013


※飲尿を想起させる描写があります。苦手な方はご注意下さい。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「──あ゛ぁぁ……つっかれたぁ……」


 幸いにして、帰り道はまだモンスターたちがほとんどリポップしていなかった。稀に遭遇したとしても、深淵層深部のボスを目の当たりにした今となっては脅威も恐怖も感じるものではなく。雑に殴り倒し、叩き潰し、ダッシュで来た道を戻った二人。


 日付も変わる前に無事帰投した縦穴直下の安全地帯で、メイは両足を投げ出し脱力した様子で座り込んでいた。となりではマリが、もに゛ょーんとややも気まずげに床にへばりついている。


〈普通に生きて返ってきてるの草なんだよなぁ〉

〈半日前の時点では白髪色白美少女の惨殺シーンを期待してたんすがね〉

〈“““美女”””な〉

〈ていうかマリさんがくっそ気まずそうにしてる〉

〈しょげるツンデレデレのポーズ〉


「……なんにせよ、マリママを倒さないと地上には帰れないわけなんだけど……」


 マリがしょぼくれている理由に心当たりはありつつも、今はそれを口にすることは避けたメイ。もっと直接的な問題エンタメに視聴者の目を向けさせようと、ポーチに手を突っ込み遅い夕食を取り出した。携帯糧食の一欠片を口に入れ、残った二欠片をこれ見よがしにカメラの前に置く。隣には、残り半分を切った水のボトルも添えて。


「いくら頑丈さが取り柄とは言っても、水無しで生きていけるほど人間やめてはおりませんで」


 水が尽きた時点で、メイの命は保ってそこから二、三日といったところ。体が動く──ボス打倒の可能性がある──期間ともなれば、それよりももっとずっと短くなる。


「わたしがまともに戦えるのはたぶん明日か……どう頑張っても明後日までが限界だと思う」


 それまでに、防戦一方だったマリの母親を倒す手段をどうにか模索しなければならないのだが……

 

「せめて左手が無事なら、マリと二人がかりでワンチャンありそうなんだけどなぁ……」


〈両腕揃ってればれるんかーい〉

〈だいぶ人間離れしたこと言ってる自覚はお有りで???〉

〈マジでなんで今まで深層に手こずってたの?〉


 何気なく吐かれた言葉に視聴者たちは騒然とし、けれども言ったメイの方は相性の問題だと苦笑で返すのみ。


「ここの深層、罠だったり変なモンスターとかがめちゃくちゃ多いんだよね。ボスの灰燼龍なんかも物理攻撃ほぼ無効の灰化とかしてくるし」


 それらの搦手を魔法や毒によって抑え込み、メイの拳で叩き潰す。また同時に、メイほど頑丈ではない他のメンバーの安全マージンを多めに取る。そうやって確実に歩を進めていくのが『パイオニア』のやり方であり。蓋を開けてみれば、ストレートに凶暴凶悪なモンスターのひしめく深淵層はフィジカルに優れるメイマリコンビにとってはむしろやりやすい方だともいえた。

 

「わたし、滞留魔力の掌握が全然できないから魔法はほっとんど使えないんだけど。体内魔力の質だけはちょっとしたもんでね?」

 

 メイの白く脱色された髪肌も、赤くぼやけた瞳も、ダンジョンに潜り体内魔力が育っていくにつれ発現した特異な身体変化のうちであった。外見が変質するほどに強力な体内魔力の全てが膂力と頑強さに費やされた結果としての、完全物理特化S級探索者ダイバー、多田良メイ。そんな彼女であればこそ、万全であれば、同じく物理的な脅威に特化しているらしい深淵層級の触手に対抗できた可能性はあった。


〈逆に言うと、今の状態じゃ勝つのは難しいってことだろ?〉

〈やっぱ体力温存して助け待った方が良いのでは?〉

〈水がねぇっつってたの聞いてなかったん?間に合わんだろ〉

〈なんとか水分確保できんのか?モンスターの生き血とか〉

〈こんな深い層のモンスターなんて取り込んだら急性魔力中毒で死ゾ〉


 比較的メイに優しいリスナーたちからは心配の声も上がっており。彼ら彼女らと同じように一応メイとしても、水分の確保を考えなかったわけではない。


「ほんっとうに最悪の最悪の延命措置として、小さい方の排泄物を保管してはいるんだけどね……」


 ちらりと見やる壁際には、さすがにカメラには映さないようにしている尿瓶代わりのペットボトルが立てかけられているが……栄養不足からか色も薄まっているそれを口にするのは、さしものメイも正直なところ憚られた。生理的な嫌悪感からではなく、衛生面のリスクと、それを冒してすら飲尿は根本的な水分補給にはなり得ないという点から。


〈マジで最後の手段だな……〉

〈飲んでもむしろ余計渇きに苦しむことになる〉


 飲尿に関する一部の変態的なコメントは意識的に無視しつつ、やはりマリママを打倒するのが唯一解かと思案するメイ。なれば今日はもう休み、明日の朝、マリを相手に対触手戦のシミュレーションをして、それから二度目の実戦へ赴くべきか──そう考える彼女の目線の先、知らぬ間に地面を這っていったマリが、三分の一ほどを尿で満たされたペットボトルを触手に取った。


「ちょっ、ばかカメラに映すなってっ……」


 考え込み反応が遅れたメイがそう口にした頃には、すでにマリはボトルを手に彼女の隣にまで戻ってきている。気色悪い盛り上がりを見せるコメント欄。焦って取り上げようとするメイの手をするりと躱し、マリは一息にそのキャップを開けた。

 そしてボトルの口へと向かって伸びていく、一筋の触手。今まで素振りを見せなかったことから、マリは持ち合わせていないのでは?と考えていた“触手モンスター本来の性質”を瞬時に想起したメイが、咄嗟に声を張り上げる。


「は、配信停止っ!!!!!!」


 浮遊カメラはワードに反応して即座に配信を停止し、コメントの立体表示までもを終了させる。見事な働きぶりだがしかし、投稿サイトの配信ページの方では仕様上、配信終了後もしばらくコメントが打てるようになっており。終了間際に見た光景に、視聴者たちもまたマリの本来の性質を思い出していた。


〈……飲んだと思う?〉

〈……飲んだやろな〉

〈……まあ触手ですし〉

〈……むしろ今まで素振りを一切見せてなかったのがおかしかったわけで〉

〈まあ無理やり襲ったりしない辺りかなり紳士的もとい淑女的ではある〉

〈俺はてっきり既に飲ませてて、それで言うこと聞かせてるのかと思ってたが〉

〈いや普通は死ぬか気が狂うまで搾り取ってくるぞ〉

〈それが無いから皆、普通じゃない触手って言ってたわけで〉

 

 “人間を捕縛して過剰な性的刺激を与え、分泌される諸々の体液に残留した体内魔力を吸収し自己を成長強化していく”


 その性質から多くの探索者ダイバーに恐れられ、ダンジョン配信視聴者(と一部の探索者ダイバー)からはある意味で人気を博している触手モンスター。一部で支持される“神様すけべ野郎説”の論拠ともなっているその特徴を、マリもしっかりと備えていることが明らかになった瞬間であった。

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