012


 本来であればもっと慎重に、精密なマッピングをしながら、時間をかけて深部を目指すのがダンジョン攻略のセオリーなのだが。ボス部屋までのルートを完全に把握しているらしいマリの助力と、命が懸かっているが故のメイの迅速さ、そして深淵層のモンスターをも跳ね除ける両者の戦闘能力が、二人を僅か六時間ほどでボス部屋の前まで導いた。


「…………」


 明らかに人間が挑むことを想定して作られている両開きの扉の前で、メイは無言で佇む。隣のマリは“入んないの?”とばかりに、メイと扉のあいだに触手を揺蕩わせていた。ここまで無事に付いてこれた浮遊カメラの下では、深淵層攻略宣言を受けて三百万人以上に膨らんでいた視聴者たちがコメントを無尽蔵に流し続けている。


〈早すぎるんよ〉

〈初見タイムアタックかな?〉

〈普通は迷宮構造に時間を取られるから、ナビゲーターがいれば大幅に時短できるってのは分かるが……〉

〈ここ深淵層なんすよ(周知の事実)〉

〈メイちゃん弱ってるとか絶対嘘でしょ?〉

〈むしろパイオニアはこんなバケモン抱えててなんで今まで深層に手こずってたの?〉

〈下手するとS級の中でも上の方かもしれん〉

〈国内探索者ダイバー最強ランキング更新あるー?〉

〈あのソシャゲのガバガバTier表みたいなやつ好き〉

〈自称有識者が勝手に言ってるやつね〉

〈まあ実際、両腕無事なら国内最強説あったのでは?〉

〈いやこれマリさんの働きがかなりデカイぞ。道案内だけじゃなくて、挟撃とか対多数とかの不利が全部なくなってる〉

〈その結果、物理特化S級とかいう暴力装置がボス部屋までノンストップで行けるようになったと〉

〈ていうか冷静に考えてなんでこんなに協力的なのテンペスト号さんは〉

〈ツンデレだから〉

〈ツンデレだから〉

〈ツンデレだから〉

〈ツンデレの割には素直すぎるんだよなぁ……〉

〈たぶんツンよりデレの方が多い〉

〈ツンデレデレ…ってコト!?〉

〈おれはもうメイちゃんに一目惚れした説推してるよ〉

〈触手に惚れられるってヤバそうっすけどね……〉


 一度だけちらりと振り向き、久しぶりに見た彼ら彼女らが相変わらず緊張感のないことを好き勝手垂れ流している様子に、肩をすくめるメイ。ここ数日大人しくしていたお陰か──根本的なエネルギー不足は別として──、疲労度という点ではまだそこまででもない。またここまでの道中で、深淵層モンスターに対しても自身の膂力自体は通用することも分かっている。であれば、このまま部屋に入り一気にフロアボスを倒す……とまではいかずとも、姿をひと目見ておく方が良いかも知れない。そう考え、マリへと一つ問いかける。


「ねえこれ、入ったらボス倒すまで出られないみたいなタイプだったりする?」


 触手を横にふりふり。

 受けて頷き、メイは次の瞬間、取っ手のない扉を蹴り開けた。


〈わお豪快〉

〈てかマジで行くんだ……〉

〈もうそのコメ見飽きたわ〉

〈深淵層のボスかぁ……〉

〈やっぱドラゴンとかなんかね……〉

〈俺はダンジョン最深部には天使的な上位存在が待ち受けてる派〉


 浮遊カメラリスナーたちを背に、広く大きな部屋の中へと入っていくメイとマリ。通路よりもさらに薄暗いそこには、しかしその闇の中でもなおくっきりと浮かび上がる“黒”が蠢いていた。


「……なーるほど」


 一つ合点がいったようにこぼすメイ。触手を大きく揺らめかせて、に対して何事か伝えようとしているマリ。とぐろを巻いていたは、幾筋もの影を揺らめかせながら大きく大きく膨らんでいく。


「──触手、かぁ」


 言葉通り、それはマリと同じ触手型モンスターだった。数え切れないほどの無数の触手の集合体、体色は照りツヤの一つもないマットブラック。まさしく同種と呼ぶに他ならない。唯一違うのは、ざっくり見積もってマリの十倍ほどにもなるその巨大さであった。


〈触手だァァァァ!?!?!??〉

〈マジ???????〉

〈あーそっか……ボスだからそりゃ一番黒くて一番強いヤツになるよな……〉

〈え、マリのサイズ感ですらあんだけ強かったのに???〉

〈デカ過ぎんだろ……〉

〈しかもめっちゃキレてない?〉


 見上げるほどの巨体をさらに大きく膨らませるその挙動は、マリにもよく見られた威嚇と警戒のポーズ。しかしそこに乗っているのは、マリが見せたそれとは比べ物にならないほどの怒気と、他のモンスターたちをも凌駕する強烈な殺意であり。メイは、焦ったように触手の動きを早めるマリの様子から、彼女が何か説得でもしようとして、そしてそれがいま失敗に終わりつつあることを悟った。


「──っ!!!」


 次の瞬間、前触れもなく束ねられた触手が振り下ろされる。

 メイが間一髪かわしたそれは、破壊不能な地面を叩き轟音を打ち鳴らした。マリと違わぬその速度に、つーっと冷や汗が額を流れる。そのマリは思いっきり叩き潰されてはいたが、やはりその程度でダメージを受けるような存在ではないようで、触手で触手を押し返しぷんすこと身を膨らませていた。お返しとばかりに触手をしならせ、束ねた太い一筋を横薙ぎに振るう。


「戦って良いってことね……!マリの……お母さんとっ!」


〈お母さん!?〉

〈お母さんなの!?〉

〈いやまあ同種なのは間違いないが……〉

〈なんか仕草も似てるが……〉

〈確かにマリさんが成長したような美人さんではあるが……〉

〈しかしお母さんかぁ……〉

〈急に所帯じみてきたな……〉


 半ば直感によって叫んだメイの言葉に、マリは同意するように追撃の触手を殺到させていく。一つ一つが通常の深淵層モンスターであれば一撃で屠れるような威力を誇っていたが、圧倒的な質量差のある同種であればその全てを正面から受け止めることすら造作もないようで。衝撃波すら生じるほどの触手同士のぶつかり合いの直後、メイが身を躍らせそのうちの一本に掴みかかろうとするも……見計らっていたかのように触手がうねり、その右腕をバチンッ!!!!と弾き返した。


「いっ……たぁ……!」


〈引っ叩かれた?〉

〈引っ叩かれたな〉

〈なんであの一撃食らってちょっと痛がるくらいで済んでるの?〉

〈普通なら原型すら留めてなさそう〉

〈まあS級なので……〉

〈てかメイに対する敵意がすごい〉

〈知らんヒトメスに娘を誑かされてキレてる説〉

〈草〉

〈草生やしとる場合かァ!!〉


(めちゃくちゃ狙われてる……!)


 マリに対しては(恐らく彼女たち基準で)死なない程度に迎撃するに留めているものの、一転してメイへは容赦もなく追撃を仕掛けてくる母触手。あまりにも多い手数をたった三本の手足でいなし躱し、しかしそれで精一杯のメイでは、反撃に移ることもままならない。


「……マリっ!撤退!一時撤退っ!!」


 少なくとも初見で無理を押し通せる相手ではないと判断したメイは、すぐさま退却を選んだ。最初から半分様子見のつもりで挑んだのだから、身を翻すのに迷いはなく。ほんの少しだけ逡巡を見せたマリも、すぐに追従して扉の方へと転がっていく。


(──くそ、逃さないぞってぇ!?)


 無論、それをやすやすと見逃す部屋の主ではなく。メイは元より娘であるマリも捉えようと、数えるのも億劫になるほどの触手を一斉に伸ばしてきた。


〈おいやべぇぞマリさんが捕まる!〉

〈手数が多すぎるッピ!〉

〈がんばえー!〉


「っ!」


 先んじて扉の向こうへ逃れた浮遊カメラのコメントから背後の状況を把握したメイは、扉の前で振り返り地を踏みしめた。腰を下ろし、右手を引き、短く深く一呼吸。


(一発くらいならッ……!)

 

 物理攻撃のみで戦うメイに、名の付いた技などはない。故にそれはただの拳であり、突きであり。極限まで練り上げられた体内魔力により生ずる並外れた身体能力は、ただの突きを衝撃砲へと昇華させる。


「────オラァッ!!!!」


 ガラの悪い掛け声と共に拳が突き出され。

 ゴアッッッッ!!!!!!と轟音を響かせて、拳圧が無数の触手を弾き飛ばす。大したダメージにはならないかも知れないが、しかし一時、捕縛の手を退けることには成功した。追っ手から逃れたマリが、反動で体を硬直させるメイの横を通り抜け──


「──マリっ!!」


 ──その声を聞くよりも早く、胴体に触手を絡ませ引き寄せる。

 縺れ転がるように、二人は部屋の外へと飛び出していき。独りでに閉じていく扉の向こうで、巨大な触手塊は恨めしげに蠢いていた。

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