第13話 ★真夜中の舞踏会III

「でぇぇぇりゃああっ!!」


 やけくそ気味な雄叫びをあげて獅子奮迅の活躍を見せるシグネット。神がかった足技で次々と構成員たちを固い地面に沈めていく。


「これでラスト!」


 鬼神めいたシグネットは貨物倉庫に待機していた責任者リーダーらしき巨漢の頭にムーンサルトキックを喰らわせて新体操選手顔負けの鮮やかな着地を披露する。


 戦闘開始から一時間未満で累計十人の犯罪者を殺害した。


 社会のゴミ掃除としては上々だが任務の戦果としては微妙なところかな。


 結局のところ、この麻薬密売組織は【奴隷市場マーケット】の多重下請けで自分達の元請けが何者かすらも誰一人として知らない様子だった。

 

「ふぅ。これで撃墜スコアはあたしが六人で彩羽より二人多いから……勝負はあたしの勝ちね!」


 テンション高めなシグネットは勝ち誇った様なドヤ顔だった。


 倉庫に突入する際に「撃墜数スコアで勝負よ!」と言っていたけど……どうやらあれは冗談ではなかったらしい。


「負けた彩羽に何を要求してやろうかしら。ヤッバ、何だか急にワクワクしてきた!」

「罰ゲームをするならお手柔らかに頼むよ。出来れば金銭面は遠慮して欲しいかなー」

「ふっふーん。そう言われると余計にやりたくなるわねー」


 意地の悪い笑顔でニヤニヤと笑うシグネット。シグネットまでアイビスの真似をするのかな。勘弁してよ。


「……なるほど、シグネットはSの方なんだね」

「丁度いいんじゃない? 彩羽がMだからwin-winの関係になるわよ」

「勘弁して」


 戦闘が終わり気が緩んだのかシグネットは懐からスマホを取り出して現時刻を確認する。


「おっ、ギリギリだけど今日中に片付いたわねー。後は処理班クリーナーに連絡して事後処理を頼むだけね」


 終わってみれば呆気ないものだった。

 半年ぶりの空白期間ブランクで対人戦闘に支障が出ると一抹の不安を感じていたけど……どうやら私の射撃の腕前スキルはまだび付いてはいないらしい。


「何はともあれこれで任務完了ね」

「お疲れ。シグネットのおかげで早く片付いたよ」

「ふ、ふん。とーぜんよ、あたしがいれば百人力なんだからね?」

「うん。すごく頼もしいよ」


 私がそう言うとシグネットはポツリと何かを呟く。


「……あたし達って意外と相性良いのかな。援護も的確ですごく戦いやすかったし。なんだろ、初めてって感じがしないのよね……」


 私をまじまじと見詰めるその碧眼はどこか好奇心を抱いている様に見えた。


「何か言った?」

「な、何でもない。彩羽がMだから嫌がらせしたら逆にご褒美にならないかなって心配してただけ」

「OK。貴女の中での私のイメージが変態と遜色そんしょくない事だけは分かったよ」

「えっ、彩羽さんって変態だったんですか? 申し訳ないですけど気持ち悪いんで半径一メートル以内に近寄らないで下さい。よろしくお願いしまーす」

「シグネット。唐突な敬語が時に人を傷付けることをもっと知っておいた方がいいよ。日本の格言に『親しき仲に礼儀あり』という言葉があるけど逆にかしこまられ過ぎると過度な疎外感を覚える場合もあるんだよ。今後は留意して欲しいかな」

「いや、まず変態を否定しなさいよ。何あっさり受け入れてんの……」


 そんな他愛のない会話をしながら二人で倉庫から出ようとした瞬間だった。


「いやはや、随分と楽しそうな御様子ですね。羨ましい限りです」


 私とシグネットの間にいる『人影』からそんな言葉を投げかけられた。


「「……っ!?」」


 おそらくは同時。コンマ数秒のズレも無く、私とシグネットはバックステップで距離を取り、自分達の間に立っている『見知らぬ人間』に対して最大級の臨戦態勢に移行する。


 私はリボルバーを構え、シグネットはレッグホルスターからナイフを引き抜いた。


 声を掛けられるまで全く気配に気付かなかった。しかもこんな近距離まで接近を許してしまった。

 その事実がゾワゾワと全身に悪寒を走らせる。

 その感覚が私の脳内に悪いイメージを刷り込ませる。


 もしも敵なら殺されていたかもしれない、と。


「……ふむ。どうやら、パーティーには間に合わなかった様ですね。私は『間の悪い人間』だと他人に良く言われるのですが……その見解はあながち間違ってはいないのかもしれませんね」


 私は淡々と自分語りをする乱入者を観察する。


 身長はおよそ160センチ後半くらいか。おそらく私とほぼ同じくらいの背丈だろう。


 黒の燕尾服にシルクハット、顔には髑髏ドクロ仮面マスク、片手には銀色のステッキ。その奇怪な装いは『怪人』と呼称しても問題がないほど不気味な存在感を放っていた。


 中背中肉。ボディラインだけでは男女の判別が困難なほど中性的な体格だった。


 声も仮面マスクを通しているせいなのかどこか合成音声の様な機械的で人間味のない声だった。


 ただ一つだけ言えることは、知り合いにこんな怪人めいた不気味な存在は一人もいないという事だけだ。

 間違いなく味方ではない。


「……誰よアンタ。どこの組織の者なの? まさかこの状況で実は仮装パーティーの参加者で会場を間違えたとか言わないわよね?」


 それは対面で怪人に質問を投げかけるシグネットも同じ様子だった。


「これは失敬。自己紹介がまだでしたね。名乗るほどの者ではありませんが……そうですね、あえて名乗るなら【劇場の怪人ファントム】と申し上げましょうか」


 ファントム。亡霊というよりもオペラ座の怪人の方がニュアンス的には近いだろうか。


 まぁ、不気味さという観点ではどっちも大差ないけど。それでも真面な人種ではない事だけはハッキリしている。


「職業は『便利屋』とでも言っておきましょうか。私に依頼が入れば時には人を殺し、時には物を盗み、時には舞台で奇術マジックを披露する。神出鬼没の奇術師マジシャン、それが私ことファントムでございます」


 ファントムは礼儀正しい所作で深々と頭を下げた。

 便利屋。奇術師。どれも胡散臭い肩書きだ。

 便利屋、ね。おそらくフリーランスの傭兵あたりだろう。


「以後御見知りおきを、死に急ぐ麗しい少女の御二方。まぁ、死にゆく運命にあるのなら覚える必要はないでしょうけれど」


 ファントムは私設武装組織アストライアに敵対する勢力の一人なのだろうか?


 敵意があるなら自己紹介なんて悠長な真似はしないだろう。


 裏社会に生きる住人なら名前と顔は知られていない方が都合が良いはずだ。


「ファントム。貴方の目的は何? 自己紹介を聞いた限りでは特定の組織に属している様には思えないけど?」


 率直な疑問を投げるとファントムはこちらを向いて質問に答える。


「はい、その通りでございます。私はどこの組織にも所属していない自由契約フリーランスの便利屋でございます。ああ、そうだ。一応、一言だけ断りを入れますと、私はこう見えても仕事と依頼人は割と選り好みするタイプなんですよ」


 どうやらファントムは見た目に反して饒舌じょうぜつな人間らしい。


 どうせならここに来た目的も喋って欲しいところだ。私、アイビスと違って心理戦は苦手なんだよなぁ。


「不敬を承知で私からも一つ、貴女方に質問してもよろしいでしょうか?」

「……私が答えられる内容なら」

「感謝します。ではお言葉に甘えて、貴女方はどこの組織の暗殺者アサシン……いや、諜報員エージェントの方が正しいですかね?」

「……暗殺者ではないとだけ言っておきます」

「なるほど。末端の下部組織とはいえアジア圏、ならびにユーラシア大陸をも牛耳る悪名高き犯罪組織【奴隷市場マーケット】に手を出せる勢力は限られてますからね」


 ファントムは私たちの正体が気になるらしく、ペラペラと推理の真似事を始めた。


「例えば、同じ三大勢力の一角であり北米を中心に各国の主要企業を束ね経済圏の要である【企業連合ユニオン】。同じく殺しを専門にする傭兵や民間軍事会社(PMC)を統括する南米大陸最大の戦争商社【自由兵団フリーカンパニー】。後は、G20加盟国の警察組織と独自のコネクションを持ち『世界警察』の異名を持つ私設武装組織【女神の天秤アストライア】。奴隷市場マーケットと敵対出来る組織はそれくらいでしょう。そうは思いませんか、麗しいお嬢さん?」

「…………」


 ファントムは自由契約フリーランスの便利屋と自称する割に随分と裏社会に精通している様子だった。


「まぁ、貴女方が奴隷市場マーケットの『商売』を妨害している時点で【企業連合ユニオン】か【女神の天秤アストライア】の二択になるのですが。はたしてどちらの組織の諜報員エージェントでしょうね? いや、アストライアの方は猟犬ハウンドでしたかね?」

「私たちが組織に所属しているとは限らないのでは?」

「またまた御冗談を。十代の少女が後ろ盾も無しに個人で殺しをやるなど不可能ですよ」


 私とシグネットの手元に視線を送りファントムは指摘する。


「それに貴女方は丸腰の私に対して凶器を向けている。私がこんなに友好的に接しているのに警戒心を解く素振りがない。察するに、かなりの数の死線を潜り抜けているとお見受けします」

「…………」


 嫌な人物評価だと思った。骨の髄まで見透かされている気がして酷く心がざわつく。


「……不審人物が目の前にいれば誰だって警戒すると思いますけど?」

「違いますね。貴女方は私を本能的に敵、しかも格上だと認識しているんです。私は是非ともその『理由』を知りたいんです」

「悪いけど答える義理は無いですね」

「分かりました。では、こうしましょう」


 高らかに両手を広げ、ファントムは私たちに挑発めいた誘い文句を言い放つ。まるでお手並み拝見と言わんばかりに。


「どうですか? 手合わせのつもりで私と一曲踊りませんか?」


 その挑発に先に乗ったのは私よりも好戦的なシグネットだった。


「人のことナメくさって!! でぇぇぇりゃ!!」


 地を揺らす様な咆哮の後。大地を蹴り上げ、シグネットは顔面狙いの回し蹴りを繰り出す。

 風を切って飛ぶツバメの様なその足蹴あしげは確実にファントムの顔面をとらえていた。


「ふむ、勇ましいですね」

「…………っ、この!!」


 しかし、ファントムは木枯らしの季節にひらひらと舞う枯葉の如くシグネットの足技をことごとくかわしていく。


「どうしましたか? 先ほどまでに魅せていた技の冴えが今のあなたからは感じられませんよ?」

「ごちゃごちゃとうるさいわね!」


 ファントムの言う通り現状のシグネットの戦闘能力は目に見えて低下していた。

 観察すると、ただ闇雲に威力があるだけの雑な蹴りを放っている様子だった。

 戦闘の疲労が今になって現れたのか、明らかに足の動きが鈍くなっている。

 

「ふむ、どうやらあなたの『強さ』は制限時間のある"諸刃の剣”の様ですね?」

「Cover me!(援護して!)」


 ファントムの質問に一切答えず私に援護要請を出すシグネット。

 援護をするべきだとは思う。

 だけど──。


「無理ですよ。ターゲットが被らない多人数が相手ならともかく、この状況下では射線軸上にあなたがいる限り彼女は私に手出し出来ない。先ほどの戦闘でもそうだったでしょう?」


 そう、万が一にも流れ弾が当たる可能性がある以上、私は援護射撃を行えない。


 どんな理由であれ味方撃ちフレンドリーファイアは二度とごめんだ。


「分かりませんか? 彼女は位置関係ポジショニングも考えないで馬鹿みたいに突っ込むあなたにずっと気を遣っていたんですよ。私だったらそんなパートナーは願い下げですけどね」


 その発言は私たちの戦闘を影からずっと観察していたことの裏付けでもあった。


 通りすがりを装っていたのは私たちを油断させるブラフだったのだろうか?


「……くっ。さっきからゴチャゴチャとうるさいのよ! アンタ!」


 前蹴り、ローキック、ハイッキック、回し蹴り、ソバット、ナイフによる斬撃。シグネットはありとあらゆる攻撃を繰り出すもその猛攻は何一つとしてファントムにかすりもしなかった。


「シグネット挑発に乗らないで! 誘われてる!」


 警告の声がシグネットの耳に届いた頃にはもう既に状況は悪い方へと傾いていた。


 遅いですよ、と怪人ファントムは嘲笑う。


「【舞台を壊す怪人に影は無いファントム・オブ・ザ・エリック】」


 それは紛れもなく常軌を逸した怪奇現象だった。


 まばたきをした一瞬の間に、ファントムの身体がその場から文字通り『消失』した。


「──っ!? 嘘……いきなり消えた?」


 シグネットは目の前で起きた怪奇現象に驚愕する。


「その場から離れてシグネット! 相手は強化人種エンハンサーだ!」


 ブスリと。一突き。


 何も無い場所から顕現したファントムの操るステッキの先端がシグネットの胸部を容赦なく貫いた。


「……あ、がっ……」


 ゴボリ、と。

 胸部を貫かれたシグネットの口から真紅の吐血が溢れ出した。


「ふむ。胸を貫かれても悲鳴をあげませんか。気丈ですね」


 ファントムは冷静にかつ冷酷に私たちを観察する。


「なるほど、強化人種エンハンサーをご存知ですか。ならば、なおのこと手ぶらで帰るわけにはいきませんね」

「ファントム!」


 感情に任せて銃口を向けるも引き鉄を引く事ができない。


「そうですね。私が彼女を盾にしている限りあなたは私を撃てない。分かりませんね……わざわざ『足手まとい』を生むリスクを作ってまでペアを組む理由が、私には到底理解出来ませんよ」

「…………っ」


 今更になって二人で闘う理由を問われるとは思わなかった。

 考えるまでも無い。二人で闘う方が圧倒的に強いからだ。

 私は何があっても、誰かに否定されても、それだけは今でも信じている。


「……誰が、足手まといだって!」


 シグネットは持っていたナイフを握り締めファントムの腹部にめがけて刃を振りかざす。


「残念ですがチェックメイトです」


 シグネットの起死回生の一撃は二本指の白刃どりであっさりと防御されてしまった。


「やれやれ、手心を加えて心臓を避けて刺しましたが……これ以上暴れられると面倒ですね。あなたの方は捨てましょう」


 刺していたステッキを引き抜いてファントムはシグネットを雑に投げ捨てる。


「…………っ!!」


 ファントムが離れるその一瞬に合わせて私は迷わずリボルバーのトリガーを引いた。


 無駄だと分かっていても撃たずにはいられなかった。


 発砲の後、キン、と金属めいた音が鳴る。ファントムが銃弾をステッキで弾いたことは目視で確認しなくても明らかだった。


「いやはや勿体無い。精密な射撃が逆に災いしてこちらの弾道予測を容易にしているとは。ヘッドショットを狙うなら搦手からめてを用いて正面以外から撃つべきでしたね」


 首を鳴らして余裕を見せるファントムは不気味な笑い声を上げる。


「ククッ。とりあえず、尋問の前に手足の一二本は潰しておきますか。【舞台を壊す怪人に影は無いファントム・オブ・ザ・エリック】」


 再度その場から一瞬で姿を消すファントム。


 私の目から見てもファントムの姿が影も形も無いのは明白だった。


 一か八かだけど、試してみるしか無い。


 攻撃タイミングを予測した私は懐から取り出した閃光手榴弾フラッシュバンのピンを抜き、それを背後に向かって放り投げた。


 耳を塞いで一秒にも満たない刹那の後、鼓膜が破れそうなほどの轟音が倉庫に鳴り響いた。


 煙が立ち込めている最中で足元だけを注視して自分以外の人影シルエットを探す。

 映った人影は私の分だけ。

 影すら映らないのなら答えは一つしか無い。


「……能力は差し詰め『認識阻害』ってところかな? ねえ、そうでしょファントム?」

「……くっ、驚きましたよお嬢さん。二重の意味でね」


 強烈な耳鳴りが残る中、ゆらりと煙の中から現れたファントムの声には、まだ余裕が残っている様に感じられた。


「まさか、この短時間で私の能力を看破されるとは思いませんでしたよ。ちなみに『認識阻害』の見解に至った根拠をお訊きしても?」

「理由はいくつかあるけど、決定的な要素は『影』だよ」

「ほう、影ですか?」

「うん、背景に同化する単純な『透過』や『迷彩』なら使用者の周辺に影が発生するんだ。だけど今回はそれが無かった。それに気配も、いや呼吸音すらもまるで感じられなかった。だから私は私が感じている『認識』そのものを能力で阻害されていると思ったんだ」


 この解に辿り着けたのもアイビスと共に戦った経験のおかげだろう。


「ククッ。まるでカメレオンみたいな『強化人種エンハンサー』と戦った事がある様な口ぶりですね。まさか御経験があるのですか?」

「言ったでしょ。答える義理は無いって」


 もう一度、銃口をファントムに向ける。奇術マジックのタネが割れても現状では手榴弾による広範囲の爆撃以外に認識阻害に対する有効な打開策が無い。


 だけど、それでも諦めるわけにはいかない。私はまだ死ねない。あの子に、アイビスに会えていないのだから。


「いやはや、つれないですね。しかし、ますますあなたには興味が湧いて来ましたよ。是非とも『体験談』をお話しして貰いたいですね」

「悪いけど死人に口無しだよ。次は道連れで『自爆』するから」


 虚勢ハッタリ虚言ブラフが通じる相手とは思えない。だけど、やれる事は全てやるしかない。


 しかし、緊迫感で張り詰めた精神の糸は思いもよらない形でプツリと切れた。


「おや、失礼。電話が入りましたので少々お待ちを」


 戦闘中にも関わらずファントムはそんな断りを入れてスマホを片手に誰かと通話を始めた。


「はい、私です。ええ、はい。例の品である『世界樹の種』は現場にありませんでした。どうやら偽情報ガセネタを掴まされた様ですね」


 通話の最中でもファントムは油断する素振りがなく視線は常に私に向けたままだった。


「いえ、サボっているわけではありませんよ。ただ、現場で面白いお嬢さんと出会いましてね」


 ピンと人差し指を立て「少しだけ静かにしてて」というジェスチャーをするファントム。意外にお茶目な。ますます不気味さが際立つ。


「ええ、将来有望そうなので私が少々つまみ食いを──分かりました。次の現場に向かいますよ。では、失礼します」


 通話が終わるとファントムの仮面から深い溜息が漏れた。

 

「ふぅ。やれやれ、金払いの悪い依頼人クライアント冗談ジョークというものがまるで通じませんね。真面目過ぎる人生はつまらないだけだと思うんですがね」


 カツカツと、不機嫌そうにステッキを鳴らしファントムは言う。


「名残惜しいですが舞踏会はこの辺りで御開きとしましょう。私は次の仕事に向かいますので失礼しますよ」

「この状況で私が逃がすと?」

「逃がしますよ。あなたは私よりもそちらの彼女の方が心配でしょうから。そうですよねお嬢さん?」

「…………っ」


 何もかもお見通しみたいなファントムの言動がたまらなく不愉快だ。


 だが、それ以上に内心で安堵している自分に酷く苛立ちを募らせているのもまた事実だった。


「最後にお尋ねしますが……お嬢さん、あなたのお名前は?」

「……烏丸彩羽」

「……ああ、なるほど。全てがに落ちましたよ。あなたが、そうだったんですね」


 ファントムは去り際に私に向かって名刺らしきカードをトランプカッターのように投げ放った。


 それを受け取るとファントムは「依頼が有ればそこに連絡して下さい」と告げる。


「また会いましょう彩羽さん。今度会う時は二人きりでじっくりと楽しみたいですね」

「……ファントム。次は私が、いや“私たち”が必ず勝つから首を洗って待っていて」

「ククッ、それは楽しみです。では御機嫌よう」


 ファントムが視界から完全に消失してから暫くの間、私は銃を構えたままその場を動く事が出来なかった。

 

 この短時間で恐怖を身体に刻み込まれた。それを頭で理解した瞬間に自分が裏社会に戻って来てしまったのだと嫌でも実感してしまう。


 私が恐怖を振り払ってシグネットの側に駆け付けた頃には──もう既に、彼女は胸部からの大量出血により瀕死の状態に陥っていた。

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