第9話 新婚旅行へ

 私は短い丈のドレスに着替え、ニールもワイシャツにジャケットというカジュアルな装いで馬車に乗り込む。エマが用意した旅行鞄はコマの付いたトランクでニールの荷物の2倍以上の大きさだった。

 あちゃー。荷物に慣れている御者ですら苦戦して持ち上げられない。でも見かねたニールがひょいと持ち上げ、荷物を屋根に乗せた馬車が動き出した。


「行ってらっしゃいませ」


 正直いうと屋根が凹まないか心配だった。しかし馬車から見える外の景色が私の心配をすぐに忘れさせた。

 邸宅の前庭を抜け門をくぐると貴族の邸宅が並ぶ大通りを進む。素晴らしい装飾の建築様式の見本市が道の両サイドに広がっているのだ。

 景色は商業地区の百貨店や店舗に変化し、通りを人々が行き交い賑やかになった。


「アナ。そんなに王都の街並みが珍しいのか? 君はずっと王都にいたんだろう?」

「ほとんど部屋の中だったの。こんなに近くで建物を見るのは初めてなの」

「ずいぶん深層のご令嬢だったんだな」


 ニールは肩をすくめ。若干呆れた様子だったが私は子どもみたいに窓ガラスに張り付いていた。なぜなら大きなガラス張りのターミナルが見えてきたからだ。地図でしか見たことのなかった建物の前に馬車が停車する。


「さぁ行こうか、荷物は持つよ」



 ホームに入るとニールですら見上げるほどの魔法汽車が蒸気を上げて停車していた。


「魔石で蒸気を起こしてタービンを回して走るんだ。7号車だ」


 彼がチケットを確認し、7号車に乗り込む。


「これが寝台列車……初めてだわ」


 車内はまるで邸宅を小さくしたドールハウスだ。窓が無ければ汽車とは気づけないほどシックな色合いの凝った内装にテンションが上がる。


 入り口の側には洗面台と浴室(バスタブまで付いていて嬉しい!)。さらに荷物を収納するスペースがある。中ほどにビクトリア調の一人掛けソファーがテーブルをはさんで二脚、置かれている。その奥には車幅いっぱいのベッドに二つ枕。

 ベッドの脇の階段から奥側の出入り口へ出られるらしい。ニールが私のトランクを収納に置くと、棚からティーセットを出して紅茶を淹れテーブルの上に置いた。

 ソファーに座るとゆっくりと景色が動き出す。


「気に入ってくれたようで良かったよ。アナはあまり外出はさせてもらえなかったのか?」


 テーブルの向かい側のソファーに座ったニールが紅茶を飲みながら尋ねた。


「勉強勉強勉強で屋敷から出てないの。小さい頃から王都のタウンハウスでずっと在宅治療だったし、本物の景色は初めてなのよ。今目にしている景色も本や書字板タブレットでしか見たことがないわ」


 治療で遅れていた分の勉強を取り戻すことは、職能を得る為には絶対必要だった。貴族として認められた職能テストに合格すれば爵位が授与される。私は文化司書となり伯爵位を授与され職能の対価を国から支給されている。

 ティーカップを置いたニールが真剣な表情で尋ねた。


「在宅治療とは初耳だな。アナスタシア、君は身体が弱いのか?」

「もう大丈夫よ。全部治したし、受胎テストもクリアしてるから妻としては問題ないわ」

「問題ないって……医学的に根拠エビデンスが不確かだと指摘され、治療院は推奨していないテストを受けたのか?」


 彼に心配させたくなかったので、婚約時に渡す経歴書への記載は省いたのだが、尋ねられてしまった以上は応えるしかない。


「私の場合、両親は農地経営が職能だったから、受胎テストは自然だと思っていたわ」

「農地経営と擬似妊娠記憶術式がどう関係するんだ?」


 ニールは魔術師らしく受胎テストを「擬似妊娠記憶術式」と呼んだ。受胎テストは魔術によって妊娠した経験を植え付ける記憶操作だからだ。


「だって育ちの良い作物に改良は必須よ? あのテストは実際に子どもが生むわけではないけど、「体験」を繰り返すことで母として強くなれる、実際に産んだ時に愛情が深まると言われているでしょ? より良い育児や親になるために必要なの」

 

 そんな風に両親は12歳の私に勧めたのだ。

 

「アナスタシア……繰り返すってあのテストを何回受けたんだ?」

「ええっと……」


 魔術師が施す術式で私が妊婦になったと記憶している回数は……何回だったかな。指を折って数え出すとニールの眉にしわが刻まれた。


「いや無理に思い出さなくていい。あれは精神的な副反応が強いと言われている。治療院ではむしろ禁止しようと今動いているところだ」

「そうなの? 私は12回受けて痛みにも慣れたし、肉体的にも精神的にも強くなったとお墨付きをもらえたわよ?」


 ニールが信じられないというような顔で口元を押さえた。そんなに驚くことかな? 貴族令嬢は普通だとお父様もお母様もおっしゃっていたけれど?


「アナスタシア、あなたの身体は植物ではない。ましてヒトそのものだ。それに生殖は繁栄の為だけにあるわけでは……」

 

 次第に彼の声量が小さくなる。身体を縮こませて言い淀むニールは、顔を真っ赤に染めて可愛いかった。


「そうなの? 繁栄以外に私の体にはどんな目的があるの……ドクター?」


 ニールはますます麗しい眉間に皺を寄せ、一つ咳払いをして真面目な顔になる。


「本気で言っているのか? まさか……子を成す事以外の意味を知らない?」

「繁栄意外に何が大事なの? 産婦人科医のあなたなら妻の努力を褒めてくれるかなと思って打ち明けたのに……残念だわ」


 彼はなぜか頭を抱えて声を絞り出した。


「受胎テストに価値を置く人々がいるのは理解するよ。だが、褒めるとか褒めないという話じゃない。そもそも私は生殖に込められた文学的な意味合いの話をしているんだ」


 だから何を言っているのかしら? ニールがいう文学的意味合いとやらがよく分からなかった。


「貴族ならまずは「繁栄」でしょ? お父様は優れたF1種で自家採種を作ることが使命だし、お母様は妖精の力で土壌改良が使命だったわ。二人とも農地が最優先。お二人とお会いできるのは誕生日だけ。つまり新たな命の誕生はそれだけ重要なの」


 ニールは「本気なのか……」と小声で呟くと視線を逸らせて手で頭をぽりぽりとかいた。


「……まぁ確かに誕生日はめでたいが……アナスタシアの誕生日はいつなんだ? 書類は空欄だったよな」

「私も正確には分からないわ。だって私の両親は9回誕生日を祝ってくれるの」


「9回? なぜ9回も祝うんだ?」


 ニールが怪訝な眼差しを私へ向けた。


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