんま? うーん。うー……──」


 勇者の頭が段々と下がっていく。かたわらのアルディナは困ったように言った。


「また寝ちゃいましたね」


「うわー酒くさ~。これじゃモテないよ」


「呆れてものも言えぬ。さて、どうしたものか」


 するとアガレスが機転を利かせる。


「これ、そこの見張りよ。こやつは何時に酒を飲んだのだ?」


「そうですね。今は三時ですから、ちょうど三時間前でしょうか」


「ふむ。ということは、あと五時間もあれば、酔いもめて起きることでしょう」


「若いからまだ慣れていないんじゃないでしょうか」


 中世の価値観ならばもっと早くから飲み慣れているだろうが、現代は規制が厳しいので、きっとそういうことなのだろう。

 現在に再現された過去の空想というのは、いびつなものである。


「いちど戻って待ってればいいんじゃない? ぼくが居ればすぐなんだしさ」


「それもそうだな、そうするとしよう。戻ったら連絡を寄こしてくれ」


 ピットに向けて言うと、鍵番は敬礼を返した。


「ははあ、かしこまりました」


 俺たちは魔王城へと戻ってきた。

 いったい五時間も何をして過ごせばいいんだ? すでに勇者との決戦に使う戦力と装備は完璧に揃い、ゲーム上でできることはすべて終わっている。

 やれることといえば……


「はい、なんでしょう。私の顔になにかついてますか?」


 アルディナと戯れるぐらいだな。


「ジミマイ、アガレス、セーレ。余はしばし休憩する」


「かしこまりました。わたくしめはいちど帰還させていただきとうございます。居城に野暮用があるゆえ……。お呼びの際はなんなりと」


「ああ、ご苦労だったジミマイ」


「わしは腰が疲れた。こやつの食事と、愛わにの世話もあるでな……」


 そう言って世話役の老人は、手に乗せた大鷹を優しく撫でる。


「本来は騎乗しているものな。お疲れ、アガレス」


「セーレは……そのまま鏡でも見続けておくれ」


「ああ、愛しのぼくよ……」


 上位魔神たちが出払うと、護衛の二体はそっぽを向いた。

 なかなか察しのいい連中である。


「あの、私は……」


「お前はこっちだ」


「こっちって?」


「この裏だ」


 俺はニヤリとして見せた。

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