第2話 外交攻勢

西暦2025(令和7)年8月23日 日本国東京都港区 貴賓館


 太平洋戦争後、東京の街並みはソビエト連邦―というより大使館を介したスターリンからの―の指導を受けながら改造が行われたのだが、帝国主義を前面に押し出しているとされた建物の多くが解体される中で、建築物の粛清を免れたものも多い。


 その一つが港区高輪たかなわにある貴賓館であり、こちらも当初は元皇族の邸宅であるという理由から解体予定であったが、経済産業省の前身たる通商産業省の大臣官邸や、隣接するホテルの別館として用いられた事で生き残り、今も尚その姿を高級ホテルの別館として表していた。


 そしてこの日、貴賓館の一室では、ベルジア王国より派遣された外交官と、和利かずとし・ザスロフ外務大臣率いる外交担当チームが協議を行っていた。


「では、貴国は我が国に対して、大量の食料品や木材を供給する事が出来る、と?」


「ええ。我が国は豊かな食と木々によって生きる国。大地神の恵みと太陽神の加護により飢えを知らぬ生を送っております。貴国は現在、食糧難に陥ろうとしているとお聞きしております。もしも我が国に、貴国の優れた技術を下さるというのなら、その問題の解決に手をお貸ししましょう」


「…」


 如何に総合農業プラントがあるとはいえ、近年は老朽化したシステム及び設備の改修のために機能停止している場所もあるし、ブランドものとして量よりも質を重視して、高価値が維持できる程度に生産量を絞っていた所も多い。よって日本全国の飲食店に対して営業管理命令が発せられており、食料品の過度な消費を制限していた。


 その問題を解決できるだろう手段を、相手国が提示してきたのである。しかもその事実は、「はまかぜ」や現地に派遣された外交使節団が、ベルジア国内の移動や歓迎パーティの際に事実として確認している。となれば渡りに船ともいえよう。


「成程…流石にこれは私の一存では決めきれません。我が国とて無償に資産たる技術を渡す事は出来ませんので」


「了承しました。よき判断と回答を希望しております」


 ザスロフはそう言い、回答を後日に持ち越す事を通知する。だがその後の会議で相手の関係樹立のための条件を知らされたジューコフの判断は速かった。


「いいでしょう。ですが私達も厳しい状況にあります。1年か2年程は限定的に交通インフラを近代化させ、食料品を迅速に輸入できる様にします」


 日本国内の建設会社は基本的に、国内にある程度の人材・資材リソースを自前で確保し、輸入が途絶えた直後でも社会インフラを必要最低限維持できる様に努力する事を法で義務付けられている。共産主義的な政策方針の名残が残るものの一つであるが、過去に反米姿勢を見せていた国々に対して公共インフラ整備支援を行っていた事から度々その手の経済支援を食らう事が多く、いつでも豊富な軍事力と資本力で苦しめる事が出来る立場にあるアメリカを警戒した諸政策は、『転移』と名付けられる事になる此度の事態でも有効に機能していた。


「ともかく一朝一夕で解決する様な事態ではありません。直ちに5カ年計画を策定し、長期的な視野で倍の期間もの安定を得る様に努力しましょう」


 斯くして、『転移』より3週間が経った8月29日、日本国政府はベルジア王国との国交樹立を国内に発表。その1週間後にマーレ王国とも国交を結ぶ事となったのである。


・・・


西暦2025(令和7)年9月6日 ローディウス大陸北西部 ローディア帝国港湾都市ポルト・ワイト


 この日、日本国防衛海軍の駆逐艦「うらかぜ」は、台湾道の第5艦隊基地に帰投した「はまかぜ」の代わりに、外務省外交官を乗せてローディウス大陸最大の国家であるローディア帝国に接触していた。今度はベルジア王国製の魔法通信機と、それを扱う魔法使いも乗せる事で、事前の衝突を防ぎつつ、穏便な接触へ持ち込もうと努力していた。


「しかし、相手も中々に強情だな」


 「うらかぜ」の船室にて、外交官の菊島きくじま・ユーリはそう呟き、相席する朝野三郎あさの さぶろうも頷いて応じる。ローディア帝国は東から来た新興国に対して軽蔑の色を隠そうともしなかったが、大国故の高慢からか特に脅威と見る事もせず、すんなりと交渉を受けいれてきたのだ。


 だが、その条件として長期間にわたる土地の租借と名産品の献納を求めてきており、明らかに国家として時代遅れ過ぎる振る舞いであった。同席する魔法使い曰く『東方の列強国では当たり前の事』だと言うが、それでも相手の要求は余りにもひどすぎた。


「この国は鉄や銅、リンといった産業に必需的な資源と、4000万という人口の持つ潜在的な市場がある。だからこそ国交関係の樹立による貿易が必要なのだが…」


「土地は流石に差し出せませんが、代わりに献納の部分で色を付けて茶を濁しましょう。総合農業プラント製の美味な食物と、陶磁器を筆頭とした工芸品…ベルジア王国の人々も太鼓判を押した一品であれば、相手も納得する事でしょう」


 二人がそう話し合う中、港の外側に停泊する「うらかぜ」を、驚きの表情で見つめる者がいた。


・・・


9月7日 マーレ王国港湾都市マレ・ゲルト


 マレ・ゲルト市の一角にある通商会館。その一室にて、日本国より派遣された外交官の杉下すぎしたは一人の男と面会していた。


「此度の会談の場を設けて頂き、真に感謝します。私はレムリア連邦国務省より派遣されました、在マーレ大使のツーサンと申します」


 ツーサンと名乗る男は、杉下に対して説明を始める。


「我が国レムリアは、このマーレから遥か西に位置する国の一つです。我が国は現在、国際経済政策の観点から、良質な金属資源や石油を産出する此処マーレと貿易協定を結び、同時に幾つかの技術提供を行っております。その一端をご覧になられたでしょう?」


「成程…道理で港はちゃんと整備され、燃料も手に入りやすいと思えば…すでに貴国が手を入れていたから、という訳ですか…」


 杉下が納得の様子を見せる中、ツーサンは説明を続ける。


「本国では現在、私からの報告内容を受けて、調査を兼ねた外交使節団の派遣準備を進めております。1か月以内に到着すると思いますので、そちら側も準備をしていただけると幸いです」


「分かりました。この事を直ちに本国の政府に連絡します。よき関係が築ける事を心待ちにしております」


 二人は握手を交わし、にこやかな笑みを浮かべる。果たしてツーサンの言う通り、2週間後に外交使節団が飛行機に乗って来日し、1週間程度の協議を経て国交を樹立。ローディア帝国が結局正規の国交を結ばなかった事もあり、この『新世界』において三番目に国交を結んだ国となったのである。


・・・


9月29日 日本国東京都霞が関


 東京都は日本で最も人口の集まる地域となっているが、その数は常に700万前後で推移する様に調整されている。核戦争の危機が常に存在していた冷戦期、過度な集中が都市機能を低下させる中で戦略核兵器が投下されてしまった場合に生じる損害を低減させるための諸政策は、21世紀に入って露見した地方過疎化や、都内23区の人口過密化によって発せられた社会問題を解決するための方策として改良されていた。


 そのため皇居外縁の丸の内や永田町、霞が関、隼町より外に、近代的な高層ビルが次々と建てられていく一方、先述の四町域では明治時代の近代化政策が華やかなりし時代への回顧という観点から、外見にバロック建築様式を取り入れた合同庁舎群の建築・建築が進展。冷戦期はスターリン様式を取り入れたビルティング群が所狭しと並んでいた場所は、まるで100年以上前に時間の針が巻き戻ったかの様な、赤煉瓦の外壁と黒い瓦屋根に身を包んだ建物の映える街並みへと変貌していたのである。


 とはいえその例外の一つとして、そのスターリン様式建築物の生き残りである私的住居スペースの公邸『永田宮殿』と、新しく官邸として建設された『クリスタル・パレス』が存在していた。前者は外見のデザインはともかく建築物としての機能は未だに通用するものであり、計画時期にわざわざ建て替える程の必要性と経済的余裕が無かった事、後者は日本の政治体制に新たな風を吹き込む中で、どうして為政者の舞台までもが戦前の街並みへの回顧に付き合わなければいけないのか、といった批判の中で新しいデザインと機能美を求める風潮があった事が関係していた。


 そして官邸内会議室にて、ザスロフ外務大臣がジューコフ首相に向けて、今後の外交方針及び国家戦略について説明を行っていた。


「現時点で我が国は、ベルジア、マーレ、レムリアの三か国と正式な国交関係にあり、ローディアとも非公式ながら貿易状態を有しておりますが、外交面での課題は山積しております。まずこの世界はいわゆる覇権主義が隆盛を極めており、より慎重な舵取りが求められます」


 そもそもローディアが侵略を是としている風潮を詳らかにしている調子である。すでに防衛省と防衛軍統合参謀本部は、ローディア帝国は間違いなく宣戦布告をしてきて日本に攻め込んでくるであろうと見ていた。


「兎に角、軍事力では彼の国はベルジア・マーレ両国を圧倒しております。ベルジアの諜報部より幾つかの条件を受けて譲ってもらった情報によりますと、4000万の人口のうち90万が将兵であり、6個軍団を東部国境地帯に張り付けているそうです。他の戦力としては戦列艦や飛竜母船を中心とした帆走軍艦500隻、ワイバーンとその改良種ワイバーンロードで編制した飛竜騎900騎を有するそうです」


「…桁違いだな。技術的優位を以てしても厳しいのは目に見えている。して、参謀本部は方策を考えているのですか?」


 ジューコフの問いに答えるのは、統合参謀本部長の小鳥遊たかなし元帥だった。彼は『国土奪還戦争』時にて沖縄の奪還に寄与した英雄の一人であり、水陸両用作戦のプロフェッショナルとしても有名だった。


「はっ。確かに数は圧倒的でしょう。ですが我が軍は多数に対して少数で巧く立ち回る戦術を磨き続けておりました。敵が物量で攻めて来ようものなら、こちらは確実に戦略的な打撃を与えて、烏合の衆へと変えるのみです。そして国家保安省と共に、下準備を進めている最中です」


 小鳥遊はそう言いながら、高木たかぎ保安大臣と目を合わせるのだった。

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