第13話 裏技とニールの心配

 私が本を胸に抱き寄せ、ニールは私をお姫様抱っこすると、黙ったまま信じられない速度で走り出した。人々の間をすり抜け、路地を抜けて、すぐ大通りへ出る。通りを走る早馬車に向かって走ると、馬車の御者が驚いて馬を停めた。


「に、ニール、どうしたの?」

「早馬車で宿へ行く。店に預けていた荷物はホテルへ持って来させるよう念話した」


 彼は御者より素早く扉を開けて飛び乗った。


「ど、どうして?」

「おひとよしの君が愚かな行いをしたからな」


 ドキッ。魔術師ではない私が魔術を使ったのが気に入らなかった?

 

「大丈夫よ、あのくらいなら」

「黙っていろ」


 ニールは馬車を超特急でホテルへ向かわせた。馬車の中で魔術の念話でホテルに連絡をとる。到着するなり部屋に連れ込むと、荷物を届けにきた従業員のホテリエを追い出した。


「服を早く脱げ」


 ええっ、今っ? 彼の本能を揺さぶるようなことをしたかしら? 

戸惑っていると彼はまどろっこしくなったのか私の後ろに回った。


「悪いがドレスは後で買い直す」


 へっ? 買い直す? 問い返す前に背中から音がした。

 ビリリリリッ!


 ド、ドレスが引きちぎられたっ! すごい怪力!し、紳士だと思ってたのにそんな、ワイルドな一面がっ?ギャップにドキドキして思わず叫んだ。

 

「ニール! まだ、心の準備がっ!」

「悪いが緊急だ。黙っていろ」


 ぴしゃりと言われ口を閉じる。鋭く真剣な眼差しに私は今まで見たことのない彼の本気、いや焦りを感じた。

 服を剥ぎ取った彼は繊細かつ丁寧に両手足に胴体、首筋……全てを目で確認していく。

 ニールはどこまでもお医者様だ。一通り済むとトランクから新しいシュミューズを取り出して着せ私をベッドに座らせた。

「ニールせっかくだから、このまま……」

 期待に満ちた笑顔を向けたが、彼は黙ったまま鞄から魔術具を取り出して血中酸素、心音、血圧まで測定された。

 全て診ると気が済んだのか「少し頭を冷やしてくる」と言い残して今はシャワーを浴びている。


 何でそっちなのよっー!


 窓から見える海に叫んでやろうかと思ったが、彼の心中は察する事ができたのでやめた。


 とりあえず、服を切るか……今日は天地がひっくり返らない限りロマンスはあり得ないだろう。ドレスを着てソファーに座り、テーブルに置かれたティーセットの茶葉の缶を開ける。 


 新緑の香りがささくれだった彼の心を癒してくれる事を祈って温めたポットの蓋を開け、緑の茶を二人分入れる。魔石のプレートの上で沸かしたケトルを傾けてポットにお湯を注いだ。責めらても仕方ない。多分、魔術師でない私が魔術使ったことを許せないのだ。


 なぜなら普通は非魔術師が魔術を使うと身体が正常に動かなくなる「石化フリーズ」が起きる。 

 その現象は魔術師でも医者でも直せない不治の領域だ。でも私は「石化フリーズ」しない。


「アナスタシア。今すぐ王都に戻り、治療院で精密検査をオーダーさせてくれ。稀に体内で石化する症例もある。脳内の血管で石化すれば命取りだ」


 彼に深刻な告知は耳から通り抜けた。

 だってニールは腰にバスタオルを巻いただけの姿だ。たくましい上半身、引き締り盛り上がった筋肉の上を水滴が流れる。


「心配しなくても大丈夫よ……ほら元気だし、それより身体を拭こうか?」

 

 手を伸ばして近づくと、彼はさっとバスローブを着てしまった。う、残念。


「確認だが、君は魔術師では無いんだよな?」

「う……うん。そうよ」


 魔術師は魔術学校を卒業した侯爵以上の爵位持ちの事だ。ニールのように15歳までに独学で試験にパスすれば一代男爵位が授与されて魔術師になる事もある。だけど私は生まれつき体が弱く、どちらの方法も叶わなかった。

 そんな中で選んだ文化司書は魔術書に触れる事が許された唯一の職能だった。もちろん魔術は発動してはいけない。でも分類のためと理由付け魔術書を読めるので術式の知識はある。


「アナスタシア。爵位を持たない者が術式を生命体に発動すれば即刻拘束の違法行為だ」

「ごめんなさい。でも自動人形は生命体では……」

 

 ニールが冷たい視線で私を見下ろしていた。


「……ごめんなさい」


 チラリと見上げたニールは疲れた顔をしていた。ニール……私の身体を心配してくれたんだ……。


「ニール、ごめんね。疲れさせて。お茶淹れたから、良かったら飲んで」

「……ありがとう。アナ」


 ニールはふーっと息を吹きかけて熱いお茶をひとくち飲むとティーカップを置いた。


「アナナスタシア。『リスト4、自分を大切にしてくれ』。これだけは譲れない」

「分かったわ」

「それに……あの店主の侮辱……アナの提案も跳ね除けた相手にあそこまでする義理があるか? 金貨まで支払って……お人よしになる前にどうして私を頼ってくれなかったんだ?」


 彼はローテブルの上に投げ置かれた大昔の専門書を恨みがましく見やった。私はその本を彼の視界から遠ざけてソファーの上に置く。


「ニール……ごめん。あなたを無自覚に傷つけていたと思うわ」

「そうじゃない。俺のことはどうでも良い。だが魔石を埋め込んだ身体で術式を使えば、死亡するリスクは72%だ。今回はたまたま10人中の3人だった。そのリスクをさらに君は侮辱相手に使ったんだ」


 ニールの言い分はもっともだ。一番初め、裏技を妖精ノ国で見つけた時、その術式に私は取り憑かれた。当時大きな手術を控え、死亡リスク85%、拒めば消えると宣告された。どうせ消えるならと、リスクの低い魔術を人形相手に使ったのだ。


「ニール、私は自動人形とばかり過ごしていたの。人形は人間と違って遠慮はなく、命令は絶対よ。病状安定が第一優先でお茶の前に吐き気の強い注射を躊躇ちゅうちょなく打つ。少し時間をずらす、なんて人間らしい発想は持たないのよ」


「……それで術式を使うように?」


「そう。注射ならスコーン味のジェルを食べた後にしてほしかった。あのジェルは闘病中、私の唯一の楽しみだったの。それに店主を助けたのは治療院で労働者階級の貧しい人が自動人形に追い立てられるのを見たから。私と同い年の子どももいたのに」


「アナ、それは健康管理指導局の指示に従わない患者だ。何度治療しても生活習慣を改めないからだ」


「それでも私たちは人形とは違うわ。嫌なことがあれば沢山食べたいし、お酒も飲みたくなる。貴族は羽目を外しても許され、労働者階級はその身分の故に治療は拒否される……おかしいと思わない?」


「貴族も態度が過ぎれば処罰対象だ。全財産没収される。アナが店主に行った振る舞いは貴族の義務を過ぎていた」


 貴族の義務は私たちが職能爵位を授与されるときに教えられる『一つ、繁栄のために尽くせ。二つ、よき隣人を愛せ。三つ、臣民としてよき民の手本たれ』のことだ。


「彼はよき隣人ではないというの?」

「よき隣人とは妖精に使う言葉で人間に対して使う言葉ではない。それに彼はよき民でもない」

 

 ……やっぱりあの店主に対してかなり怒ってたのね……それに彼は正義感が強い真面目な人らしい。


「ニールあなたが真面目な人なのはよく分かる。それなら『繁栄のために尽くせ』をどうなの? 貴族なら子作りをは必須でしょ?」


 お茶を飲みかけていた私の夫はティーカップを手から落とし、バスローブの上にこぼした。


「あちっ!」

「ニール! バスローブを早く脱がないとやけどが……」

 

 咄嗟に彼のバスローブの紐を解いた私は思わず固まった。

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