第11話【筋肉痛】
――控えめに言って、身体中がきしむように痛い。
昨日・一昨日は夏祭り、そして指輪効果も相まって、いつもの休日より多く沙優と行為を重ねてしまったからだ。
最近は毎日やりすぎないよう自重したり、沙優に内緒で仕事帰りに気軽に筋トレのマシーンが利用できるジムに行ったりして体を鍛えていたが、これはさすがにハメを外した感が拭えない。
会社に着いてから橋本に湿布を張ってもらうつもりが、今日から早めのお盆休みという名の有給を取得していたことを失念していた。
同じ班の他の男性連中にやってもらうにはからかわれそうで抵抗がある。唯一事情を知っている三島にやってもらうのは、性別的にも立場的にも問題が生じる。
――で、迷った挙句、こうして午前の休憩時間に社内の休憩スペースで一人悲しく湿布と格闘してるのが現状だ。
肩はそこまで苦戦せずに貼れたが、腰となるとなかなかに難しい。
目的の位置に届く前にどうしても湿布同士がくっついてしまい、剥がしては挑むの繰り返し作業。俺の頼みを毎回嫌な顔せず綺麗に湿布を貼ってくれた橋本の存在がどれだけありがたかったことか。
だがいない人間に感謝していても、この問題が解決するわけではない。
急がなければ短い休憩時間が終わってしまう。
「......あんた何してんの?」
ふらっと自販機の飲み物を買いに来たらしい神田先輩が、俺の哀れな姿を見るなり怪訝な表情で訊ねた。
「見てのとおり湿布を貼ろうとしてるんですが......どうにも上手く貼れなくて」
「貼るのはいいけど、一人で貼るならせめてトイレの中でとかにしたら。今はセクハラや何やらでどこもかしこもうるさいんだから」
神田先輩の言うことはごもっとも。
昨今、飲み会に誘うだけでもパワハラだと騒がれる厳しい令和時代。
たかが休憩スペースで湿布を貼るだけでもセクハラ認定される可能性が現代社会には確かに潜んでいる。社会人7年目の俺としたことが
幸いにも広いとは言えない休憩スペースと横に設置された喫煙ブースの中には、俺と神田先輩以外は他の班の男性陣が数名程度。女性陣が神田先輩のみで助かった。
「まぁいいわ。貼ってあげるから後ろ向きなさい」
腰まで高いテーブルの上に買ったばかりの缶コーヒーを置き、神田先輩は外側に手を振って促す。
「一枚でいいの?」
「できれば三枚ほど」
「はいよっ」と、俺から湿布の入った袋を受け取り、慣れた手付きであっさりと腰に一枚貼り付ける。
そういえば高校時代、部活のあとによく神田先輩に貼ってもらってたな。
猫目がちで気の強そうな見た目とは裏腹に、傷や怪我の応急処置はマネージャーの中でも群を抜いて上手かった記憶がある。
だから卒業後の進路はてっきりそっち方面だと思い込んでいたが、まさかあれから10年経って同僚としてまた世話になるなんて。縁とは不思議なものだ。
「あんまり無茶しない方がいいわよ。吉田も若くないんだから」
「それ先輩が言いますます?」
口を突いた時にはもう手遅れ。
「痛ッ!!!」
背中の二枚も貼り終えた神田先輩がその中心めがけて平手で勢いよく叩いた。
パーン! と通った衝撃音が休憩スペースに響き、顔を痛みで歪めてしまう。
「はい終了。タバコ、まだ吸ってないんでしょ? 早くしないと休憩時間終わっちゃうわよ」
「よくわかりましたね」
「吸ってる人間は気付かないだろうけど、吸ってない人間からしたら臭いでバレバレだっての」
背中を擦りながら以前三島にも同じことを言われたのをふと思い出す。
臭いがきつくないタイプの物を吸っていても、タバコの臭いに敏感な人からしたら強い・弱いはあまり関係無いらしい。
「......あー。タバコはいいんです」
「なになに? もしかして禁煙でも始めた?」
「まぁ、そんなところですかね」
一仕事終えた神田先輩はプルタブを開け、ラベルに大きく『BLACK』と書かれた缶コーヒーを飲みながら訊ねてきた。
「いいんじゃない。タバコなんて百害あって一利なし。この先子供作るなら尚更ね」
「......俺まだ何も言ってませんけど」
「顔に出てるわよ。私は沙優ちゃんのためにタバコをやめましたって」
指摘されて顔を触ってみるも、そんなわけがなく。出ているのは小さなひげくらい。
その間抜けな反応に神田先輩が鼻を鳴らし、ちびちびと缶コーヒーを味わう。
子供は飛躍し過ぎだが、沙優絡みであるのは間違いない。
一昨日の夏祭りがあった日の夜。
『ねぇ吉田さん......私よりずっと長生きしてね』
10歳近く年が離れた俺と沙優では、自然の摂理として年上の俺の方が早く亡くなる率が高いのは避けられようのない事実。
できる限り沙優と――愛する人と一緒にいたい――。
真っ先に思いついた健康でいるための行動が、成人してから吸い始めたタバコを止めることだったのは必然だった。
年々タバコの値段も上がり、止め時を計っていた俺にとっては丁度いいタイミングと言えよう。
「子供はまだ作りませんよ。沙優が大学を卒業するまでは結婚もするつもりはありません」
「式は挙げるの?」
「俺はそのつもりです」
親から祝福されずに生まれ、この世に無償の愛があることを知らずに育った沙優。
せめて新たな門出を祝う結婚式では、みんなに笑顔で祝福されてもらいたい。
押しつけがましい、恋人の勝手な願望かもしれないが。
「だったら日頃のエッチも気をつけなさいよ。安全日も限りなく可能性が低いだけで、絶対に安心ってわけじゃないんだからね」
「言われなくても。その時は......その時です」
「ぷっ! あんた変わったわねー! 昔だったら安全日でもビビってゴム着けてた人間が、随分とご立派に成長したじゃなーい!」
TPO云々と言っていた人間は何処へやら。
これは明らかに同僚からのセクハラではないだろうか?
久しぶりの神田先輩との一対一での雑談は、恋人だった人間しか知らない、過去の情事の話で幕が下りた。
◇
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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