第13話 その、日独防共協定は……1/3









 季節は秋から初冬を迎え、ときは十一月に入った。


 そのある夜、サシャは、義父ノルベルトの部屋に呼び出されていた。


 開口一番、ノルベルトは言った。


『サシャ、喜べ。独日防共協定は、今月の二十五日に、ベルリンで正式に締結されることが決まった』


 サシャは、心の底からであろう笑顔を浮かべた。


『本当ですか? 良かった……』

『ああ、これで肩の荷が下りる。日本の外務省の役人たちとの折衝も大変だったよ』

『お父様、本当にお疲れ様でした』

『お前もよくやってくれた。日本の役所は、とにかく書類の形式を重んじるから、お前のタイプには、本当に助けられたよ』


 まあ、我がドイツも似たようなものだけどな、と付け加えて、ノルベルトは笑った。


『お前ほどに日本語もドイツ語も同じように操れるタイピストは、残念ながらいないしな』

『買い被りです……』

『買い被りなものか』


 そう言って、ノルベルトはサシャの頭を撫でた。


『さっそく、日本の高官らも招いて、協定祝賀パーティーでも開きたいところだが、時期が時期だ。もう年の瀬だし、クリスマスも近いので、クリスマスパーティーと同時開催という形にすることとなった』

『そうですか……。単独では開催できなかったんですね……』

『ああ。そこはやはり、大使も武官も国防軍だな。正直なところ、防共協定締結は面白くないのだろう……』


 寂しそうに言ったノルベルトの言葉に、サシャも沈黙せざるを得なかった。


『パーティーには、ぜひ一高の友だちも呼ぶんだな』

『そうしたいところですが……彼らは入試直前なので、難しいかもしれません』

『ああ、そうか……。それでは、若者の出席は、お前とフランツ君だけになるか……』


 フランツと聞いて、サシャは身を硬くした。このまま話題が違うものになればと願ったサシャだったが、案の定というか、話の流れはサシャの思い通りにはならなかった。


『ところで……その……なんだ。……フランツ君とは、仲良くやっているかね?』

『……はい』

『本当にそうか……? 最近、お前もフランツ君も元気がないようだが……何かあったのかと思ってな。佐川も心配していたぞ』

『ご心配は無用です。先日も言った通り、来年の春に本国に帰還したら、僕は親衛隊を除隊して、彼と結婚します』


 きっぱりと言ったサシャに、ノルベルトは眉をひそめて聞いた。


『それで……いいんだな?』

『それがお父様のご意向とあれば、僕はそれでいいです』

『……そんなひねくれた言い方をするな。それでは、まるで私が無理強いしているようではないか?』

『…………もう、決めたことです。今さら決心を鈍らせるようなことを、おっしゃらないで下さい』

『……分かった。ならば、もう何も言うまい』


 サシャはノルベルトに一礼して、自室に戻り、ベッドに身を投げ出した。


 あの日以来、フランツはサシャの部屋を訪れていない。






 *






 そして、十一月二十五日。


 ベルリンにおいて、日本側全権に武者小路公共むしゃのこうじきんとも駐独大使、ドイツ側全権にヨアヒム・フォン・リッベントロップ駐英大使が立ち、協定原本にそれぞれの調印がなされた。


 ここにおいて、日独間の防共協定……〝共産『インターナショナル』ニ対スル協定及附属議定書〟は、つつがなく締結された。






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