彗星界/愛弟子

 焼けた残り火がくすぶる、暗く静かな世界。

 見上げても空に星は無く、ただただ黒い闇だけが広がっている。


「あの星も全部、君が壊したってことでいいの?」

『まァ……オレはそういうモンなんだよ。この星じゃ、破滅の象徴とか言われて』


 闇の中で、大きな何かがうごめいた。

 姿はいまだ、よく見えない。でも僕には、それがあいつであることが分かっている。

『実際のところ、自分でもよく覚えてネェんだけどな。静かな空を流れて、何かにぶつかって……今回はたまたま、星自体はブッ壊れなかったんだけどよ』

 もしかしたら、こいつは境界のむこうの異世界には、そもそも存在しないのかもしれない。あちらの世界で巻き起こった災害が、そういう生き物だと思われて、境界に映し出された。そして僕らの世界の影響も受けていて……


「……<彗星界龍アルグラド>」

『ん? それ、オレの名前か?」

「うん、今考え付いた。大体さ、全部が全部頭に浮かぶって、変なんだよね」


 ホウメツもアスドゴルドもラビュラドリも。

 それらの元となる存在は、確かに別の世界にいるんだろう。

 僕はそれを境界の有り様から読み取ったんだと認識していたけど、本当はちがう。

 この名前は、僕らがそうと認識した瞬間に、そういうことになったんだ。

 僕らが転写で界獣の姿に変わるように、界獣も僕らの頭の中を転写して、そうなる。

 具体的になにが変わるかっていったら、あんまり変わんないんだろうけど。

 少なくとも……僕らが界獣の名前を呼ぶことは、出来るようになる。

(名桐さんが名付け下手っていうのも、同じ理由だよね)

 名桐さんは『境界紋』が嫌いだったから、関わりたくなかったから、呼べない。

 それだけの話なのだ。そうすると、最初に会った日にあの人が言っていた、「メンタルの問題だから」という言葉にもうなずける。


『で? 目が覚めたらテメェ、どうするんだよ』

「行く場所は決まってるよ。どこだかは分からないから、行き当たりばったりだけど」

『はァ~……夏の暑さで死ぬなよ? オレだってテメェは心配なんだゼ?』

「うん、ありがとうアルグラド」

『……じゃ、そろそろ起きろ』


 アルグラドは答えて、翼を大きく広げた。

 こうこうと、翼の中に光が満ちる。

 光の無い宇宙に、それは星のようにきらめいて、界獣の姿を照らし出す。

 人間の世界で言う所の、それはドラゴンだった。夜空色の鱗を持つ、輝く龍。

 僕はその姿をハッキリと目で認識して、まどろみの中に落ちる。


 *


 自宅だった家の外観を、しばらく目に焼き付けた。

 マンションの三階の角部屋。僕が生まれた一年後に越してきた家。

 ながめていると、その部屋の扉が開く気配がして、僕は足早にその場を去った。

 平気だ、大丈夫だと自分に言い聞かせたけど、それでも涙は止まらなかった。

 泣きながら歩くのは嫌だから、僕は道の端に座り込んで、感情が落ち着くのを待つ。

 だけどなかなかその時は来ない。荒い息で咳き込んでいると、「大丈夫?」と声がする。

 見上げると、そこには知っている少女が立っていた。

 黒縁メガネの奥の目で心配そうに僕を見つめて、「ティッシュ持ってるけど、いる?」と差し出してくれる。

「……ありがとう、一枚もらうね」

「うん。……あ、ごめんね、急に話しかけたりして」

 少女は困った顔をしながらも、僕のそばから離れなかった。

 鼻をかんで、もう一度お礼を言ってから立ち去ろうとすると、「待って」と彼女は僕を引き留める。


「あの。私、記憶力良い方なんだけど、自信なくて……もしかして、会ったことある?」


 ああ、と思う。

 その言葉を聞くの、何回目だったかな。

 だけど僕は首を振って、「初対面だよ」とウソを吐く。

「そう、なんだ? ごめんね、変なこと言って」

「いいよ。知り合いに似てたのかな。声かけてくれてありがとう、落ち着いた」

「うん。……ええと、それじゃあ私は行く、けど……」

 目を伏せて、少女は考え込む。

 僕もすぐには立ち去りはせず、彼女の言葉の続きを待った。

「……名前だけ、聞いてもいい?」

 彼女の問いかけに、僕はちょっと迷う。

 そういえば、ちゃんと考えてなかったな。同じ名前じゃ無理が出るだろうから――


「――名桐。名桐ミツルっていうんだ」


 思いついた名前を口にして、悪くないなと小さく笑んだ。

 勝手に借りたと怒られるかもしれないけど、下の名前は、そのまま使いたかったし。

 名桐ミツル。少女は僕の名前を何度か口にして、うんと大きくうなずいた。

「覚えた。今度はまちがえないハズ!」

「どうだろうね。でもありがとう、もう忘れないでね」


 さようなら、漆原レイナさん。

 僕はそう言い残して、生まれ育った町を去った。


 秋目ミツルという人間は、この世にもういない。

『境界紋』の、アルグラドの力を応用して、僕は

 界獣たちに名前を付けられるのなら、僕らを界獣側で名付け直すことだって、出来るんじゃないかと思ったからだ。そうして僕はアルグラドの力を借りて、誰でもない、一人の『境界紋』持ちの少年として自分を認識し直した。


 秋目ミツルがいないのだから、秋目ミツルが起こした町の爆破も無い。

 そうして町は大した被害も無く元の日常を取り戻したのだけど……

 そこに、僕の居場所はない。親も友だちも誰も彼も、僕という存在を忘れている。

 思い出させてしまったら、きっとその時、町の爆破も思い出されてしまうから、それで良いのだと僕は思っている。


 それから僕は、数週の放浪生活の果てに、ようやくその場所を探り当てる。

 封紋師たちの活動拠点。山奥のその建物へと足を踏み入れた僕は、封紋師であろう男にこう名乗る。


「初めまして。僕は名桐ミツル。封紋師、名桐キウの弟子です」


 このようにして、秋目ミツルの世界は根本から壊れてしまい。

 名桐ミツルの新しい生活が、始まっていくのだった。

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ゆらぐ世界の境界紋 螺子巻ぐるり @nezimaki-zenmai

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