第17話

 文化祭、しかも一般開放される二日目とあって、校内は喧騒に包まれていた。一日目とは違い、制服以外の姿でにぎわっている。

 そんな中、松橋まつはし亜弥瀬あやせは文化祭実行委員として早歩きで校内を奔走していた。準備期間中は違う担当だったのだが、文化祭期間中はほとんど実行委員総出で危機管理の仕事にあたることになっている。

 危機管理とは、要するに問題が生じていないか校内を監視する仕事だ。各団体があらかじめ申告していた出し物と逸脱したことをしていないか、火の扱いなど事故のもとになることがないかなど、校内の見回りをする。事前に用意されているチェックシートをバインダーにはさみ、亜弥瀬はすべての団体の活動を確認していく。

 しかし、これが昨日よりも進まない。理由はいろいろとあるが、昨日から引き続き今日もヘルプで来る予定だったらしい野球部とハンドボール部の三年生が実行委員本部に姿を見せず、仕方なく実行委員一人当たりの分担を多くするかたちで見回ることになったのが大きい。しかもここにきて、地学研究部が開催しているというプラネタリウムのチェックが漏れているという不備を見つけてしまった。それどころか、プラネタリウムがどこの教室で開催されているか把握できていないことにもいまになって気づいた。

 これだけでも頭が痛い。

 なのに、実行委員の腕章を身につけているせいか、ことあるごとに呼び止められて案内を求められてしまう。いま応対しているのは、「アリーナってどこですか」と訊いてくる若い男性客。大学生くらいだろうか。

「ここから見えるあの建物ですよ」と亜弥瀬は忙しさを隠してにこやかに答える。

 しかし男性客は、窓の外にはっきり見えているにも関わらず、「どこから行けばいいんですかね。……良かったら案内してもらえません?」と爽やかな笑顔で言ってくる。

 いやいや、良くないですよ。連絡廊下がここから見えるじゃないですか。

 喉元まで出かかった言葉を、なんとか亜弥瀬は飲み込む。

「わかりました。ではご案内しますね」と笑顔をつくる。

 移動している途中にも男性客は話しかけてくる。「文化祭のときに仕事なんて大変じゃないの?」整った端正な顔立ちをしているが、笑顔がきれいすぎるのがどうも嘘っぽい。

「そんなことないですよ。ずっと、ってわけでもないですし」

「じゃあ、このあと空く時間とかあるの?」

 身なりは洒落ているし、一般的に十分イケメンと呼べる顔のつくりだ。亜弥瀬も女の子だ。ほかのタイミングなら、格好いい男性から話しかけられることに悪い気はしなかったかもしれない。だが、この忙しいときに時間を取られるのははっきり言って迷惑だ。

「いえ、実行委員ですから。なかなか自由時間はなくて」

「へえ。じゃあ、夜まで忙しいとか?」

「うーん。さすがに今日遅くまで後片付けをしたくはないですねー」

 質問攻めに遭いながらも目的地のアリーナに到着する。アリーナなどと仰々しい名前ではあるが、体育館の縮小版みたいな施設だ。文化祭期間中を通してギターアンサンブル部の演奏が行われている。

 これで解放される、と安堵しかけた亜弥瀬だったが、男性客は足を止めて話を続けてくる。

「あ、もしかして終わったあと打ち上げ?」

 まだ話すの?

「えーっと」一瞬反応が遅れながらも亜弥瀬は答える。「そのうちあるんでしょうけど、まだまだですね」

 ついでに忙しさもアピールする。

「文化祭が終わっても実行委員の仕事はしばらく残りますし、あたし、生徒会の仕事もあるんですよ」

 しかしこれが失敗だった。

「へーっ、生徒会なんだ」と男性客は驚いたような表情を見せる。

「……ええ。まあ」

「実は、俺も去年までここに通っててさ」

「そうなんですね」

 じゃああたし、案内する必要あったの?

「いまの生徒会にも後輩の知り合いがいるんだよね。七瀬ななせって知ってる?」

「あー、先輩です」

 というか、生徒会長だ。三年生の女子生徒。美人で仕事ができて、らしすぎるくらいの生徒会長。だけど、七瀬先輩と目の前のこのひとがあんまり結びつかない。

「せっかくだし、今度みんなで一緒に遊ばない? これ、俺の連絡先」とスマホ画面にチャットアプリのQRコードを表示させる男性客。

「えーっと……」

 拒否したいというのが本音だ。やんわりと断る言い回しがないだろうかと頑張って頭を回転させるが……見つからない。

 男性客を見る。亜弥瀬はけっして自分が良い顔をしていないという自覚があったが、それでも男性客は爽やかな笑顔をまったく崩さない。

「……うん、まあ」

 自分の連絡先くらいなら、まあ。

 あきらめて、自分のスマホを取り出してQRコードを読み取ろうとする。

 そのときだった。

「ミヤさーん。久しぶりっすねー」

 のんびりした声が響いた。

 男子生徒二人が近づいてくる。こちらに向けて手を振っている制服姿の人物は知らないが、もう一人は知っている。同学年で野球部の大森おおもり寿々春すずはるだ。文化祭用のTシャツ姿で、頭にはタオルを巻いている。

 ミヤさんと呼ばれた男性客が振り向く。声を出した人物の姿を認めると、「あれ、向井むかいじゃん。久しぶり」と少しぶっきらぼうに言う。邪魔するなと言わんばかりだ。

 すると、制服姿の男子生徒は隣の寿々春を指さして言った。

「ミヤさん、邪魔して悪いすけどその子、こいつの彼女なんすよ」

 えっ。

 亜弥瀬は固まる。顔の向きは変えず目だけで見ると、寿々春も表情こそ変えていないが硬直していた。

「えっ、そうなの?」

 男性客が視線を亜弥瀬に向けてくる。亜弥瀬はなにも言えず、コクコクとうなずいた。

「ごめんごめん。俺も悪気があったわけじゃなくてさ」と男性客はコロッと態度を変えて、亜弥瀬と寿々春に向かって弁明する。

 亜弥瀬も寿々春も事態にまるでついていけず、「いえ、そんな……」と曖昧な言葉しか出てこない。

「ここに用があったのは本当だから。じゃ、案内ありがとう」

 男性客はあっさりとアリーナの中に入っていった。

 亜弥瀬はホッとして、つい「はああー」と脱力してしまった。まわりからはそう見られていないかもしれないが、亜弥瀬は自分がひとの前に立つのが得意だとは思っていない。同様に、知らないだれかと話すのもそれほど得意ではないのだ。

「もしかして、邪魔しないほうが良かった?」と男子生徒が面白そうに訊いてくる。

 亜弥瀬は慌ててかぶりを振った。「いえっ、すごく助かりました。ありがとうございました!」

 直接向井むかい当真とうまと面識があるわけではない亜弥瀬は、礼を言っている相手がヘルプに入る予定だったにもかかわらずそれをサボっている野球部三年生だとはつゆ知らない。

「だよな。ミヤさん、男から見たらそんなに悪いひとじゃないんだけど、ちょっと女癖がな」

 あ、やっぱり……。

 安堵した様子の亜弥瀬を見て、当真が笑いを漏らす。

「最初はほっとくつもりだったんだけど、こいつの知り合いみたいだったからさー。こいつも止めてほしそうな顔してたし」

「な」と当真に話を振られて、寿々春は迷惑そうに「俺、そんな顔してないすよ」と答える。

「そんな照れんなって」

「いや、そういうんじゃなくて。俺は別に、『松橋さんかわいいし、やっぱりモテるんだなー』と思って見てたただけで。だいたい、止めたいと思ってるんなら向井さんに任せるのは情けなさ過ぎるでしょ」

「でも、本来止めるべきだったのは、この子と知り合いのお前のほうだろ?」

「む……」少し考えこんでから寿々春は、「それは……まあ確かにそうすね」と渋々といった感じでうなずいた。

「だよな」

「でも俺、あのひとのこと知らないですし。遠目からじゃ松橋さんに無理やり迫ってるなんてわかんなかったです」

「それは言い訳」とバッサリ切り捨てる当真。

「う……。それもまあ、そうですけど」頭をかきながらため息を吐くと、寿々春は亜弥瀬に向き直って目をあわせてくる。思いがけず真剣なまなざしに、亜弥瀬は少しドキッとする。

「ごめん。本当は、俺が間に入るべきだった」

 まさか謝られるとは思っていなかったので、かえって亜弥瀬のほうが慌ててしまう。

「いや、そんな、謝られるようなことじゃ」

 本当の彼氏というわけでもないし、大森くんが気にかけてくれる筋合いじゃない。そもそも、きっぱりと断り切れなかった自分に問題がある話。っていうかさっき、「かわいい」って言ってくれた。大森くんって女の子に対してそう思うことがあるんだな。などと焦っていま考えなくてもいい考えが浮かぶ。

「ええと、そうだ、大森くんはいま、なにしてたの?」

 少し居心地が悪い気がして、亜弥瀬は話を変えることにした。

「俺?」

「うん。なんか作業してるって感じの格好だけど」

「俺はまあ、ほら、あれだ」

 寿々春はあからさまに口ごもった。どうしたのだろう。

 その様子に笑いを堪えながら、「大森、お前どうせ暇だろ?」と当真が言った。

 なぜか悔しそうに寿々春は返す。「……否定はしませんけど」

「なら、俺はもうしばらく隠れるからさ、お前はこの子と一緒にいろよ。またミヤさんと出くわすかもしれないし、嘘がバレないように文化祭の間は一緒に行動したほうがいい」

 その提案に亜弥瀬は内心でびっくりする。また絡まれたくないし、一緒にいてくれるならありがたいけど……でもさすがに迷惑じゃない?

 恐る恐る寿々春の様子を窺うと、寿々春は亜弥瀬を見ていた。正確には、亜弥瀬が身につけている文化祭実行委員の腕章を見ていた。

「本当の彼氏彼女でも、さすがに実行委員の仕事中にまで一緒にはいないんじゃないすか?」

「でも、お前がいないところでまたちょっかい出してこないとも限らないだろ」

「え」寿々春は嫌そうな顔を見せる。「あのひと、そこまでですか? いま俺が彼氏だって思い込んでるはずなんでしょう?」

「たぶんな」

「だったら、男から見ても悪いひとなんじゃ」

「そう言われればそうなんだけど。でも、なぜかそれでも憎めないんだよなあ」

「じゃあ向井さんの彼女に手出したらどうします」

「殺す」

「ほら」

「いやお前、その質問はずるいだろ」

 しばし納得いかない様子で当真をにらんでいた寿々春だったが、やがて、「まあ、わかりました」としぶしぶうなずく。「結局、向井さんの代わりをやれってことですよね」

「理解が早くていいな」

 当真に向かってため息を吐きだしてから、亜弥瀬に向かってこう言った。

「俺がいても邪魔にならないなら仕事手伝うけど、それでも大丈夫?」

 亜弥瀬はきょとんとしてしまう。

「えっと、ほんとにいいの? あたしとしては一緒にいてくれるのはありがたいけど、でも、せっかくの文化祭なのにそれじゃあもったいなくない?」

 あれ、この言い方だと遠回しに断ってるみたいになっちゃうかな。やっぱり、素直に「一緒にいてほしい」って言うべきだろうか。でも、その言い方だと今度は全然別の意味に聞こえてしまう。

 しかしその心配には及ばなかった。

「いや、俺みたいなモブからしたら文化祭って居場所ないからな。むしろ仕事があるほうが助かる」

「モブって……」

「じゃあ決まりだな」当真が言った。「俺はまた隠れるから、お二人さんはごゆっくり」

 じゃ、と言って当真は早足でさっさといなくなってしまう。

 つかみどころのないひとだな、と亜弥瀬は思う。当真の背中を見送ってから、寿々春に言ってみる。「格好いいひとだったね」

 寿々春は複雑そうな顔をしながらも、「……まあ、認める」と言った。「チャラそうなのはそう見せかけてるだけって最近わかってきたし」

「野球部の先輩? なんだよね?」

「うん。さっき休憩してたらばったり会ってさ。あのひと今日も実行委員の手伝いの予定だったんだけど、サボってるみたいだな」

「えっ!」

 亜弥瀬は当真が去った方向に目を向けるが、もうすでにその姿は見えない。

「……大森くん、わかってて黙ってた?」

 寿々春は目をそらす。「……悪い。見逃してやれば、さっき口出してくれたのも貸し借りなしかなって」

 ふくれっ面で寿々春をにらむ亜弥瀬。そして気まずそうな寿々春。

 しかしそんな状況は長く続かない。ふっと相好を崩して亜弥瀬は悪戯めいた笑みを見せる。

「わかった。じゃあ遠慮なく、その分を大森くんに手伝ってもらおっかな」


 亜弥瀬は、手伝ってくれるのが当真ではなく寿々春で良かったと初っ端から思い知ることになった。

「えっ、大森くん、地学研究部がどこでプラネタリウムをやるのか知ってるの?」

「うん」と寿々春は平然とうなずく。「今日からパソコン室で開催してるはずだけど」

「パソコン室?」

 パソコン室は高価な精密機器を置いてあるため、文化祭で使用する予定はなかったはずだ。

「それ、本当なの?」

 亜弥瀬の剣幕に少したじろぐ寿々春。「昨日まで俺も準備を手伝ってたし、そのはずだよ」と答える。

「……準備?」亜弥瀬は怪訝な表情で言う。文化祭の開催は昨日からだ。「準備ってことは、昨日は出し物としてはなにもしてないってこと?」

「まあ、そうなるな」

 亜弥瀬は頭を抱えたくなった。

「……それ、たぶん実行委員も把握してないんだけど」

 確認作業を怠ってしまっていたのが、よりにもよってスケジュール管理がこんなにもずさんな部活だっただなんて。

 しかし、亜弥瀬の心情を見透かしたように寿々春が言った。

「いちおう言っておくけど、作業が間に合わなかったのは地学研究部のせいじゃない」

「そうなの?」

「うん。まあ、詳しいことは、俺から教えていいかわからないから、本人に直接聞いてくれ」

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