第16話 ジャックの正体

 サラが声を振り絞るように声をあげたときだった。玄関の扉がぎいっとゆっくり開かれた。清新な旭が公爵邸の中へと差し込んでくる。眩しさで目が眩み皆の動きが止まる。サラも目を細めたが、そこに大きな人影があることを認識した。

 

「待たせたな」

 

 それは聞きたくてたまらなかった声だった。

 

「ジャック!」

 

 動きの止まった兵士の隙をつき、サラはさらりとその輪から抜けた。そして愛しいその影へと飛び込む。

 

「サラ!」

 

 ジャックは抱え込むようにして丸ごと受け止めた。

 

「ジャックの馬鹿!遅いじゃない!」

「すまなかった。途中で大雨に降られて川を超えられなかったのだ。まさかウォールド王国の一行がこんなにも早く参られると思わなかったのだ」

「それでも、遅くても十日で戻るって言ったじゃない!絶体絶命だと思ったわ」

「ああ。そうだ。私が悪かった。許しておくれ、サラ」

 

 ジャックの胸の中でぽかぽかと軽くその胸を叩きながら涙声でなじる。それはどこからどう見ても恋人同士の痴話げんかだ。雫で煌めく琥珀色の瞳で愛しい人の顔を見上げると、口端がゆるりとあがっていた。

 

「ジャック。無事に帰ってきてくれてありがとう」

「ああ。もう少し遅かったら、私は後悔してもしきれなかったな」

「そのときはウォールド王国まで迎えに来てくれるんでしょう」

「ああ。もちろんだ」

 

 二人だけの世界に、先ほどまで騒々しかったオダン公爵邸は時が止まったかのようだった。騎士らは呆然とその光景を眺める。しかし、いつまでもそのままであるはずはなかった。

 

「ちょっと!その男は誰なの!?まさかレオン様を差し置いて浮気じゃないでしょうね!不敬罪にあたるわよ!」

 

 金切声が響き渡った。つんと耳をつくその声に、その場に居た誰もが眉を顰める。

 

(浮気だなんてどの口が言うのよ)

 

 せっかくの再会の抱擁を邪魔され、サラは大きな溜め息をついた。

 

「お前こそ誰だ」

 

 珍獣でも見るかのような眼で、ジャックはエミリアに視線を向けた。その麗しいいで立ちに、エミリアは一瞬で態度を軟化させる。起き抜けのネグリジェをみっともないと思ったのか、ガウンの前を締めながら腰をくねくねと動かした。

 

「私はレオン様の婚約者ですわ」

 

 くねくねと身体全体を動かしながら、レオンの隣へと移動する。そして蛇のようにその腕に巻き付いた。

 

「エミリアの言う通りだ。そなたは誰だ」

 

 レオンはそんなエミリアには目もくれず、真っすぐに険しい視線をジャックへと送っていた。レオンとジャックの間に居た騎士らは、そそくさとレオンの背後へと回った。

 

「わたくしの顔をお忘れですか?レオン殿がそのような方とは思いもよらなかったな」

「無礼な。私がお前ごときの顔を覚えてなければならないとは。私はウォールド王国の王太子だぞ」

「無礼はどちらだ。私はシルク王国の王太子、ジャック=シルキーにだぞ。お忘れか?以前、外遊の際に会見したが」

「えっ!?」

「ええっ!?」

 

 驚きの声をあげたのはレオンだけではなかった。ジャックの腕の中にいるサラもつい大声をあげ、ジャックの顔を見上げる。

 

「先ごろ、サラ令嬢はオダン公爵の養女となる認可がおりた。これにより、サラ公爵令嬢となり、我が国の人間となった。それゆえウォールド王国へと帰すことはできない」

「な……!それは困る」

「困ると申されても、相成った」

 

 ジャックは懐から紙切れを取り出すと、それを皆に見えるように提示した。サラが養女となった旨が明記されている。レオンはぎりぎりと奥歯を鳴らした。

 

「それじゃあサラはどうなるのですか!?」

 

 面々が集う廊下の後方から、大きな声が飛んできた。声を上げた人物は大勢いる騎士の間をかき分けてサラが居るところへと躍り出てくる。

 

「わたくしはサラの父、エドモン=オデールにございます。サラがオダン公爵の娘となれば、サラはその後、どうなるのですか?」

「私の妃として迎える」

 

 エドモンはぱあっと顔を明るくした。

 

「そう!そうですか!サラがシルク王国の王太子妃に!そうか!サラ、よくやった!」

 

 場にそぐわない拍手の音が響く。

 

「それではわたくしもシルク王国へとこのままとどまりましょう」

「は?」

「わたくしはサラの実父です。サラが王太子妃となるのをこの目で見届ける義務がございます」

 

(このままいけば、シルク王国での爵位ももらえるかもしれんな。そうなれば、ウォールドでも重要な位置を築ける)

 

「何を言っている」

「え?」

「サラの父親はオダン公爵だぞ。聞いていなかったのか?サラはオダン公爵の養女となったのだ」

 

 ジャックは憐れみの視線を投げかけた。

 

(まさかサラの父親がここまでとは思わなかったな。図々しいにもほどがある。一番大変なときに娘を守らなかった者を、守る義務は誰にもない)

 

「なっ。何を仰せになられますか、殿下。わたくしはサラの父親ですよ?」

「そなたは父親としてのつとめを果たしたのか?サラを駒のように使うだけで、自身の立場や権力のことだけしか考えていないのではないか?」

 

 痛いところを突かれ、エドモンは「ぐぬぬ」と言葉を窮した。しかし諦めの悪い男である。

 

「サラ!この父に対する恩を忘れたのか?」

 

 サラは恥ずかしいと思った。実の父がこのような醜態を晒してまで権力にしがみつく者であるとは、思ってもみなかったのである。

 

「お父様。育てていただいた恩は、婚約破棄をされ国外追放を受けたあの日にすべて果たし終えたものと思っております。申し訳ないのですが、はじめから娘などいなかったと思ってください」

 

 エドモンはもう口をぱくぱくとさせることしかできなかった。そうした頃合いで、騎士らの後ろからブリスの声が響く。

 

「それでは皆様、もう御用は済まれたことでしょう。どうかお引き取りを」

「オダン公爵!このまま私たちを国へ帰すというのか!?サラも私達を見捨てるというのか!?」

 

 レオンの叫びに静かに答えた。

 

「先にわたくしをお見捨てになられたのはウォールド王国にございます。わたくしはもうシルク王国の人間です。どうか、わたくしなどいなかったものとして、お幸せにお過ごしください」

 

 ウォールド王国の面々は「じゃあ私たちはどうしたらいいのか!」とごねていたが、ジャックが「では外交問題にするか?」と提案したため、レオンは「帰るぞ!」と吠えた。

 

 出て行くウォールド王国の者らを見送りしていると、エミリアがサラへと近づいてきた。身構えていると「なによ」とエミリアがサラに悪態をつく。

 

「なんであんたばっかりが良い位置に収まるのよ。私がレオン様と結婚できなかったら、一生許さないから」

 

 サラは分かりやすく溜息をついた。それにもエミリアは腹を立てたらしく「なによ」と睨んでくる。

 

「エミリア嬢に許されなくても、わたくしは痛くもかゆくもございません。その御立場を御守りになりたいのであれば、わたくしのことをお気になさるよりも、しっかりと王妃教育をお受けになられたらよろしいかと。これがわたくしからの最後のお小言です」

「本当。あんたって嫌な女。なんでも分かったような顔をして。大っ嫌い」

「もう会わなくて良いかと思うとせいせいしますね」

「ふんっ」

 

 ウォールド王国一行を乗せた馬車は、礼をすることもなくオダン公爵邸を出発した。ぞろぞろと行列を成すそれを、サラはただ黙ってじっと見つめた。ジャックはサラの心中を慮り、そっと肩を抱いた。


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