第36話【三つ葉】

 親以外が作ったおせち料理を食べたのは、おそらくこれが初めてだと思う。

 

「......はぁ~。正月の味がする」

「何それ」


 口いっぱいに広がる醤油ベースのだし汁に舌鼓したづつみしていると、沙優が鼻を鳴らして自分の分の雑煮を頬張った。


「クリスマスにチキンを食べるとクリスマスを感じ、大晦日にそばを食べれば大晦日を感じる。それと一緒だ」


「要するに季節を体感してるって言いたいのね」

「まあな。通訳ありがとう」

「いえいえ」


 説明が無駄に長ったらしくなってしまったが、つまりはそういうことだ。

 季節を家で味わう......簡単そうに思えるが、一人暮らしの社畜にとって実は意外とハードルが高かった。


「去年のお正月はお餅食べなかったの?」

「食べたには食べたんだが......雑煮作るのが面倒くさくて、ほとんど焼いて食ってた気がする」

「焼き餅もいいよね~。大きく膨らんだお餅に、シンプルに海苔巻いてお醤油でいただくのもまた美味しくてさ」


「ところで沙優さん」

「ん、な〜に?」


 俺と同じ雑煮を食べているはずなのに、さっきから沙優のお椀の中が気になって仕方がなかった。


「いくらなんでも三つ葉......入れすぎじゃないか?」

「そんなことはないよ。これくらい普通普通」

「いや普通ってお前――」


 俺の知っている雑煮は、上野の不忍池しのばずのいけを彷彿とさせる緑で水面を覆われてはいない。

 ちなみに俺の雑煮の具材は、大根や人参・ごぼう・鶏肉等、至ってシンプル。三つ葉も一応入ってはいるものの、あくまで脇役として少量。沙優の雑煮だけが作った本人用に魔改造、いやカスタマイズされていた。


「沙優って昔からそこまで三つ葉好きじゃなかったよな」


「うん。昔は全然好きでも嫌いでもなかったんだけど、高校時代の友達に貧血予防で食べてる子がいてね。私も真似して食べるようになったらハマっちゃって。今じゃこの通り」


 雑煮サイズに近い三つ葉の塊を美味そうに食べている姿を見ていると、なんだか沙優が草食動物に見えてこなくも。

 三つ葉なんて余程幅広いジャンルの料理をする人間でもない限り、まず食材の選択肢に入ってこないマイナーな存在というのが俺のイメージだ。


「俺の方のにはさすがに三つ葉はそんなに入れなかったんだな」

「え、吉田さんもやってみたい?」

「いや遠慮しておく」

「そんな即答で断らなくても。体にもいいのに」 


 体にいいものばかりのお節料理で選ぶなら、俺は断然この沙優お手製のたたきごぼうの方がお気に入りだ。

 味の濃さも俺好みに調理されていて、米だけでなくきっと酒の摘まみにも合う。一杯引っかけたい気分に誘われるが、今日はそうもいかない。


「三つ葉が好きなのはいいが、この後のこともちゃんと考えろよ」

「わかってますって。振袖着ちゃうとトイレとか大変そうだもんね」


 ほんの数日前。北海道にある沙優の実家から荷物が届いた。

 中身は振袖ふりそでで、沙優のお袋さんが20歳のお祝いにと用意してくれた品だった。

 

「北海道は今でも20歳で成人式をやるんだな」

「私の住んでた地区はそうみたいだけど、場所によっては18歳で成人式のところもあるらしいよ」

「成人とはいったい......」


 18歳で進学・就職した人間にとって20歳は、新生活にも完全に慣れ、気持ちの余裕も充分にあり、誰がどう見てもベストなタイミングに他ならなかった。だというのに、まったくこの国の頭の悪いお偉いさん共は。毎回それに振り回される一般市民の気持ちにもなってほしいものだ。絶対無理だろうが。


「ねぇねぇ、吉田さん。吉田さんは成人式参加したの?」

「ああ。一応参加したな。式典は退屈で仕方無かったけど、久しぶりに小中の知り合いと再会できて楽しかったよ」


「そっか......そういう楽しみ方もあるんだね」


 沙優の表情がなんとなく薄っすらと曇ったような気がして。俺は慌てて成人式絡みの別の話題を振った。


「成人式といえば、会社で浦安が地元の奴に聞いたんだが、やっぱりネズミの国でやったらしいぞ」

「知ってるそれ。毎年テレビで取り上げられてるよね。荒れる成人式とセットで」

「嫌な覚え方だな」


 クスクスと笑ってくれたのでほっと胸を撫で下ろした。


「......気にしなくていいのに。本当に吉田さんは優しいんだから」

「ん? 何のことだ?」


「またとぼけちゃって。私にとっての幸福の神様は昔から嘘が下手なんだから」

「だとするとこのお節料理は、そんな幸福な神様の俺へのお供え物になるな」


 ちょっと返しがおっさん臭かったかと気になったが、沙優に「上手いこと言うね」と褒められ、頬に熱が帯びる。

 二年前、俺はただ沙優にきっかけを作ったにすぎない。

 沙優は元々意思が強い女性なのだ。

 それが周囲の環境によって上手く機能していなかっただけで。

 その役がたまたま俺だったと揶揄やゆしてしまうと、また沙優に怒られてしまうので黙っているが。


 二人でさっと洗い物を済ませ居室に戻ってくると、沙優のスマホにメッセージが入っていた。

 俺のスマホにも、多分同じ相手から。


「あさみの奴、相当親戚の家が退屈なんだな」

「みたいだね」


 あさみは毎年正月は母方の実家に顔を出す決まりらしく、本人の意思に関係無く強制連行されるそうだ。親戚兄妹同士でいろいろとマウントの取り合いがあってくだらないと、いつだかあさみがギャーギャー愚痴をこぼしていたのを覚えている。


「......あ」

「どうした?」


「うん。高校の友達からもあけおめメッセージが届いててさ。そのうちの一人、洋菓子店に就職した子がお正月明けにこっちに遊びに来るみたい」


「あ〜、前に言ってた。沙優が高校に復帰してから最初にできたっていう友達の、確か......彩花さん? だったか」


 北海道を離れてからも定期的に連絡を取っているというその子は、何でも大学には進学せず、地元の洋菓子店に就職したとのこと。高校を卒業してすぐ就職とは、一般的な就職ルートを辿ってきた俺からしてみたら大変勇気があると尊敬してしまう。

 

「そっ。その彩花が、勉強も兼ねてこっちでスイーツの食べ歩きをするんだって。で、その合間に会わないかっていうお誘い」


「いいじゃないか。何ならその子とのお茶代でも出してやるから、普段滅多に行けないような店でも行ってきたらどうだ?」


「吉田さん。気持ちは嬉しいんだけど、二十歳ハタチになった彼女を未だに子供扱いするのはどうかと思うよ?」


 じとりとした視線で、ぴしゃりと釘を打たれてしまった。

 ダメだな。どうにも沙優に楽しんでもらいたいと思うと、保護者だった頃の癖がまだ抜けきれずにいる。

 馴れ初めが特殊だった故の障害か。


「そうだよな。大学生とはいえ沙優はもう20歳だし、バイト代もあるもんな」

「でも~、お供えのお返しとして、臨時収入くらいあってもいいと思うけどな~」

「やっぱ貰う気満々じゃねえか」

「バレたか」


 できれば俺もその彩花さんとやらに会ってみたいが、さすがに若い女性二人のお茶の席におっさんの俺が混ざってアフタヌーンティーは絵面としてどうか。

 相手が男ではないとわかっていつつも、JDらしい慣れた手つきで返事を返す沙優の顔を見ながら、一体どんな人物なのかと気にはなってしまうわけで。





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