第18話 雨と稲妻と花火と恋
部室棟の屋上へと続く階段を、ぼくと頼兼さん、そして秋常くんが登っていく。まだ回復しきっていない秋常くんは、ぼくが支える形で肩を貸す。
「あはは! これ、ヤバいね。めちゃくちゃ雨、降ってる!」
頼兼さんは屋上の扉を開けると、自分が浴衣を着ていることを忘れたかのように、雨が降り注ぐ屋上へ躍るように飛び出した。頼兼さんが走るたびにカラコロと鳴る下駄が、彼女のはしゃぎようを伝えている。
ぼくは、ぼくらは傘ひとつなく、空から降り注ぐ雨に打たれていた。
ぼくらは屋上にお菓子袋を持ち込んだ。蓮成さんがカズ子さんに貰い、ぼくが譲り受けたお菓子袋だ。ぼくは袋の中から適当にペットボトルを二つ取り出して、頼兼さんと秋常くんにそれぞれ渡した。どちらも麦茶で、ぼくはカズ子さんの健康的な気遣いを感じで、少し笑った。
「それじゃあ、乾杯しようか」
雨が降り頻る中、ぼくらはペットボトルのキャップを開けて乾杯した。雨に濡れながらひと口飲んで、秋常くんの応急処置をするときに開けたポテトチップスを齧る。ポテトチップスは雨に濡れたばかりだったからか、パリッとした食感を保っていたけれど、しなしなになるのは時間の問題だろう。
「日向君……なに考えてんだよ。普通、雨降ってんのに花火観ないだろ」
「でも、楽しくない?」
「……楽しいけどさ」
「いいじゃん、いいじゃん! 雨はここに降ってるだけで、花火大会の会場は晴れてるのかもしれないし。こんな、凄く楽しいこと、滅多に体験できないよ!」
頼兼さんは髪が乱れることも気にせずに、あはは、と笑いながらくるくる回り出した。楽しそうに回る頼兼さんを見つめながら、ぼくは答え合わせをするために彼女に話しかけた。
「頼兼さん、秋常くんとSNSの連絡先を交換したって言ってたけど……もしかして、友好的に聞き出したんじゃなくて、突き止めて脅迫したの?」
「ちょっと、もう少し可愛い言い方にしてよヒナ君! ……まあ、その通りだけど。簡単だったよ、秋常くん。写真をSNSに上げるなら、もう少し背景に気を遣った方がいいし、口の軽いお友達とは繋がらない方がいいよ」
「……ご忠告、ありがとう」
「秋常くん、そっちの方がいいよ。無理に丁寧に話してた昨日より、ずっといい。できれば、もう二度とシノ君のコスプレみたいな真似はしません、紛らわしい格好で校舎裏を掘り返しません、って約束して欲しかったけど」
雨の中で、頼兼さんが無邪気に笑う。言葉の端々に毒やら針やらを含ませて秋常くんをチクチクしているけれど、もしかしたらこれが頼兼さんの素の姿なのかもしれない。秋常くんだって丁寧な言葉遣いをやめていて、ため息を吐きながらぼくを憐れんだ。
「日向君、君、こんなひとがいいの? やめときなよ。僕が言うことじゃないかもだけど」
「いいんだよ、頼兼さんはこれでいいんだ」
ぼくは、すっかり開き直ってしまって悪意を抱えながら雨と一緒に踊る頼兼さんを肯定した。なにも知らなかったころとは違い、ぼくはもう、頼兼さんの共犯になる覚悟がある。
ぼくが頼兼さんを見つめる目は、ぼくが頼兼さんを語る声は、秋常くんにどう映っただろう。秋常くんは、どうしようもない人間を見るような目でぼくを見ると、深く深くため息を吐いた。
「相変わらずの全肯定だな……そういうの、シノ君だけにしときなよ。シノ君は本当に格好いいし、尊敬できるひとだ。早朝に突然呼び出して、いきなり部室に連れ込んで、スタンガンみたいなのを使ってくる危険人物より、ずっと健全だから」
「なにそれ、否定できないじゃない!」
「日向君。こんな女との縁は切って、僕と一緒にシノ君を追いかけないか。君の持つ洞察力は目を見張るものがある。いいか、日向君。この女は僕のスマホを没収した挙句に、水は小さなボトル一本だけ寄越して、冷房もかけずに放置したんだぞ。自分は涼しい家に帰ってメシ食って、浴衣にまで着替えてやがる」
「わたしがなにを着ようと自由でしょ。それに、一応この部室、監視カメラついてるの。わたしの私物パソコンとネットワーク繋げてるから、秋常くんがギリギリ死なないように監視して上げてたんだよ?」
だから、悪くないでしょ、と言うように、頼兼さんが微笑んだ。
頼兼さんがしたことは、許されることじゃない。けれど結果的に被害者である秋常くんは無事で、あとは秋常くん次第だ。その秋常くんにも後ろめたいことがあるからか、それとも頼兼さんと根っこの部分が同じだからか、もう気にしていないようにも見えた。
「こんな危険な女、君には似合わない!」
「ちょっと秋常くん、ヒナ君をわたしから遠ざけるような真似しないで」
憤慨する頼兼さんに、秋常くんが「嫌だね!」だなんて言って戯れてふざけ合う。
ここにいるのは頭のネジが少し外れてしまっている集団だ。頼兼さんや秋常くんのしたことを、犯した罪を、この雨のように流すことで受け入れてしまおうとしているぼくも、その仲間だ。
雨は少しも止む気配を見せずに、勢いを増してゆく。遠方の花火は佳境に入り、次から次へと大型花火が打ち上がっている。そして頭上には、稲妻を伴う雷雲まで垂れ込めてきた。ゴロゴロと唸る雷の音を聞きながら、頼兼さんが華やかに笑ってぼくの手を取った。
「ねえ、ヒナ君。わたし、わかっちゃったんだ。わたしのこと、ちゃんとわかってくれるひとと話すのが、凄く凄く楽しくて、ラクだってこと!」
「頼兼さんは、秋常くんと話している方が楽しいのかと思ってた」
「ないよ、それはない! わたし、基本的には同担拒否だから。特に、推しを追いかける手段が似てるひととは相容れないの。特に、自分を優位に見せようとこれ見よがしに情報量でマウント取ってくるひとなんかは、ね」
そう言って頼兼さんは、秋常くんを鋭く睨んで舌を出す。「だから秋常くんを排除したかったんだけど、失敗しちゃった」だなんて言いながら、頼兼さんは雨に濡れた腕をぼくの特別逞しくもない普通の腕に絡ませた。
「でも、ヒナ君は別。わたしと違ってお行儀よくて、でも心の底からシノ君の大ファンで、こんなに尊敬できる同担がいるなんて、ヒナ君に会うまで知らなかったの!」
ざあざあと雨が降る。屋根のない屋上で、ぼくらは雨に打たれてびしょ濡れになりながら花火を見ている。雷だって落ち出して、花火が上がった光なのか、稲妻が光った光なのか区別もできない。
ぼくに腕を絡ませて花火を見る頼兼さんは、一昨日よりも昨日よりもずっとずっとキラキラと輝いている。そんな頼兼さんの雨で濡れた輪郭を照らしたのは、花火か、稲光か。
「あ、花火。近くで上がった?」
「違う、あれは雷。雷が光って……」
頼兼さんの言葉を訂正するぼくに、彼女が「ふふ」と笑う。どうしようもなく嬉しそうに笑いながら、頼兼さんはそれまで打ち上がっていた花火の方角とは少しズレた方を指差した。
「ほら、本当に花火だったでしょ!」
それは、名霧市花火大会のラストを飾る正三尺玉だった。雨の夜空に花開く火炎の花は色とりどりに広がって、遠く離れた星稜女学院の部室棟屋上にいるぼくらでも、大きく見えた。
一発しか上がらない正三尺玉の花開く炎の花弁が流れ落ちる様を見ながら、頼兼さんが囁いた。
「ねえ、ヒナ君。来年はわたしと一緒に真下で花火を浴びない?」
頼兼さんの提案に、ぼくはどう答えたのか。それは、遅れてやってきた正三尺玉の身体の芯に響くようなズシンという重みを感じさせる音と、近くの避雷針に落ちた雷の音によって、掻き消されてしまった。
雨の強さは勢いを増し、止む気配は見えない。
頼兼さんと秋常くんが犯した罪は、この豪雨によって流されて消えてしまうだろうか。それとも、雨上がりの土砂のように堆積して、嫌な匂いを放つのだろうか。
ぼくはふと、屋上から地上を見下ろした。そこに、とうに帰ったはずの蓮成さんが雨にぬれて満足そうに花火を見上げる姿を見たような気がした。
「どうしたの、ヒナ君?」
「——……いや、なんでもないよ」
雨の煩わしさに瞬きをすると、蓮成さんの姿は消えていた。確かにそこにいたはずなのに、蓮成さんの姿は雨の中に溶けてしまって、その実在は再び不確かなものになってしまったようだった。
<了>
シノ君は実在しますか? 七緒ナナオ @nanaonanao
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