第32話 先生がんばる

 投げたナイフはあえなく鎖の一払いで砕かれた。高そうなのに。先生ごめんなさい。きっとあとで働いて返します。


 でもこれでいい。

 

 岩場の後ろを選びながら、俺は窮奇の周りを回るようにして移動を続ける。臭いで辿られるとしても、隠れるのは決して無意味ではないはずだ。俺から窮奇の意識が薄れるのを待つ。


 その間、先生は驚異的な勢いで窮奇の鎖を減らしていた。戦いのプロがあれだけの人数集まってやっと二本減らしただけだったというのに、先生はもう二十本近くの鎖を破壊した。

 自由自在に動き回って、主人の隙を繕い手数を補う鎖は、窮奇の防御機能と攻撃機能のどちらをも大きく担っている。ああして破壊していけば窮奇は着実にパワーダウンしていくはずだ。ただ、先生の体力もガンガン減っているわけだから、戦いが楽になるかは微妙なところだった。

 だったら俺が、先生を助ける。わずかながらでも、だ。


 俺は窮奇の意識と鎖が先生に集中しはじめたのを確認すると、二本目のナイフを投げた。無防備な尻にぶつかるはずだったそれは、窮奇が鎖の一本を背後に回したことで防がれた。これにもダメージは封じていなかったので、ただ砕かれるだけだった。


 よし。


 投擲の目的は二つある。一つは少しでも窮奇の注意を俺に向けること。それには常に姿を晒して投げるそぶりを見せるより、こいつが忘れたころに突然殴りかかる方が効果的だ。そしてもう一つは、さっきの目的に反するようだけど、俺の攻撃に注意しなくていいとあいつに思わせること。

 先生に注力したいところにちょっかいをかけられるのは鬱陶しいはず。その煩わしさは、俺の攻撃が激弱だったことを知ったとき、放置していいとあいつに考えさせる材料になる。

 三本目。今度のそれは、あいつに防がれもしなかった。


「……おし!」

 

 強く投げすぎて窮奇に衝突したダメージで壊れる、なんてこともなく、そのナイフはぽとりと地面に落ちた。狙い通り。窮奇はもはや俺に構う必要性を感じていない。

 自分の仕掛けに熱中していた俺は、そこで、宙を飛び交うナイフの勢いがはっきりと弱まっていることに気づいた。先生も限界が近いんだ。でも、鎖はもう俺の目でも数えられるくらいに減っている。


「頑張って、先生……!」


 俺は急いで四本目のナイフを窮奇に投げ、三本目と同様に足元に落下させた。

 ここまで来ると、俺にできることはもうほとんどない。先生が好機を作ってくれるのを待つだけだ。

 動きの途中で断ち切られた鎖がもつれながら飛んでいき、ぶつかった岩を砕く。動きの鈍くなったナイフが虎の牙にとらわれ、噛み砕かれる。削り合いだ。


 明らかに疲労の色を濃くしている先生を前にただ隠れているのは歯がゆい。でも、ここで俺が俺ごときの罪悪感を打ち消すために動いたら、全部無駄になる。

 

 そしてそのときは思ったよりも早く来た。


 先生の電力切れだ。

 小刀の乱舞は、舞手たちが一斉に落下したことでやみ、窮奇の横を擦過しようとしていた先生は、電力による制御を失ってバランスを崩した。

 なんてことはない隙だ。先生ならあれくらいは一瞬で立て直して距離をとることができる。その一瞬は、手練れとの戦いでは命取りではあるけれど。


 やはり、獣はその硬直を見逃さず、残った鎖八本すべてを先生にぶつけようとした。

 ここだ。 


「シールオープン!」


 その足元を、俺が埋めていたナイフたちの斬撃が襲う。意識外からの、こいつにとってはなんてことはない攻撃。だけれど、窮奇もまた硬直をつくった。先生なら、その一瞬で体勢を立て直せる。

 

 先生は窮奇のそばを飛び退き、いつでも回避に動ける姿勢で向かい合った。

 

 俺は肺に詰めていた息を吐き、そして先生の次の指示を待った。

 電力が切れてもまだ鎖を壊せていなかった場合、撤退するかどうかは先生が判断する、と事前に打ち合わせた。俺としては、見るからに疲れている先生には、一度退いてほしかった。

 

 数秒の思案を終えた先生が口を開く、その前に、窮奇が先生へ向かって躍りかかった。

 まずい。俺が思わず非力さを忘れて駆け寄ろうとしたとき、人差し指が俺を指した。


「続行!」


 指が鳴る。


「【岩戸隠いわとかくし】!!」


 髪が逆立ち、瑠璃色の輝きを宿す。

 それは防御度外視、身体能力を攻撃にだけ活用した、剛力無双の形態。「あれ危ないから使いたくないんだよねー」、というのほほんとした声を思い出す。

 先生は使った。

 踏み締めた大地が砕け、握った鎖がもぎ取られる。紙一重で窮奇の抱き着きをかわすと、先生はその虎柄を鷲掴みにして、


「おっらああああぁぁ!!」


 投げ飛ばした。

 

 残る鎖は六本。

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