三章 無償の愛に限度があるように

第15話

 フィールド内のだれもがその一瞬を見逃すまいと、全神経を一点に集中させる。

 静寂に包まれるグラウンド。

 そして、その瞬間が訪れる。

 田中たなかさんが触れたボールを、向井むかいさんが高く相手陣内に蹴り上げた。

 かくして戦いの火ぶたは切られた。

 キックオフだ。

 敵味方全員が動き出す。


 ボールに先に触れたのは相手の6番ボランチだった。ヘッドでこちらの陣側に押し返してくる。そのこぼれ球をセンターサークル付近で向井さんが拾った。……いや、ワンタッチでサイドバックの後方へ大きく展開。パスが大きいと思われたが、裏をとった柚樹ゆずきが敵陣深くで爆発的なスピードでもって追いつく。しかし、向こうの左サイドバックもついている。一対一。柚樹が一度またいでからボールをずらし、クロスが上がった。

 エリア内には野球部では三塁手サードでレギュラーを張る田中さんが待ち構えている。センターバックからの激しいマークを受けながらも頭で合わせる。しかし、体を寄せられてやや体勢を崩されたせいか、シュートはキーパーの真正面。

 仕切り直し。キーパーから大きくフィードが蹴られる。


 今日は文化祭の準備日。要するに、明日から始まる文化祭の前日だ。明日明後日と文化祭になるので、準備日も含め、今日から三日間は文化祭関連以外の部活ができない。

 もちろんこれは毎年のことだ。そこで我が野球部では、文化祭の準備日にハンドボール部とサッカーの試合を行うことが伝統となっているらしい(向井さん談)。

 メンバーは、野球部サッカー会会長である向井さんにより精鋭が選ばれた。一年からはなんと河野こうの以外の四人が選ばれている。河野はサッカーがあまり上手くないのと単純に参加したがらなかった。

 試合は前後半三十分ずつでアディショナルタイムと延長はなし。

 野球部は3バックを採用し、3―4―2―1のフォーメーション。その中で一年は、両ウイングバックに小南こなみと柚樹、ダブルシャドーの一角に俺、6番に稜人いつひとが入っている。一年が軒並み攻撃的なポジションに採用されたのは初めての伝統の一戦を俺たちに楽しんでもらうためかとも思ったのだが、向井さんいわく、「いや、単純にお前ら、サッカー上手すぎ。野球より上手い」ということだった。

 一方で、ハンド部も3バックを採用し、3―4―1―2の2トップ。

 両チームとも、守備時には両ウイングバックが下がって5バックとなる。ウイングバックは、攻撃時には高い位置に上がってくることになるので運動量が半端じゃない。

 ハンド部のウイングバックの片方には、柚樹や俺と同じ一年十組に所属する古矢ふるや絋一郎こういちろうが入っている。

 古矢は、稜人から小南へのパスをインターセプトしたあと、自分で持ちあがる。同時に2トップの片方がサイドへと流れて数的有利をつくり、ワンツーで古矢がサイドを深くえぐる。

 そのままクロス。

 もう一人のフォワードが頭で合わせるが、シュートは枠を外れる。

 最序盤こそ両者がそれぞれ見せ場をつくったが、徐々に野球部が試合の主導権を握り始める。足元の技術や戦術のレベルは野球部のほうが上だ。ほとんどハンド部の陣内で試合は進行する。そして、前半十二分に先制に成功した。

 起点は柚樹のサイド突破だった。すでに中央では田中さん、ファーサイドでは小南が待ち構え、さらにニアには向井さんが飛びこむ。しかし柚樹が選択したのはマイナスのパス。そのパスの受け手はフリーだった俺だ。エリアのわずかに外で受け、ワントラップで良い位置に置く。相手のディフェンスが慌てて寄せてくる。しかしシュートコースは見えている。インサイドキック。ポストを巻くようなシュート。狙い通りだったが、キーパーが神がかった読みとジャンプを見せてシュートを弾く。しかし、こぼれ球に素早く反応した小南が押し込んだ。

「っしゃああああああっ!」

 観客はいないが、興奮した小南がサイドラインへ向かって走っていき、それに向井さんや柚樹、田中さん、俺が追随する。そして、次々と小南の上に覆いかぶさり、もみくちゃにする。脳内では観客が絶叫している。

 続いて二点目を奪わんと野球部が攻勢を強めるが、ハンド部の5バックが堅い。さらにカウンターが鋭いために、人数をかけすぎるのはためらわれる。

 結局、一対〇でハーフタイムを迎える。

 そして、後半。試合の流れががらりと変わる。

 テクニックがあるのは野球部のほうだが、運動量ではハンド部が勝る。特に効いているのは、この試合はどちらも十一人ぎりぎりで交代枠がないということ。野球部の足が止まり出した後半から、ハンド部が試合を支配し始めた。右ウイングバックの古矢がボールを持つと、ボールを大きく逆サイドに振る。このキックの精度が高い。高確率でつながるせいで左右に揺さぶられ、さらに守備の負担が増えてしまう。それによってさらに野球部側の足が鈍ってしまっている。まずい流れだ。

 と思っていたら、久しぶりの攻撃のターンが来た。クリアボールを田中さんがハーフウェイライン付近の中央でキープして、向井さんに落とす。そこに俺が走りこんできて、ワンツーで向井さんが前に抜け出す。田中さんが3バックの中央をつり出してできたスペースに柚樹が斜めに猛然と走りこむ。そこにパスを通せば決定機と思われたが、下がってきたハンド部のトップ下のタックルが決まってボールを奪われてしまう。審判を見るが、笛はない。ちなみに、審判はサッカー部の三年生、向井さんの友人らしきひとが務めている。審判をしてもらう報酬として、負けた方から一週間分の食堂の食券(肉丼一杯三五十円が五枚分)が支給されることになっている。なので、オフサイドもとられるし、カードも出る。

「戻れえっ!」

 ハンド部のカウンター。しかし、稜人が素早く寄せに行って攻撃を遅らせる。俺もプレッシャーをかけて、一度ボールを下げさせる。バックラインでボールをまわしながら、古矢に縦パスが入る。と同時に古矢は前を向く。ハンド部の2トップの片方が下がり気味のポジション。センターバックがついてくる。そして2トップのもう片方が右サイドに流れ、左ウイングバックが左サイドで高い位置をとる。するとトップ下が、センターフォワードが下がって空いたスペースに飛び込み、古矢が見事なタイミングで浮き球のパスを通す。

 決定機。

 キーパーとの一対一を冷静に制して、ネットを揺らす。同点だ。

「おらああああっ!」

 ゴールを決めたトップ下がシャツを脱いで、ホイッスルが吹かれる。カードが出た。

 しかしまあ、試合終盤だし、当然累積もしないので痛くもかゆくもない、覚悟の上のカードだ。

 そのまま試合は終了。

 一対一の同点で試合が終わった。


「いやー、面白かった。お前らのそのサッカーへの情熱はいったいどこから来るんだ」

 試合後、審判のひとが、苦笑しながら向井さんと話している。

「野球部はサッカーが好きなんだ。それが自然の摂理だ」

「けど、飛高ひだかとか氷見ひやみとかはいないじゃん」

「あいつらは管理職の真面目野郎だからな。呼んだらこの試合は潰されてた」

 この一戦は、そこら辺のふつうの広めの公園で行われている。そのため、過去には近隣住民から苦情があり、生徒会から厳重注意を受けたこともあるらしい。なのでこのイベントは、主将の飛高さんや副主将の氷見さんには内密に開催されている。ばれたら止められるからだそうだ。

 それならば、最初からそんなことをやらなければいいと思われるかもしれない。

 しかし。

 それでも、俺たちはサッカーをやるのだ。たとえ国家権力をもってしても、俺たちを止めることは叶わない。水が上から下に流れるのと同じように、俺たちがサッカーをやるのもまた、当然なのだ。


 翌日。

 文化祭の日の早朝、野球部サッカー会会長とハンド部サッカー会会長が生徒会室へと呼び出された。その結果、向井さんは罰として奉仕活動を命じられた。なんでも、文化祭中の文化祭実行委員の業務を手伝うらしい。高校最後の文化祭なのに雑務をこなすことになったと嘆く向井さんの表情は苦々しかったが、それでもサッカーをやったことへの後悔は微塵も感じられなかった。

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