第10話 わたしの誕生日

 なぜ9回も誕生日を祝うかですって?


 私は紅茶を一口飲み、窓の外へ視線を向けた。景色は自動人形オートマタを製造する緑化された工場群へさしかかり、王城と市街地ははるか遠くもう豆粒ほどにしか見えない。


「1と0のつく日が誕生日なの。1月1日、1月10日、1月11日という感じでね。兄弟姉妹の分とか縁起が良いからだとお父様やお母様は仰ったけど、仕事を休む口実かもね。お二人とも農地の事で頭がいっぱいで、働き詰めだったの。だから次は10月1日ね」


 ニールは少し安心したように眉根をゆるめた。


「なら残りは10月10日と10月11日、11月1日、11月10日、11月11日で9回か……農地の事で頭がいっぱいという割には実りの秋に誕生日を祝うために仕事を休むなんて良いご両親だな」


「ニール、今は完全管理栽培が主流よ。建物の中で日照時間も魔術で調整して収穫期をずらすの。だから秋が忙しいわけではないし、祝うと言っても感染予防で部屋から出られず書字板タブレットで祝ってもらうのよ……」


 免疫めんえきが弱いと言う理由で幼い頃から両親との面会は書字板タブレットの映像を越しだった。だけどプレゼントに本とか魔術書をもらっていたので、たくさん祝われるのは嫌じゃない。


「免疫不全? 今は大丈夫なのか?」


 マズイ。健康を気遣われて遠慮されたら困るわ。


「検診は全て優よ。それに魔石を心臓に埋め込んでいるから出産も大丈夫」

「アナスタシア。君の魔脈まみゃくを診せてくれないか?」

「もちろん。その……ドレスは脱いだ方がいい?」

「いや、構わない。服の上から十分、測れる」  


 ニールはソファーから立ち上がり私の前にひざまづいた。魔脈は人体を流れる魔力の事で血の流れにのっている。私の場合、血流も魔石で強化しているので他の人より強いはず。


「右手首を出して」


 ニールの指が手首に触れる。大きな左手は心臓の上に。彼の伏せた長いまつ毛が車窓から差し込む夕日を受けて輝く。胸に触れられていてもやましさはなく、厳かな雰囲気だ。


 ゆっくりまぶたを開いたニールが物言いたげに私を見つめる。何とも言えない、強いて言うなら残念そうな顔……ムッ!


「言っておくけど、胸が小さいのは元からよ。物足りなさを感じるのでしたら魔術具を詰め込んで差し上げます!」


 ニールが長い息を吐き、胸から手を離して私の両手をその大きな手のひらで包み、首を横に振った。


「違うよ、アナスタシア。あなたはこれ以上身体をいじらなくて良い。むしろもういじらないでくれ」

 

 とつぜん願われたら、逆に戸惑う。


「実は小さい方がお好みってこと?」

「違う。外見の話はじゃない。……心臓、神経、血管、消化器……あらゆる臓器に魔石がある。大変な手術をたくさん乗り越えたんだろう? アナスタシアは良く頑張ったんだ。ご両親もアナを愛していたからこそ大手術を承諾したんだと思ったんだよ」


 彼は魔術師で医学の知識もあるから、魔石移植がどれほど苦しかった分かるんだ……。


「それでも……まだ頑張らなくちゃ。生き延びる事ができるようになったら人並みになる事が次の目標に置き換わるの……」


 

 汽車の振動が次第に遠のき、記憶が蘇る。

 最後の移植が終わった16歳を私は鮮明に覚えている。移植の成功を知ったお父様とお母様が処置室に置かれた書字板タブレットの向こうで抱き合って喜んでいるのが包帯の隙間から見えた。


『アナ、ようやく皆んなと同じになれたな』

『本当、これで立派な人生を歩むことができるわ』


 私はまだ完全になれていないのだと知った。

 ただスタートラインに立っただけ。まだ頑張らなくちゃならないんだと。


「アナスタシア」


 ニールはジャケットの内ポケットから真新しいハンカチを差し出した。


「ハンカチ?」


 ふわりと身体が浮く。彼が自分の胸の内に私を抱き寄せたのだ。広くて厚い胸板のシャツが濡れて自分が泣いていたのに気づいた。


「アナスタシア、生きてきてくれてありがとう」


 優しい声音は私のなぜか心に深く沁みて、嬉しいはずなのに涙がとめどなくあふれた。理由はわからない。感情も名付けて分類するのが私の文化司書の職能なのに。

 

 ニールは赤子をあやすような優しい手つきで私の背をなで、ハンカチでそっと涙を押さえてくれた。


「ごめん。なんだか分からないけど……ニール、ありがとう」


 気まずくなってうつむくと、ニールが口元をゆるめ、明るい声を出してくれる。


「さぁ、食堂車に美味いモノでも食べに行こう。アナスタシア、最高の旅はまだ始まったばかりだ」


 立ち上がった彼を見上げる。そっか……


「そうね、楽しみは始まったばかりね」


 つられて私もほほ笑み、彼に手を引かれ立ち上がった。




 車窓は自然保護地区の草原に変化した。夕日が地平線を彩り、夜の帳はすぐそこに迫っている。

 ニールが「アナの髪色のように綺麗な夜空が来るな」と言って、あやうく食後の紅茶を吹きそうになったけど、良い雰囲気を壊したくなかったので我慢した。


 部屋に戻り丁寧にシャワーを浴びる。エマの用意した最高の下着を身につけ、バスローブを着て部屋に戻ると、彼はソファーで本を読んでいた。


「ニール……」

「もう少し読むから、先に休んでいてくれ」

「ニール、そうじゃなくて、これどうかな?」


 私がバスローブの前を開けて見せるとニールは本から視線だけ動かして固まった。視線を離さないまま、本を閉じるとソファー横のテーブルに置く。


「アナ、後ろを向いて」


 言われた通り後ろを向きながら、バスローブを床に落とす。ニールが近づいてくる気配がした。思わず喉が鳴る。私の背後を彼が通り過ぎ、鞄からパジャマを上衣を取り出すと、私の背後から肩にかけた。柔らかなシルクのパジャマは、彼の身長が高いので私の膝まである。


「夜が寒いだろ。寝巻きは2着持ってきたからこれを使うと良い」


 う〜ん……わざとやってるのよね?


「あのね、ニール。エマが新婚夫婦にふさわしいナイトウェアを用意してくたのよ? 使わなかったらエマの気持ちを無駄にするでしょ?」

「だからその上から私のを着ればいい」

「もう! そうじゃなくて、ムラムラしたりしないの? 私はあなたの妻よ?」

「アナ……目のやり場に困るから着て欲しいんだ」

 

 良かった。多少の魅力を感じてくれたらしい。


「私はあなたに困って欲しいのだけど……」


 身体をくねらせると夫はこめかみを押さえた。


「いったい君は何を勉強したんだ……わかったよ」

 

 ひょいと片腕で抱き上げられ、奥のベッドに寝かせられた。


「言っておくけど『リスト5、魔術で眠らせるのはナシ』」

「……もちろんだ」


 ニールは私を見下ろし、ジャケットを脱ぐとカフスリンクスをベッドボードの棚に置く。私の耳元へ両手を付いた時、車内にアナウンスが響いた。


『お客様にお願い申し上げます。体調を崩された方がいらっしゃいます。医師の爵位をお持ちの方がおられましたら乗務員までお知らせ下さい。繰り返しお願い申し上げます……』


 ニールの動きがピタリと止まり、あと1センチだった私達の距離が離れてしまう。


「アナ、すまない。いかないと」


 思わずニールの腕をつかむ。


「待って。公共交通機関には医療用自動人形オートマタが乗務しているはず。あなたが行かなくても……」

「いや、人形の判断の責任を取る事が医者の仕事だ。任せきりにはできない。いつ戻れるか分からないから先に休んでいて」

「私も行くわよ?」

「患者は見せ物ではないし、アナには何もできない。悪いな」


 ニールは私にブランケットをかけ、ベッドから素早く降り、救急セットの魔術具を鞄から取り出して部屋から出ていってしまった。


 運命の神様〜私たちは98%の相性なんですよー!

もうちょっとタイミングを考えてください!

 

 心の中で叫びつつ、私は夫が残したジャケットに顔を埋めた。

 

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