第16話 目覚めた場所は

 目覚めると私の部屋……いや、私のために用意された自室だった。

 天蓋てんがいから下げられた点滴袋は脱水を改善するためのものだとわかる。


 そうか、ホテルで倒れたから……。

 袋からのびた管は手の甲に繋がっていて、みじろぎするとそばにいたエマが、ベッドを操作して背部を起こした。

 

 あのニール《ヤブ医者》はアンティーク調に見せかけた最新型のベッドを用意していたらしい。


 ……何があったんだっけ? ぼんやりとしていると、エマが心配そうな顔で覗き込んだ。


「お嬢さま大丈夫ですか? 丸二日お眠りになっていたんですよ?」

「大丈夫よ、多分眠らされていただけだから……」


 きっとニール《ヤブ医者》は睡眠薬をホテルで飲ませたんだわ。


「奥様、お手紙をお預かりしていますが……」

 エマは半分に折られた紙を見せてくる。


「読まないから捨てて」

「ご旅行中、何があったのですか?」

「……最悪なことよ。ニール・クラウド・ファンディングとは夫婦になれないわ」


 エマが驚いた顔をする。


「それはおかしいです。だってお二人の相性度は98%、新聞にも歴代最高と書かれていたんですから! それにこのお手紙に旦那様がお身体に石化フリーズが無いか確かめたかったと、ていねな謝罪もありますよ?」


「エマ、だから問題なの。私を患者として扱う気はあるけど、妻として見てない。触れて欲しくて堪らないのに!」


 エマは少し目を見開いてからほほ笑みを浮かべて私を抱きしめた。


「旦那様をお好きになったんですね」

 エマは私の気持ちを言い当てるのが上手い。でも認めたくなかったから、言い返した。


「嫌い! あんな奴! 大っ嫌い!」


 エマは私をいなすように頭を優しくなでた。


「よくわかりますよ。お預かりしていたご伝言はお伝えしましたから、スコーンでも食べます?」


 エマは幼少期から見慣れているスコーンのパウチパックを私に見せた。


「……スコーンは食べるけど、なぜパウチなの?」

「丸二日眠っていた所へ、急激に固形物を食べると体に負担がかかるからだよ」


 声がした方を見るとソファーから白衣を着たニール《ヤブ医者》が立ちあがった。


 嘘でしょ? いつから部屋にいたの? さっきの台詞を聞かれていたら……心とは裏腹に非難が口からあふれ出す。

「ヤブ医者は外へ出て! あなたは主治医に認めないわ。産婦人科にもお世話になりません!」


「アナスタシア……どう言われようと構わないよ。だが点滴の針を抜かせて、診察だけはさせてくれないか?」


「あら産婦人科医に内科が診れるの? 内科医を呼んで!」

「それは……アナが嫌いだと思われる自動人形の医者を呼ぶことになるが構わないか? 産婦人科と麻酔科以外、医者は基本自動人形しているんだよ?」


 思いやりがない自動人形は確かに嫌いだ。


「……わかったわ。抜いて」


 医者はエマに目配せし、エマはジェル状のスコーンが入ったパウチを私の片手に持たせ部屋から出ていった。彼は手際よく、痛みなく点滴針を抜きとって点滴袋も片付けると、聴診具を耳にかけ服の上から私の胸に当てた。


「良かった。眠りすぎて心配したが、心音も魔脈も問題ないな」

「あなたが睡眠薬を飲ませたんじゃないの?」


「そんなことをしたら、今度こそ医者の伯爵位を取り上げられる。アナは過剰なアルコールの摂取と興奮で魔石が暴走を引き起こし、肉体が処理しきれずにに倒れたんだよ」


「そっか……あなたを疑ってごめんなさい」

 ニールは聴診具を外し白衣のポケットにしまった。

「いや、説明も配慮も足りなかったと反省している。不快な思いをさせて悪かった」


 彼は私の片手をそっと握った。


「だが私の寿命が確実に縮まった事を覚えておいて欲しい。他の患者ではそうはならない、あなたがだからだ。アナスタシアは繊細な身体だ。命取りになっても医者や魔術師ですら死人を復活はさせられない」

「完璧な貴族になれなければ、どうでも構わない……」


 ニールが苦々しく眉根を寄せた。


「アナ……私はあなたに完璧さを求めないよ?」

「だめよ、八人の兄弟姉妹は水槽に沈められたわ。完璧じゃない私が生き残ったらいけない……」


 水槽の中、私に臓器を分け与え泡となって溶けていった彼らの面影が蘇り、目頭が熱くなる。

 彼は握っていた手をそっと離し、私は不安になって視線を上げた。


 ニールは綺麗なまつ毛を伏せ、薄い下唇を噛んで拳を膝の上で握りしめている。


「アナスタシア……私は完璧ではない人間に生き残って欲しかったから医者になった。確かにこの国は完璧さを求める。だが大丈夫だ。私のような怪物すら生きているんだ」

「怪物? そんなことはないわよ……『リスト6、1日に1回以上ハグする』を入れてもいい?」


 ニールがまぶたを開き、優しくほほえむんだ。


「それなら私も『リスト5、ハグ出来なかった日の分は翌日に持ち越すこと』を加えていいか?」

「もちろん、いいわ」


 彼は白衣を脱いで、シャツを着た胸板に私を抱き寄せた。あたたかな抱擁を繰り返し互いに視線を交し、互いの唇が引き寄せられた。

 だがノックの音が遮り、セバスチャンが申し訳なさそうに声を出した。


「旦那さま。マリエ・ノンリコース様が奥さまのお見舞いにいらっしゃっていますが……」


 ニールは顔を離すといぶかしむ。


「なぜ今来たんだ? 連絡はできていないのにどうして……?」

「おば様は社交界では顔がお広い方だから。どこかで噂を聞きつけて来たんじゃないかしら?」

「そうか……なら私がご挨拶してくるよ」

「おば様は話が長いわ。私もいた方が良いと思う。直接会えば安心すると思うし」

「セバスチャン、しばらくジョンに話し相手をさせて待たせておいてくれ。ジョンは話上手だからな」

「承知致しました」


 セバスチャンが頭を下げて退くとニールはドレッサーから手鏡と櫛を取り出して私の髪をといてくれた。


「アナスタシア、あまり長話にならないように。少しパウチを飲んでおきなさい」

「うん」


 チューチューとパウチを飲み干し、最低限の身支度を整えるとニールが私を抱き上げて一階まで降りた。広間に行くとジョンと話し込んでいたおば様は

私をハグするなり爆弾を落とした。


「まぁ! もう赤ちゃんができたのね!」


 ニールは呆気に取られ、私はこめかみを押さえた。

 

 あぁ……おば様ってこういう人だったわ。


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