第5話 その、一高のメイドは……1/3






 正月明けの始業式のあと。


 この日、ここ一高の中寮では、寮生たちがホールに集合していた。


「注目! 新年そうそう集まってもらったのは他でもない!」


 一同の中心で声を張り上げているのは、中寮の次期総代となる田原だった。

 

 その田原を囲むようにして、中寮で起居している一年生から三年生の生徒たちが、ひしめき合っている。


 ちなみに、二年文乙は、皆この中寮に寄宿していた。


「来たる二月一日は、我が一高の紀年祭だ!」


 田原の言葉を頷きながら聞いている群衆の中に、サシャが不貞腐れて座っていた。


「なんで寮生でもないのに、僕まで参加しなきゃいけないんだ……」


 その隣で、祥太郎がサシャを小声でなだめている。


「まあまあ、紀年祭自体は全員参加なんだし……」


 そんなサシャをよそに、田原が続ける。


「いいか! 紀年祭は、年に一度しかない一高の祭りだ! この日だけは、どんな無礼講も、そして女人禁制も解除される! 一高というネエム・バリューに釣られてやってきた巷の女学生など、少女メッチェンを合法的に呼び込める、いわば我が一高の七夕祭だ!」


 おおおおお、と歓声が上がった。サシャはいっそうつまらなさそうな顔をしており、祥太郎はそれを見て苦笑している。


「それでだ! 知っての通り、我が一高には、寮と言っても、我々中寮の他に、明寮・北寮・南寮の三寮がある! 必然、どの寮も出し物をやるから、客の奪い合いにになる。だから我々中寮は、他の三寮に負けない、魅力的な出し物をして、一高にやってくる女を……客を、みんなここに吸引するんだ!」


 再び、おおおおお、という歓声。


「というわけで、今年は寮として何をテーマにしてどういうことをするかを決めたい。さあ、どんどん案を出せ!」


 すると、ホールが、先ほどの喧騒は嘘とばかりに、しんと静まり返った。


 田原が声のトーンを低くした。


「何だこの静けさは。おい、情けないぞ。それでも一高生か? おい一年生、何か案を出せ!」


 一年から声は上がらない。先輩たちの眼のまえで、萎縮しているのは明らかだった。


「二年……は何かあるか?」


 二年も沈黙したままだった。いきなり案を出せと言われても、困惑しきりという様子らしかった。


「三年……の先輩方、何かありますでしょうか……?」


 それを聞いた現総代の三年の生徒が、声を張り上げた。


「アホ! 一二年から意見が出ていないのに、三年に先に知恵を借りる気か! そもそも紀年祭は、二年が中心になって回すもんだろうが!」


 そう言われてしまうと、さすがの田原もぐうの音も出ない。


 困り果てた田原は、偶然、サシャと眼を合わせた。ダメもとで、田原は口を開いた。


「サシャ、何かいい案はないか?」


 サシャは金色の前髪をくるくるといじっていたが、仕方なく手を止めて口を開いた。


「僕に聞かれてもな……去年は何をやったんだ?」

「去年は……まだ学校は本郷にあったが……その、あれだ、喫茶をしたり……寮全体や各部屋を飾り付ける〝寮デコ(レーション)〟をやったりしたな。まあ、他の寮も似たり寄ったりだが……」

「今年もそれでいいじゃないか?」


 それを聞いた田原が慌てた。最上級の三年生の存在を意識しているがゆえらしかった。


「そ、それはよくない! 進歩性が見当たらないのは、明日を拓く学徒として恥ずかしいとは思わんのか!」

「僕は思わないね」

「このっ……!」

「喫茶と言っても、やるとすれば、どうせこのホールを使って、簡単な茶菓子を出す程度になるだろう? やることはそれにしておいて、あとは質を深める努力をしたらどうだ?」

「質だと? どういう意味だ?」

「例えば、茶菓子もありきたりなものではなく、目新しいものを出すとか、そういう工夫をするとかだ」

「ん……なるほどな」


 これで自分の役目は終わった、とサシャ本人は思った。この認識は大きな誤りであったことを、まだこの時点でのサシャは知る由もなかった。


 このサシャの発言をきっかけに、ちらほらと声が上がるようになった。


「おい、じゃあその方向で行こうか。他に、喫茶の質を深める案はないか?」

「客寄せのことを考えたら、給仕をやるやつは、美男子のほうがいいんじゃないか?」

 

 それを聞いた田原が頷いた。


「そうだな。そっちのほうが女性の客受けはいいかもな。よし、それは俺がこの中から選抜する」

「やめろよ田原。お前の趣味だと、変なやつが選ばれかねない」

「何だと! 俺の美意識を疑うというのか!」


 主に二年生の間で、笑い声が上がった。

 

 そのとき田原は、サシャのかたわらで、真顔で何かを考えこんでいる祥太郎を見た。思わず、声をかけていた。


「木下、お前は何かあるのか?」


 ゆっくりと顔を上げた祥太郎が、頷きながら言った。


「……ないことはない、かも……」

「おお、なんだなんだ? もったいぶらずに言えよ」

「その……本人から承諾を得られればの話なんだけど……」

「おお」

「あのカフェーの真似をしてみたらどうだ? 名前がすぐに出てこないけど……」

「あのカフェーって、どこの何という店だ?」

「えっと……ちょっと待て……そうだ! あれだよ、あれ。銀座の〝ライオン〟だよ!」

「銀座のライオンなら知ってるぞ。それがどうかしたのか?」

「あそこは、美人の女給に、メイドの格好をさせてるよな?」

「ああ……そうだな。つまり何が言いたいんだ? お前がメイド姿になりたいってのか?」

「よせよ、俺みたいなもやしが女装したところでどうにもならないだろ。それより……」

「なんだ、誰か推薦したいやつがいるのか?」

「ほら……女装したら絶対に美人になりそうな美男子なら……ここに一人……」


 祥太郎は、サシャを示して見せた。


 サシャは周りを見回して、全員が自分の方を見ていることに気づき、祥太郎と眼を合わせた。


「……ちょっと待て。君らは、僕にメイドをさせる気か?」


 祥太郎をはじめとして、ホールの全員が一斉に頷いたのを見て、サシャは心の底からの悪寒で震えた。


「……あのな、君らは知らないだろうが、メイドというのは、ヨーロッパでは下層の仕事なんだ。僕には当てはまらない」


 しかし、サシャにとっては不幸なことに、その場を取り仕切っている田原は、もうその気になっていた。


「小難しい話はいいんだよ! 今は、俺たちの紀年祭で一日だけやる出し物の話をしてんだよ!」

「身分不相応だから、僕はごめんこうむるってことを言ってるんだ!」

「ん? メイドはヨーロッパではの仕事なんだろ?」

「それ、たぶん意味が違う……!」


 だが、田原の心証だけでなく、ホールの空気も、もうサシャにメイドをやらせる方向へ完全に傾いていた。


「いやあ、サシャがメイドかあ。つまりはメイドカフェーか……それ、絶対に流行るだろうな……!」


 サシャにとっては悪いことに、三年生の総代の生徒も、賛同の頷きを返していた。


 それを見て、田原がさらに舞い上がる。


「客ウケ、絶対にバッチリだぞ、それ!」


 そこへ、仁川が手を挙げた。


「ただ茶やコーヒーを飲みに来てもらうだけじゃもったいない。どうせなら写真屋も呼んで、希望する客には、サシャと一緒に写真を撮ってもらえばいいんじゃないか? もちろん、別料金で」


 鴨井も口を開いた。


「名案だけど、写真ができるまでには日にちがいるだろう?」


 仁川が自信たっぷりに言い返す。


「そんなもの、住所を控えさせてもらって、後日郵送すればいいじゃないか!」

「な……なるほど。そうだ、何なら、写真にサシャがサインをすれば、もっと付加価値が上がるんじゃないか?」


 田原が有頂天になって言った。 


「そ、それいいぞ! 採用だ!」


 話が、サシャを蚊帳の外にして、雪だるま式に盛り上がっていくのを、とうのサシャは、力なく眺めていた。








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