2-5

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 三日後の夜。ダリアはいつも通り男装をして腰に剣をいた。もう二度とこの家に戻るつもりはない。


(この部屋も今日で最後か。こうして見ると寂しく……はねえな別に。ウチはこんなせまい空間で悪役令嬢として生きるなんてまっぴらだ! 見てろよ、騎士団に入って乙女おとめゲームの世界なんかぶちこわしてやる)


 ダリアは振り返らずに扉を開け、廊下に誰もいないことを確認してから部屋を後にする。執事長に指定されたルートを通って屋敷の外を目指したが、その途中で最悪の事態が起きてしまった。


「こんな時間に何をしているの?」


 まるでせしていたかのように、ダリアの前に継母が現れたのだ。その後ろにはダリアの専属侍女がひかえていて、ざまあみろと言いたげな表情を浮かべている。


「奥様、私の言った通りでしょう。最近のダリアお嬢様の行動が目に余ると……奥様たちが不在の間もこのように屋敷をうろついていたのですわ。使用人に対しても厳しく当たってきて……私は注意したのですが、耳を貸そうともしなくて」

「私もこの目で見るまで信じがたかったけれど……そのようなみっともない格好をして屋敷を歩き回っているなんて、恥ずかしい。今すぐ私の部屋に来なさい。仕置きを与えます」


 ここで継母に大人しくついていけば、二度と逃げ出すチャンスは巡ってこない。ダリアとしても引く気はなかった。


「お義母様に話すことは何もありません」

「……何?」


 継母は鋭くダリアをにらみつけるが、その視線に怯むダリアではもうない。


「私が何をしようがお義母様には関係ありませんのに、なぜここまでかんしょうしてくるのですか? 別に実の娘のようにあつかうわけでもなかったでしょうに」

「まさか、私にたてく気?」

「我慢の限界、とでも言いましょうか。お義母様の言う通りにするのが馬鹿らしくなりまして」


 ダリアの言葉に腹を立てた継母が手を振りかざす。気に入らなければすぐに手をあげる、幼少期の頃から変わらないやり方だった。

 ──パンッ。

 ダリアの頰を打つ音が廊下に響き渡る。


「そんな目で私を見るな! ここまで誰が育ててきたと思って……」

「てめえに育ててもらった覚えはねえよ」

「……え」


 思い切り頰を叩かれたはずみでダリアの口のはしが切れる。それを皮切りに、ダリアは指をポキポキと鳴らした。


「お義母様、親子げんっていうのは一方的にやるものじゃありませんことよ」

「な、何を言って……私はただしつけているだけなのよ」


 継母はいつもと様子の違うダリアにまどいの色を浮かべ、一歩後ろに下がる。


「何を突っ立っているの? 早くダリアを押さえつけなさい」


 侍女は継母の言葉でダリアをつかまえようとした。しかしダリアは軽々とかわして侍女のむなぐらを摑む。


「おきゅうをすえてやったのに、まだ足りねぇみたいだな」

「……ひっ」


 わざと継母に向けて侍女を突き放す。バランスをくずした侍女は継母を巻き込んで倒れ込んだ。


(こんな弱っちい相手をダリアは恐れていたのか?)


 尻もちをついた継母は恥ずかしさを隠すように声をあららげ、ダリアを責め立てる。


「お前は私に何をしたかわかっているの!? 誰か! 今すぐこのむすめらえなさい! ろうに閉じ込めて……」

「こんなけに何を騒いでいる」


 おうえんを呼ばれたらやっかいだなとダリアが思ったところに、今度は父親が姿を現した。


「旦那様、ダリアが私に暴力をふるったのです。ここまで必死に育ててきた恩をあだで返されて……どうかダリアが改心するよう罰をお与えください」

「先に手を出したのはそちらじゃないですか。その証拠にこの怪我を見てください」


 ダリアの口の端は切れて血が出ているが、継母は尻もちをついただけで怪我がない。どちらががいしゃかはいちもくりょうぜんだ。

 だがダリアの主張に父親は何も言わない。いつものように見て見ぬふりか……とダリアが半ばあきらめ、その場から立ち去ろうとした時だ。


「ダリア、お前は当面の間、この家を出なさい」

「えっ!?」

「旦那様!?」


 ダリアと継母がそれぞれ驚くも、父親は意にかいさずダリアに告げる。


「執事長に手配させる。ついてきなさい」


 継母はわけがわからない様子だったが、父親に異を唱えることはできないようだ。ダリアを睨みつけながら悔しげな様子で侍女の手を借りて立ち上がる。ダリアはそんな継母を横目に父親の後をついていった。


(まさかウチを助けた? どういう風のき回しだ?)


 とはいえこれまでがこれまでなのだ。大人しくついていくわけにもいかず、ダリアは逃げるタイミングを見計らう。


「逃げる必要はない」


 ダリアの考えていることがわかったのか、父親は前を向いたまま口を開いた。


「お前の話は執事長から聞いている。皇都へ行きたいのだろう」

「どうして……」

(執事長はウチの味方じゃなかったのか?)


 どこまで父親が事情を知っているのかわからず、ダリアは返答にきゅうする。


「私を監禁するおつもりですか」

「そうしたら、騎士になることを諦めるのか」

(やっぱり知って……)


 すべてをわかっていてあの場から連れ出した、ということか。ならばダリアも腹をくくる。こんなところで足止めをらうわけにはいかない。


「いいえ、諦めません。どんな手を使ってでも皇都へ行きます」

「なら、止める必要もないだろう」

「え……」


 ダリアからは前を歩く父親がどんな顔をしているのかわからなかったが、どこか温かみのあるこわに気分が悪くなった。


「今更、父親づらなんかすんじゃねぇよ。これまで散々見て見ぬふりをしてきたくせに」


 父親はダリアの言葉に立ち止まると、ゆっくり振り返ってダリアを見た。


「……そうだな。お前の言う通りだ」


 あっさり非を認めた父親に、ダリアはそれ以上何も言うことができなかった。これまでしいたげられてきたダリアのためにも、もっとなじる言葉はあっただろう。しかし、初めて見せた父親のあいせつのこもった表情を前に、ダリアはどうしてか泣きたい気持ちに襲われる。

 それは怒りからなのか悲しみからなのかはわからなかったが、父親の前でなみだを見せる失態をけたかったダリアは、ぐっと拳を握りしめる。


「急ごう。執事長が待っている」


 父親に先をうながされ、ダリアは「うっせ……」と聞こえないように呟きながら、後をついていくのだった。


「旦那様、ダリアお嬢様!」


 屋敷の外に出ると、執事長が馬車と共に待機していた。ふたりで現れたことに、安心した様子だ。いつもの調子を取り戻したダリアは、執事長に礼を告げる。


「執事長、お世話になりました」

「とんでもないことでございます。私こそ、勝手にお嬢様のことを旦那様にお話ししてしまい、申し訳ございませんでした」


 ダリアはうなだれる執事長に「気にしないでください」と告げると、改めて父親と向き合った。


「私は必ず騎士になります。この家に戻るつもりもありません。この先、アグネス侯爵家がどうなろうと知ったことではありませんが、ひとつだけ忠告です。このままお義母様を放っておくつもりですか? せめて当主としての役割は果たすべきではないでしょうか」


 ヘデラの暗殺すいに継母が関与している。父親もそうであるという確証はないが、言外に騎士になることを認めてくれた父親へ、せめてものせんべつのつもりだった。


「……元気でな」


 肯定でも否定でもない。最後はダリアを案じる言葉を放った父親に、ダリアは背を向けた。どんな顔をしていいかわからなかったからだ。

 ダリアが乗り込むと、すぐに馬車が走り出す。こうして、ダリアの新たな人生が幕を開けたのだった。

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