第19話

「で、具体的になにをしたらいい?」パソコン室を出て、すぐに寿々春が訊いてくる。

「うーん」と亜弥瀬は悩む。「基本的に今日の仕事って、ひとりでやることを想定してるんだよね」

「……もしかして、俺要らない?」

「だから」亜弥瀬は少し笑いを漏らしながら制服のポケットからデジタルカメラを取り出す。「風景撮影してくれない? 広報も本当は仕事に含まれてるんだけど、なかなか手が空かなくって」

「わかった」と寿々春はうなずくが、受け取ったデジカメをまじまじと見つめる。

「もしかして、使い方わからない?」

「いや、それはなんとなくわかる。そうじゃなくて、俺も実行委員の腕章をしておいたほうがいいんじゃないかと」

「どうして?」

「俺、盗撮してるみたいに映らないかな」

 あまりにも真面目くさった顔で言うものだから、ぷっと亜弥瀬は吹き出してしまう。

「だとしたら、堂々とした盗撮魔だね」

「いや、俺わりと本気で言ってるんだけどな」

「大丈夫大丈夫」

 二人で教室を回っていく。亜弥瀬が各団体の責任者に問題がないか様子を訊いて、その間に寿々春が文化祭の風景を撮影する。

 慣れた様子で役割をこなしていく亜弥瀬を見て、寿々春が感心したように言った。

「上級生の教室でも平気で話しかけていっててすごいな」

「そう?」

「うん。やっぱり慣れてるんだな。俺なんか、知らないひとと話すの苦手だし」

 亜弥瀬は少し唇を尖らせる。「あたしも、そんなに得意ってわけじゃないよ? むしろ人見知りなほうだし。それが役割だからやってるってだけで」

「そうなのか?」

「そういう役割が多いのは認めるけど、好きでやってるってわけじゃないかな」

 ふむ、と寿々春は少し考えるそぶりを見せる。

「言われてみれば、松橋さんってそういう学級委員的な役割を好んでやってるってよりは、頑張り屋さんって感じがする」

 亜弥瀬はびっくりして動きを止める。先を歩く寿々春の背中をまじまじと見つめていると、寿々春は突然止まった亜弥瀬を不思議に思ってか、振り返って「どうかしたか?」と尋ねてくる。

「ううん。なんでも」

 顔を床に向けて、亜弥瀬は前髪で表情を隠す。

 以前クラスメートに、「亜弥瀬ちゃんって人生勝ち組だよね」と無邪気に言われたことを思い出す。かわいいし、性格いいし、と。

 頑張り屋さんだなんていわれたのは、初めてだ。

 みんな、亜弥瀬が損な役割をすすんで引き受けていると思っているから。快く引き受けたと思っているから。

 実行委員だって、自ら進んで手を挙げたわけではなかった。だれか実行委員をやってくれるひとはいませんかー? 困ったように言う若い担任教師の目が一瞬だけ亜弥瀬のほうに向いて、クラスメートの何人かも期待するようなまなざしを亜弥瀬に向ける。正直、頼りにされるのは面倒だった。しかし彼女は、手を挙げざるを得ない。それが、早くも決まってしまった亜弥瀬のクラス内でのキャラクターだから。本心では面倒くさくても、口で言うわけにはいかない。押し付ける側の人間は、いつだって亜弥瀬がいやいや押し付けられていることに気づかない。快く引き受けたと思っている。それだけならまだマシなのだが、いちばん面倒なのは八方美人だと邪推する声だ。確かに亜弥瀬には、自分が本心を見せずにいい顔を見せているという自覚がある。

 でも、じゃあ、いやでいやで仕方がないという顔をしながら引き受ければいいの?

 結局自分たちが立候補するわけでもない。裏ではあたしの性格が黒いだの言うだけ。ええ、どうせ黒いですよ。でも、その程度だれだって当たり前でしょ? 二面性なんてものですらない。


「役割交代しようか?」

 ついぼーっとしてしまっていた亜弥瀬の顔をのぞきこんで寿々春が言った。

 はっとして、「え、ど、どうして?」と亜弥瀬は返す。

「なんかぼーっとしてるし、疲れてるみたいだから」

「そう? そんなことはないと思うけど」

 素知らぬ顔をしてみるが、正直なところ図星だった。実際、文化祭中は仕事ばかりだった。自クラスの面倒だって見なければならないし、あちこちに動きっぱなしで、文化祭を見て楽しんでまわる余裕は皆無だ。

「……」

 寿々春からいぶかしむような視線を向けられて亜弥瀬は内心どぎまぎする。はあ、とため息をつく寿々春。

「でもいまの役割が得意ってわけじゃないんだろ? じゃあ分担したほうがいい」

「得意ってわけじゃない、ってこともないんだけど……」

 ややこしい言い回しになったせいか、寿々春が首をかしげる。

 亜弥瀬は、作り笑いを浮かべる。

「ほら、あたしってひとに良い顔見せるの得意みたいだし。いるでしょ? 接客のときだけ声を高くして態度変えてる店員。ああいうのあたしも得意だから」

 うーん、と一度うなってから寿々春は言った。

「俺には、あんまりそうは見えないけど」

「え、そう? どうして?」と亜弥瀬は冗談めかして笑う。

「良い顔をつくるときって、もちろん打算が働いてるときもあるんだろうけど、そうじゃなくって自分じゃないだれかをつくらないとやっていけないからってときもあると思う。自分を守るために、自分じゃない、自分よりずっと愛想よく笑顔を表情に張り付けているだれかを演じる。でもそれって、けっこうきついことだと思う」

 思った以上に寿々春に見抜かれていることに少なからず驚く亜弥瀬。

 亜弥瀬は、きっと自分は疲れているのだろう、と思った。だから、こんなことを言ってしまった。

「……大森くんって実は優しいよね」

「なんだよ、急に」寿々春は苦々しい顔をする。ここまで褒められるのが苦手なひとも珍しい。

「いや、なんていうか、自然に優しいのがうらやましいなって思って。あたしも優しくありたいって思うけどさ、そう思ってる時点で打算が入っちゃってるから」

 疲れていなかったら、こんな、「否定してほしい」と言っているも同然の言葉を投げたりはしなかった。

 寿々春はやはり、「それは違うだろ」と否定してくれる。

「だれかも歌ってる。『優しくなりたいと願う君は、誰よりも優しい人』って(『BUMP OF CHICKEN: Stage of the ground』より引用)。あと、『優しさの真似事は優しさ』って(『BUMP OF CHICKEN: 透明飛行船』より引用)。むしろ、優しくありたいと思う松橋さんのほうが実はずっと優しいんだよ」

 心がぎゅっとなる。ダメだ。あたし、自分で思ってたよりずっと単純かもしれない。

 亜弥瀬は顔を伏せて、「ありがと」と聞こえないようにつぶやいてからごまかすように訊いた。

「へえ、だれが歌ってるの?」

「さあ」とごまかす寿々春。そして、「ほら。それもらうぞ」と亜弥瀬の持っているバインダーを取り上げようとする。

 しかし亜弥瀬も簡単には手放さない。

「いや、やっぱり悪いって。それがあたしの役割なんだし」

 握力を込めて抵抗する。

「そんな頑張りすぎなくても……」と寿々春はあきれ顔になるが、やはり自分のやるべきことをひとに押し付けるのはいやだ。

 そうやって引っ張り合いをしていると、廊下の向こうから声が聞こえた。

「え、ハルが女子とイチャイチャしてる……!」

 声のしたほうを見ると、亜弥瀬と同じクラスに所属している相木あいき稜人いつひとがものすごい速度でこちらに近づいてくる。

「おい待てって、稜人」

 そしてその後ろから、稜人を追いかけるように歩いてくる男女二人ずつの姿。そのうちのひとりは亜弥瀬の友人である吉田よしだかえでだ。楓もこちらに気づいたようで軽く手を振ってくれる。亜弥瀬も手を振り返しながら、同世代風の男女をちらと見る。楓以外の三人は私服姿。見かけた覚えがないし、他校の生徒だろうか。

 稜人がすぐそこまで来ると、寿々春は冷めた様子で言った。

東堂とうどうたちが来てたのか」

「まあな」とうなずく稜人。

「一緒にまわってたのか?」

「そういうお前は松橋さんとまわってたのかよ。探してたのに」稜人はやけに嬉しそうだ。

向井むかいさんにお手伝いを押し付けられただけだよ」

「ああ、なるほどな」と稜人はうなずく。「まあでも良かったんじゃねえの? それで女子とまわれるわけだし」

「その、俺が女子に飢えているみたいな言いぐさをやめろ」

「違うのかよ?」

 それには答えず寿々春は話題を変える。「ところで、柚樹ゆずきとか、ほかの連中は?」

「そういや河野こうの小南こなみは見てないなぁ。清水しみずちゃんはクラスの仕事を手伝ってて、柚樹は、どこかのクラスのお手製のガチャガチャからゴリラのキーホルダーが当たったらしくて嬉しそうにしてたぜ」

「それ、嬉しいか?」

「いやいや。これが、意外と味のあるフォルムをしたゴリラでさ。俺もちょっと欲しかったかも」

「ほう? 詳しく」と寿々春。

 詳しく訊かんでよろしい、と亜弥瀬は思った。

 そう話している間にも、後ろから四人が稜人に追い付いてくる。

「よう。そういやハルも福岡南ふくおかみなみだったな」

 髪を明るく染めた男子が寿々春に話しかける。半袖のTシャツにジーンズというラフな出で立ち。首にはネックレスをかけている。

「久しぶりだな、東堂」

 名前は東堂というらしい。

 やはり寿々春は冷めた様子で言う。しかし、亜弥瀬の勘違いでなければ、稜人に対してよりも、感情を消したようなどこか抑揚に欠けた言い方だった。

「稜人から聞いたよ。また野球部に入ったんだってな」

「まあな」どこか少し作った笑みを浮かべながらうなずく寿々春。「久しぶりにやってみたくなってさ」

「はは、その程度の意識で大丈夫かよ。またやめんなよ?」

「わかってるよ。それより、東堂とわたりはどうしてるんだ?」

「野球をか?」

 うん、と寿々春はうなずく。

「俺は高校ではやってねえよ。渡は」

 東堂が言葉を切って促すと、もう一人の男子が口を開いた。

「俺は続けてる」

 こちらはTシャツにカーゴパンツという格好。髪は短く切りそろえられていて、東堂と呼ばれている男子と違って軽薄な感じはしない。こちらは渡というらしい。

「へえ、そうか。二人とも、高校は一緒なんだっけ」

 ああ、と東堂が答える。「春日白水かすがしろうずだよ」

「ふうん。じゃあ、ひいらぎと一緒なんだな」

 寿々春は背の高い女子に視線を向ける。ブラウスにジーンズというシンプルな格好が爽やかだ。背が高いといっても女子にしてはという話で、寿々春よりは頭一つ分程度低い。

「そうだな。御厨みくりやと一緒だよ」と東堂がうなずく。

「不本意だけどね」とその女子は答える。

 柊が姓なのか名なのか判断に悩むところだったが、いまの東堂の発言でおそらく名なのだろう、と亜弥瀬はあたりをつけた。

「おいおい、そういうこと言う? 俺と御厨の仲じゃん」

「なんでか知らないけど、東堂のこと好きになれないのよね」

 亜弥瀬はちらと寿々春を見た。寿々春は察し良く視線を受け取って、簡単に説明する。

「三人とも稜人や吉田さん、俺と同じ中学だ。高校は春日白水らしい。柊は小学校も一緒で、東堂と渡とは中学の野球部で一緒だった」

 なるほど、と亜弥瀬はうなずく。

 拒絶を示している柊に、東堂は「またまたー」なんて冗談めかしている。しかし、同性である亜弥瀬には柊が本気で言っているのがすぐにわかった。

 寿々春も旧友と話したいだろうけれど、実行委員の仕事もある。どうしたほうがいいかなと亜弥瀬が考えていると、寿々春があっさりと言った。

「じゃあ俺はこれで。仕事の続きあるから」

 そして背中を向けてすたこらと歩いて行ってしまう。その淡白な姿勢に亜弥瀬は少しの間唖然としてしまった。

 稜人は「困ったやつだ」とでも言いたげに苦笑を浮かべ、柊は呆れたように「相変わらず薄情なやつね」と口に出して言った。まったく会話に参加しなかった楓が、少し寂しそうに寿々春の背中を見ていた。

 亜弥瀬は慌てて寿々春を追いかけた。隣まで追いついてから、小声で言う。

「ちょっと待って。久しぶりに会うんじゃないの? もうちょっと話してもいいんじゃない?」

 寿々春は無感情に言う。「久しぶりではあるけど、話すこともないからな」

 なんだろう。もともと感情表現に乏しい人物ではあるけれど、いまは明らかにいつもと違う。

「怒ってる?」亜弥瀬は訊いた。

「……」寿々春は少し沈黙して、それからふうっと息を吐きだした。そして表情を緩め、いつもの落ち着いた様子で言う。「悪い。少しイラついてた」

「……大森くんでも、そういうことあるんだ」

「そりゃあるよ。でもごめん、態度悪かった」

「ううん」と亜弥瀬はかぶりを振る。そして、迷った。理由を訊いていいかどうか。しかし意を決して、亜弥瀬は「あのさ」と口を開いた。

 そのときだった。

「ハル、あのときは悪かった」

 背後から声をかけられた。驚いて、少し肩がビクッとしてしまう。振り返ると、渡と呼ばれていた男子がそこにいた。遠巻きに、稜人たちが不思議そうにこちらを眺めている。

 寿々春はいぶかしそうに渡を見ていた。

「許してくれないだろうし、俺のほうが悪かったこともわかってる。けど、試合で手加減するわけにはいかないから」

 まじまじと寿々春は渡を見つめる。どこか居心地が悪そうに渡は続ける。

「悪い、引き留めて。一言謝っておきたかったんだ。じゃあな」

 渡は踵を返す。

 寿々春がその背中に声をかけた。「渡」

 声をかけられて、渡が振り返る。寿々春が少し笑って言った。

「また、グラウンドでな」

 渡は目を見開いた。かすかに口角を上げる。

「ああ。また、グラウンドで」


 無粋な気がして、亜弥瀬は寿々春と渡、東堂の間になにがあったのか、ついに訊くことができなかった。


 ※※※


 文化祭実行委員のお手伝いを終えて松橋さんと別れたあと、俺は地学研究部の片付けの手伝いのためにパソコン室に来ていた。

『ただいまをもって、第六十九回福岡南高校文化祭を終了します』

 スピーカーから、アナウンスが響く。

「なあ、陸」

「うん?」

「恨みとか憎しみみたいな感情ってさ、たぶん、ずっとは続かないよな」

 脈絡のない問いかけに、陸は首をかしげる。

「なに? だれかから恨まれるようなことでもしたの?」

「いや、ちがうけど」

「へえ?」とおかしそうにつぶやく陸。

 でも言われてみれば、気づかないうちに俺がなにかしたせいでだれかに恨まれていないとも限らない。

「でも、まあそうなんじゃない?」と陸は続ける。「無償の愛に限度があるのと、同じようなもんだよ」

 俺にとっては、あれは大喧嘩だった。殴り合いなんてことにはならなかったけれど、他人にあれほど怒りを覚えたのは初めてだった。

 東堂や渡もそうだけど、俺が怒ったのはあの二人に対してだけじゃない。そのとき部室にいた全員にだ。思いっきり喧嘩をした数日後、俺のせいで試合に負けた。中体連。だれもが目標にした大会でなんの結果も残せず敗退したのは、まぎれもなく俺の責任だった。あの負けで、ただでさえ険悪だった雰囲気がさらに居心地の悪いものになった。実際に、俺に対する陰口も聞いた。ただそれでも、直接なにかを言われたり、暴力を受けたりしたわけじゃない。勝手に俺がいづらくなって、勝手に野球部をやめただけだ。

 あの喧嘩から、もう二年。俺が野球部をやめたことについて東堂たちを恨むのは、ただの逆恨みだろう。だから、いまさらなにも思うところはない。ただ自分が情けないと思うだけだ。

 だけど。

 そもそもの喧嘩になった原因については、俺はあいつらを許すつもりはなかった。なのに。

 ――悪かった。

 渡から言われたただそれだけの言葉で、どこか怒りが薄らいでいる自分がいる。その後松橋さんと話していたら、さらに毒気を抜かれてしまった。

 なんなんだろうな、本当。

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