第2話

第二話


最後の一人が部屋から出ていき、部屋の中にはアルと壮年の男の二人になった。


「あの、話って……」

「ああ、そんなに畏まらなくてもいいよ」

先ほどまで、眉間に皺を寄せて厳めしい顔をしていた男は、表情を緩めてそう言った。


「最初に訓練生達に会う指導教官の伝統でね、訓練生に最初に会う人間は、精一杯訓練生を脅す必要があるんだ」

「じゃあ、さっき言っていたことは脅しなんですか?」

「話した内容に脅しはない。指導教官の変更はできないし、癖が強い指導教官がいることも事実だよ。まぁ、あのぐらい脅しておいた方が、実際に癖の強い教官に当たった場合に落胆せずにすむからね、少し過剰に脅しているんだ」

「なるほど、それで僕に話というのは?」

 過剰に威圧感を出していた理由が分かったので、アルは自分を引き留めた理由を尋ねた。


「ああ、そうだな……まずは、自己紹介しようか。私の名前はケイロス・エペボス、君の指導教官になった人間だ」

「僕の……えーと、先生とお呼びすればいいですか?」

「呼び方は自由で良いよ。先生でも師匠でも好きに呼べばいい」

「じゃあ、先生で。僕のことはアルと呼んでください」

「では、アル、幾つか質問しても構わないかな?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、早速質問させてもらおう。君の家族にセルモという名前の人はいないかな?」

 アルは名前を聞いてハッとした表情になる。


「爺ちゃんの名前がセルモです。爺ちゃんのことを知っているんですか?」

「やはりそうか。君のお爺さん、セルモ先生は探索者界隈では結構な有名人だ。それに、私の指導教官だった人でもある」

「爺ちゃんが先生の先生!」

 アルは驚いて目を丸くする。


「指導教官には、訓練生と何かしら関りがある人間が充てられるものだから、それほど珍しい人選でもない。例えば、故郷が一緒だったり、遠い親戚とかね」

「そんな風に選んでいるんですね」

「デュナミスというファミリーネームを聞いた時、もしやと思ったけど、合っていたみたいだね。それと、もう一つ聞いておきたいんだが」

「はい」

「セルモ先生に何か習っていたことはないかな?体術とか」

「体術と言えるかはわかりませんが、健康体操みたいなことは、小さい頃から毎日欠かさずするように言われています」

「なるほど、少し見せてもらってもいいかい」

「はい」

 返事をしたアルは、ケイロスの前で体操を披露する。腰を落とした独特の姿勢でゆっくりと動く姿は、体操にしては奇妙ものだった。


「なるほど、基礎は出来ているみたいだね。セルモ先生は体操だと言って教えていたみたいだが、その体操は東方武術の基礎訓練法なんだよ」

「そうなんですか」

「最低限の身体能力は備えてそうだし、基礎訓練は飛ばしても問題なさそうだね。本来、訓練生は基礎体力を養うところから始めるのだけど、君の場合、最初の訓練はサバイバル術からにしよう」

「サバイバル術?」

「迷宮内で生き抜くための技術だよ。座学から始めて知識がある程度備わったところで、実際に迷宮に入ってみるとしようか」

 そう言ってケイロスは一人頷いている。


「長距離移動で疲れただろうから、詳しくは明日話すよ。今日は体を休めなさい」

「わかりました」

 ケイロスに別れを告げると、アルは自分の部屋に向かった。


 最初はここに入ったときは緊張で気付かなかったが、訓練生が集められた部屋のネームプレートにはミーティングルームと書かれていた。徒弟制という話だが、訓練生が集まる機会が割とあるのかもしれない。向かいの部屋のネームプレートに五と記載されているので、訓練生番号八番の自分の部屋もこの階にあるのかもしれないと思い、廊下の奥に目を向けると一番奥の角部屋が自分の部屋であることが分かった。部屋に入り荷物を下ろす。ケイロスの話にあった通り、入口のすぐそばにある小机の上にメモとカード―キーらしきものが置かれていた。アルはメモを確認して呟く。


「明日は八時に駅前の喫茶店か、駅って寮の前の駅で良いんだよね?」

 まぁ、間違っていたら寮に来てくれるだろうと思い、深くは考えないことにする。


 改めて自室を観察すると、一般的なビジネスホテルを一回り大きくしたサイズの部屋のようだ。入り口の横には二つ並んだ扉があり、中を確認するとトイレとシャワールームになっていた。部屋にはベッドの他に洗面台と簡易的なキッチンも用意されており、大きめの書棚まで設置されている。学費、寮費、さらに食費まで無料であることを考えると、学生一人に与えられる部屋としては、とんでもない好待遇のように思える。


「一般にはあまり知られてないけど、探索者ってエリートなんだよな」

 祖父との暮らしは貧乏ではなかったが、特段、他の家庭と比べて裕福な暮らしをしていたわけでもない。これまでは気にもしなかったが、引退した探索者なら、もっと良い暮らしをしていても不思議ではないはずなのだ。現役時代に極端な浪費家だったのだろうかと一瞬考えたが、あの祖父に限ってそんなことがあるようには思えなかった。そんな風にベッドの上で考え事をしていると、部屋の外から扉をコンコンとノックする音が聞こえた。扉を開けると部屋の外には、ミーティングルームで自分に声を掛けてくれた坊主頭の少年が立っていた。


「よう、良かったら一緒に飯でも食わないか」

「ああ……そういえば、まだ昼御飯食べてないや」

 振り返って、部屋に備え付けられている壁掛け時計を確認すると、午後三時近くになっており、朝から軽食程度しか入れていなかった腹の虫がグゥ……と泣いた。


「アハハ、俺も腹が減ってな、一人で行くのもつまらないしと思って誘ってみたんだけど、ベストタイミングだったみたいだな」

「うん、一緒に行くよ」


 アルは少年と連れ立って寮を出ると、ケイロスに教えられたヴラカスという定食屋に向かった。定食屋に向かう途中、個人経営と思われる小さな喫茶店があるのが見えた。駅から近いので、明日の待ち合わせ場所は恐らく、ここだろうと思った。定食屋ヴラカスは、周辺の近代的な建築とは異なり、赤煉瓦を使ったゴシック風の建物だった。定食屋と呼ぶには抵抗感のある洒落た店である。


「いらっしゃいませー」

 店の中に入ると、店の奥から張りのある声で出迎えられた。店内は、数名の老人がまばらにいるだけで、他の訓練生は来ていないようである。少しすると、厨房と思しき場所から、パタパタとした足取りで栗色の髪の女性がこちらに近付いてくるのが見えた。


「あ、あなた達、訓練校の生徒さんね」

 何故わかったのかと、二人で顔を見合わせると、女性からすぐに答えが返ってくる。


「この辺には訓練校以外の学校はないし、お年寄りしか住んでないのよ。若い人を見掛けたら十中八九、訓練校の生徒さんで間違いないわ」

 アルは、なるほどと納得した。学校などには到底見えない建物だが、あの建物は周囲の人々には訓練校であると認識されているらしい。


「席の希望が無いようなら、あちらの奥の席にどうぞ。すぐにメニューを持ってくるわね」

 促されるままに、二人は奥の四人掛けの席に座った。


 アルは日替わり定食を、坊主頭の少年は王都名物だという肉料理を頼み、料理が来るまでの間、お互いについて自己紹介をすることにした。


「俺は、ポルト、ポルト・ファブリケ。パラシモの出身で十六歳。ポルトと呼んでくれ」

「僕は……」

「アルケイデスだろ、もう知ってる」

「そういえば、みんなに聞かれてたっけ。ちなみにファミリーネームはデュナミスで、エステル出身の十三歳。アルって呼んでほしい」

「小さいとは思ってたけど、三つも下かよ。訓練校の入学が年齢問わずってのは、本当だったんだな。まぁ……実際は訓練校なんてなかったわけだし、徒弟制ってのには驚かされたが」

「徒弟制には僕も驚いたよ。爺ちゃんはそんなこと言ってなかったし」

「その爺ちゃんってのは、もしかして探索者なのか?」

「引退してるけど、昔は探索者だったみたい。現役当時のことはあんまり話してくれなかったけどね」

「なら、うちと一緒だな、俺の家も探索者の家系なんだ。まぁ、ほとんど人間は六級で、迷宮には材料集めに入ってるだけなんだがな」

「パラシモって職人が多いことで有名な都市だよね。ポルトの家も何かやってるの?」

「よくぞ聞いてくれた。俺の家は鍛冶屋でな、地元じゃ結構有名な刃物鍛冶なんだぜ。俺も自分で材料を集めて、剣を作るために訓練生になったんだ」

「剣かぁ、探索者くらいにしか売れないよね」

「そうなんだよな、親父にもそのせいで刀匠になることは反対されてな。だったら、金も稼げるし材料も集められる、五級以上の探索者になってやろうと思って試験を受けたんだよ。受かってなかったら、包丁鍛冶になるために、今頃は親父にしごかれてただろうな……アルは、どうして探索者になろうと思ったんだ?やっぱり、爺さんの影響か?」

 ポルトに質問されて、アルは迷宮に興味を持った日のことを思い出す。

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