美少女の幼馴染が「好きな人が出来た」と言っていたので勝手に失恋してたら、実は好きな人が俺だった件について。

水垣するめ

夏色サイダー! 君が好き!


 夏休みの星が良く見える夜に、俺は幼馴染の古川晴海に呼び出された。


「なんだよ、こんな遅くに……」


 せっかく漫画を読みながら夏休みの夜を満喫していたのに、メッセージで邪魔された俺、葉波蒼人は悪態をつきながらもスマホの画面を閉じ、ベッドから起き上がった。


「ちょっと外行ってくる」


 リビングにいた母親にそう告げる。


「あら、どうしたの?」

「晴海が聞いてほしいことがあるって言っててさ。タイヤ公園まで行ってくる」

「あらあら……そう。行ってらっしゃい」


 母親は何か思い当たったような顔で、意味ありげにそう言った。

 俺は理由が分からなかったので、それを特段気に止めることはなく、「んじゃ、行ってきます」と言い外へ出た。


「あっつ……」


 玄関の扉を開けると、夏特有の暑さとむわりとした湿気が多めの空気が肌に触れた。

 呼び出されたのは、近所の公園。

 よく晴海と他愛もないことを話す時に使う公園で、タイヤの遊具があることからタイヤ公園というあだ名がついている。


「ってか、ほんとに暑すぎる……」


 公園までの道を歩きながら、夏のしつこい暑さに俺はうんざりとした息を吐いた。


「無理だ、サイダー買おう」


 夏の暑さに両手を上げた俺は、公園に行く前に自販機へ寄り、冷たい飲み物を確保することに決めた。

 お金を入れて、ボタンを押す。

 ガゴン、という音と共にペットボトルが出てきた。

 シュワシュワと音を立てているそれを取り出し、公園へ向かおうとしたが。


「……あいつの分も買ってやるか」


 もう一本、晴海のためにサイダーを買ってやることにした。


 そしてまた歩き出す。

 すぐに公園についた。

 公園のベンチには亜麻色の髪のミディアムボブの少女が立っていた。暑いからか、部活のTシャツと短パンでかなりラフな格好をしていた。

 晴海だ。

 俺は近づいて手を上げる。


「よ」

「あ、アオ……」

「ん」


 俺はペットボトルを差し出した。

 晴海はそれを見て不思議そうに首を捻って聞いてきた。


「これなに?」

「俺の奢り」

「ほんと!? やったー!」


 奢りと聞いた瞬間、はしゃぐ晴海。


「お前、ほんと現金な奴だな……」


 そんな晴海に呆れながら、俺は晴海の横に腰を下ろした。


 ペットボトルの蓋を開けると、プシュ、と炭酸が抜ける音が鳴った。

 俺達はサイダーを飲んで、一息つく。


「それで、何の相談なんだ?」

「え?」

「え、じゃねぇよ。メッセージの文面見りゃ何か相談があるってまるわかりなんだよ。何年幼馴染やってると思ってんだ」


 晴海は見透かされていたことに照れ臭そうに笑った。


「アオは何でもお見通しだね。やっぱり幼馴染だ」

「まぁな」

「ねぇ、覚えてる? 小学校の私たちのが出会った時のこと」

「覚えてるよ。一年生の時、お前、一番最初の授業なのに教科書忘れて泣きかけてたよな。今でも思い出すよ」


 あの時、隣の席だった俺が机をくっつけて教科書を見せてやったのだ。

 晴海とはそれから小学校、中学校、高校と一緒で、もう十年近くこうやって隣にいる。

 幼馴染。親友。

 俺達の関係を表すならその言葉がぴったりだろう。

 晴海が隣にいるのは俺にとっては当たり前で、息をするように自然なことだった。


「ちょっ、それは……!」


 恥ずかしい過去を掘り返されて、晴海が焦ったようにわたわたと騒いだ。

 俺はそんな晴海の様子を見て笑みが零れた。


「ははっ」

「もー、なんでそんなこというの! ……でも、アオはいつだってそうやって私のことを助けてくれたよね」

「…………急になんだよ」


 いつもの溌剌とした性格に似合わず、湿っぽいことを言い始めた晴海に、俺は少し違和感を覚えた。

 俺の質問に、晴海は少し沈黙した後、夜空を見上げて、口を開いた。


「私ね、好きな人が出来たの」

「え?」

「だからさ、出来たの。好きな人」


 好きな人。


 耳の中でそのフレーズが反響した。


 ドクン、と心臓が跳ねた。

 なんで? 晴海に好きな人?


「ど、どういうことだよ」

「そのままの意味。好きな人が出来たんだよ。異性として」

「……え」


 俺は呆然とした。

 晴海に、好きな人が、出来た。


「だ、誰──」


 誰なんだよ、と言おうとして、口をつぐんだ。

 その人が誰かを知って、何になるのだろう。


「そ、っか、……おめでとう」


 俺はなんとか祝福の言葉を口にした。

 晴海は寂しそうに笑った。

 それが俺には別れを告げているように見えた。


「うん、ありがとね」

「……」

「今日はそれだけ言うつもりだったから。じゃあね」


 晴海はベンチから立ち上がった。

 そして口をつけただけのサイダーを持って、家まで帰っていった。

 俺はただそれを見送るだけだった。



「──い! おい! 蒼人!」

「え?」

「急にボーッとしてどうしたんだよ。お前なんか今日変だぞ」

「……ああ、いや、すまん」


 俺の前の席に座っている友人の久保哲也は、呆れたようなため息をついた。

 今はどうやら昼休み時間のようだ。

 朝登校してからの記憶が無い。

 いつの間にか時間が飛んでいたらしい。


「それで、お前聞いたか? 晴海ちゃんの話」

「は? 晴海の?」

「そうそう、最近晴海ちゃんが告白された──」

「はぁ!?」


 ガタン! と俺は机から身を乗り出して哲也の肩を掴んだ。


「うわ、蒼人!?」

「く、詳しく教えてくれ!」

「今教えるから! 落ち着けって!」


 哲也から引き剥がされ、席に座り直させられる。


「晴海ちゃん、同じ水泳部の仁川先輩から告白されたらしい。今、結構話題になってるぞ」

「それいつだ!?」

「昨日だけど」

「なっ!? なんであの人が!」

「明後日から夏休みだろ? 夏休みに入る前に彼女作りたかったんじゃねぇの?」


 俺は頭をグシャグシャとかきむしった。

 晴海の所属している水泳部は、正式には男女で別々の部活だが、どちらも人が少ないので一緒に練習することも多く、今や殆ど同じ部活として認識されている。

 そしてその仁川先輩は水泳部に属しており、同時に学校一番のイケメンとしても知られていた。

 しかし、俺が一番ショックを受けたのはそこではない。


「そりゃお前、晴海ちゃん可愛いし。めっちゃ元気で性格良いし当然だろ。はぁ、あんないい子がお前の幼馴染なんて信じられないよ」


 哲也はため息を吐いたが、俺も信じられなかった。


「ってか、お前知らされてなかったの?」

「……………ああ」

「…………そっか、なんか、ごめん」


 そう、ショックだったのは学校一といわれるイケメンに告白されたことではない。いや、それも確かにショックなのだが、本当にショックなのは、晴海から告白されたことを聞いていなかったことだ。


 幼馴染でも、所詮は他人だったのだろうか。


「……ちょっと屋上行ってくる」

「俺も──」

「哲也、ありがとな。けど、ちょっと空気が吸いたいだけだから」

「……はぁ、わかったよ」


 哲也は気を遣ってくれたが、俺はどうしても一人になりたい気分だったのでそれを固辞した。

 屋上の扉をガチャンと開け、俺は屋上へと足を踏み入れた。

 屋上には常に風が吹き、夏とはいえ暑さが気にならない。

 俺は屋上にごろんと寝転がった。

 屋上には、落ち込んだ時にくる。

 そして、こうして寝転がって空を見上げると、もやもやした気持ちも少しは晴れた気がした。


(晴海は付き合うんだろうか)


 俺はハッと気がついた。

 そうだ。昨日晴海は「好きな人が出来た」と言っていたのだ。

 このタイミングでそう言ったということは、当然もう二人は付き合って──


 俺の中で全て繋がった。

 ズキン。

 俺はそこまで考えて、心が痛んだ。


「何だよこれ……」


 なんでこんなに心が痛いんだ。

 晴海は幼馴染の筈なのに。

 別に恋人が出来たって関係無いはずだ。

 なのに心は痛い。

 なんでこんな──


 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

 それで思考は打ち切られ、俺は立ち上がった。


「…………はぁ」



 ブン!と大きな音を立ててバットが空振った。


「おい葉波! なんだ今の空振りは!」


 放課後、部活中。

 あの後、昼休みからもずっと調子が出なかった俺は、バッティングのために投げられたボールを空振ってしまった。そして運悪くちょうど顧問の蔭山先生に見られてしまったようだ。


「すいません!」

「ちょっと来い!」


 俺は帽子を脱いで顧問の元へと小走りで向かう。

 蔭山先生は厳しい先生だ。

 俺は怒鳴られるのを覚悟した。

 しかし、蔭山先生の声音は、思ったよりも厳しいものではなかった。

 それどころか、どこか気遣うような雰囲気まである。


「どうした、葉波。お前らしくないな。何かあったのか?」

「……すみません」


 本調子じゃない理由は自分でも分かっていたが、どう説明していいのか分からず、ただ謝った。


「恋愛か?」

「は?」


 蔭山先生から予想していなかった言葉が飛び出したので、俺はつい聞き返してしまった。

 そしてすぐに理解すると否定しようとした。


「いや、あの……」

「隠そうとしなくていい。顔にでかでかと書いてあるからな。先生もそんな時があった」

「は、はぁ……」


 顎を撫でながらうんうんと頷かれた。別に俺の恋愛話ではないのだが、適当に話を合わせておく。


「こんな時に練習に身は入らないだろう」


(これは、もしかして、今日は帰らせてくれるのか?)


 俺は少しテンションがあがった。

 確かにもう今日は練習に身が入る気がしないし、心の整理もつけたいのでこのまま帰りたい。

 俺は急に親切になった蔭山先生に尊敬の念を抱こうとして──


「よし、取り敢えずグラウンド百周走ってこい」

「え!?」

「こういう時は走るのが一番なんだ。いいから走ってこい」


 有無を言わさずランニングへと向かわされる。


(いつもの練習よりキツくなってんじゃねぇか!)


 さっきまでの尊敬の念を俺は撤回した。

 グラウンドを走っていると、野球部の面々から野次を飛ばされた。

 哲也も混じって笑っている。


「おい、アイツ走らされてんぞ!」

「何やらかしたんだ〜!」

「もっとスピードあげろ〜!」


「うるせぇ!」


 結局、部活終了まで俺は走り続けた。

 五十周へと突入したところだった。

 体は疲れ果てていてが、ずっとあったもやもやしていた気分は不思議と晴れていた。

 確かにこういう時は走るのが一番だ、と納得させられた。


 そして片付けを終え、制服に着替えた俺は部活仲間と別れ、正門前まで向かった。

 正門前まで来て俺ははた、と気づいた。

 正門前まで来たのはいつも晴海と帰っていたからだ。

 けど、今晴海は──


 しん、と心が冷たくなるのを感じた。


「…………帰るか」


 俺は踵を返し、一人で帰り始めた。

 もうすっかり暗くなっている道を、一言も発することなく俺は黙々と歩く。

 いつもなら、晴海が部活であったことなどをとめどなく話して、俺はそれに相槌を打っていた。

 だからか、余計に寂しく感じられた。


「ちょっとちょっとー!」


 急に後ろから大声が聞こえた。

 振り返ると、晴海が俺に手を振りながら走ってきているところだった。

 俺のところまでくると、膝に手をついて息を整えて、少し怒った表情で俺を見た。


「なんで何も言わずに先に帰っちゃうの! いつも一緒に帰ってたじゃん!」


 何も言わずに、という言葉に、俺は少しイラッとした。

 俺は晴海から目を逸して応える。


「……別に関係ないだろ。早く帰りたかっただけだ」

「いや、関係無いわけないじゃん! だって私たち幼馴染なんだよ?」


 ぷちん、と頭の中で何かが切れた。

 関係無い?

 お前だって俺に何にも言ってないじゃないか。


 幼馴染なら、なんで仁川先輩のこと言ってくれないんだよ。


「…………何がだよ」

「え?」


 ハッ、と俺は笑う。


「仁川先輩に告白されたんだろ?」

「っ! ……それ、は」


 晴海はビクッ! と身体を竦ませ後ずさる。

 その動きに合わせて亜麻色の髪が揺れた。


「なんで俺には何も言ってくれないんだ? 幼馴染なんだろ?」


 晴海は答えない。


 心はどんどんと冷えていく。

 これが悲しいという感情なのだろうか。


「………俺って、その程度か?」


 その呟きは、晴海へというより、最早自分に向けたものだった。


「っ、違う! そんなことない! アオは──」


 さっきから俯いている俺は、もう晴海がどんな顔をしているのかも分からない。

 晴海の前にいるのが辛い。

 俺は早く帰ろうと、別れの言葉をねじ込んだ。


「……ごめん、もう帰るわ」


 最後にひねり出した言葉は夏だというのに、寒々しく響いた。

 俺は振り返り歩き始めた。

 後ろから晴海が「アオ!」と呼ぶ声が聞こえたが、俺は振り向かない。


「…………」


 歩調はどんどんと速くなっていく。


「………………クソッ!」


 最低だ。

 完全に八つ当たりだった。

 俺は晴海の中で大きな存在だと勝手に思い込んで、思い上がって、そして筋違いの怒りを晴海にぶつけてしまった。


 無様で最低すぎる。


 自己嫌悪で口の中に苦味が広がっていく。

 それを噛み締めて俺は家へと帰った。



「なぁ、昨日より顔色が酷くなってないか……?」

「……ちょっとな」

「何でそんなことになったんだよ」


 机に突っ伏しながら答えると、哲也は呆れたようにため息をついた。

 今は終業式を終えてHRの前の時間だ。


「お前、晴海ちゃんと喧嘩したの?」

「……」


 いきなり核心をつかれて俺は黙った。

 哲也はその反応を見て、信じられないとばかりに首を振った。


「はぁ!? ほんとに喧嘩したの?」

「……そうだよ」

「何やってんだよ……。どうせお前が何かしたんだろうけどさ……」


 哲也の俺に対しての酷い言い草に少しイラッとしたが、本当のことなので何も言い返せない。


 本当に酷いことをしたのだ。俺は。


「葉波くん、いる?」


 名前を呼ばれた。

 顔を上げて声の主の方を見た。


「…………っ!」


 教室の扉の前に仁川先輩がいた。

 ガタッ! と俺は思わず椅子から立ち上がった。

 仁川先輩は俺を見つけると、ニコリと笑いかける。

 余裕の態度だ。

 俺は扉の方まで向かう。

 話しかける声はついトゲトゲしくなった。


「…………何か用ですか」

「ちょっと話したいことがあるんだけどさ。HR終わったら中庭まで来てくれない?」

「話って?」

「古川さんについて、ちょっとね」

「……へぇ、分かりました。中庭ですね?」

「ああ、よろしく。それじゃ」


 仁川先輩は微笑を崩すことなく去っていった。


 そしてその後つつがなくHRも終わり、いよいよ夏休みに突入した。

 各々が友達と話し込んだり、部活の準備をしている中、俺は無言で教室から出た。


「待って!」


 いきなり手を掴まれた。

 振り返ると、手を掴んできたのは晴海だった。


「昨日のこと、ごめん」

「え?」

「私、アオに隠しごとしちゃったから」


 違う。

 それは違う。

 晴海は悪くない。

 悪いのは俺なのだ。

 昨日言った幼馴染だから隠しごとをするな、なんてのはただの俺のわがままでしか無い。


「違う、俺が悪かったんだ。幼馴染だからって、隠しごとするなってのは勝手すぎるのに、それを晴海に押し付けて……本当に最低だ……」


 言いながら、自分が情けなくて俺の視線は下へ下へと向かっていく。


「ちがう、ちがうのアオ……」

「違くない。だって──」

「ねぇ、なんで私の顔を見てくれないの?」


 ハッとして、顔を上げた。

 見上げた晴海の顔は、今にも泣きそうな表情になっていた。

 そうだ、俺、昨日から何回晴海の顔見てたっけ──?


「なんで私の話を聞いてくれないの」


 晴海は悲壮に顔を歪めて、涙を一粒溢した。

 息が詰まる。

 俺は今まで晴海に対して何を──。


 晴海が涙を浮かべた瞳で俺を睨みつける。


「アオなんてもう知らない!」


 晴海は駆け出した。


「待っ──!」


 俺は手を伸ばす。

 しかし今更晴海の手を掴もうとしても遅かった。

 駆け出した晴海は、その運動神経を活かしてもう廊下の向こう側まで行っていた。


 伸ばした手を下げる。

 廊下はしん、と静まり返って、孤独感を一層引き立てた。


「……」


 俺は仁川先輩の待つ中庭へと向かった。



 ぐるぐると、困惑している。

 さっきの晴海の顔が頭から離れない。


 俺は歩きながら、さっきのことを思い出しては自己嫌悪に陥っていた。


 仁川先輩との約束の場所である中庭は人気は少なく、木々や草で周囲からの視線を遮れるのでこうした話をするときにはうってつけだった。

 中庭につくと、もう仁川先輩がいた。

 仁川先輩は変わらない微笑で、俺に手を上げる。


「やあ」

「どうも」


 俺は仁川先輩に対峙する。


「昨日から古川さんが落ち込んでるみたいなんだけど」

「え?」


 予想だにしていない話の切り口に、俺は一瞬何を言っているのだと思ったが、すぐに理解した。

 これは、言外に「俺の彼女に何かしたのか?」と問うたのだ。


 やっぱり晴海はこの人と──。

 頭が痛い。喉がカラカラに乾いている。


「君、何か彼女に言ったよね」

「……そうだとして、それが何か先輩に関係あるんすか?」


 せめてもの強がりで、俺はそう答える。


「あるに決まってるじゃん。俺は古川さんに告白したんだし」

「……っ!」

「じゃあ逆に聞くけど、君は関係ないの?」

「……俺は、関係無いですよ。ただの、幼馴染なんで……」

「へぇ、そうなんだ。とてもそうは見えないけど」


 あくまでも余裕ぶってそう言う仁川先輩に、俺は腹が立ってきて、つい声を荒げた。


「さっきから何なんですか! 何が目的なんです!」

「だから言ってるでしょ。古川さんのこと──」

「知りませんよ。彼氏なんだから、あんたの方が近いだろ! いちいち俺に聞かなくたって──!」


 なんでそんなことを聞くんだ。

 晴海と付き合ってるんだ。俺に聞くより本人に聞いてくれ。

 もう限界なんだ。

 俺を追い詰めないでくれ。


 そう願いを込めて俺は叫んだ。


 しかし、返ってきた返答は予想だにしないものだった。


「は? 何言ってるの? 俺、古川さんと付き合ってないけど」


「…………え?」


 俺はポカンとして声を上げた。


「だ、だって最近告白したって……」

「告白したけど振られたんだよ。別に告白したからって付き合ってるのとイコールじゃないでしょ」

「いや、でも、それじゃあ……」


 顔がサーッと青くなる。

 仁川先輩と晴海が付き合ってないのだとしたら。


「俺はなんてことを……」


 その言葉は後悔と共に口から零れ出た。

 仁川先輩も「知らなかったの?」と呆れ気味だ。


「好きな人が落ち込んでたんだ。原因に話を聞きたいと思うのは当然だろ? というか、それぐらい、させてくれ」


 自嘲気味にそう言う仁川先輩に俺は謝る。

 振られたのだとしたら、随分と俺は失礼なことを口にしていたことになる。


「す、すみません。俺知らずに──」


 しかし仁川先輩は手で制止する。


「やめてくれ、そんなことを言われる方が傷つくから。それより古川さんのこと、何とかしてよ」


 そう言われて俺はハッと思い出す。


(そうだ! 今すぐ晴海のところに行かないと……!)


「すみません! 先輩、俺晴海のところに行ってきます!」

「待って!」


 踵を返し駆け出そうとした俺に仁川先輩が叫ぶ。

 焦りながらも振り返る俺に、仁川先輩は「最後にさ」と言った。


「キミ、古川さんのこと好きなんだろ?」

「はぁっ!? そんな違っ──!」

「違うなら、さっきの顔は何なんだよ」


 つん、と冷たい声だった。

 俺は息を呑んだ。

 仁川先輩の表情はさっきまでの余裕そうな笑みとは違い、真剣だった。

 しかしすぐにフッと表情を緩めて、いつもの微笑へと戻った。


「もう自分でも気づいてるんだろ、古川さんのことが好きだって、さ。じゃなきゃ、あんな苦しそうな顔にはならないよ」


 先輩の言葉に俺は雷に打たれたように固まった。

 仁川先輩の言うとおりだった。


 そうだ。

 本当は気づいてる。

 必死に見ないフリをしてきたが、晴海のことでこんな気持ちになるのを恋と呼ぶことなんて、心のどこかでとっくの昔に分かっていた。


 それでも見えないフリをしてきたのは、関係が変わるのを恐れたから。

 晴海に拒絶されるのが怖かったからだ。


 拳を握りしめる。


 もう逃げるのはやめて、認めるんだ。


「……そうです」


 声を絞り出して、俺は認めた。

 仁川先輩は満足そうに頷く。


「うん。それだけ聞けたら満足。じゃあ、早く古川さんのところに行って」

「ありがとうございます」

 

 仁川先輩は余裕そうな笑みで手を振る。

 その余裕ぶった態度に、俺は最初とは違って感謝して駆け出した。



「ごめんなさい。私、好きな人がいるんです」


 振られた理由はそれだった。

 実はなんとなく振られるだろうな、と予想していたので、玉砕したのにどこか平静だった。

 自分の好きな人なんだ。その人の想い人なんて何となく分かる。

 彼女の好きな人とは、毎日二人で帰っている彼のことだろう。


 部活の時、何度も古川さんは彼のことを話していたので、幼馴染であることも、彼女に一番近い存在であることも知っていた。

 幼馴染で、親友で、ずっと一緒だったことを聞いた。


 学校の部活の一先輩如きが入る余地もない関係。


 想いを伝える前に、自分が失恋したのだと悟った。

 なぜ自分の立ち位置があそこじゃ無いのだろう、と何度も考えた。


 俺じゃ絶対に届かないなんて、分かっていた。


 なのに告白したのは、どうしようもなかったからだ。

 自分の好きという気持ちは誤魔化しようがない。


 だから、自分の気持ちにケジメをつけるために告白をした。

 予想通り振られて、どこか安堵した自分がいた。


 よかった。これでやっとあの眩しいほどの関係を見て、報われない想いに苦しまなくて済む、と。


 そうして自分の気持ちに整理をつけたはずなのに。

 その後すぐにその関係にヒビが入った。


 傷ついている彼女を見て、「今ならあそこに入り込めるんじゃないか」なんて考えた。

 俺が恋敵の彼にとって代われるんじゃないか、なんて夢を見た。


 けど、その涙が誰のために流れているのかを考えて、伸びた手はすぐに引っ込んだ。


 古川さんの元へと駆け出して行く彼を見送ると、振っていた手は行き場を無くして、下ろした。


「何とかしてよ。俺じゃ無理なんだからさ」


 君なら、伸ばせるはずなんだ。

 生憎俺じゃ届かなかったけど、君は誰よりも彼女の隣にいるんだから。


 そんなことを考えていると、途端に視界がボヤケた。


「やっぱり、キツイな……」


 いくら余裕ぶったって、失恋は辛い。

 せめてもの意地で後輩の前では何でもない様子を見せていたが、そんな虚勢ももう限界だった。


「早く次見つけないと」


 その呟きは、中庭に吹いた風が攫って行った。



 廊下を駆ける。


 冷房のついていない夏の廊下は暑く、五分も走り回っているとすぐに汗が出てくる。

 目的地は決まっている。

 こういう時、晴海のいそうな所は分かっている。


 ガチャン!と乱暴にドアノブを捻って、スチールか何だか分からない扉を開いた。


「晴海!」

「…………アオ?」


 晴海はプールサイドに座っていた。足をプールの水にちゃぷちゃぷとつけて、赤くなった目元を指で拭っていたところだった。

 俺は晴海の側まで歩いていって、プールサイドの側に立った。

 晴海は俺を見て驚いた表情になった。


「なんでここが──」

「当たり前だろ。幼馴染なんだから」

「アオ──」

「ごめん」


 俺は頭を下げた。

 誠心誠意謝る。


「ごめん、俺、晴海の話全然聞いてなかった。酷いことも言って晴海を傷つけた。本当に、ごめん」


 頭を下げたまま、晴海の反応を待つ。

 少し間があって、晴海が口を開いた。


「顔、上げて」


 俺は言われたとおりに顔を上げる。

 顔を上げると、晴海は俺の目の前に立っていた。

 そして晴海は俺のことを少しの間ジロっと睨んでいたが、フッと顔を崩した。


「許してあげる」


 イタズラっぽいその笑顔が可愛くて、俺はドキっとして顔が赤くなった。

 晴海のことが好きだと自覚した瞬間、晴海がとてつもなく可愛く見えてきた。

 プールに反射した光が、ちかちかとして、目を細めた。


「……私も、ごめん。二つ隠し事してた」

「え?」


 晴海に見惚れていて反応が遅れた。


「一つ目は、先輩のこと。告白されたこと、アオには隠してた。ごめんね」

「あ、いや、それは幼馴染だって知られたくないことだってあるだろうし、俺の方が──」

「違うの!」


 晴海が叫んだ。


「アオだから、隠し事したくなかったの!」


 俺はその言葉の意味を掴みきれなかった。


「な、なるほど……?」

「いや、その反応は分かってないじゃん」


 晴海が頬を膨らませて怒る。


「ご、ごめん」

「はぁ……いいよ。アオはいつもそんな感じだったし。──だから、私が踏み出そうって思ったし」

「え、なんて?」

「しらなーい」


 最後の部分が聞き取れなくて、俺は聞き返す。

 しかしツーンとした晴海にはぐらかされてしまった。

 そして晴海は「それでね」と言って真剣な表情へと戻った。


 頬は紅潮し、目は潤んでいた。


「二つ目は、私の好きな人のこと。この前、あんな言い方したけど私が好きなのは──」

「あー、晴海、待って」

「え?」


 真剣な表情で話し始めた晴海の言葉を遮ると、まさかここで遮られると思っていなかったのか、晴海がポカンとした表情になる。


「晴海が一つ言ったから、次は俺に言わせて」

「いや、アオ──」


 晴海の言葉を遮って俺は話し始めた。

 今言いかけていた晴海には申し訳ないが、晴海の好きな人を聞く前に、これはどうしても言っておきたかったのだ。


「晴海、好きだ」

「だからアオ、って──はぇ?」

「好きだ」


 お互い無言で数秒間見つめ合う。

 先に言葉を発したのは晴海の方だった。


「うそ……」


 晴海は信じられない、といった表情でふるふると首を振った。


「嘘じゃない、ほんとだ」

「うそ、うそうそうそ」


 俯いて口に手を当てた晴海は何度も首を振る。

 そしてふらふらとよろめいて、プールサイドに足を引っ掛けた。


「あ」


 晴海がそんな声を出しながら体勢を崩す。

 俺は晴海の腕を掴もうと手を伸ばした。

 ギリギリまで手を伸ばす。

 手を掴むことには成功した。

 しかし水でプールサイドが濡れていたせいだろう、俺も足を滑らせた。


 二人でプールへと落ちていく。

 水面はきらきらと反射して、小さな波がゆらゆらの揺らめいている。

 晴海と目が合った。

 びっくりして見開かれた瞳は水面と同じようにキラキラと輝いていた。


 スローモーションの世界の中、手をつないで二人は落ちていく。


 ばしゃん!と大きな音を立てて俺達は水の中に落ちた。

 青い水の中ををごぼごぼと泡が上っていく。

 それはシュワシュワと鳴る炭酸のようで。

 まるで、サイダーの中に落ちたみたいだった。


「ぷはっ!」

「げほっ、げほっ! 晴海! お前何して──」

「アオ!」


 俺がボーッとしてプールに落ちた晴海を、激しく咳込みながら叱ろうとすると、晴海が急に俺に抱きついてきた。


「は、晴海!?」


「すき!」


 晴海が大きな声で叫んだ。


「私も好き! アオが好き!」


 俺は呟く。


「…………うそだ」

「ほんとだよ。私アオが好きだもん」


 晴海も俺のことを好きだなんて、ちっとも予想していなかった。

 なので晴海の言葉が俄には信じられず、俺は頭を振る。


「うそだよ。だって──」

「ねぇ、また私のこと無視するの?」

「っ!」


 ハッと我に返った。

 そうだった。

 また晴海の話を聞かないまま自分で話を進めてしまうところだった。


「ごめん」

「いいよ」


 晴海はニコッと笑う。


「でも、じゃあ晴海の好きな人って俺なの?」

「え? そうだけど……他の誰だと思ってたの?」

「全然別の人を好きなんだと思ってた……」

「えぇーっ!?」


 晴海が叫ぶ。


「じゃあなんで告白してきたの!?」

「振られる前に告白しようと思って……」

「信じられんない! なんでそうなるの!」

「いや、だって、あんな顔しながら「好きな人が出来たの」って言ったら、俺じゃない別の人だと思うじゃん!」

「あれはアオがいつまでも私のこと異性として見てくれないから意識させようと思って言っただけで、そんな意味無いよ!」

「……じゃあ、全部勘違いだったってこと?」


 晴海は頷いた。

 なら、今までの俺が悩んでたことは、全部思い違いの取り越し苦労だったことになる。


 晴海は呆れたように頭に手を当てるとため息をつき、頭を振った。


「まさかここまで鈍いなんて……」

「う、ごめん……」

「はぁ……いいよ。アオがこれだけ鈍いから私から行動しよう、って思ったんだし。もう気にしない」

「ありがと──」

「だから、これからはそんなアオでも分かるようにガンガンいくからね」


 晴海が勝ち気な笑顔で俺を指差す。

 それに対して俺もニッと笑って答えた。


「ああ、よろしく頼むよ」


 遠くの空には入道雲が浮かんでいる。

 空はどこまでも青く、まるで海のように見えた。

 夏の暑さにうんざりすることもあるけれど、こうしてプールに入ればその暑さも忘れられる。


 こうして盛大な勘違いから始まったお話は幕を閉じた。

 しかし、まだ夏は終わらない。

 たった今、始まったばかりなのだ。

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