第9話

体は、軽い。

実体がない方が人は身軽だと、彼はいつも思う。

重力はしつこい少女たちだとも、思う。

今日も少女たちはしつこかった。

以前あの講釈中に逃走を図ったら、鬼のようなかなきり声を上げられ攻撃されたことがあり。

攻撃は別になんでもなかったが、かなきり声が聞くに耐えれられなくて。

話は最後まで聞くことにしていた。

けれど精神状態が不安定な少女たちに、言葉で嬲られるのは嫌気を思い出す。

大体あんな風に責められる、理由がない。

空気抵抗を無視して無呼吸の全力疾走をする。

電線上を苦もなくさくさく進んで行く。

虚ろだからこそできることの、何が悪いのか。


娼婦街から少し外れた、質の悪い雀荘や法律を無視した風俗店がひしめき合う路地を彼は歩いていた。

姉の指示通り毎日走り回る日々。

それの何が悪い。

虚に馴染み漂って空気、は楽だった。

強気な風に体はなびいて掠れたりもして、まるで安い残像。

影分身の、分身のほう。

では、本体のほうはどこにいったのか。

そこを考えるのは面倒でこの身には不似合いな気がして。

この体に、虚実体に慣れて思考を投げ捨ててしまったほうが楽なのでやめてしまう。

楽に流されると、考えなくなる。

だから唯一信じられる肉親の、不自由を嘲笑する姉の献身に専念する。

考えて行動も、面倒なので。

従ってるのが、楽で良い。

何をするにも、考えることが面倒臭くて仕方がないから。

それの、何が悪いのか。

それの何が、悪い。

喉の奥になにかがつかえている答えだった。

けれど、それで良いと嚥下する。

これで良いからだ。

そうして彼は足を止めた。

電線上の落ちた神もどきには誰も目もくれず。

賑わって地上で袖振り合い。

掠れた看板を掲げた中華料理屋と賭場の間にぽつんと立つお社の、存在を無視する人々の波。

それは不夜城には不似合いの稲荷神社だった。

姉の指示はここまでだ。

昨日も一昨日も二週間前からずっと、彼は同じ道を辿って駆けている。

歓楽街を抜けて無我に会い、少女と語らい、お稲荷様を拝む。

意味なんて聞いたこともない。

知りたくもない。

それはなぜ?生まれた疑問は片っ端から捨てる。

面倒だから。

彼は昨日と同じように、しゃがみしばらく稲荷神社を眺めることにした。

疲れを忘れ息を忘れ食欲を忘れ、虚ろに慣れてなにが悪いのか、と呟きながら。

朱塗りの小さな鳥居の奥には、小さな真白のお社が建っている。

神聖な気もするが、心ない者が捨てたゴミで台無しな光景になっていた。

いつも、小さな稲荷神社はゴミ捨て場にされていた。

だから神がああなるのか、と納得させられる光景だった。

人の波にかき消され、日も当たらずに寂れ果て。

言いようのない、気分にさせられ彼はその場を去ろうとした。

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