第二十一話:茜色の夕暮れと心地よい風

「――――目を覚ましたか」


 ――頭が重く、割れるように痛む。

 かけられた声に反応してゆっくりと瞼を開くと、上から覆うようにして覗き込まれた切れ長の目と視線がかち合った。

 桃色の髪が左目に出来た傷跡をサラリと撫でる。距離がとてつもなく近い。

 視界の隅で景色が激しく動き、浮遊感と微かな振動が繰り返し全身に伝わってくるところを見るに、何処かへ移動中だろうか。

 …………はて、俺は寸前まで何をしていったっけか。

 まだぼんやりとした頭の中で、直前までの記憶を振り返る。


「…………!? あのクソ老害はッ!!?」

「ちょ、あぶ――っつぅ!」

「痛ぇっ! ――いってぇッ!!」


 傾いていた身体を思わずガバリと起こせば、俺の頭と【魔人】の頭がおもいっきりぶつかり、そして【魔人】によって抱えられていた俺は、反動で仰け反った勢いのまま頭から地に落ちる。

 首から嫌な音が聞こえ、奇妙な態勢で地面へと転がってぶつけた頭と痛めた首元を押さえていると、すぐそばを【魔物】の触手が掠っていく。

 ヨロヨロと立ち上がって、周囲を見渡す。

 全方位の何処へ目をやっても、【魔物】の姿が見受けられた。

 ……全身の不調感は変わらず重くのしかかっているように、事態もまた、なんの変化も起きていない状態らしい。


わりぃ。どんだけ寝てた?」

「ほんの数える程度だ。気にしなくていい」

「数える程度ってそんな……」


 俺が言葉を発し終えるより先に、【魔人】は懐から一つの空き瓶を取り出して、ヒラヒラと見せびらかすように軽く振った。

 そんな素振りの最中でも、視界の端では満月の光を反射して煌めく無数の糸が、無尽蔵に動いて【魔物】を次々と仕留めている。


「解毒薬――というより、眠気覚ましか。、皆が此方こなたに渡しただろう?」


 あの時とはつまり、昨晩の野営地で商人が睡眠薬を俺たちに盛ろうとした際のコトを指しているのだろう。

 盛ろうとした、というよりは実際に盛られたし、俺たち、ではなく正確には俺を除いた四人だが。

 確かにあの時、たった一つしかない解毒薬を一体誰が飲むのかという話になり、満場一致で部隊パーティの生命線たる補助師――つまりは【魔人】が飲むべきだという形で落ち着いて、解毒薬はコイツの手に渡った。

 しかし、その解毒薬は既に使用されたはずだ。

 事実、あの夜の【魔人】は一睡もせずにずっと喋りっぱなし……だった、ハズ――――なのだが。

 ……そういえばコイツ、いつ薬を飲んだ? 少なくとも俺は、その瞬間を目にしていない。


此方こなたは【魔物】と【新生民ノヴァ】との間に産み落とされた存在だ。肉体の性質は【魔物】に限りなく近く、精神の性質は限りなく【新生民ノヴァ】に近い。つまり、この身体は食事も睡眠も必要としないのだ」

「オイ待て。テメェ、開拓者組合ギルドで散々食いまくってたよな」

「ちなみに、排泄機能もないが、生殖器はあるぞ」

「ヒトの話聞けや! つーか要らねぇよンな情報!!」


 【魔物】が悦楽を求めて人を食い殺すように、【魔人】もまた本来では必要のない食事という行為に快楽を感じていたというコトなのだろう。

 にわかには信じがたい話ではあるが、今こうして俺が起きてココに立っている以上は信じるよりほかるまい。

 というよりは真偽のほどは現状ではどうでもよく、それよりも優先すべきコトがある。

 意識が途切れる寸前、最後に聞いたあの呼び声は【魔人】のモノであった。

 であれば、俺が眠ってから目を覚ますまでの空白の状況を【魔人】は把握しているハズだ。 


「あの後、どうなった? あの商人は?」


 糸の包囲網を潜り抜けて迫る【魔物】を両断しながら、糸を操る【魔人】に問う。


「君を抱えて下がろうとした際に邪魔をされたため拘束したのだが、直後に【魔物】に群がられて跡形もなく食い殺されてしまったよ。優先順位は君の方が上だったため、救出はせずにその場から離れたのち、君にこの解毒薬を飲ませた。……此方こなたの行動は間違っていただろうか」

「いや、問題ない」


 あと少しでも【魔人】の到着が遅けりゃ、俺も商人と同じ末路を辿っていたのだろう。

 なぜ商人が【魔物】に襲われることなくあの場に訪れることが出来たのか、最後にしていた「助かる」という発言の意味について、気になるところはいくつかるものの、命には変えられまい。

 それに、二度もこちらを殺そうとした相手を助ける義理もないしな。


「んで、この後はどうしたらいい?」

「水源の断絶は済んだ。予定通り、此方こなたと君とであのを削る」


 木っ端の【魔物】をけしかけて、遠方で高見の見物を決め込んでいる水の【魔物】を見やる。

 鎧、と【魔人】が称したように、獣を形どるあの流水は本体を守るための武器を兼ねた強固な鎧なのだという。だから魔晶石は表出していないし、いくら削っても手ごたえがなかったのだ。

 しかし、青髪の女によって水の供給が断たれてしまった今、鎧を形成しているあの水を削り切ることが可能となった。


「つっても、肝心の方法はどうすんだよ。俺一人は半分程度が限界だし、オマエには手段がないんだろ?」


 レーヴァテインの使用可能回数は残り一回が限度であり、そしてその一度では、纏っている水の全てを消し飛ばすのは難しい。しかし、それ以上の行使は腕が文字通り焼け落ちるだろう。

 鍛冶師にとって己の腕は命よりも世界よりも大事なモノであるため、それだけは絶対に避けなければならない。

 死ぬのは別段怖くないが、武器を造ることが出来ないまま無様に生き恥を晒すのは、考えるだけでも恐ろしかった。

 命が助かっても、鉄を打てないというのなら俺は生きている意味がない。


「なに、策はある。まぁ、此方こなた一人の力ではなくマリシアンがいてこそ成り立つ方法だが」

「肝心のソイツはドコにいんだ?」

「身の丈に合わない量の【魔力オド】の操作と、上級の【汎用魔法】の乱発で鼻血を噴いてしまってな。今は近くて待機させている。無論、カナリアも一緒だ」

「大丈夫なのかよソレ」


 青髪の女の状態に関してもそうだが、この【魔物】が蔓延る状況下で魔法使いと弓使いを二人きりにして戦えるのか、という話だ。


「移動している状態なら難しいが、一か所にとどまっているのであれば、此方こなたの糸で簡易的な防衛拠点は張れる。【異界ダンジョン】内でのみ出来る力技だがな」


 視界を完全に遮断する程の膨大な量の糸を周囲で高速回転させることで、激流ですら容易に防ぐ、全方位を守る強固な盾を形成できるのだという。

 俺を助けた【魔人】が、津波に飲み込まれてしまった時のコトを思い出す。あの時も同じ方法で身を守ったらしい。

 ともあれ、【魔人】が自信満々にそういうのだから、あの二人の無事は保証されているのだろう。


「問題は、どうやって近づくかだな……」


 地下水脈と再接続される前に、全力をもって今この場にいる俺たち二人で水の【魔物】の本体を引きずり出す必要があるのだが――ソレを【魔物】自身も理解しているようで、先程まで散々暴れまわっていたにもかかわらず、今この現状では一歩引いた場所にいる。

 俺たちと水の【魔物】との間には、無尽蔵に湧いて出る無数の【魔物】の大群が陣取っていた。


「なに、この程度の木っ端であればそのまま通ればいいさ」

「つってもこの量だぜ、流石にそう簡単には――――」


 こともなげに言ってのける【魔人】に半眼を向け、思わずツッコミを入れるのだが……発した言葉は、直後に発生した現象によって、途中で失うコトとなった。

 眼前に広がる【魔物】の群れが、ものの一瞬にして燃え尽きたのだ。

 読んで字の通り、跡形もなく燃え尽きた。


「いくんだな、簡単に」

「いくのだ、簡単にな」


 これも【魔人】に言わせてみれば「【異界ダンジョン】内でのみ出来る力技」なのだろうが、ソレを踏まえても人の身で起こせる現象の範疇を超えている。


「道中に襲い掛かる木っ端は此方こなたに任せろ。君は水の【魔物】と相対した際に即座に迎撃態勢へ移れるよう、準備しておいてくれ」


 任せろも何も、俺じゃあ手も足も出せないままに、【魔物】共は細切れになるか燃やされるじゃねぇか。

 まぁ、戦わないで済むのであれば俺としては楽な話ではあるのだが。

 【魔人】の宣言通り、俺は全速力で走ることに注力し、その後を追う【魔人】が周囲の【魔物】を一網打尽にしていく。

 その最中で飛び散った肉片が頬にぶつかってきたり、熱波で毛が少し焼けたりもしたが、楽させてもらってる以上は文句を言えまい。

 ついさっきまでの一人きりで行っていた戦闘からは想像もできない程、楽に、そして呆気なく、俺たちは水の【魔物】の眼前までたどり着いた。

 こちらを目で捉えた水の【魔物】が口を開く。

 しかし、それよりも先に俺は全力で声を上げた。


「させねぇよ! 吠えろ――レーヴァテインッッ!!」


 銘を呼ぶ声に呼応して、握る大剣は蒼炎を纏う。腕の焼ける痛みと音が俺の顔を思わず歪めさせる。

 しかし悠長に痛みと向き合っているヒマなどあるはずもなく、水の【魔物】の咆哮がこだまする前に、跳躍した俺は上半身めがけてレーヴァテインを振るった。

 熱風が発生し、轟音と共に大量の水が瞬時に蒸気へと変換されていく。

 周囲一帯を瞬く間に覆う高熱の霧に全身を蝕まれながらも、発生する熱波の抵抗を押しのけてレーヴァテインを振りぬくと、レーヴァテインによって生み出された巨大な炎の波は水の【魔物】の上半身を丸呑みにし、そして跡形もなく消し飛ばした。


「いっ…………つぅ」


 レーヴァテインを手放し、急いで後退する。


わりぃ。やっぱ半身が限界だったわ」

「――むしろ、上出来ね。あとはあたしに任せなさい」

「うぉ、いつの間に」


 隣の【魔人】に声をかけたつもりだったのだが、【魔人】の代わりに返事をしたのは、いつの間にやら音もなく背後に立っていた青髪の女だった。


「とはいっても、借り物の【魔力オド】でむりやり行使する上級の【汎用魔法】なんて、あたしの実力とはとても言えないのだけれど」


 そう言って自嘲気味に笑う青髪の女の口元や鼻の下には、拭った血の跡が付着していた。


「――眠りへと誘う風の手、天の目すらも届かぬ冷たき陰」


 両手を前方へと突き出し、目を閉じた青髪の女は静かに言葉を紡ぐ。


「我が呼び声に応え、今一度その姿を。凍てつき、震える全てを呑め! 【インデ・エインフリーゼ】、マリシアン・アルカレスの名の下に!」


 決して長くはないものの、それでも戦闘の場においては大きな隙と成りかねない、そんな決して短くもない詠唱分を青髪の女は自身の名前でもって締めくくった。

 それと同時に、周囲一帯の温度が瞬く間に下がって極寒となって足元の雑草に霜が降り、パキパキというハッキリとした音を発しながら、レーヴァテインの炎によって発生した蒸気の海が凍っていく。

 そして、上半身の修復を懸命に試みている水の【魔物】を囲うようにして地面からいくつもの氷柱が生え、空気中で形成された氷の針が次々と【魔物】へと射出された。

 怒涛の攻撃である。並の生物では成す術なく殺されているだろうが、そんな【魔法】でさえ、水の【魔物】への決定打にはなりえない。

 しかし、表面上だけではあるが氷の幕が水の【魔物】を覆っており、形を持たずという水の特性は解消された。


「あれだけ形を成せば十分だ。予定通り、次は此方こなたが引き継ごう」


 【魔人】が右手を軽く振るう。

 たったそれだけの動作で夥しい数の糸が生成され、一瞬にして周囲の氷柱ごと水の【魔物】は糸によって一部の隙もなく覆われる。

 続けて、パチンという小気味のいい音が【魔人】の指から発せられると、その音を合図にして糸の塊は炎に包まれた。一瞬にして氷は解け、水もまた蒸発していく。魔法で生成された糸もまた、熱に耐えきれずに焼失していった。

 ――――こうして、あれほど悪戦苦闘を強いていた水の装甲は、呆気なく完全に剥がされた。

 そして。

 炎の波から、氷の雨から、糸の拘束から、そしてまた炎から。

 連続して襲い掛かる脅威を悉く回避した水の【魔物】、その本体が姿を現す。

 俺の目ではハッキリとは見えないが……あれはイヌだろうか? 子イヌ程度の姿をした小さな【魔物】が、炎から飛び出して逃亡を図る。


「カナ、お願い!」

「――おぅ! カナリア・イエラルムにお任せっすよ!!」


 青髪の女が叫ぶようにして名を呼ぶと、姿は見えないがそれほど遠くない場所からそんな声が聞こえてきた。

 それと同時に一本の矢が近くの樹からとてつもない速度でもって飛び出し、茂みへ飛び込もうとした【魔物】の魔晶石を的確に貫く。


「■■■■■■■■■■――――――――――――!!!」



 続けて二本、三本、と放たれた矢は全て【魔物】へと突き刺さり、凄まじい断末魔を最後に【魔物】は完全に制止することとなった。

 一瞬の静寂、その後――空が音もなく割れた。


「空が……」


 まるでガラスが砕け散るかのように、ヒビの入った空が無数の破片となってポロポロとはがれていき、その下から真っ赤な空が姿を現す。

 暗い月夜ではなく、茜色の夕暮れだ。

 鳥の無く声がどこかから聞こえ、心地よい風が毛先を優しく撫でた。

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