第6話 目覚め

 夢を見ていた。

 ふわふわしたり、ゆらゆらしたり、どこまでも飛んでいってたら……落ちかけた。

 その怖さにびくりと身悶えしたら、どこからともなく抱き上げられて。

 ゆっくり、ゆっくり、規則正しい揺れと共に、どこかへ運ばれていく。

 変なの。


 すぅっと夜が瞼の隙間から入り込み、周囲の薄闇が視界を覆っている。

 あれ、何だか夢じゃない?

 惚けている頭で見る。

 精悍な顔つきの男性がいて、ユーナは心底驚いた。


「……ぅえっ!?」

「ああ、おはよう」


 利用規約違反ハラスメント警告を受ける前にと、素早く目覚めたユーナを地面に下ろしたのは、剣士シリウスだった。


「お、おはようございます?」


 周囲はまだ薄暗いが、夜明けが近い時間である。眠っていたので挨拶的にも間違いはないが、彼女は首を傾げながら周囲を見回した。


「あ、ユーナちゃん起きたー。おはよっ」

「いいタイミングだったよ。もうすぐエネロ」


 元気よくアシュアが手を振り、セルヴァが森の切れ間に立ち、街道を弓で示す。

 なんということでしょう。

 わたし、マジ寝!?


「すみませんっ。わたし、ほんとに寝てたんですね……」

「ファレーナの鱗粉だからな。人間には稀に効く。攻撃もクリティカルだったが、睡眠もクリティカルだったようだな」


 仮面の魔術師の淡々とした声に「稀なのに効いちゃうとか……」と深々ユーナは溜息をつく。何ともせつない話に気落ちしたところで、彼女への祝福が続いた。


「レベルアップおめでとう」


 魔術師に続き、アシュアたちも祝福を唱和してくれる中、ユーナは礼を口にする。その視線は宙を彷徨い、ある一点で止まった。


「――ありがとうございますっ……て、なにこれ……」


 燦然と輝く、十二という数。

 HPを始めとする様々なステータスも軒並み上がり、何だか桁が変わっている。どこまで変わっちゃったの?と相当気になり、片っ端からウィンドウを開こうとした。

 戸惑いを隠せないユーナに、シリウスは注意した。


「まあ、落ち着いてスキルとかは考えたほうがいい」

「うんうん、ほら、いこ?」

「は、はい。そうします……」


 アシュアに促され、素直に画面を閉じる。そして、改めて腰の短剣を確認して、彼女の隣を歩き出した。

 そこで、星明かりの加護ルークス・ステラエが消えた。

 森の切れ間の向こうには街道と、それに続くエネロを守る小さな木の門があった。いつの間にか朝焼けの色に周囲が包まれ、何となく朝日が目に痛い。


「ユーナちゃんはこれからどうするの?」

「そろそろログアウトしないと……」

「疲れちゃったわよねー。じゃあ、着いたら戦利品ドロップ山分けして、解散ね」

「ドロップ?」

「ふふっ、ちゃんと拾ってきたのよ。おかげでみぃんな道具袋インベントリぱんぱん!」


 見た目は小さなポーチをぽんぽん叩きながら、アシュアが笑った。


「というわけで、お友達になりましょう」


 ユーナの目の前に「アシュアからのフレンド申請が届いています。フレンドになりますか? はい いいえ」というウィンドウが開いた。

 関連がまるでない発言に、アシュアを見返すと、他のメンバーも同意見のようでやや冷めたようなまなざしが向けられている。


「何よ。誠意ある行動って褒めてくれないかしら? エネロ入ってクエスト報酬ゲットして速攻パーティー解散とかろくでもないことするとでも思ったの?」


 ぷーっとふくれたアシュアの顔は可愛かったが、話している内容はまるで可愛くなかった。むしろ疑心暗鬼になりそうである。ユーナの顔が引きつるのを見て、彼女は言いつのった。


「まあ、せっかく一緒に遊んだ仲なんだし、いいじゃない? ね、ダメ?」

「いいえっ、とんでもない! ありがとうございます。よろしくお願いします」


 ユーナの指先が宙を動き、「はい」を選ぶ。自動的に表示されたフレンドリストの最上部に、アシュアの名前とIDが映し出された。すると、次々にフレンド申請のウィンドウが開き始める。


「え、あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」

「こちらこそ。よろしくお願いします」

「……よろしく」

「えーっと、よろしく」



 東の空が、一歩進むごとに明るさを取り戻していく。

 朝焼けの光は徹夜した目に厳しく、誰もが目を細めながら道を急いだ。しかし、その足取りは軽い。足元の街道には平らな石が敷き詰められ、アスファルトには程遠いが、森の中に比べてはるかに歩きやすかった。近づくごとに、エネロの外見が判ってくる。木製で作られた門に、始まりの町アンファングとは違い、森に沿って、大人ならばよじ登ることができそうな高さの木組みの塀が村を囲っていた。それよりも高い見張り台が、少し奥まった位置に見える。


 ――カラーン……


 その見張り台から鐘の音が細く響いた。時を告げる役目もあるのか、時計を見ると、幻界ヴェルト・ラーイ時間で午前六時になっていた。その音に合わせるように、重苦しい音を立てて、門が大きく開き始める。門番が姿を見せ、槍を持って立った。夜中でも村に入ることはできるが、その時は門につけられた小門を開いてもらうのだと、セルヴァが言う。


「金がかかるがな」


 手間賃を取られることと合わせて、無断で塀を乗り越えると罰則ペナルティがあることまで教えてくれたのは、夜明けでも怪しさ爆発の魔術師ペルソナである。「罰則」という響きに、ユーナの脳裏に、ふと気がかりだったことが浮かぶ。


 彼の名前が黄色いことって、ひょっとして……。


 他のパーティー・メンバーの名前もIDも青表記だが、彼だけはIDが青表記で名前は黄色表記だった。チュートリアルでは、警告を無視した者や罰則を受けた者のIDの色が変わる、と聞いていたのだが。

 そこで、ユーナの思考が止まった。

 何と、NPCノンプレイヤーキャラクター走ってきた・・・・・のだ。


「ようこそ、エネロへ! あ、初心者の方を守ってくださったんですね!」


 槍を持った門番が、どうぞどうぞと門の中へと案内してくれる。導かれるままに門を潜る、と。


 ――Welcome to Enero! Congratulations on quest clear!!


 幻界文字ウェンズ・ラーイで描かれたことばが、視界で弾けた。「やったぁっ!」とうれしそうなアシュアの声が、早朝のエネロに響き……「朝早いのでお静かに願います」と顔をしかめた門番から注意を受けた。

 素直に謝ったアシュアに気を取り直したのか、再び笑顔に戻った門番は、そのまま門にくっついている小さな詰所まで全員を連れていき、事情を話してくれた。

 曰く、始まりの町アンファングの大神殿からエネロの村長宛てに、他の旅行者を経由して手紙が届いたそうだ。登録したばかりの旅行者プレイヤーがアンファングからひとりで旅立ち、閉門の時間を越えても戻らず、何人も行方不明となっている。大神殿での案内が不十分だった恐れがあるため、もし誰かが該当者を見つけてエネロまで送り届けることができたのならば、それ相応の謝礼を払うというものだった。思ったよりも報酬がよかったのか、門番から受け取った袋の中を覗いて、アシュアがまたはしゃいだ。だが、ユーナの視線は門番から離れなかった。


 NPCよね?


 流暢に話す声も、その熱のこもった仕種も、プレイヤーと相違ないように見えて、ユーナは門番をもう一度じっくりながめた。その視線を受けて、彼はにこりと微笑んだ。プレイヤーと異なり、目をこらしても頭の上にはIDの表示がなく、名前の色は緑だった。確かにNPCを示している。


 チュートリアルで説明を受けた時の相手は一切姿を見せなかったし、大神殿での登録をした際には、神官らしい神官……アシュアとは程遠い……やや性格のきつそうな、片眼鏡を掛けた痩せぎすの中年男性NPCだったのだ。怪しい魔術師ペルソナの声よりもよっぽど冷たい応対だった気がする。「お勧めの宿とかありませんか?」と尋ねたユーナに「世俗のことは知らぬ」と言い捨てたほどだ。「ゲームなんだし、夜なんて関係ないってことだよね」と思った初心者は、ユーナだけではないだろう。


 厚かましくというか、したたかというか、アシュアは門番に断りを入れ、詰所をしばし借り受けた。戦利品分配のため、である。門番自身は役目のために門の外に戻ると言い、素朴な木製のテーブルと人数分の椅子が確保できた。丸太を切っただけのものだが、じゅうぶんだった。

 ユーナは自分の貢献度の低さに戦利品の分配を固辞しようとしたが、「お金のことをきっちりできないなら友達なんてできない」とアシュアに脅迫され、せめてセルヴァの破損した装備代にしてもらいたかったのだが、逆にセルヴァからは道具袋インベントリを圧迫しているのでとこれまたお古の短剣を譲り受ける始末だった。チュートリアルでもらったものしか入っていなかった道具袋が、戦利品で埋まりそうだった。


「いきなりお金持ちになったーとか思うかもしれないけど、油断しないでね」


 怖い顔になったアシュアの忠告は、更に怖いものだった。NPCの商人に不要な戦利品を買い取ってもらうより、「売却」の商人スキルを持っている旅行者のほうが、高めに戦利品をNPC商人に卸すことができる。だから、NPCよりも高い金額で買い取るという商人旅行者がたまにいるが、もともとの買い取り金額を知らない旅行者が殆どのため、二束三文で買い叩かれる事例が多発しているのだ。これは自由契約のために、運営側も詐欺として扱うことができず、現状では増える一方の事例となっている。

 なので、信用できる商人プレイヤーと知り合うまでは、NPCの商人に任せたほうがよいということだった。勉強になる。

 また、エネロの道具屋よりもこの次の町アンテステリオンのほうが、もっと良い装備があることも教えてくれた。スキルさえきちんと振っていれば、エネロのクエストを終えたころ、アンテステリオンまで向かうことができるレベルに達しているだろうとも。


「じゃあ、ここでいったんお別れね」


 村の転送門ポータルは、門入ってすぐの広場中央にあった。その広場に面して宿屋もあり、ユーナはそこでログアウトすることになる。

 アシュア達は、転送門の向こう――マールトに向かう、と言った。


 本当によくしてもらったと思う。

 連れて行ってなんて言えないし、レベルも全く違う。

 足手まといにしかならないこともわかっていた。

 でも。

 自分だけがここでパーティーを抜けることに、確かに寂しさを覚えていた。


 ユーナは、自分で「アシュアのパーティーから脱退しますか?」の次の「はい」を押せずにいた。押さなければ、「アシュアのパーティーから脱退させられました」の文字が表れると、知っていたつもりだった。


 が。


「じゃ、解散っと」


 あっさりとアシュアは言い放ち……目の前に「アシュアがパーティーを解散しました」の文字が表れた。


 ――あれ、他の皆は行くんじゃないの?


 呆気に取られて彼女を見ると、アシュアは手を振りながら、もう転送門のほうへ歩いていくところだった。「またねー!」 転送門へ消える直前も、彼女は振り返って、笑顔で繰り返した。「また、遊ぼうね!」と。



 MMOには馴れていた。

 あの時の文字の「またね」も、声だったら、こんなふうに聞こえたのだろうか。


「――はいっ! また、遊んで下さい……!」


 わたしの声は、届いたのだろうか。

 藍色の術衣姿の神官様は、優しい笑顔のまま溶けて消えていた。


「心配しなくても、絶対また遊ぶから、またな?」

アーシュあいつもこういうのには弱いか。……また」

「フレンドチャットでいつでも声かけて下さいね。またね、です」


 次々と消えていく影に、確かに寂しくはなったけれど。

 ポン、と軽い音を立てて、フレンドチャットが視界の端に文字で表れた。


アシュア「(^^)/」


 馴れた笑顔の表記に、同じ笑顔を返して。

 わたしは宿屋で部屋を取り、ログアウトした。

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