第33話 先生がんばった

「うおおおおおっ!」


 快哉かいさいを叫んだ俺だったけど、先生が両腕をだらりと垂れ下げているのを見て息を呑んだ。

 雷がなくなった時点で先生の体力はもう尽きていたんだ。今あの怪力を生み出しているのは先生の腕への過負荷。筋肉を傷めつけるような動かし方をすることであれだけの力を出力している。つまり動けなくなるような限界までもう秒読みだ。

 叫んでる場合じゃねえ。

 

 俺は弾丸の装填を確認し、もちろん安全装置を解除していることも確認した。問題ない、撃てる。障害さえなくなれば。先生が窮奇の硬い皮を割いてつくった傷口は、右横腹、右前足、左後背の三つ。そこなら、弾はまともに当たる。

 六本。

 弾丸の所在を確認しながら胸に問う。

 限界ギリギリの先生に、あの鎖をあと六本も壊すことなんて本当にできるのか。


「……」


 いざというときは。役立たずなりに、肉の壁にでもなる。


「……先には死なせませんよ」


 もうだめだ、と思ったら、次は迷わず飛び出す。全身に脂汗がにじむような決意を固めて、俺はじっと待った。

 五本、四本。底力はすさまじく、先生は渾身の一振り一振りで、窮奇の鎖を砕いていった。もうさっきみたいな素早い動きはできないのに、針の上を渡るような危機に全身をさらしながら、それでも判断をあやまたずに戦いを続ける。

 斬撃を込めた『じゃじゃ馬馴らし』を握っていると、敵わないな、と思った。

 レベルだとか、そんな数値の差じゃない。俺と先生、この恐れを飼いならす歴戦の勇士との間にあるのは、もっと大きなものだ。人間としての器が違う。指をくわえてみていると、それが本当によくわかる。

 それでいいとも思ってない。

 今じゃない。今はできない。不甲斐ない無職のおっさんに、今はなにもできない。けど、いつか、俺はこういう人を支えられるくらいにはなる。拳を握って誓うと、鎖は残り二本になっていた。


 先生は傷つき血を流しながら、その場に立っているのがやっとの様子だった。もう窮奇の攻撃を避ける力は残っていそうにない。

 たった二本の鎖。それでも、それに防がれずに銃弾を命中させることが、俺にできるか。

 

「ここまでか……!」


 そう呟いて飛び出そうとした俺を、先生の大声がとどめた。


「まだまだぁ!」


 荒い息を吐く先生の、目はまだ死んでいない。

 先生以上に傷つき血まみれの窮奇は、闘志を燃やす獲物を前にして、手を抜くことをしなかった。二本の鎖が唸り、先生に叩きつけられる。

 まだ走る力があるのかと思った。だから俺を止めたんだと。でも違った。先生はとっくに、力を使い切っていた。

 鎖の半ばほどの辺りが、先生に直撃した。砂煙が巻き起こり、鎖の先端が地面をえぐる。

 先生は立っていた。自身の両肩に鎖を食い込ませ、その上に腕を乗せて締め付け、鎖を封じていた。

 ゼロ本だ。


「……くっきー」


 俺は飛び出て、


「クソネコオオ!」

 

 四発の『溶けない血』を、窮奇の腹の傷めがけて撃った。


 鎖はない。防がれるはずもない。弾丸は虎の肉を割き、浸透し、全身の血を白金に変える。そのはずだった。

 一陣の風が吹き、四発すべてが跳ね返される。


「うっ……!?」


 しっぽだ。縞模様のしっぽが、鎖と同じ速度で動き、弾丸を払った。

 この野郎。しっぽなんて、先生との戦いですら一度も使ってなかったくせに。

 俺はいそいで『じゃじゃ馬馴らし』を掴み、投げつけた。それもしっぽで払われ地面に転がる。もう俺の手元に武器はない。

 こいつも奥の手を隠していたんだ。喋らない生き物の知性を俺たちはつい侮ってしまうものだけれど、こいつには手段を隠す賢さがある。

 だから、


「シールオープン」


 念には念を入れておいて本当に良かった。


 俺と離して岩場に隠しておいた三発の弾丸が発射され、二発が窮奇の体に潜り込んだ。傷口の周りで固まっていた血が、眩いばかりの光沢を発し始める。


 隠れている間もいちいち騒ぐバカが今度も騒いだんだから、お前はそっちを向くよな。

 そんでそいつが攻撃してきたんだから、それに注意を向けるよな。

 もしも、まだ防御の手段があるなら、そいつは俺に使うよな。

 攻撃を防がれたバカが破れかぶれでなんか投げてきたら、もう終わりだ、って気が緩むよな。

 その通り。 


「終わりだ」

 

 この化け物は、全身の血を金属に入れ替えられながら死ぬ。

 硬化した血液が血管から飛び出て体中を突きさす激痛に、窮奇は悲鳴を上げながらのたうち回った。その視線の先に、『じゃじゃ馬馴らし』が一瞬映る。最期の悪あがきのつもりか、窮奇はしっぽでそれを掴み、先生に投げつけた。

 俺が絶対に間に合わない距離。あっ、という声が漏れ出た。心臓がどくんと跳ねて、飛んできた槍を先生が掴むさまに、なんとか落ち着く。


 そもそも槍は先生の頭の横を大きく外れるルートだった。もうこいつには狙いを定める力もないのだ。


 先生に駆け寄りつつ、虎と目を合わせながらそう思ったとき、残った鎖の先端がその槍めがけて走り、叩き折った。

 

 俺の脳裏に、虎の両目をまともにとらえたときの記憶が甦る。こいつは見ていた。学習していた。俺が投げた武器がどうなるかを。そしてこいつには、知性がある。


 俺の目の前で、砕けた『じゃじゃ馬馴らし』から斬撃が放たれ、先生の頭を輪切りにした。先生はショッキングピンクと白っぽいものをまき散らしながら四分五裂した。

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